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『 (後) 』
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おしめを変えてもらったばかりで機嫌のいい乳飲み子が母親の隣に寝かされている。
荷物の中から裁縫道具を出して、若い母親が私の外套を繕っていた。
時折、赤子が意味をなさない声を上げるくらいで、それ以外は沈黙が続いている。
他にすることもなく私は黙って女の姿を見ているのだが、その針の動きは何か念でもこめているかのような丁寧さだ。
女は一刺しごとに針を返して、引き抜いていた。
私のほうは見ようともしない。
何か場に嫌われているような強い圧迫感に私は早くもここに残ったことを後悔し始めていた。
私は彼女から視線を外すと開け放たれた戸口から見える外へと目をやった。
ここからだと、明るい陽射しが遠く見える。
「不思議な刀ですね」
不意に呟かれた女の言葉に私の反応は遅れた。
彼女は手元を見たままで、それは小さい声だったので、私は危うく聞き落とすところだったのだ。しかし、辛うじて聞き取れたものの返事を返す機を逸して、私は結局、沈黙した。
私が黙り込んだことをこの女性はどう思ったのだろうか。少しの間の後に言葉が続いた。
「青い光を放つ刀など、初めて見ました」
「そうでしょうね」
── その女、人とは限りませぬぞ。
一度は意識から外れたはずの善三の言葉が再び思い浮かんだ。
この女性は何を思ってそんなことを聞いたのかと疑問を覚えずにはいられない。
ただの世間話なのだろうか。それとも ──?
しかし、少なくとも彼女の表情から何かを伺うことはできそうになかった。若い母親は表情を変えず、黙々と同じ速さで針を動かしている。
「珍しいものなのでしょうね。他にもそうした刀というのはあるものなのですか?」
さらに問い掛けられて、私は腰の刀を鞘ごと外すと横に置いた。御神刀は板間の上でゴトリと重い音を立てた。
この刀のことは誰にでも語っていいという話ではないが・・・・・・。
「私の持つこの小太刀も含めて、三振り、あります」
三振りという部分を強調した私の言葉に、女の手が止まった。
「三振り?」
女は小さく言葉を洩らした。それは私に対する問いというより、むしろ自問であるかに聞こえた。
女は止まったままの己が手元を凝視しながら口を開いた。
その口元がわずかに震えたように見えた。
「どれも、そのように短い・・・・・・”小太刀”なのですか?」
私は相手の横顔を見つめながら、さりげなさを装って語る。
「いいえ。他の二振りは太刀と矛。小太刀は私の持つこれだけです」
そう答えた瞬間、肌の表面に引きつるような痛みが走った。
(殺気・・・・!)
私は思わず小太刀の柄を握った。
繕い物を握ったまま女の手がその膝の上に落ちた。
しかし、殺気の出所に他ならない女はそれ以上動こうとしなかった。人の外套を硬く握り締めた自分の手を見つめたままで。
ただ、その手だけが小刻み震えていた。
(この女・・・・・・?)
「なぜ、そのようなことをお尋ねになります?」
私はいつでも刃を抜ける姿勢をとってそう問い掛けた。
女の沈黙はしばらく続いて、空気は張り詰め、息が詰まるほどだった。
時折洩らされる赤子の声だけが、不似合いに和やかだ。
若い母親はそんな我が子に目を向けた。その表情に一瞬さざ波が走った。
「・・・・このように繕い物などしておりますと、夫のことを思い出しまして」
長い沈黙の果てに、女はようやく言葉を紡いだ。いままで青ざめていたその肌には、少しばかり血の色が戻ったようにも見えた。
「ご主人のことを?」
やや意外な言葉に問い返せば女は小さく頷いた。
子を前に、母親は少し微笑んだように見えた。
「私の夫は、この子が生まれる一月ほど前に戦に出かけましてね。そこで」
一度言葉を切ると、女は我が子から私へと目を移した。
「そこで、妖しき小太刀の放った青い光に呑まれて、ちりひとつ残さず消えたそうですわ」
「・・・・・・・・・・・・え?」
「私の夫は、伊賀者との戦で、青い光を放つ、妖しげな小太刀の使い手に殺されたのだそうです」
私の手から落下した小太刀が鈍い音を立てた。
若い母親の黒い目が、私を見据えていた。
「私の夫を殺したのは・・・・・・」
女はそこで言葉を切ったが、その先は瞳が語っていた。
『私の夫を殺したのは、あなたですね』
・
・
・
・
私は沈黙した。
その静寂はどれだけ続いただろう。
女は私の返事を待つかのように、ただ私を見つめている。
室内は静まり返っているはずなのに、自分の鼓動の音が大きくて耳鳴りのようだ。
何か言わなければならない。私は必死でそれだけを考えた。
「あれは・・・・」
私はようやく言葉を吐き出した。その声は喘ぐようで、ひどくかすれていた。
「あれは、戦だった。・・・・戦とは、そういうものだ。あなたのご主人とて、そのくらいの覚悟はしていたはずだ」
絶え絶えの息の下から吐かれる言葉はひどく力に欠けている。
女は眉ひとつ動かさなかった。
「あなたなら、そう言われて頷けるのですか? 夫を・・・・大切な人を骨ひとつ残さぬ形で葬られて、『あれは戦だったから』と。そんな言葉に、あなたなら納得できるのですか?」
静かな女の言葉が、空気を重くする。
その重圧感に汗が一筋、こめかみから流れ落ちた。
呑み下したつばが、喉元で大きな音を立てた。
「私は・・・・っ、私とて家族を殺されたのだ!!」
空気の重さに耐えかねて、私は立ち上がるとそう声を振り絞った。
「家族だけではない! ありとあらゆるものを奪われた!」
叫ぶだけ叫んで、大きくひとつ息を吐く。
女は変わらぬ表情で私を見つめていたが、少し目を細めるとその視線を自分の手元に戻した。
縫い目は既に布の端に差し掛かっていて、女は布地の厚くなっている部分に少し力を加えた様子で針を突き刺した。
「それが?」
「・・・・・・」
「だから、何だというのです?」
「それは・・・・・・」
「あなたが、家族を殺されたから。だから、何だというのですか」
女は針を刺し、一目ごとに針を引き抜く。
「あなたの仇は、私の夫なのですか?」
「それは違う、けれど・・・・」
「だとすれば、あなたが家族を奪われたことが何の理由になるというのです?」
「痛みを知っているのはあなただけではないと言っている!」
女の手が止まった。
「そう。あなたは言いましたね。大事な人を失う痛みを知っている──。
それなのになぜ、人の家族を奪うような真似をするのですか」
「・・・・・・」
「この痛みを知っているのなら何故、人を殺めるような真似が出来るのです? 誰かを傷つけるようなことが出来るのですか」
「・・・・・・」
「自分が受けたと同じ痛みを他者にも与えてしまえと、そういうことですか?」
「そうではない!!」
「では、なぜ?」
「・・・・・・」
その問いに返せるだけの答えが、私にはなかった。
一度私に目を向けた女は、私の返事など求めてはいないと言うように、再び針を使い始めた。
そのとき、こちらを一瞥したその目に見覚えがあると思った。
女の目は静かに凪いだまま憎しみを湛えて、私を責めていた。
そう、こんな目を以前にもどこかで見たことがある。
あれは香澄で、夢の中でのことだった。
『あなたにすべてを奪われた』。この春、夢の中でそう弾劾した私自身の影が──”綾女”が、そんな目をしていた。
もし、私に夫や子がいたなら。もし、自分が今でも女として生き続けていたなら、私もこんな目で仇を見たのだろうか。戦に走るのではなく、こんな言葉で仇を責めただろうか。
目の前にいる女と、あの日、夢に見た自分自身が重なって、視界がぶれるのを感じた。
私が受けたものと同じ痛みを、私が目の前のこの女性に、そしてその横で眠る赤子に与えた。
一瞬、視界が暗くなって目眩を覚えた。一歩二歩と後ずさった私は、壁に背を預けて辛うじてその場に踏みとどまった。
女は布に止めた針に糸を巻きつけた。
私は小さく相手に問い掛ける。
「私が、憎いですか?」
「あなたは自分の家族を奪ったという相手が憎くはないのですか?」
・・・・・・憎いに決まっていた。
「私を、殺したいと思われますか?」
糸を咥えようとしていたのだろう。布を持ち上げたその手が止まり、それは再び膝の上に下ろされた。
「あなたを殺したところで、あのひとが戻ってくるわけでもないというのに?」
私は思わず顔を俯けた。
女は一拍の間の後、言葉を続けた。
「‥‥夫の命を奪った相手を殺したいと思ったこともあります。けれど、今はもう、そんなことは忘れました」
「なぜ、ですか。私を許したわけではないでしょう?」
「許す?」
女はそう呟いて、口を閉ざした。
少しばかり長い沈黙が続いた。私は顔を伏せたまま、それに耐えていた。
やがて、女が再び口を開く気配を感じた。
「許せるはずがないでしょう!?」
それまで冷たく落ち着いていたはずの女の声が、初めて叫びに変わった。
「許せるはずがない!」
「・・・・・・」
顔を上げて女を見れば、女のその手は布を握り締めたまま、わななくように震えていた。
「私があなたを殺さないのは、その程度で私の気がすまないからよ・・・・!」
そう声を振り絞った女の手も、顔も、怒りのあまり青ざめていた。
女は私を涙のにじんだ眼で見上げた。
「自らのしたことを、悔やみすらしないまま死なれたりしてはたまらない。
あなたには生き抜いて、この先ずっと苦しんでもらわなければ!」
私はその場に凍りつく。思わず口を開きかけたが、言葉がでてくることはなかった。
女の口からは、抑えきれない私に対する憎悪の喘ぎが洩れていた。
「どうか、生き続けてください。そして、私たちのことを決して忘れないで。
あなたに夫を殺され、父を殺された私たちのことを思い出しては、自分のしたことを悔やんで、悔やんで、悔やみつづけて生きて行けばいい・・・・・・!」
「・・・・・・」
女は両手で顔を覆った。細い肩が大きく上下していた。
指の隙間から、雫がこぼれ落ちた。
「あなたが自分の罪を悔やんで苦しんでいると思うことだけが、私のささやかな癒しなのよ」
しゃくりあげるそのひとに対して、私に何が言えたというのだろう。
何も言えるはずはなく、私はただ、そのひとが泣き止んでくれるのを待つしかなかった。
どのくらい私が待ったのか、もはやよくわからない。
手の甲で目元を拭うと、女は私から顔を背けた。小さな肩は力なく落ちていた。
「人を憎むということは、苦しく、悲しいことですね」
不意に語られた言葉にはもはや激しさはなく、弱いだけだった。
「誰も憎むことなく生きていけたら、そんなに幸せなことはないのでしょうに・・・・」
それもまた、私に対する恨み言だったのかもしれない。
けれど私は心の中で、その女の言葉に頷いた。
誰かを憎み、誰かの不幸を心の底から願うのは、辛く悲しいことだった。憎む相手が望みどおり不幸になったとしても、失われたものが決して帰って来ないなら、なおさらに。
私は、ようやく口を開いた。
「それでも、あなたは私を憎まずにいられなかった」
女は少し頭を落とした。
頷いたからなのか、糸を噛み切るために布に口元を近づけたからなのかは、わからなかった。
ぷつりと糸が切られた。
女の手が、私に外套を差し出した。
赤い目が、再び私を正面から見上げていた。
「──本当は、あなたを殺そうと思わないのには、もうひとつ理由があるのですよ」
「別の理由?」
半ば相手の言葉を無条件に反復しながら私は出来上がった繕い物を受け取ろうとした手を伸ばした。
女は言った。
「血にまみれた女の手では、赤子は抱けませんでしょう?」
ぴたり、と、私の手が一度中空で止まった。
己の指先が小刻みに震えるのを私は見た。
さらに女の顔に目を移せば、彼女は悲しい微笑を浮べていた。
私を女とわかって言っているのだと思った。
けれど、若い母親はやがて深く頭を垂れた。
「それでも、今日は私と、何よりこの子の命を救ってくださって、本当にありがとうございました」
「・・・・・・・・・・・・いえ」
私はやっとのことでそう答え、震える指で布地を掴んだ。
繕われた部分は、とても丁寧できれいな仕上がりだった。
頭を上げて女は言った。
「御武運を、お祈りしています」
『生き続けろ』。そういう意味だと思った。
「はい」
私は辛うじてそう声を出すと、弾かれたようにその場から逃げ出した。
暗い家の中から出た瞬間、外があまりにも明るくて、空が高くて、目が眩んだ。
けれど、私はそれに構わずにふらつく足を必死に動かすと走り抜けた。
途中、その村の者とすれ違ったかもしれないけれど、よくわからない。
森の中に入っても、私はまだ走りつづけた。
そして、息が続かなくなった頃に、その場に倒れるように手をついた。
幾たびも大きく息をしたが、空気は肺の奥まで入ってこない。
肩を上下させるたびに、汗が滑り落ちていく。
苦しかった。
少しずつ荒れた息がおさまるにつれて、私は草を掴んだ手を硬く握り締めると、そのままうずくまって、額を地べたに押し付けた。
ひやりとした土の感触に身を任せる。
やがて、私は自分がうめく声を聞いた。
「・・・・・・妖魔だ」
まだかすれたその声は、どこか自分のものとは思えなかった。
それでも、私は言葉を吐きつづけた。
「あれは・・・・・・朧衆だ。私を、惑わせようとしたのだ・・・・・・」
── そうであってくれ。
痛切なまでに、私はこの言葉の正しさをそのとき祈っていた。
しかし、私の中の別なる声が静かに言う。
── 例えあの女が朧衆であったとしても、私を仇と憎むものは、必ずいるのだ。
私は頭を抱えて体を小さく丸めた。
「ぅ・・・・・・」
目を閉ざしているはずなのにぐらりと世界が回る感覚がする。耳鳴りがして、世界が遮断されていくようだった。
誰かに助けて欲しかった。
けれど、
「・・・・・・・・・・・・兄上・・・・・・・・・・」
私が救いを請う相手は、この世にはない。
それから後、数日の間のことは、よく思い出すことができない。
一刻前に誰とどんな話をしていたかさえ、忘れていることが多かった。
我に返ったのはいつだったろう。「また前線に立って欲しい」と、そう請われたときであったように思う。
そして、今。結局私は戦場(いくさば)にいる。
人馬が一丸となってこちらに向かってきていた。
風が横から吹き付ける中、ただ一人草原に立った私は印を結んだ。
己が迷いを忘れる一瞬を見つけるために。
そして、その瞬間を見出した私は、目を開き剣を手にした。魔を断ち和をもたらす刀。神の刀を。
それで私がなそうとしていることは、ただ人を殺めることであったけれど。
「破ァッ」
青い光が、草原を染め上げる。
今日のこの時に限っただけでも、私は既に片手の指では足りぬ程その力を使っていた。そして、青い光が戦場を染めるごとに何人の命が奪われたのかは、わかりようもなかった。
かつて私の怒りのままに、憎しみのままに振るうことが出来た刀は、私の迷いの前ではその力を現すことがなく、私は自らの精神を集中させるのにおそろしく体力を必要としていた。
むしろ、もはや私の心の力では足らずに、私の生命力を刀が糧にしているのかもしれなかった。
体力を根こそぎ持っていかれるような感覚に、気分が悪く、目眩と嘔吐感に襲われて私は思わず膝をついた。
ただでも残り少ない力が、荒い呼吸と嫌な汗になって出て行ってしまうのがわかる。
そんな私の脇を、潜んでいた地中から飛び出した伊賀の者たちが駆け抜けていった。
遠くで、近くで、悲鳴が聞こえた。
この場の気配は荒れに荒れている。今の私では、上手く人々の動きを捉えることができないほどに。
だから、視界が人影に翳るまで、私はそれに気づけなかった。
顔を上げれば、馬上から振り下ろされる刃が迫っていた。
そのとき、私は何を思っただろう。
そこにあったのは本能が告げる死に対する恐怖・・・・あるいは言葉を変えて言うなら拒否感。
そして、痛みに対する強烈なまでの欲求だった。
もし斬られたら、と私は考えた。
もし斬られたなら、私は痛みを覚えるだろうかと。
私が斬り捨ててきた人々が感じたものと同じほどの痛みを、私は受けることができるなら、それは私の行いに対する報いになるかもしれなかった。己が切り捨ててきた人々と同じ痛みを味わえば、私はそれでもう許されるかもしれないと思った。
私は痛みを欲した。
けれど、その刃が私に届くことはなかった。ひとつの矛が、馬上の男を斬り裂いたので。
「綾之介殿、おんし妖刀の使いすぎぜよ!」
そう声をかけられて、私は一瞬の悪夢から覚めたような気になった。
そのさなかにも、また一人が斬りかかって来る。その相手を返す刃で龍馬殿は頭から両断した。
しっかりしなければならないと、私は自分に言い聞かせた。私が隙を見せれば、私以外にも迷惑がかかる。
けれど、差し出された手を笑って断った自分の顔は、ぎこちなく強張っていただろう。
私は何をしているのだろうかと、自分の中で何かが呟いていた。
* 上記では「戦国奇譚妖刀伝 鬼哭の章」の一場面に作者が独自の解釈を加えていますが、制作サイドの権利、そのほかを害することが目的ではありません。