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 罪 4

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『 ( 前 ) 』
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夜明けを迎えたその森には霧が広がっていた。
すでに日の出は迎えているはずだが空が薄い雲に覆われているためだろうか、その森は微妙に薄明るく、青灰色に染まっている。
そろそろ秋と呼ぶにふさわしい長月のはじめ、朝の森はしんと冷えて、静かだ。
目立たぬようにと草葉の色に似せた外套をまとっていても、もはや私が暑さを感じることはなかった。
木立の間を吹きぬける風はむしろ心もち肌寒く思われるほどだ。
夜の虫は鳴くのを止めてかわりに鳥の声が聞こえ始めていた。
そんな中、私は森の端に近い背の高い木の枝にそれこそ鳥のように身を寄せていた。傍にはもう一人、善三という名の伊賀者が同じく息を潜めている。
「やはり、ここから来るか」
「そのようでござるな」
そこは信楽口と呼ばれる辺りを越えてさらにしばらく行った場所にある、峠のふもとの森だった。
信長の勢力下にある兵が動きを見せ始めていた。その数は、少なくない。一万前後と思われる。
ここに集まる軍勢がすべてであれば防げぬこともなかろうが、更に複数の「口」から大挙して押し寄せられたなら伊賀の不利は明らかだった。
風魔、雑賀、根来・・・・そうした他の忍からの協力が得られなかったのが、こうなると痛い。
「これで甲賀口まで破られると、かなり厳しいことになろうな」
「心配ござらん、甲賀口は甲賀忍が我らの盾となってくれますゆえ」
「そうであったな」
若い──といっても自分よりは年長であるのだが──その男の言葉に私は頷いた。
古の慣わしにのっとって交わりを断っていた我ら影三派に比べれば、伊賀と甲賀ははるかに交流が多く、互いに近しい。
だからこそ、そのいざという時の互いに対する信頼感は大きいに違いなかった。
交流を断っていた私たち影流でさえ、ただ源を同じくするというだけで何か通じ合えるものがあるのだ。
より深い絆は羨ましくもある。

そんなことを考えていた時だった。
「悲鳴!?」
森を裂いた女の叫びに、私たちは顔を見合わせた。そう遠くからのことではなかった。
「行くぞ!」
「お待ちくだされ。いま迂闊に動いては‥‥」
「だからと言って放っておく訳には行くまい!」
私は言い切ると、善三の返事を待たずに枝から跳んだ。
声のした方角に向かってわずかな気配を頼りに走る。
私のまとう布の裾をかすめた木の枝がバキリと音を立てて折れた。
森が突然の慌しさに、わずかに揺れた。

(あれは──)
声の主の元にたどり着いた時、思わず目を見張った。
「な、なんだあれは!」
結局、後ろについてきた男がそう声を上げたのも無理はなかったろう。
青い肌、赤い髪、金に輝く目。人ではない、しかし獣でもない異形の姿の化け物がそこにはいた。
その化け物がうずくまっている若い女飛びかかろうとしていた。
「くっ!」
咄嗟に相手の足元めがけて苦無を放つ。
異形の物は思わぬ横槍に奇声を上げて跳びずさった。
女と化け物の間に出来た間合いに私が入り込めば、相手の背後には善三が回る。
食事の邪魔をされた妖魔がこちらを睨みつけてくる。
周囲には娘のものと思われる荷物が風呂敷を裂かれて散乱していた。
 

葉ヶ塊の里に現れたものの中に、いま目の前にいるこの異形の怪物と同じようなものがいたことを思い出した。記憶を洗えば、左近が「人を食らっていた」と語っていたものだと気づいた。
私は腰に仕込んだ御神刀を抜いて、それを構えた。
とはいえ、ここであまり人目については困る。派手な使い方は出来ない。
私は息を殺して相手の出方を見た。
五感のすべてで敵の動きを捉えようとする緊張感に肌の表面がわずかな痛みに似た刺激を覚えていた。

じり、と私はすり足で相手ににじり寄る。化け物の後ろをとった男も同じように幅を狭めた。
(この妖魔、ただ人を食らうほかにまだ何か・・・・)
チラリと、そんなことが頭を掠めたその時だった。青い顔が、私ではなく男の方を振り返った。
私は反射的に叫んだ。
「よけろっ!!」
「ぐっ」
善三は身を翻したが、一瞬遅くその腕を妖魔の吐いた酸らしき物が捕らえた。
しかし、青い背はそのとき完全に私の方を向いていた。
「はっ」
私は一気に間合いを詰めると、青い背に刀身を突き立てた。
森を染める色よりはるかに鮮やかな青が、その異形の姿を包み込んだ。

「大丈夫か?」
刀を納めて男に声をかければ善三は頷いて立ち上がった。
「大事ござらん。かすめただけでござる」
「そうか」
(それにしても、なぜあんなものがここに・・・・)
そう自問したあとに、この先の城に集いつつある軍勢、実は朧衆が率いているのかもしれないと考えついた。朧衆が連れてきたものの中から「はぐれた」のではなかろうかと。
これは、戻ってから連れの二人に話をしてみる必要がありそうだ。
私はそんなことを思いながら後ろの娘を振り返った。
先ほどまでうずくまっていたその女は、今は体を起こしていた。私を見る目にひどく驚いたような表情が浮かんでいる。
その腕の中に、乳飲み子がいた。しばらく前にひょんな機会から私が抱いた赤子より、まだ一回り小さい子だ。
女の年の頃は私と同じほどだと見受けられた。まだ娘と言っても良い歳だが、その子は彼女の子であるに違いない。
一瞬、何かが胸の内でくすぶった。
もし香澄が焼かれることがなければ、今ごろ私にもこの位の子どもがいたかもしれないと、そう思った。
(詮無きことを・・・・・・)
私は気を改めて女に声をかけた。
「もう大丈夫ですよ」
しかし、余程恐ろしい体験をしたせいであろうか。そのひとは青い顔をして私を凝視したまま答えない。どういうわけか私からかばうようにきつく我が子を抱き締めるのが、傍(はた)からも見て取れた。
私は少しばかり困惑しつつも、もう一度声をかけようとした。
そのとき、ぽかりと赤子が目を開けた。
「あ」
まずい、と私は感じた。案の定、一旦戻っていた森の静けさが破られる。
火がついたように泣き出した我が子の声に、母親はようやく我に返ったようだった。女は少し慌てたようにその子をあやした。
「もう、大丈夫ですよ」
子どもが泣き止むのを待ってそう言うと、また少し体を緊張させて若い母親は小さく頭を下げた。
まるで私に怯えているかのような様子だった。私の扱う刀の力を思えば、それも無理からぬことであるかもしれないが。
「どこか、怪我でもされましたか?」
「いえ・・・・」
女は視線を伏せたままで、小さくそう答えた。
「それなら良いのですが」
心もち釈然としないものを感じないでもなかったが、怪我もないというのならこの相手にこれ以上関わるべきではないだろう。何分にも偵察中の身であるし、連れの男の傷のこともある。
「では、我らはこれで」
私がそう言えば、その若い母親はもう一度小さく頭を下げて立ち去ろうとした、ようだった。
出来なかったが。
「つ・・・・」
彼女は小さくそう言うと、自分の足首を押さえてその場にうずくまった。
「どうされた? やはり、どこか痛めておいでか?」
そう問い掛ければ、一拍の間を置いて「足を少し」と、返事が返ってきた。
短く断って足首を診れば確かに少しばかり腫れていた。捻りでもしたに違いない。
こうなるともう、乗りかかった船である。今更見捨てていくことも出来まい。
「家まで送りましょう。この足で一人帰るのは無理だ」
女は一度は断ろうとした様子だった。しかし、結局は無理を悟ったのだろう。
「申し訳ありません」
そう言って、また顔を伏せた。

「お、お待ちくだされ。それならば拙者が」
「そうはゆかぬ。そなたは戻って早く傷の手当てをせねば」
後ろから掛かった声に私は笑って答えたが、男は「しかし」と呟いて、さらに声には出さず唇の動きだけで言葉を続けた。
──”その女、人とは限りませぬぞ”
「・・・・・・」
私は一瞬返事に迷った。子連れの妖魔や、あるいは朧衆がいるとはいささか考え難かったが、男の言うことには一理ある。
──”ならば、なおのこと私が行くべきだ”
同じように唇だけで呟くと、私は腰の刀に手をやって見せた。
「・・・・かしこまりました。それでは、ご免」
善三の背中を見送ってから、私は若い母親を振り返った。
「行きましょうか」
 

多少斜面の掛かった道を、子を抱いた女の肩を支えて進む。
私に比べれば小柄なこの相手ならば背負っていけないこともなかったが、そこはさすがに善三の言葉を考慮した。
背負った相手に背後から襲われたのでは避けようがない。
霧は晴れ始めていた。空を覆っていた雲も少しずつ風に流されて、今は木々の間から青空が見える。
明るい中でよく見れば、この女性はなかなか整った容貌をしていると気づいた。
切れ長の、やや吊った目がどことなく狐を思わせるような、少し古い型の美人だ。難をつけるとするならば、病弱なのか衝撃が覚めやらぬからなのか、顔色がひどく悪いことくらいだろう。
しかし、それより何より気になったのは女の身なりだった。
あまり裕福とは言い難い身なり自体は決して珍しいものではない。
ただ、その地味に過ぎる姿は彼女が忌中にあることを物語っていた。
この相手の事情に興味を持ったわけではなかったが、交わす言葉がないことも不自然で、私は問い掛けた。
「今日は、どちらへ行かれるおつもりだったのです?」
そう尋ねてみれば、夫を亡くしたので子を連れて実家(さと)へ戻ろうとしたのだと女は言った。
私にしてみれば帰れる場所があるというだけで羨ましいことだと、そんな思いが胸をかすめた。
不謹慎なことかもしれなかった。このひととて夫を亡くしたばかりで傷ついているのだろうに・・・・。
「私も、しばらく前に家族を亡くしたのです。大切な人たちを亡くすというのは、辛く、悲しいものですね」
そう語って口を閉じた瞬間、不意に肌を刺さすような気配を覚えて私はハッと女を見た。
若い母親は片手で幼子を抱きながら、あいた手で胸元を押さえていた。その手がわずかに震えていた。
「失礼を。辛いことを思い出させてしまいましたか」
「いえ・・・・」
女は低くそう言った。
だが、私は胸の奥で首を傾げていた。先ほど感じたのは、むしろ一種の殺気、そこまで行かずとも敵意のようなものであった気がしたので。
先ほどの男の言葉が脳裏をよぎり、私はもう少し話を続ける気になった。
「それでも、お子さんが残されたのは、せめてもの救いでしょう」
「ええ、本当に」
「この子の名前は、何というのです?」
返事が返ってくるまで一拍の間があいた。
「太助と・・・・」
そう言って、女は小さく付け加えた。
「死んだ主人の名をつけたのです」
気まずい空気が流れて、それ以上は会話が続かなかった。
 

その母子の家は村の外れ、森を抜けてすぐのところにあった。
私は人目につかずにすみそうであることにまず安堵していた。

中は閑散としていた。
家を引き払う予定だったためだろう。
恐らく彼女の腕では持ち出せなかったもの、譲る宛もなかったと思われるものが、ポツリポツリと点在している。
けれど、この家の中に漂う形容し難い寂しさは、きっとものの少なさだけが原因ではないだろうと思われた。
打ち捨てられようとする場所の寂しさ。そして、失われたものがある場所特有の穴があいたような空虚感がここにはある。
この春に訪れた香澄に似ているような気がした。
その空気に、女を妖魔と疑う思いは消えていた。
ただ、外はいよいよもって陽射しが眩しく空は晴れ渡っている。その明るさが私には恋しかった。
「では、私はこれで」
だから私はそう短く言い置いて早々に立ち去ろうとしたのだ。
「お待ち下さい!」
しかし、女が私を呼び止めた。
すでに完全に帰る気でいた私はこの声に少なからず驚いた。女はこちらに怯えた様子であったし、まさか呼び止められるとは思わなかった。
疑問の視線を向けると、若い母親は私を見上げながら言った。
「お待ちください。
 お着物の裾が、裂けておいでですわ。せめてお礼に繕います」
言われて見れば、たしかに外套の裾が何かに引っ掛けたように裂けていた。気にするほどでもなかったが。
しかし、私を見る女の目には何か・・・・何か言葉に出来ないただならぬ気配があった。有無を言わさぬような気迫のこもった目だった。
「・・・・では、お願いします」
私は女の瞳に押されて、負けた。
 
 

* 参考資料:
    「信長公記(下)」 ニュートンプレス
    「天正伊賀の乱」HP
    http://www.e-net.or.jp/user/taimatsu/iganoran/index.html
 
 

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