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「花のもとにて 3」
「桜、まんざらでもなさそうじゃないか」
話題を変えようとしたのか、それとも本心からの言葉だったのか、少しばかり面白そうに綾之介が言った。
その言葉に、男は苦く笑った。
「そうだな。今夜の桜は悪くない」
「夜桜は構わないのか?」
「いいや。むしろ昼よりも悪いくらいだ。艶かしいばかりに見えてな」
「なまめかしい?」
「ああ。だが、今夜の桜は美しいと思える。少しばかり妖しすぎる気もするが・・・・」
苦笑交じりに言った言葉に、綾之介はかすかに感じるものがあるようだった。
「妖しく見えるのは、何かを秘めているように見えるから、か?」
「そう・・・・そうだな」
しばらくの間を置いて、男は答えた。
「桜は、何を秘めているのだろうな」
自分を見つめる男の視線に気づかないように、綾之介は花を見上げて、風になびく髪を抑えながらそう囁いた。それは、自問だったのかもしれない。
「──散り急ごうとしていること、といったところか」
「桜は・・・・散り急いでいるのではなく、生き急いでいるだけではないのだろうか」
「生き急ぐ?」
「そんな気がしたのだ。
短い中に生を凝縮させたからこそ、花というものは美しいのではないかと・・・・」
「────」
花を見上げる彼女のその瞳に、左近は共感の色を見て取った。
綾之介は何に共感している?
答え──生き急ぐ桜に。
「儚くても、美しければいいのか?」
口調は努めて抑えたが、視線が鋭くなるのは止めようがなかった。
さすがにその視線には気づかずにいられなかったのだろう。
綾之介は髪から手を離すと男を振り返り、そして、いたたまれないように目を伏せた。それは、本当に些細なしぐさだった。
けれど、その姿は男の心の琴線に触れる。
そんな姿を見るのは、今日2度目だと思い当たった。
「『どうせなら』、あの後、本当はなんと言おうとした?」
それは、自分でも良く覚えていたと思うようなことだった。
「『どうせなら』と、昼に言っただろう。あの後、本当はなんと言うつもりだった?」
言った本人にとっても、それは些細な嘘だったのだろう。
綾之介はしばらく何のことだったろうかと首をかしげる様子を見せた後、驚いたように呟いた。
「良く、覚えていたな」その問いかけに、相手のほんの些細な嘘まで意識にとどめるようになってしまった自分を知って、左近は自分自身を冷笑したい衝動に襲われた。
だが、それは表に出さずに言葉を紡ぐ。
「それで? 本当は何を言うつもりだった?」
いったんはごまかそうとしたのか、彼女は「いや・・・・」と小さく口の中で一度は呟いたが、何か思い立ったように口を紡ぐと男に向き直り、そして、笑った。「秘密だ」
言い切られた瞬間、戦慄と読んでいいものを感じたと左近は思った。
あでやかな笑みに、一瞬言葉を失って、それ以上問うことはできなくなった。
ただ、その時感じたのは、刹那的な美しさだったと、男は後に思い返すことになる。
*────────
どうせなら、という言葉正しくなかったと綾女は思う。
望むらくは、もしくは許されるなら。
きっと、そうした言葉こそが正しいに違いない。
それにしてもずいぶん前のことを思い出してしまったものだと、すっかり散ってしまった花を見ながら、そう考えた。「確かに、儚すぎるかもしれぬな・・・・桜は」
──『それでも美しいと思う』。そうではなかったのか?──
小さな呟きに律儀に返って来る姿なき男の言葉に綾女は小さく笑った。
お前もあの夜を覚えていたのか、とは言わない。
「そうだな。その通りだ。儚くとも美しい──とても」もし許されるなら、自分が逝く時はこの花のもとがいいと、そう願ってしまうほどに・・・・
その望みは、今でも心のそこでくすぶりつづけている。
死んではいけないというその思いが、死にたくないと思えるように変わる日まで、彼女の中でその望みが消えることはないのだろう。
それでも──。
「また、来年が楽しみだな」
本心から、綾女はそう言った。また一年、戦いの中、死への衝動を覚えつつも彼女は生きていく。