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琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫8
 

月の光の中に、二人と三匹の姿がくっきりと浮かび上がる。
隠れる場所など何処にもなかった。
こうなれば自分達は魔物の掌の上――偽りの静寂が広間を支配する中で、綾女達は一所に固まり、お互いの背を補う形で四方を警戒する。
「向こうの方から歓待してくれるとは・・ふ・策を講ずるまでもなかったな・・・」
緊迫した状況の中で、左近がふとそんな呟きを漏らす。
そんな左近の呟きを耳にして、綾女は信じられないと言いたげな視線を男の方に送り、その横顔を目の端で確認する。
――時々この男は何処までが本気で、何処からが冗談か分からぬ
内心呆れ返りながらも、そこにいつもの左近らしさを見て、この張り詰めた空気の中で、綾女は心ならずも安心を覚える。
「お主は取り越し苦労が多過ぎる・・それでは老けるのも早いぞ・・」
そんな軽口がつい綾女の口からも零れる。
「なかなかに辛辣(しんらつ)だな・・」
「お前が言わせるのだ」
「放った矢は手の内に戻らぬと言うからな・・」
「どういう意味だ?」
「ものの例(たと)えだ・・聞き流せ・・」
お互い相手の顔を見ずに、そんなやり取りを交わす。
二人に安息の日々など約されていなかったが、共有する時間の随所に、そんな他愛も無い会話を楽しむ瞬間が存在していた。
「あの〜何か来ます・・」
前方を注視していた一狼太が、二人を見上げて遠慮がちに声を掛ける。
言われるまでもなく、二人はその者の気配に気付いていた。
「来るぞ」
「ああ」
皆の意識が、闇のある一点に集中される。
岩陰に一つの火が点った。
燭台に据えられた蝋燭の明かり――その焔が、微妙な空気の流れにそってその身をくねらせている。
焔の中に浮かび上がる岩屋――その入り口に立て掛けられた几帳(きちょう)の陰から、白絹の薄い肩巾(ひれ:この場合、肩に羽織り、両腕にかけた後、長く下に垂らしている一枚布)を纏(まと)った女がおもむろに姿を見せた。
「ちょこまかとよく動く鼠だこと・・」
透き通るように美しい声が、女の口から漏れる。
「お前は・・」
「わらわは『御那己さま』と呼ばれる者・・・」
穏やかな川面を思わせる言葉使い・・だが、その言葉には感情が込められていなかった。
凍てつくような冷気を感じ、思わず全身が、ぞわりと総毛立つ。
女が口元だけに笑みを浮かべながら、ゆっくりと此方に向かって、足音一つ立てずに近づいてきた。
女のまったりとした四肢の動きに合わせ、白い肩巾(ひれ)が女の体の横で妖しく揺らめく。
その者の視線に魅入られて、人は動く事ができない。
月の光が届く白い玉石の上――綾女達との距離十間余り――そこで『御那己さま』は立ち止まった。
白絹が月の光を反射してきらきらと煌いている。
月の光の中に立つと、『御那己さま』の姿は格段とその美さを増す。
鬼気迫る美しさ、とでも形容すればいいだろうか?
長い髪が微かな風を受けて揺れている。
ぬばたまの黒髪に縁取られた顔は、透き通るように白い。
濡れた両の眼(まなこ)、すっと通った細い鼻筋、口端を微かに上げて笑んで見せる赤い唇・・・
女は美しすぎた。異形の者が持つ美しさは、時として恐怖を誘う。
恐怖に縛られながら蛇(じゃ)に食われるのを持つ蛙(かわず=かえる)・・それが普通の人間だ。さすがに影忍は、その範疇に入らなかったが・・・
「・・そなた達、何者じゃ? 何故わらわをつけ回す・・?」
女の上弦の月を模した形のよい眉が、微かに顰(ひそ)められた。
その魅惑的な唇から疑問が紡がれる。
「聞きたいのは此方の方だ! 子供達を如何した!?」
女の容姿に酔ってなどいられない。綾女が相手に食って掛かった。
そんな綾女の様子を見て、女はさも可笑しいと言いたげに、クスッと小さく笑いを漏らす。
「童か? 童ならとっくに、この三途の間より常世の国へと送り出したわ・・」
「何っ!?」
小太刀を握リ締める綾女の掌に、汗が滲む。
女の陶然とした言葉が続く。
「子は無邪気に笑おておったぞ・・今も――」
女の腕にかけられた肩巾(ひれ)が翻(ひるがえ)った。
その白い手が遥か頭上を指差さす。
「――ほれ! 仲間が増えたと皆で喜んでおる!」
綾女達がそこに見たもの――
岩壁を突き破って飛び出した樹木の根や枝の奇異な姿――
その先に禁断の実をたわわとつけた怪樹の影――
そして――
ソノ時ヲ待ッテイタカノヨウ二、一陣ノ風ガ上空二向カッテ吹キ抜ケル!
途端、
カラカラカラカラ・・・・・・   
上空で無数の土鈴が一斉に打ち震え始めた!?
狂ったように・・高く・・低く・・無数の音律をない交ぜながら・・辺り一面に乾いた音を響かせる・・・
狂喜・・狂騒・・狂乱・・
四方を壁に囲まれた洞窟内では音が反響し、まるで影忍を嘲笑うかのように、鈴の音が綾女達の周りをうねりながら駆け抜けていく・・・
広間は一時、音の洪水で満たされた。
だが、そんな怪現象如きで驚く綾女達ではない。
綾女達の眉間に深い皺が刻み込まれる。
そうさせるものが自分達の頭上に展開していた。凄惨な光景が、綾女達を待っていた。
打ち震えているのは土鈴ではない!?
小さな子供の髑髏(されこうべ)・・無数の・・木の枝先に無造作に引っ掛けられた・・
それが禍(まが)つ風に煽られて、悲しい音色を立てているのだ。
そして――もう一つの悲しい結末・・赤子と童の・・
その躯(むくろ)はバラバラにされ、まるで鵙(もず)の速贄(はやにえ)の状態で木々に突き刺されていた!
その無情なやり方に、綾女は吐き気を覚え、沸々と怒りに臓腑(ぞうふ)を煮えたぎらせる。
「貴様・・童達を食ったのか!?」
「食った・・とはまた下世話な言いよう。この世に生を受けた甲斐無くして捨てられようとしていた命を拾うたまでの事・・」
「どう言葉を繕おうと、貴様が童を殺めた事実は消せぬわ!」
「そうか? わらわは親に代わって手を下しただけにすぎぬぞ? わらわは親と心を一つにする事ができる・・だから親が泣けば、ほれ・・このように涙も流れる・・・」
「!」
と、見る間に『御那己さま』の両眼に月の雫が溢れ出し、ほろほろと頬を伝ってそれが零れ落ちる。
模倣の涙・・綾女はその姿に憤然として色をなした。
米神が強く脈打つのが分かる。
「・・いい加減にしろ」
地獄の底から噴き出すかのように、低く綾女の言葉が呟かれる。
「綾女、早まるな!」
左近が傍から注意を促す。だが、怒髪天をついた綾女の心は、その言葉を聞き流す。
綾女の小太刀が青い光を放ちだした。
「ちっ」
左近が小さく舌打ちし、綾女の小太刀を持つ利き手、右手首を力任せに鷲掴んだ。
「放せ左近! こやつは私が打ち倒してくれる!」
「そして早々にやられるのか!? 相手をもっとよく知れ! お前は挑発されているのだぞ!」
「ほほほ・・早々に仲間割れか? 大儀な事・・」
『御那己さま』の嘲笑が二人の神経を逆撫でする。
「放せ、左近! こやつの口、塞いでやらねば気が済まぬ・・魔に・・魔に人の情を愚弄されて黙っていられるかっ!」
「姉さん・・」
綾女の、血も枯れよとばかりの言葉に犬神達も掛ける言葉がない。
だが、その言葉に反応したのは身内だけとは限らなかった。
それまで余裕の笑みで影忍達を手玉に取っていた『御那己さま』が、急に押し黙った。
その顔が冷たく凍り付いている。
『御那己さま』の変化にいち早く気付いた綾女達。
だが、その変化の真の意味を理解できずにいる。
「わらわの涙が嘘だ・・と申すのか?」
低く女が綾女に問う。
「それが茶番で無くして何だというのだ!?」
綾女が怒り覚めやらぬまま女に吐き捨てる。
「黙りや・・子を生(な)した事も無い小娘に何が分かる・・苦しい・・・胸を掻きみしるほどに!・・・好きで我が子を手にかける親が何処にいる!? だから、わらわがいる・・幼子に最期まで優しい夢を送り、両手でその首骨を一気にへし折る・・子等は何の痛みも感じる事無く、あの世に旅立てるのじゃ・・生きて親子の地獄を見るのと、どちらが優しい!」
綾女も黙ってはいない。
「それが妖魔の戯言だと申すのだ! 単に貴様が人の弱い心につけ込み、贄を要求しているだけにすぎぬではないか!?」
その言葉を、女がせせら笑う。
「では尋ねる! 人の心につけ込むとお主は申すが、弱き心とは何ぞや? この戦続きの世、何処へ行っても血糊刀が付いて回る・・住む所なく、食う物もなく、飢え苦しみ、果ては野辺で野たれ死ぬ・・そんな衆生の何と多きことか! 十六夜の里とは、そんな現世(うつしよ)に疲れ果てた者達が辿り着いた安住の地・・元は信玄公の御膝元で静かに暮らしておった民の成れの果てが此処・・不入の森の民・・・」
去る天正三年五月・長篠の戦いに大敗してから後、甲斐武田氏は衰退の一途を辿る。
そして天正十年三月――甲斐天目山にてその血を受け継ぐ者達は、
 朧なる 月もほのかに くもかすみ 晴れてゆくへの 西の山の端(武田勝頼)
 あだに見よ たれも嵐の さくら花 咲き散るほどは 春の夜のゆめ(武田信勝)
 黒髪の 乱れたる世ぞ はてしなき 思いに消ゆる 露の玉の緒(武田勝頼室)
と、辞世の句を残し、自らの手でその生を終わらせた。                               
これにより、清和源氏の流れを組む名門・甲斐武田氏は、その嫡流を絶やす事となる。
この間にも甲斐国内の政(まつりごと)は混乱を極め、戦火は領内を嘗め尽くした。
その中で一番に迷惑を被ったのが民百姓であった。
その民が、あれから十数年の年月が経とうとしているのに、今なおこの森の中に引きこもり、生活を営んでいると言うのか!?
――馬鹿な!?
綾女達はその事実に驚きを隠せない。
いくら戦火を逃れるためとはいえ、今なおこの隔離された森の中に居据わり続けるとは、人として里人に違和感を覚える。
「では、この状況は全て里人の知る所なのだな?」
今度は左近が詰問する。
「いかにも! この森は特別な力によって守られておる。よって外敵に怯え暮らす必要はない。むしろ気を付けねばならぬのは、里内での内紛。皆が平等である事・・これが一番の鉄則じゃ。次に、里人の数・・外部から隔絶された里を保ち続けるためには、人が多すぎても少なすぎても駄目じゃ。そのためには、時に子を産み、時に間引かなくてはならぬ・・」
女の言葉で、これまでの疑問の幾つかが払拭される。
「この髑髏(されこうべ)の数々は、これまで間引いた子供達の躯(むくろ)の成れの果て・・という訳だ・・」
左近は合点がいったとばかりに、低く呟く。
そして綾女は、
「・・惨い事を」
と、言葉を漏らすと、下唇をキュッと噛み、その痛ましさに両の睫(まつげ)を震わせた。
人の命を命とも思わない里人の所業・・それは隔離された里の異常さ、特異性。
こんな事は人として許されていい事なのだろうか?
綾女はもう一度上空を見上げる。
髑髏(されこうべ)にされた子供達の無念の声が聞こえてきそうだった。
――やはりこやつ許せぬ!
綾女の瞳に修羅の火が点った。
左近もその空気を感じ取り、そして――今度は止めなかった。
同じように、左近も静かに綾女の傍らに佇む。
自然体――いつでも戦いに挑める態勢で・・
「これだけ申しても、お主達はわらわに楯突くか? わらわは捨てられる哀れな命に意味を持たせたまでの事・・それの何処がいけない!?」
綾女の脳裏に、これまで出会った人々との思い出が走馬灯のように巡った。
「・・生まれた意味など誰にも分かるものか・・死ぬ瞬間まで分かりはしない・・だから人は足掻くのだ! それを勝手に・・他人の命に価値をつけて・・・」
『御那己さま』の瞳がきらりと光った。美しい顔(かんばせ)が人形のように強張る。
「お主とは意見の一致をみそうにないな・・」
「妖魔と思考を同じにする心なぞ、あいにく持ち合わせておらんのでな・・」
そう言いながら、綾女はふと何気に視線を落とす。
白い玉石を敷き詰めた床の上に、ポツンと一つ、人形が落ちていた。
それを片手で拾い上げ、汚れを軽く叩き落とすと、己の帯の間に差し込む。
利吉の御伽這子(おとぎぼうこ)・・
もう、その持ち主は生きてこの世に存在しない・・
「私が戦う理由は別にある。だが今回は少し勝手が違うようだ。この場で貴様に命を断たれた子等の無念を思うと、私の心が疼く・・この戦い、私怨に近いだろう・・だが、それでよい! 貴様を討ち果たすためならばな!!」
綾女は視線を『御那己さま』の方に戻した。
私怨と言う割に、凛とした涼やかな両の瞳――濁りのない美しい瞳が、『御那己さま』を真っ直ぐに見詰めていた。
「惜しい・・惜しい女(めのこ)よの・・そこの男(おのこ)といい、その顔(かんばせ)、それだけのものを持ち合わせた者はなかなかおらぬ・・これまで来おった無粋な男どもと比ぶれば、その心持といい、雲泥の差よ・・だが、わらわも吾子のため贄は必要・・女子の血肉は幼子といい勝負・・そなたも、われの血となり肉となるがよい!」
女の言葉に、一瞬綾女はぎくりとする。
「今・・何と申した? 吾子・・だと!?」
それを受けて、犬神の一狼太が叫ぶ。
「そんなの嘘や! 妖魔は術で幻を作れても、子を生(な)す事はできんはず・・」
「それは異な事・・事実わらわには愛し子がおる・・」
女の表情がふと陰る。
「大体最初から人の事を妖魔妖魔と呼び捨てにし、人と区別しておるが、人と魔のどこが違う? われは子と二人、この森で生きていたいだけ・・里人は里人で静かに暮らしたいだけ・・人も魔も変わりはせぬ。この地にふらりと立ち寄り、また去って行くお主達に、われ等の全てを理解できると言うのか?」
異形の者の最もな話に、綾女達は二の句が継げない。
自分達もまた現世(うつしよ)から隔離された特殊な人間であった。
身は不死身に近い・・だが、心は人のまま時の流れに巻き込まれていく・・
苦しかった・・行き着くことのない旅路は。
殺め続ける事を宿命(さだめ)られた己の宿業・・苛(さいな)まれ続ける身と心・・閉じ込められた琥珀の時・・
――それでも・・
綾女はクイッとその頤(おとがい)を前に突き出し、その右手で小太刀を構えた。
「やるか? 綾女」
「頼む、左近」
「助太刀します」
「任せた」
そんな会話が影忍と犬神との間で刹那に交わされる。
「くく・・人の身でわらわに立ち向かおうとするか? その心意気だけは誉めてつかわそう・・だが――」
女の黒髪がざわりと蠢(うごめ)いた。
「――所詮人の力・・思い知るがいい! その実力の差を!!」
その言葉と同時に、『御那己さま』の周囲に妖気が漂いだす。
綾女は一度瞑目した。
そして――
「香澄の綾女・・いざ参る!」
その鬨(とき)の声と共に、戦いの火蓋は切って落とされた。
綾女の言葉に呼応し左近と犬神達も一斉に四方に散る。

この時上空の木の枝に二つの魂魄が降り立っていた。
一人は既に見知った女の童・茜、一人は十を数年越えた少年。
少年は『御那己さま』と影忍達とのやり取りをじっと見詰めていた。
茜が問う。
「あれでいいの? 若竹」
「ああ・・」
「どちらも傷つくわよ・・」
無言。
「それでもやるのね・・そうしないと、あの人が救われないから・・」
「俺は――」
若竹と呼ばれた少年の顔が、苦しげに歪められる。
「――気付いて欲しいだけなんだ!」
それだけをやっと、言葉として吐き出す。

今後この戦いが何処へ向かうのか――
綾女達を此処へ導いた十六夜の子供達――その意図とは?
謎はまだ残る・・・
 
 

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