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ファミコン探偵倶楽部のシステムを想う -ファミ探は推理ゲームではない-


     ファミ探は「推理ゲーム」ではない。
     

     率直に言って、このタイトルがそのまま結論になります。
     ファミ探が令和の今になって出るとなった時に、一も二もなく懸念したのはコマンド選択式アドベンチャーというシステムの古さでした。

     システムの古さは忠実なリメイクとしてやむを得ないところがあり、敢えてこのシステムを残した点をわたしはとても評価しているのですが、「レトロゲーマー」「原作ファン」以外からは批判の対象になるであろう点も容易に想像できました。

     それでもファミ探はコマンド選択式アドベンチャーでなくてはならなかったし、実はファミ探に対してコマンド選択式アドベンチャーの煩雑さを批判することは的外れだとも思っています。
     その理由であり結論が、「コマンド選択式アドベンチャーは推理ゲームではない」なのです。


     2000年代に入り、非常に素晴らしいことに(同時にファミ探を楽しむのにはいくらか不幸なことに)、逆転裁判という極めて優れた「推理ゲーム」が発売されます。また、ダンガンロンパなどもこれに続きます。このサイトをご覧の方にはプレイされた方もさぞかし多いでしょう。
     そして、ファミ探やファミ探以前のコマンド選択式アドベンチャーに触れるより先に逆転裁判やダンガンロンパに触れてしまった人は、おそらくファミ探のことも「推理ゲーム」とみなし、推理ゲームであることを期待されるだろうと思っていました。

     この傾向はファミコン時代の和製コマンド選択式アドベンチャーがリリースされず、殺人事件を題材にした和製のテキストアドベンチャーと言えば逆転裁判という海外で特に強い傾向になるだろうと予想されましたが、同時に日本のファミコン世代より若い層でも同じことが起きるだろうことも予想の範囲内でした。
     殺人事件と少年探偵という設定のファミ探が「推理ゲームである」と誤解されることはほぼ間違いなく、そして誤解されたままプレイされればシステムに批判が集まることもほぼ必然的に予想できました。
     そして現在、海外レビューなどを見ればほぼ予想どおり、このシステムは批判の対象になっています。

     この批判の中身は、とても単純に言えば「プレイヤーにはおおよそ答えがわかっているのに、主人公が気づかない」というものです。
     もう少し別の言い方をすると、「プレイヤーの(正しい)推理が主人公の行動に繋がらない」というもので、こちらがより不満の実態がわかりやすいかもしれません。

     こうした批判はファミ探という作品を「推理ゲーム」と誤解しているからである、というのがわたしの持論です。
     そして残念なことに、ファミ探が推理ゲームではないという誤解に気づく人は(たとえクリアした人であっても)意外と少ないようです。

     逆転裁判などの比較的最近の「推理ゲーム」の印象が強すぎて、殺人事件を取り扱い、その犯人を捜し出して謎を解くという設定において、「これは推理ゲームとは違うジャンルである」ということを、プレイしてもクリアしても理解できなかった人が、今もたくさんいると思います。
     もしこの文章がそういう誰かの目に留まり、少しでも誤解を解く一助になれば……と藁にもすがるような淡い期待を持って、今この文章を書いています。


     コマンド選択式アドベンチャーは、とりわけファミ探は、推理ゲームではありません。
     殺人事件を扱った「推理物」ではあっても、本当の意味で推理するゲームではないのです。


     推理ゲームであれば、推理が当たっていないと先に進めません。
     さらに、推理が当たることがプレイヤーにとってのご褒美(インセンティブ)になるものです。
     くどいように非常に優れた「推理ゲーム」である逆転裁判やダンガンロンパでは、情報を集める内にトリックの道筋が見え、さらには犯人がわかり、犯人を追い詰めるための論理が繋がります。この「正しい推理」がプレイヤーの中で繋がった結果として真犯人が追い詰められたり、物語が進んで次の展開が現れるという快感(ご褒美)が得られるようになっています。
     
     ですが、ファミ探は違います。
     ちょっと違うどころか、「推理ゲーム」とファミ探は正反対です。
     ファミ探ではそもそも正しい推理をしなくてもフラグの回収さえすれば作品が進みます。
     しかしそれ以上に大きいのは、正しい推理をすることがプレイヤーの楽しみにおいてマイナスになる点です。

     真犯人が最後までわからない。
     キーとなるアイテムの存在が思いつかない。
     裏の事情に作中で言及されて初めて衝撃を受ける。

     ファミ探において、プレイヤー独自の推理は不要です。
     プレイヤーはストーリーの示す流れに素直に乗る方が楽しめます。

     最後にタネ明かしされるまで主人公が気づかなかったことには、同じように気づかない。
     主人公が間違った推理をしても、その通りだと考える。
     そういう人の方が、この作品に心を動かされ、びっくりさせられ、作品を楽しめるはずです。
     作品全体が持っていこうとしているストーリーの流れを飛び越えて、「犯人やトリックを正しく推理していたプレイヤー」にとって、ファミ探は恐らくいくらか退屈な作品になると思います。

     正しく推理しない方が作品をより楽しめる。
     正しく推理してしまうとむしろ退屈になるのは、ファミ探が「推理ゲーム」ではないからです。


     

    ファミコン探偵倶楽部のシステムを想う -コマンド選択式アドベンチャーの意義-


     では、推理ゲームではなければファミ探とは何なのでしょうか。
     いったいこのゲームはどう楽しむべきものなのでしょうか。
     さらに言えば、このやたらに煩雑な「コマンド選択式アドベンチャー」というシステムを敢えてリメイクでも採用したのはなぜなのでしょうか。

     コマンド選択式アドベンチャーとは何で、その価値はどこにあるのでしょうか。
     コマンド選択式アドベンチャーが持つ効果については、過去にも一度 こちらで説明していますが、今も答えは同じです。

     コマンド選択式アドベンチャーとは、プレイヤーがゲームの世界に働きかけ、ゲームの世界から反応が返ってくる作品です。
     話しかけたり、つついたり、何かを見せたり、逆に何かを取ったり。
     プレイヤーはコマンドを使ってゲーム世界にちょっかいをかけます。
     そして、それに対してゲーム世界の人や物から、毎回すべて律儀にレスポンスが返ってくるのです。(たとえそれが「……」だとしても。)
     
     ファミ探の世界においてオブジェクト(作中のキャラクターや物)はプレイヤーを阻むために置かれているのではありません。
     また本質的にはプレイヤーを助けるために置かれているわけでもありません。
     これは現実の世界に近い構図です。
     もちろんゲームなので実際にはプレイヤーのために作られた存在ですが、現実ではあなたの周囲の人があなたのために存在しているわけではないのに似せて、ファミ探世界の人や物も、そしてコマンドさえも、必ずしもすべてがあなたの役に立つわけではありません。

     仮にあなたが殺人事件について調べる探偵だとしても、あなたが何か尋ねたら、常に意味のある話が端的に聞けて、知りたいことについて価値あるヒントが得られるなんて、現実世界ではそんな風にできてはいないはずです。
     現実であれば、知らないとあしらわれることもあるでしょう。余計な長話に付き合わされて、ちょっとだけ事件解決のヒントになりそうなことがやっと聞けるなんてことがあるはずです。

     ファミコン探偵倶楽部の世界は、それと似た風にできているのです。

     すべてがあなたの役に立つように作られてはいない世界で、それでも何かを得ようと思えば色々なアプローチをしなくてはなりません。
     ですから、あなたはコマンドを通して作品世界に色々と働きかけます。
     コマンドを試しても手応えがない時もあります。
     話が聞けたとしても事件の解決には意味が無いことだってあります。
     それは、現実がそうであるように、です。

     ファミ探はこれでもある程度必要なコマンドだけが表示され、本当に無駄なコマンドは出て来ないという仕組みになっています(注:ファミ探よりさらに昔のコマンド選択式アドベンチャーではコマンドの絞り込み機能がなく、常にすべてのコマンドが表示されるような物も珍しくなかった)。
     それでもすべてのコマンドが意味を持つわけではありません。
     プレイヤーの中で推理が繋がって「この話題を振ればこの話が聞けるだろう」と思っても、ファミ探では必ずしもそうはいかないはずです。
     時にバカバカしいようなやり取りを何度もしないといけないのも、なかなか相手が口を割ってくれずあの手この手を駆使しなければならないのも、しつこくし過ぎてとうとう相手を怒らせてしまうのも、ある意味でとても現実的です。

     コマンド選択式アドベンチャーとは、現実でやるような、常に要領よく行くとは限らないコミュニケーションをゲームの世界に対して行う作品なのです。

     もちろんこの現実的な要領の悪さが、ゲームにおいてフラストレーションに成り得ることはわかります。
     このシステムが現代では不評を買うだろうということが容易く予想できたのはそのためです。

      けれど今の洗練されたゲーム、作中に出てくるすべてのアイテムはゲームの進行において価値があり、言うなればすべてがプレイヤーのために用意された存在であるという世界とは違うリアリズムがファミコン探偵倶楽部にはあります。

     

     コマンドを通して、作品世界に働きかけ、必ずしも思い通りにならないコミュニケーションを取る。
     その根気を要するリアリズムは、プレイを続けていく内に一種の重みを持ちます。
     それは現実感という重みです。
     特にファミコン探偵倶楽部は、日本の作品が今ほど「二次元らしい二次元」でなかった時代の作品です。
     キャラクターは一部を除きマンガやアニメ的ではなく、ドラマ的、写実的です。
     写実的な人物たちに対し、必ずしも上手く行かない地道なコミュニケーションを続けることで、もしあなたが真にこの作品を楽しめるなら、この作品世界は人生の中で行ったことのある場所、そして、作中の登場人物は出逢い会話した人たちのような存在になるでしょう。

     それが、コマンド選択式アドベンチャーの一つの楽しみ方です。


    Jan. 2023