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<渦 其の三>

交差させた手の上に額を乗せた時、始めて自分の体温を知る。
それだけ指先が冷え切っているのか、それとも額が普段より熱を持っているのか。
・・・まだ、冷気を感じるには早すぎる季節だと言うのに。

掴んだ事実は、新たな混乱を招くだけなのかも知れない。

左近は一つ、大きなため息をついた。

甲賀の裏切り。
左近だけではない。伊賀の下忍である陣平も、その姿を目撃した。
雲行きの怪しい戦いを続ける事は懸命ではない。その主張を裏付ける決定的な証拠のはずだった。
これで、崩れていく何かを止められる。そのはずだ。いや、そうなってくれれば。

真実は、必ずしも、解決に導く決定打とは、なり得ない。

願う気持ちと裏腹に。なぜか暗い予感が、左近の心中に陰を落としていた。

夜半。湯殿から出てきた左近を呼びとめたのは龍馬だった。
「何か寒そうな顔しちょるのお!何かあったがか?」
龍馬の普段と変わらぬ笑顔。豪快ではあるが、彼なりの気遣いなのだ。だが、その声に、彼にしては珍しく若干の陰りが窺える。
「・・・お主こそ、何かあったのか?」
眉をひそめ、問い返した左近に対して龍馬は一瞬だけ目を逸らした。
返事を待つ沈黙の時間は、それほど長くは無かった。
立ち話もなんだと徳利を何本か。軽く持ち上げて示し、龍馬は部屋の方に歩き出した。
最初から、何か言いたいことがあったのだろうか。・・・愚にもつかない。
脳裏を過ぎったささやかな疑問を払うように、頭を軽く振ると、左近は龍馬の後を追った。

「昼間の戦闘、何かあったのか?」
無言の内にしばらく酒を酌み交わした後、最初に口火を切ったのは左近の方だった。
「・・・何かあったように見えるがか?」
「ああ。」
素っ気無く簡潔な左近の答えに、龍馬は顎をさすりながら宙に視線を彷徨わせた。
「そうじゃ、のう・・・考えて見れば、いろいろあったような気がするんじゃが・・・。」
何から話すべきかを悩んでいるのだろうか。この男にしては珍しい、と思った。
黙って答えを待っていると、
「昼間、撤収の後ちっくと妙なことがあってな・・・。同行した伊賀の衆は二人とも朧にやられてしまったんじゃが。」
「・・・そこまで奴らが踏み込んできている、と言うことか。」
まずいな、と左近は舌打ちをした。
余裕はもはや無い。甲賀が裏切り、朧がそこまで進入して来ているとは。予想以上の速さで時間は失われている。
昼間見た、壊滅した集落は、ここの未来図だ。このまま戦いを続けるとしたら、の話だが。
「潮時かもしれんな。」
手の中、やや温んだ酒をあおり、誰に言うともなく左近は呟いた。
「どういうことじゃ?」
「俺も昼間、妙な光景を見た。」
怪訝な表情を浮かべた龍馬を見やり、左近は甲賀忍を織田軍の中に見たことを告げた。
見る間に、龍馬の表情が幾段も険しくなる。
「・・・隠れ道が奴らに分かった訳じゃのう。」
眉間に皺を寄せ、ため息と共に龍馬はそう吐いた。
「朧の侵入。甲賀の裏切り。・・・いくら何でもこの状況下では戦闘の仕方を変えざるを得まい。」
「戦のやり方を変えるっちゅうがか?」
「撤退も視野に入れるべきだ、ということだ。」
左近の言葉に、龍馬の表情が更に複雑な色を帯びた。
「・・・何か言いたそうだな?」
「まだ早い。いや・・・遅すぎるかもしれんがの。」
そう言って龍馬は頭を二三度かいた。
「状況は不利だということはこれで明白になっただろう?幾らなんでもこのまま消耗戦を繰り返すことほど愚かな事は」
「退くにゃ、ここの衆が流した血は多すぎるき。」
左近の言葉をさえぎり、苦そうに呟くと、龍馬は手にした酒を飲み干した。
「さらに犠牲を重ねるというのか?」
まるで抗議するような左近の言葉に、いや、と言葉を濁しつつ龍馬は応える。
「そりゃ甲賀衆から密通者が出た事を軽く見ることはできんが。だが戦場ではよくある話じゃ。裏切りモノが出ることは十分あり得る。」
ここまで膠着した戦況ではなあ、と半ば自嘲気味に龍馬は嗤った。
「・・・気にくわんな。」
空いた杯に酒を注ごうとする龍馬を片手で制し、自身で杯を満たしながら左近は凄んだ。
「お主、本気でそんな甘い事を考えてるのか?」
「前にも言うたかもしれんが、あしらは他所もんじゃ。伊賀の衆がどう判断つけるかはわからんが、ただ・・・。」
言いよどむ龍馬の表情を見て。ふと、この男が、こんなに暗い目をすることがあったのか、と左近は思った。
「葉ヶ塊はたったの一晩で荒らされてしまったがの、もしここほど踏みとどまれたとしたらば・・・どこで親父殿やわしは決着をつけようとしたじゃろうか、と考えるときもある。」
考えても詮無いことじゃが、と断りをつけ、龍馬は続けた。
「共に生きる近いモンが死んだり傷つけば仇とりたいっちゅう思いがある。土地を失えば親、妻子、兄弟にもみじめな思いをさせることにもなる。結局はそういったものがどこで戦を終わらせるか、決めることになるんじゃ。」
綾之介を見とればわかるじゃろう、と言った龍馬の言葉をあえて聞き流し、左近は答える。
「戦の潮時を見誤るのは危険だ。忍としての力量が問われるところだな。」
皮肉下にそう言い放つ左近に、龍馬は苦く笑って、忍である前に人間じゃといさめた。
「そうじゃなあ、少なくとも、勝敗の見極め時は故郷を背負ってる以上、どうしてもギリギリになるんじゃろうなぁ。」
戦い続けることが出来る限り、と龍馬は呟いた。
「・・・お主は、どうなんだ?」
このままでは悪酔いしたままで終わりそうだと、左近は直截に切り込んだ。
龍馬は、この戦いを、この状況をどう考えているのだろう。
「わしもまだ終わりとは思っとらん。信長は短気と評判じゃ。もうしばらく根競べに持ち込んでも悪くは無いと思っちょる。」
返ってきた答えはいかにも彼らしいものだった。
楽観的だな、と呆れる左近に、こればかりは性分だと龍馬は笑って答えた。
うらやましいほどの余裕だが、それでも、この明るく豪快な男の中にも恐らくは、信長を討つという暗く熱い願いがあるのだ。
そう、香澄の仇を討つため、日々その身を危険に晒している綾之介と同様に。
信長を、討つ。それを、悲願として。

・・・本当ニ?

ふと、気づく。自分の中の、願いと目的の温度差に。

・・・俺ハ、本当ニ、信長ノ命ガ欲シイノダロウカ?
・・・俺ハ、何ノタメニ、コノ場デ戦ッテイルノダロウカ?

少なくない量を飲んでいたはずの酒が、一気に体内から引き醒めていくのを、左近は感じていた。
舌が、引きつる。
「・・・。」
「何か、言うたがか?」
自制できなかった呟きが唇を動かしていたのだ、という事を、龍馬に見咎められて初めて気づく。
幸い、相手は手酌で何気なく問うたと見えて、何を言っていたかまでは聞き取られなかったらしいが。だが。
敢えて自分の崩れた足元を晒したいという誘惑が、強く左近を捉えていた。
今度ははっきりと声を出す。
「恐らく、俺はお主らのようにはなれん。」
どういうことじゃ?と首を捻る龍馬に、多分、何もかもが違うのだ、と左近は言った。
「信長が日向の里を全滅させたのは確かだが」
そう言って、ふと黙り込む。
脳裏に浮かんだ本音は、目の前の男に告げるには、ひどく冷たく残酷で乾いたものになる。
しばし迷い、ようやく左近は言葉を続けた。
「信長を討ったところで、俺たちの里が元通り戻るわけではないだろう?」
本音の半分だけ、ようやく言葉に出すことが出来る。
視線の先で、自らの杯に酒を注いでいた龍馬の手が、一瞬だけ止まった。

一体、信長ノ首ガ何ニナルトイウノダ?
失ワレタモノハ二度ト戻ッテハ来ナイ。

それだけは、自信を持って言うことが出来た。
いずれにしろ、この戦乱の世の中。確たるモノなど何も無いのだ。弱いものは滅び、強いものが残る。
守りたいものがまだ手中にあるのならそれを守ればいい。だが、熱情が実力を凌駕するなど夢の中の話に過ぎぬことを、忍であるなら尚更わきまえて置くべきだろう。
所詮、弱いものは、滅びていくのが世の習い。

ソレデ、イイノカ?

弱いものが生き残る術があるとすれば、弱さを認めることなのだ。
大木は強風に倒れても、その若葉をつけた枝先そのものが折られることのないように。
命つなげずして、どうして願いを果たすことが出来る?

「それは。」

龍馬の声がようやく低く答えた。

「おんしのいうことは、道理じゃ。情は時として道理とは離れる。」

かみ締めるようなその言葉に、ふと左近は奇妙な違和感、そして既視感を覚えた。
向けられた背中、翻る長い髪。慌てて立ち去るその姿。
・・・あれこそ、道理ではなく、情で動こうとする者の姿に他ならない。
まったく、先の望みの無い、その情に。
そして、その類の情も。今の自分が持ち得ないことを、改めて左近は悟っていた。

「情でも道理でもない。」
ゆっくりと、酒の気が抜けていく。まだ、十分酔えてはいないというのに。
「俺が言っているのは事実だ。・・・命失えば、その情も失われる。」
呆気に取られているような龍馬の表情を見据えて左近は言葉を続けた。
「生き残ったものが始めて道理を説ける。・・・死んでしまっては何も残らぬ。」
そこで、一瞬、自分がとんでもない事を口走ろうとしていることに気づく。
今、自分が声に出そうとしている言葉は、この状況下では恐らく言ってはならないことだ。
だが、暗く熱い熱は放出する先を急いていた。
酒を満たして、再び煽る。
一息置いてから、吐き出すような嗤い声で左近はつぶやいた。
もし、あくまでも戦うという伊賀の総意が翻らなかったとしたらの話だが、と切り出してから殊更声を張り上げる。

「もし、俺が、この戦いを捨てるといったら、お主どうする?」

雨間近の湿気よりも重い沈黙が、二人の間に流れた。
「冗談だ」と笑い飛ばしたい衝動にも駆られたが、それが「冗談」にはならない確信が左近にはあった。
この地での戦況。信長が現れない事実。甲賀が裏切った事実。
・・・目的が、「信長の命」であるとしても。この地で敗戦を迎えるのは愚かとしか言いようが無い。
いや、それ以上に。

「信長の命」にすら、戦う意味が、見出せない。

既に踏み込んだ戦と言う流れの中で、自分は「目的」という足場を失っているのだ。
醒めた頭を呪いながら、左近は呆気にとられた表情の龍馬を見据えて反応を待った。

<To be Countinue>
 
 



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