
ファミコン探偵倶楽部は作品内での対比構造、あるいは作品間での対比構造に優れると長年語ってきた身だが、そうはいってもこれほど明と暗の差が激しい対比が過去にあったろうか。
より正しくは、本作の「明」の部分は断じてそこまで明るくはない。ただ暗があまりにも暗すぎてもはや漆黒のそれである。
本作、「笑み男」の「本編(以下、笑み男編)」は結末まで含めて全編にわたってどこか明るさがある。軽やかさと言っても良い。
一例としてコミックリリーフの存在がある。
過去作においてはコミックリリーフはポイントポイントで心のオアシス的に登場していた。
例えば消えた後継者でいえば熊田先生とは全編を通して比較的長い時間を共にするが、熊田先生は多くの場面ではきちんとしたことを言う医師であり、面白いことをし出すシーンはかなり限られる。
うしろに立つ少女で言えばひとみちゃんがお手本のようなコミックリリーフだが、その登場は物語が重みと不気味さを増してくる後編からであり、印象の強さに比べると登場機会は意外と少ない。
これに対して本作「笑み男」の福山先生(先輩)はほぼ全編にわたって登場し、しかもどの場面でもだいたいにしてうっとうしいものの根は悪いやつではない面白いキャラクターである。神原刑事も終盤ではシリアスな側面を見せるし時折鋭さも感じさせるが、基本的にはお調子者の(そしてこれまたちょっと鬱陶しい)いわゆる陽キャである。
鎌田警部は出番は少ないがくしゃみをして鼻を垂らしたり「魔女の一撃」を食らったりと、これまた半分ほどは面白い姿を見せている。
重要な情報提供者となる笑子ママはここまでの登場人物と違いずっと真っ当なことを言う人物だが、つらい過去があったとしても今は明るくたくましく生きているこれまた陽の存在だ。
こうした登場人物たちの性格や語り口ばかりでなく、「笑み男」編の各シーンは画面自体も明るい。
全編にわたって天気は良く、明るい日中が多い。
初めて不気味な都市伝説「笑み男」についてあゆみちゃんが語るシーンも、久瀬兄妹の哀しい行き違いがよし江さんから語られるリラクス紫子のシーンも、ある種不気味な疑惑である「都筑実を名乗る久瀬誠の顔の男」の話を聞ける場面も、その話を聞いている場所は穏やかで明るく安全だ。
最後の廃村すら夕暮れが近づいているもののまだ明るい。
過去作に比べれば(過去作に比べればであるが)、笑み男編は「笑み男」と交錯する2シーン(めぐみがポンプ場に向かった場面と純子のもとに笑み男が現れる場面)を除いて画面全体が常に明るいのである。
そして笑み男編で画面が明るいのは、根本において物語全体がそうであるからと言える。
この作品では事件開始時に一人の死者が出て以降、最後に「真犯人」が殺害されるまで一人の死者も出ない。
十代の自殺という実際にはかなり深刻な題材を描いてはいるのだが佐々木英介の事件は当人や遺族の気持ちを別とすれば、めぐみにも救済の言葉が残されるなど比較的救いの感じられる内容となっており、また英介や英介の家族は恐らく敢えて「深めない」ように扱われていて、全体のトーンを明るく維持しようという工夫が感じられる。
笑み男編の中心を担う久瀬兄妹は生きて再会し、最後には新しい家族という支えも加わる。
タイトルロゴの茄子の花言葉の通り、真実と希望と、そしてつつましい幸福を手に入れる物語となっている。
このタイトルロゴが反転して現れるのがミノル編である。
ミノル編では、まず色調として暗い場面が多い。
最初に空木が訪れる近隣住人の家は囲炉裏を囲んでおり、画面上部が暗い。また、回想で現れる都筑家の家の中も陰鬱な色調である。
元近隣住民の女性との会話シーンは晴天の下だが、そこで語られる凄惨な回想はどしゃぶりの雨の場面であり(旧作は昔の技術的な問題もあったと思うが、ファミコン探偵倶楽部のシリーズにおいて雨が描かれるのはこのシーンが今回初である)、またその後の場面もやはり色調の落ちた都筑家である。
この作中において空木が話を聞いている「現在」の晴天や、笑実子の葬儀の花の明るさ故により暗く感じる。
綾香とのシーンは夕暮れと夜がすべてであり、以降の完全に笑み男と化して以降、少なくとも久瀬誠の視点で語られた場面(誠に食事が与えられる場面や道路工事のシーン)以外は夕暮れや夜間が大半を占める。
笑み男編で画面が暗いのは笑み男と交錯する2シーンと言ったが、ミノル編で、都筑の目線で画面が明るいのは回想に現れる轟モータースのシーン程度だろう。
そして、物語の陰惨とすら表しうる残酷さは言うまでも無い。
都筑が行った殺人に同情の余地はない。
その同情の有無を完全に差し引いたとしても、都筑兄妹には救済が全くないのである。
「笑み男編」が真実と希望とつつましい幸福の物語であるならば、それを反転したミノル編で描かれているのは大いなる不幸と、偽りと、絶望の物語だった。
「えみこは もう いない」というのは都筑の最期に意識に現れたように描かれる言葉だ。
それは現実ではあるが、その現実を直視することが都筑の救済であったとは少なくともわたしには思われない。都筑にとってのそれは絶望である。
これは例えばうしろに立つ少女の真相(自身の犯罪や浅川しのぶの遺体の在処)が日比野に落ち着きを取り戻させた例や、消えた後継者において悲劇的な両親の死を知っても両親が何者で、どのように生き、自身がきちんと愛されていたことを知った主人公の例とは明らかに異なる。
当然、家族が再会して新しい生活を始められた久瀬兄妹ともだ。
ミノル編を最後まで見てからミノル編のトップに移ると、うっすらした晴天のような明るい空色から白にグラデーションした背景になる。
けれど、そこで手を繋ぐ都筑兄妹のシルエットは、影という言葉で表現するには黒すぎる茄子紺で描かれている。
1. Sep. 2024