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<渦 其の弐>
 

逃れようとしても尚、逃れられないものがある事は知っていた。
時の流れ。自分の願い。そして、運命。

だが。

それでも、自分の足で行く先を決めるべきだと信じている。
たとえ、それが無駄な足掻きであったとしても。

深夜。

百地との面談はさほど長い時間を要するものではなかった。
後味の悪い感情を抱きつつその部屋を辞す。
得たものは予想していた通りの答えであり、期待していた内容ではなかった。
正直、この先の戦いを考えると気が重くなる。

「我らがこの地を捨てる事はありません。」

今ならまだ民を逃がす事が出来ると言った左近の言葉に、百地は静かに首を横に振った。
穏やかだが強固な意志を持つ目が左近を見据え、静かな声が断言する。

「どのような犠牲を払っても、我らは伊賀を守ります。もしその為に我らが命を落とすとしたら、それは天命。必要な犠牲ということでしょう。」

それが、この地を統べる男の答えだった。
同意は出来ないが、それでも否定する事は、確かに出来ない。
「伊賀は、この地に殉じるということか。」
重い声だったと思う。恐らくそれは、今後流される血の量を知っているものの言葉。そして、戦いの結果を冷静に分析しての答えだと知った。
天然の要害が持ち堪えている間ならば、まだ時間はあるだろう。だが。
溶ける壁。消える城壁。あの葉ヶ塊の要塞ですら僅かな妖魔の進入を防ぐことすら出来なかった。
もし一つでもこの地への進入が容易になる隙ができたとしたら。それは恐らくこの地の終焉。
そう、恐らく百地は「この戦に勝ち目は無い」ということを悟っている。
それでもなぜ、生き残るための戦いではなく、「伊賀」のための戦いをするというのだろうか。

違ウ。

唐突に。肌身離さず持つ太刀が重くなった気がした。

コノ戦イデ、失ワレルモノガアルトシタラ。

日向は滅びた。香澄もまた。葉ヶ塊の負った犠牲も計り知れないものだった。
これだけの血を吸い上げて集った三振りの剣。
それが集っている今、この伊賀に忍び寄るのは破壊の気配。
腹の底から急激に体温が失われていくような感覚に襲われる。

・・・悲劇ハマタ、繰リ返サレル。
・・・コノママ、ココニ我ラハ留マルベキナノダロウカ。

自分達が伊賀で戦いに身を投じているのは「信長を倒す」という利害が一致したからに過ぎない。
もとより「忍」とは目的を果たす事を重んじる存在。そして、そのためには余計な意地や誇りを捨てる事も厭わないはず。
それでも、何故この戦況で伊賀は、尚も信長と直接相対する事を選ぶ?

目的を果たせぬ戦いで死ぬ事は、忍にとっては犬死に以外の何物でもないというのに。

暗い想いを胸に座敷から廊下に出たときだった。
意外な人物と出くわして、左近は言葉を一瞬失う。
驚きを隠しきれない表情の綾之介が、そこに居た。
こんな時間に?なぜ綾之介がこんなところに?
動揺を悟られるのを何故か避けたい。知らず、出る声は冷たくなる。
だが・・・。
「それはお主も同じ事だろう?何かあったのか?」
遅いのだからもう休めと言った言葉にひるまず、綾之介は食い下がってきた。
今は遠ざけたい、という願いが脆くも消える。
しょうがない、と顎で方向を示して歩き出す。答えを急かされているようで落ち着かない。
「百地殿に少々尋ねたい事があった。」
「尋ねたい事?」
「ああ。」
それ以上、しばらく口をつぐむ事で自身の意思表示はしていたつもりだった。
この件に関しては綾之介に多くを話すべきではないかもしれないという理性がまだ、かすかに残っていた。だが。
背筋にふと、不吉な熱が走る。
----------いい機会なのかもしれない。
ひたすら、この渦中に身を投じる綾之介が今の状況をどう感じているのか。
表情を曇らせ視線を下に落とした綾之介に対して、ついに左近は言葉の引き金を引いた。
「お主は、今の戦局をどう思う?」
「・・・膠着状態、だろうか。」
予想していたより遥かに、綾之介の反応は素早かった。
どこか意外な答えに、思わず苦笑する。誰よりも戦いに溺れていそうな綾之介もまた、自分達と同じ状況判断をしていたとは正直驚きだった。
「だが・・・!」
慌てたように綾之介は言葉を続けた。
「だが、それは我等の狙いではないのか? 信長を結界に守られたこの地に誘い出す事が今の目的なのだろう?」
「その通り、だ。」
分かっているのか、と一つ頷く。
いたたまれないといった様相で、唇を噛んで綾之介が顔を逸らした。
だが、いつかは逃げられない時が来る。未来と結果は、必ず残酷な口を開けて全てを飲み込む。
会話を打ち切れという理性の声を抑えて、左近は言葉を続けた。
「結界という地の利は確かに有利だ。信長をおびき出せれば、の話だが。・・・今、信長が撃って出てこない以上、ヤツが出てくる可能性はどのくらいだ?」
立ち止まってしまった綾之介の方に振り返り、真っ直ぐに相対する。彼女に突きつける現実。目を逸らしてはいけない事実。
これ以上、意味の無い血を流すな。無駄にその身を危険に晒すな。と言葉の外に思いを込めて。
「お主の刀の事、信長に伝わっていない訳が無い。青い光で多勢を消し去る事のできる妖しの力を知っているはずの信長が、今出てこないとしたら奴は何時出てくるというのだ?」
「・・・だが!」
必死で食い下がる綾之介は、何かを守ろうとしているかのようだった。
「だが、だからといってこの戦いを捨てるわけにはいかないだろう?」
「何故だ?」
殊更、冷やかに答える。
「目的の無い戦いを続ける理由こそ、無いと思うがな。」
「この里を見捨てる気か?」
低く、嗚咽が篭っているかのような声で綾之介が問う。
予想していたよりもはるかに感情的な声音。その時初めて、左近は綾之介が飲み込まれている想いを垣間見た気がした。

かつて、在った里。今、自分が居る場所。
喪われた故郷。そこに良く似た土地。
自分が護れなかったと悔やむ過去の知己。今ならまだ手を伸ばして救えると思える人々。
そこにあるのは「後悔」と言う名の渦なのかも知れない。
取り戻せないもの。その痛みを振り切るために、ただ綾之介はこの戦場に立っていたのだろうか。

・・・そういう、事なのか?

葉ヶ塊に向う途中、炎の向こうから自分を問い詰めた綾之介の表情を思い出す。
故郷を失い、自分の真の姿をも棄て、己が命をも手放しかねない一人の少女。
その、綾之介の手中で、この世のものとは思えぬ力を放つ、刀。

まさか、と背筋が微かに粟立つのを左近は感じていた。

綾之介の行くところが、恐らくはこの刀が導きたいところなのかもしれない。
更なる犠牲と流血、混乱と絶望。
できるなら、ただの杞憂。考えすぎであればいいのだが。

左近は一度、軽く唇を噛み締めてから、ようやく言葉を発した。
「・・・何かに殉じるというのは俺の性分に合わないからな。もっとも、判断をつけるにはまだ早いとは思っているが。」
上を向いて、しばし迷う。
そう、まだ勝機が無いわけではない。限りなく薄いが、時間を稼いでいる内に、信長を引きずり出すきっかけがつかめるのかも知れない。
それでも。
喪われた過去と現実をどこかで混同させたままの状況で、綾之介にこのまま戦いを続けさせる事は危険だ。
今の戦況と、伊賀の頭領の下すであろう決定。ひたすら戦いに臨む綾之介と、その願いの強さのままに青く禍禍しい光を迸らせる刀。
全てが弧を描きながらそのまま悲劇に廻り堕ちて行く未来図を、左近は垣間見ていた。
その、不吉な将来像を打ち砕く、その術がまだ残されているとしたら。
一つ、大きくため息をつき、ゆっくりと視線を綾之介に向けなおす。
・・・そう、綾之介自身が、冷静な判断を下せたら、あるいは。
これは賭けだ。重い問いがゆっくりと放たれる。
「ここは、お主の里なのか?」
綾之介の表情があからさまに凍りついた。息を呑む気配。
「そういうことだ。・・・目的を見誤るな。戦う以上は、前を見ろ。」
言葉を失い、真っ直ぐこちらに向けられたままの、大きく見開かれるその瞳を見て、瞬時に左近は後悔に襲われた。
綾之介自身、気づいてはいないだろうと思ってはいた。だが、どこかで自覚していたのに違いない。彼女が戦いに身を投じている理由。綾之介が強いて目を背けていたのであろうそれを引きずり出してしまった事は、予想以上に彼女に打撃を与えたらしい。
耐え切れなかったのだろう。綾之介は無言の内に踵を返して背を向けた。

綾之介が、思い留まる事は、ない。

その後姿を見て、左近は悟る。今、引きずり出したその理由からも、綾之介は恐らく目を背け続けると。
待て、とその腕を掴みたい衝動にも駆られたが、それはできなかった。
(戦いの是非を問えない状況の者に酷な事を言うな)と諌められた何時かの龍馬の言葉だけが耳元で響く。
そう。何をどうしても、止められない流れがあるのだ。どれほど言葉を紡いだとしても。どんなに手を伸ばしたとしても。

制止の言葉は、今の綾之介には届かない。

それでも。だとしても。
今、正に走り去ろうとしている綾之介を見送りながら、左近は自分を宥めるかのように呟く。
「盲目の中の戦いは悪夢を呼び込むだけだ。・・・誰にとっても。」
その独り言だけが、虚しく深夜の静まった廊下に響く。
「俺には、出来ない。」
余計な犠牲を生み出すだけの戦いも。
この悲劇にただ飲み込まれていくだけの状況から、一人目を背けることも。
そして・・・。
足早に遠ざかっていく綾之介の後姿に、左近は抗い難い感情がもう一つの流れとなって自分の足元を崩しだしたのを感じていた。

ざわりと木々を揺らす風音に、やがて激しく屋根を叩く雨音が加わった。
塗ったように濃い闇の中。急速に湿度を増す空気はどこか何かを予兆するように、息苦しい重さを湛えだす。
与えられた居室に戻った左近は障子を開けると、外に背中を向けて座り込んだ。
少しでも、このどうにかなりそうな頭が冷えればいい。
吹き込む水滴が長くしなやかな淡い色の髪を濡らすままに、左近はゆっくりと瞼を閉じた。

それから、数日後。晴れる事のない空の下で。
左近は、伊賀を裏切る事が無いはずの甲賀忍が、織田勢に頭を垂れる姿を目にすることになる。
 

<To be Countinue>
 
 



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