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「花のもとにて」
 

──望むらくは穏やかな春の日
   晴れ渡る青空
   そして、桜の花のもと──
 

軽く綾之介は日差しを避けるように手をかざした。
やや強い風に、薄紅の花が頬を優しく撫でていった。
暖かい花の風に、わずかに甘い匂いがのっている。
「すごいな・・・・」
綾之介は溜息のような呟きをもらして、花を見つめた。
細められた視線のさきには薄紅の花が咲き誇っている。
並木と呼べるほどではないが、そこここに植えられている桜は、どれも歴史を感じさせる立派なもので、しかしその花の色はまだ若々しく鮮やかだった。
厳しい季節を乗り越えた後だからよけいにか、その花は鮮烈に美しく人の目に映り、思わず顔をほころばせるような光景を成していた。

「こんな時でも桜はいいものだな」
「そうか?」
後ろから帰ってきた冷ややかな言葉に、綾之介は思わず男を振り返った。
天邪鬼め、と嫌味のひとつも言ってやろうかと考えていた綾之介は、けれど奇妙に冷めた男の表情に、いつもの単なる皮肉とは異なるものを覚えてその言葉を呑み込んだ。
「桜、嫌いなのか?」
「ん? ああ、いや・・・・美しいとは思うが、少しばかり儚すぎると思ってな」
「儚い・・・・か」

そうかもしれない、と綾之介は視線を花に戻した。
これほど鮮やかな花なのに、桜はいつもあっという間に散ってしまう気がする。
「それでも、私は好きだがな」
言いながら、宙に舞う花を見つめた。
散る様も、散って下を埋め尽くす様すら美しいと思う、とても。
「どうせなら・・・・」
思わず呟きかけた言葉に、我に返ると綾之介は辛うじてそれを呑み込んだ。
「なんだ?」
口の中でほんの少し語っただけのはずの言葉に耳ざとく反応してくる男にやや驚きながら、それでも綾之介は気づけば些細な嘘を口にしていた。
「いや、どうせなら、もう少し長く咲いていてほしいとは思うところだと──そう思ったのだ」
そんなことを言って見せて、視線をそらすように目を伏せた。
 
 

──目覚めてしまった夜。

眠れるときに眠っておくべきだ。
それがわかっていても寝付けないことはある。
布団の上に半身を起こして闇に視線を当てていた綾之介は、不意に立ち上がると忍装束に着替えて部屋を出た。
髪を結い上げるのが面倒に思えて下ろしたままにした髪が、春の風になぶられて頬をたたいた。

外は星明りと敵の──織田軍の襲来に備えて焚かれたかがり火で、少なくとも綾之介が歩くのに不自由はない程度には明るい。
遠くには、白いもやのように桜の陰が見えていた。
「こんな夜更けに、なぜこんな所にいる?」
やや驚いたような様子の男を珍しいと思いながら綾之介は見上げた。
「夜中に目がさめてしまってな。散ってしまう前に夜桜見物でもしようかと思ったのだ」
「髪を下ろしているから、はじめは誰かと思ったぞ。
 ・・・・よほど好きなんだな」
「まあな」
男の皮肉めいた言葉に綾之介は軽く返した。
その言葉に、かすかに表情を変えて男が自分を見つめ返してくるのが感じられる。
「一応、見回りも兼ねてだ。せっかくだから行ってくる」
「・・・・。せっかく、か。
 そうだな。確かにたまには悪くないかもしれん」
そんなことを呟いたかと思うと、左近は『俺も付き合う』などと言い出した。
「おいおい、あまり桜は好きではないと言っていたろう?」
「だから、『たまには』と言ったろう?」
それはそうかと頷いて、それから思い出したにように苦笑すると綾之介は言葉を返した。
「お主と二人で花見をしても、あまり嬉しくないのだがな」
この言葉に左近は一瞬言葉に詰まるような表情を見せた後、複雑な笑顔で『お互い様だ』と言った。
 
 

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