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事件についての考察

    ファミコン探偵倶楽部はコマンド選択式アドベンチャーというジャンルでした。

     ファミ探ディスク版のリアルタイム世代の方でしたら皆様ご存じでしょうけれど、コマンド選択式アドベンチャーは「ポートピア連 続殺人事件」以来、ファミコンで、それもとりわけ推理ゲームで一世を風靡したシステムです。しかしながら、このシステムはスー パーファミコン世代以降は著しく縮小し、神宮寺三郎シリーズを初めとしたごく一部のゲームだけが使用するシステムになりました。

     スーパーファミコン以降、ゲームは容量の増加に伴い、マルチシナリオ化が進んでいきます。とりわけ、ファミ探に近い推理ゲーム で発生したサウンドノベルのシリーズで、このマルチシナリオ化は開花しました。これは幾分想像になりますが、コマンド選択式アド ベンチャーは、作成に当たっては非常に手の掛かるシステムです。シナリオとしては一本道のゲームでさえ、逐一複数のコマンドを用 意しなくてはなりません。これが、シナリオが複数に分岐するとなったら、そのすべてにまた同じことをしなければなります。これが たやすくないことはゲーム作りの素人でもわかります。ゲームはマルチシナリオが当然という風潮がある中、コマンド選択式が廃れて いったのは無理からぬことではなかったかと思います。

     さらに、コマンド選択式は競争や勝ち負けと言ったゲーム性に乏しいシステムでもありました。シナリオを読ませるならサウンドノ ベルのようなシステムが向いています。ゲーム性を持たせようとすると選択を間違うとゲームオーバーになるといった要素が必要にな りますが、結果として選択がものすごく難しいであるとか、理不尽なゲームオーバーに見舞われる作品もありました。
     ファミ探はファミコンの中では最後発に近い推理ゲームになりますから、コマンド選択式アドベンチャーの中でも後発の作品でし た。よく言えば、最もシステム的に洗練された時期に現れた作品でした。後発であるが故の有利は、表示されるコマンドが場面によっ て整理されると言ったユーザビリティで発揮されています。

     他方、ファミ探は親切設計でゲームオーバーもありませんでしたが、それ故に紙芝居的であるという非難も受ける時期になっていま した。これは「ファミ探が」という問題ではなく、むしろコマンド選択式自体が、時代遅れになろうとしていたシステムだったためだ ろうと思われます。
     けれど、うしろに立つ少女の発売から四半世紀が経った今、もう一度ファミ探とコマンド選択式アドベンチャーの親和性を見直そう と思います。


     コマンド選択式アドベンチャーは、シナリオを読ませることに関しては昨今の(主にギャルゲーなどに採用されている)二分割画面 のアドベンチャーと非常に似ているように見えますが、根底で全く異なるシステムです。
     それはいちいちコマンドを選んで、場合によってはほとんど反応を得られないといった煩雑さに現れます。ほんの少し会話を進める にも、的確な選択肢を選んで、一会話ごとに小さなフラグを立て続けなければいけません。ただシナリオを読ませたいだけなら、これ がサウンドノベルに比べていかに無駄なシステムかわかります。それにコマンド欄も必要になりますから、絵を見せるにも向きませ ん。
     けれど個人的には、少なくともファミ探にとっては、コマンド選択式は最も適したシステムだった――と今になって思います。



     コマンド選択式が、サウンドノベルや二画面分割型のアドベンチャーに勝る点は何かと言えば、そのインタラクティブ性です。シナ リオを読ませるタイプのゲームの中で、コマンド選択式は、圧倒的にプレイヤーが考えを持ってゲームに働きかける機会が多く、そん なプレイヤーの動きに対してゲームから返ってくる反応が多いのです。その回数は、文字通り桁違い。それもたぶん一桁では効かない 差があります。

     複数ある話題の中から、毎回聞きたい話題を選び、話を聞き出す。
     あっちを見たりこっちを見たり、目に付くものはとりあえずチェックする。

     これがコマンド選択式アドベンチャーです。それは煩わしい作業でもありますが、同時に、ある種リアルでもあります。
     わたしたちが現実で会話の話題を選ぶように、ゲームの中でも、探偵くんは話題を選びながら話をしていました。見当違いな相手に 見当違いなことを尋ねれば沈黙で返ってきたり、知らないとすげなく扱われることもありました。

     意味もなく校舎の窓を見ても特に何もないですし、時計が止まっていることに気付くこともあったでしょう。ふと町中で周囲を見回 すように、ファミ探世界の中で、わたしたちはあの世界をある程度同じようにゲーム中の周囲を見回せました。
     事件に関係があったりなかったりする話を色々と聞くこともできましたし、無駄に丑美津高校の敷地をうろうろすることもあったで しょう。イタズラ電話を掛けることさえできたのです。
     プレイヤーのちょっとした動きに対して、必ず何かの反応が律儀に返ってくるのがコマンド選択式アドベンチャーでした。それが 「……」という沈黙であっても、「特に気になるものはない」という事実であっても、「ここにはいません」という答えであっても。

     ファミ探はマルチシナリオではなく、大きなストーリーとしては一本道をなぞるだけのシステムではありましたが、ゲームから一方 的にシナリオを与えられるのではなく、ゲームに対してプレイヤーが働きかける機会は、とても多くあったのです。

     それはゲームならではのインタラクティブ性、つまり、ゲームの世界に入り込む感覚を高めたはずです。プレイヤーが主人公を動か す感覚、探偵くんを自分の分身のように思える感覚は、小説やアニメより強かったはずです。

     そして、ファミ探は恐怖と感動を非常にうまく取り込んだ作品でした。
     ゲームに入り込めば入り込むほど、プレイヤーは怖い思いをすることができたはずです。あるいは、作中に出てくる人々と触れ合っ たからこその感動や驚きや、苦しい思いがあったと思います。
     ファミ探の、実感を伴った感覚はゲームならではのものでした。たとえ同じストーリー、同じ展開であったとしても、小説やアニメ や映画では、「背後に忍び寄る影」や「彼の振り向き」にトラウマと呼ばれるほど驚くことはなかったでしょう。
     そのファミ探の世界に入り込む感覚を支えたものは、コマンド選択式というシステムだったと思います。ただ物語を横から眺めるの ではなく、自らプレイして、その世界を体験することができた。そして、ファミ探はその効果を最大限に生かして恐怖や感動を味わわ せた。
     ファミ探はコマンド選択式アドベンチャーだったからこそ、今なおファンがいる作品になっているのではないでしょうか。