
過去から近年に至るまで、わたしはファミコン探偵倶楽部ひいてはコマンド選択式アドベンチャーの特色は、地道にゲームの世界に働きかけ続けることにより、まるでゲームの世界を一時実際に過ごした時間と空間のように感じられる点、作中のキャストを人生で実際に出逢った人たちのように感じられる点にある、と言ってきました。
最新作「笑み男」は日本ではインタラクティブドラマという新たなジャンル名が与えられ、英語圏ではSimulation/Adventureと表現されています。
インタラクティブドラマにしても、Simulation/Adventureにしても、プレイヤーが探偵としてゲームの世界の中で行動する実感を感じさせるカテゴライズだと思います。
そして笑み男ではコマンド選択式アドベンチャーのこの効果を最大限に、あるいは敢えて逆手に取ることで最大限以上の力を与えた作品だと感じています。
-従来より進化したコマンド選択式アドベンチャー(インタラクティブドラマ)がもたらす実感- 今作では「考える」のコマンドが多くの場面でヒント機能として働き、旧作に比べて進行上詰まったり、同じ話を延々と繰り返し聞かされたりする事態は多くの場面で減ったと思います。 おそらく多くのプレイヤーは旧作に比べてスムーズに情報や会話を引き出せたことでしょう。 では、コマンド選択式アドベンチャーならではの不自由さを伴うリアリズムがなくなったかと言うと、個人的には非常に面白い形で発揮された場面があると感じました。
今回新しくその点を実感したのは福山先生とプレイヤーが操作する橘あゆみさんとのカフェでの会話です。 かなりの時間を掛けた会話になりますが、それでいて事件の参考になるような情報はほとんど聞けなかったと感じた方は多いでしょう。 コマンドに対するレスポンスは十分です。話を聞けば相手は「……」ではなくそれなりに色々な話をしてくれたはずです。 それなのに聞き出したい事件の話は少しもしてくれないのです。 ゲームとして見た時に、このフラストレーションの溜まるやり取りがどこまで良いかは議論の余地はあると思います。わたしでも議論の余地があることは充分に認めます。 ただ個人的には、この場面を初回に実際にプレイした時の強烈な印象として「これは現実にはあるあるだな」とかなりはっきりと感じたのです。 特に橘あゆみさんのような男性の関心を集めやすい女性の場合には、こういう目に非常に多く遭いそうだと奇妙なくらい強い実感を伴って感じました。 (なお、福山や神原とのこうした会話の価値は、すべてわかってプレイする二周目以降にくだらないけれど平穏な日常を感じさせる高い価値があると思います)
もう一つは久瀬よし江さんと轟さん夫妻の存在です。 よし江さんから話を聞けば久瀬誠をどうしても生きて見つけてあげたいと感じ、轟夫妻と話をすれば都筑実を何とかして生きて見つけてあげたいという気持ちになりました。 これは似たようなことを感じた人も多いかもしれません。 特に轟夫妻に対しては結末をどう伝えれば良いのか……と途方に暮れるような気持ちを味わった人もいるのではないでしょうか? もしそう感じた人がそれなりにいるとすれば、インタラクティブドラマ、コマンド選択式アドベンチャーこそが与えられるリアリズムとして成功していると思います。
笑み男編は音声をスキップせず比較的スムーズにプレイした場合なら、おおよそ各章1時間前後、おそらく12時間から14時間くらいは必要だと思います。 プレイヤーは10時間以上、コマンドを選択する度にゲームから何かしらのリアクションがあり、ゲームの世界に関わっているという実感をいつの間にか与えられながらプレイすることになります。
その先にミノル編(深層編)が現れます。
ミノル編ではプレイヤーにはほとんどできることがありません。
空木を操作するパートのコマンドも至極わずかです。
プレイヤーはなすすべもなく都筑笑実子の悲劇的な短い生涯を初めとする、30年前から作中の現在にかけての都筑実の人生を知ることになります。
そして、プレイヤーにとっても主人公にとっても、久瀬誠の誘拐を含む18年前の出来事や笑実子が亡くなった30年前はすでにはるか遠い過去です。
これらの話を久瀬純子や空木から主人公が聞く時点では、都筑実すらもはや故人なのです。
プレイヤーは都筑実や都筑兄妹には何もできません。
手を差し伸べることも、逆にミノルに罪やその心理を問うことさえできないのです。
少なくとも10時間以上、プレイヤーはいつの間にゲームの世界に対して「何かできている」感覚になっていたと思います。
そこに何をどうやっても何もできない過去を突きつけられます。
主人公(プレイヤー)が廃屋の中に入った時点で、すでにすべては終わっているのです。
本作に対して賛否の「否」を述べる際に結末が急展開だという意見が散見されます。
推理したかったという意見も散見されます。
自分が思うに、これは恐らく事件(というより連続殺人犯ならびに佐々木英介の事件を工作した犯人)に対して「何もできない」この感覚が呼ぶものではないかという気がします。
SNS上でリプライを送ってこられた方には少し言っているのですが、恐らく佐々木英介の事件について真相や工作した犯人を推理できてなかったプレイヤーはかなり少ないと思います。
はっきり言うと本作は過去2作よりはよほど正しく佐々木英介の事件についてしっかり推理させています。
過去2作についてはむしろプレイヤーをミスリードし続けて最後にひっくり返したり、本当にぎりぎりまで犯人やトリックをわからないようにさせることが行われていました。これは元よりファミ探は推理ゲームではないと笑み男の発売より前に書いた通りです。
ところが今作に限って「何もできなかった」「いきなり一方的に犯人の独白やアニメで終幕した」と感じる層がいるのはなぜでしょうか?
わたしは、それは笑み男の構成における18年前、あるいはさらに遡る30年前の出来事、そして都筑実に対する「何もできなさ」が大きな理由ではないかと思うのです。
この構成は明らかに意図されたものです。
制作側はリスクを十二分に承知の上で、賛否両論があるとしてこの構成を選んだはずです。
「調査やめる」で廃村を去ることにした主人公が私立探偵の限界としてできないことがあることを内心で吐露しています。
10時間以上かけて作中で何かできていたプレイヤーに、「何もできない」結末は意図して与えられています。
ですが、賛否両論の「賛」の側からすればこの効果は圧倒的でした。
久瀬兄妹がこの18年間どれだけ苦しんだのか、轟夫妻にあれだけ愛されていた都筑実が最期にどのように人生を終えたのか。
すべてわかった上で何もできないまま、それも生前の都筑実とは一度も接触することのないまま知ることになる深層編の都筑実の人生と死がもたらす無力感を伴う悲しみは非常に強いです。
個人的な経験を語るなら、実際に最初にミノル編を見た時にこのシステムの差に気づいたわけではありません。(そんなことはひとつも考えずにずっと泣きながらストーリーの進行を見ていました)
ただ都筑兄妹の人生があまりにも自分の気持ちに重く深い痛みを覚え、なぜここまでつらく感じたのかとクリア後一日ほど経ってから考えたときに、このシステム的な差に気づきました。
それまではずっとゲームの世界に対して何かができていて、けれどいちばん悲劇的な部分、どうかにかしてあげたいような部分で何もできなかったからこそ、その後の悲劇的な多数の事件の発生を防げなかったことにも、何ひとつ当人の口から聞けずに終わった都筑実の死も心に刺さったのです。
初めから「ファミ探は怖い作品」とか「逆転裁判のようなちゃんと推理を組み立てる推理ゲーム」といった偏ったないし誤った先入観を持ってプレイした層は論外として(厳しいことを言いますが論外です)、率直に言って、賛否のどちらになるかは全く以て感性の問題だと思います。作品と波長が合うかどうかという領域です。
24. Sep. 2024