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「花のもとにて 2」
 

──闇夜に白い花は咲く。
 

白い白い花が咲いていた。
どこまでも白く、それでいて何かの血を啜ったかのように紅い。
綾之介はその花を、言葉も失って見つめているようだった。
見つめているのではなく、魅入られているのかもしれない。
「なるほど、大したものだな」
多少の感慨を込めて左近は言った。
彼女─彼というべきか─の耳には届かなかったのか、その言葉に対する返事はなかった。
花は昼の桜とはまるで違った貌(かお)をしていた。
美しい光景には違いない。
けれど、それはやさしい美しさではない。穏やかでもない。もっと強烈な力で、人をひきつける引力を持った美。
そういうものだった。
そして、美しいだけとも言えないのだろう。

ざわり、と風に白い塊が音を立てて動いた。花弁がいくらか舞い散って綾之介の体をかすめていった。
それでも、そのひとは微動だにしない。
「綾之介?」
思わず問い掛けると、ようやく男の存在を思い出したかのように彼女はゆっくりと振り返った。
「なんだ?」
そう尋ねられて、むしろそれは自分の台詞だと左近は胸のうちで洩らしていた。
どこがどう、というわけではない。
髪を下ろしているせいかもしれないが、綾之介の雰囲気が普段とは違うものに見えて仕方がなかった。
その唇が昼間より赤く見えるのは気のせいだろうか・・・・

けれど、まさかそんなことを言うわけにも行かず、男は当り障りのないことを口走った。
「いや、ずいぶん気に入ったようだと思ってな」
綾之介は左近に向き直ると、一見それとはわからないほどの微笑を口元に刻んだ。
「そうだな・・・・。気に入ったというより、不思議なものだと思って見つめていた。
 昼と夜ではずいぶん違うものだと・・・・」
そう言いながら、彼女は宙を舞う花弁に手を伸ばし、一枚を掴み取ったようだった。
いつも以上につやややかさを増したような黒髪が風になびいている。
「昼の桜は心和むような美しさだが、夜の桜は美しすぎて少しばかり怖いほどだ」
わずかな苦笑を洩らした彼女が握った手を開くと、そこから花弁が滑り落ちた。
綾之介はその花の姿を目で追い、男はそんな彼女を目を細めて見つめていた。

「なぜ、こうも違って見えるのだろうな?」
また一枚、花びらを手にしながら彼女が呟く。
「・・・・夜だと、闇のせいですべてが見えるわけではないからな。何かを秘めているようで、妖しく見えるのかもしれん」
「妖しい、か。そうだな」
そう答えると綾之介は男が背を預けている木の花に目を向けた。
「美しいだけではなく、妖しく謎めいているからこそ、怖いと思うのだろうか。
 怖いと思いながらも目が離せないというのも不思議な話だが」
『目が離せない』というその一言が、男の心に小さな波風を立てた。

「・・・・人が・・・・」
思わず言葉が口を突いて出ていた。
「え?」
自分に向けられる弱からぬ視線に気づいたのだろう。綾之介が再び左近に目をやった。
「・・・・人が、何かに本気で魅せられたときというのは、そういうものなのだろう。
見つめて心穏やかになれるわけではない。どうかすれば呑まれて、自らを見失いそうで恐ろしいとさえ思う。
けれど、それでも、気づけば視線は追っている。
好きとか嫌いとか、そんな感情すら関係なく、まず目を離すことができなくなって、最後には・・・・・・」
見つめていた彼女の顔に、かすかな驚きの表情が浮かんだのを見て左近は我に返った。
「それは・・・・桜の話か?」
「人が、何かに惹かれるときというのはそういうものかもしれないという話だ・・・・くだらんな」
思わず洩らしてしまった本心には、自嘲するより他なかった。
 
 

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