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琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫7
 

篝火という人為的なものから開放されれば、洞内は真の闇が支配する本来の世界に返る。
人界の闇は忍びとその空間を共有できたが、自然界の闇は人の浸入そのものを拒否する。
夜目の利く優秀な左近と綾女の両名にしてみても、それは例外ではない。
そういった人では克服できない事態を予測し、時と場合に応じて二人を補佐する者達が、旅の途中、必ず綾女達の傍に存在していた。
今も――
「發っ!!」
はっきりとよく通る声で短く気が発せられると同時に、鬼火が一つ、闇にぼわっと浮かびあがった。
犬神の三狼太が、その持てる妖力の一端を駆使し、作り上げた即席の明りであった。
途端、洞窟の壁面が、緑青の粉を振り撒いたように、所々で発光を始める。
岩肌を覆っている光蘚(ひかりごけ)が、毬状の細胞からなる原糸体に光を集め、光輝を放ちだしたのである。
その青白き光の帯が、来訪者を摩訶不思議の世界へと誘うように、ずっとその最後尾を奥の方へと延ばしていた。
奥の方からは、綾女達一行の行く手を阻むように、猛烈な勢いで風が吹いてくる。
その風に逆らい、光の標を頼りにゆっくりと洞内を進んでいくと、道を三方に分かつ空間に二人と三匹は出た。
風穴を吹き抜ける風が泣いている――
怨霊達の咽び泣きに似た、ねじれた風の唸り声――
「・違う・・」
吹き荒れる疾風の中で、犬神の二狼太が呟いた。
その呟きに異変の前触れを感じ、綾女達は一斉に二狼太の方を振り返る。
二狼太は、風の気配を読み、それを駆使できる妖力を持つ。
今、その能力を遺憾なく発揮し、風そのものの正体をその鼻先で嗅ぎ分けていた。
「――如何した?」
空を見上げた二狼太の鼻の周囲には、深い皺が刻まれている。
「この道はどれも違う・・行きたい所(とこ)へは着かへん・・此処に、こんな風が吹いてる事自体まちごうとる・・・これは偽りの風・・まやかしの風・・この風の向こうに、とてつもない者(もん)がおる・・凄(すご)い妖気・・と、思念――?」
「思念?」
魔の気配を読んでいた二狼太の顔に、突如困惑の色が浮かぶ。
「・・・これは何や? あったかさと冷たさ・・丸きし反対のもんやないか・・何でこんなもんが同時に存在するんや・・?」
「如何かしたのか?」
「あ・・いや・・」
怪訝顔で綾女に尋ねられ、二狼太は言葉尻を濁した。
二狼太の様子を見守る綾女達にも、二狼太の戸惑いが何とはなしに伝わってくる。
何をどう説明したらよいのか、二狼太本人にも全く検討がつかない様子であった。
今の時点ではまだ、『御那己さま』と称する者の正体を解く鍵は見つかっていない。
前方に潜む敵(?)に思いを巡らすには、まだ時機尚早なのかも知れなかった。
相変わらず風だけが、綾女達を掻き分けて、無情に吹き過ぎていく。
こうしている間も、連れ去られた子供達の事が気掛かりだった。時間が残されていない。
先に決断を下したのは左近の方であった。
「二狼太、悩む必要は無い・・とにかく前に進む事の方が先決だ。今は正しき道が分かればよい・・他の事はその場で判断する!」
左近の言葉に二狼太が一瞬ほっとした表情を見せる。
「では、先読みの念に打破の呪、解き放ちます」
二狼太は神妙にそう答えると、普段の二狼太からは想像できない険しい双眸を、三方向に開いた洞の口に向けて、自らの意識を集中し始めた。
口がおもむろに開かれ、風に向かって念を込めた言葉が送られる。
「我が眷族にして、自在にその姿を変えるもの、我が言葉を聞け・・その身の内に隠蔽(いんぺい)せし正しき道を我に示し、その行く手を明け渡せ・・我は主(あるじ)なり、汝(なんじ)を繰(く)るものなり、縛(ばく)を解くものなり――」
言霊が加わり始めると、風が二つの妖力(ちから)の狭間で悲鳴を上げだした。
こうなると、相手と自分、妖力を持つ者同士の思念のぶつかり合いとなる。
二狼太の眼が細められる。
ここの風景を歪めている風の思念に対し、二狼太は同じ風系列の念で挑んでいる。
念を送り続ける中で、二狼太が苦しげに言葉を吐いた。
「うちが・・この風の障壁を・打ち破りますっ! 相手の妖力が途切れたら、すぐ・・攻撃の第二波をかけてくださいっ!!」
左近と綾女がその言葉に頷く。
無言の約に勇を得て、二狼太が苦しげな表情の中から、にっと口の端に笑みを浮かべてみせる。
「頼んまっせ・・」
いつもの二狼太らしさがその表情から覗く。
「せぇいっ!」
怒号と共に、二狼太は自らの念を更に強めた。
犬神の体から、白く輝く妖気が、陽炎のように立ち昇り始めた。
闇の中に、異次元の核が、犬神の念によって作り出され、風がその核目掛けて流れ込んでいく。
「綾女、やるぞ!」
「ああ!」
二狼太に同調するような形で、綾女と左近の二人も、お互いの念を合わしだす。
印が組まれた。
「臨(りん)、兵(びょう)、闘(とう)、者(しゃ)――」
二狼太の気の高まりに並行するような形で、影忍の口から、九字の呪文が流れ出す。
「皆(かい)、陳(ちん)、列(れつ)在(ざい)――」
二人の全身が、青白く仄(ほの)かに光りだした。
力の発動――綾女と左近の二人がその身を呈(てい)して取り込んだ妖刀の力、冥府より下(お)り来たりし邪にして聖なる力が、二人の念に感応し、その姿を現しだす。
その間にも、二狼太の念によって空気が臨界まで凝縮され、膨大な質量をもつ球が、この地に形成されつつあった。
核に限界まで力が蓄えられる。
光を凝縮したように、核はその輝きを超新星まで進化させた。
次に、それは急激に暗黒化を始める。
光さえ逃げ切れぬ暗黒――
「今をもって汝を解放するっ!」 
犬神の目が見開かれ、力強い掛け声が二狼太の口から迸(ほとばし)った。
臨界点に達した妖力(ちから)が、
凄まじい重力を内包した球が、
今、開放される・・・!
「オン! 颯(サツ)っ!」
二狼太の声が一際大きく洞窟内にこだました。
瞬時にして直撃する暗黒球。
グァァァァァ――・・
ソノ・瞬間・風・ガ・断末魔・ヲ・上ゲタ!?
障壁にぶつかった事で急激に膨張を始めた空気が、その勢いに耐え切れず、爆風となって炸裂する。
風が逆巻き、ぶつかり合い、お互いを否定するかのように猛り狂った。
風同士が共食いを始める
その頃、綾女達は呪の最後の一文字を唱え終えようとしていた。
「――前(ぜん)!」
呪の終了と同時に、印を組み終えた影忍の両掌に、青く輝く気の塊が出現した。
集めた気が手の中で猛り狂い、時々飛び散っては、二人の周囲の空気を弾いて、乾いた音を立てている。
その気の凄まじさに、風の流れが一瞬凍りついたかに見えた。
続いて、
「破――っ!」
鋭い掛け声と共に二人の掌から念が一気に繰り出される。
途中、念は一つに合流し、蒼龍となって咆哮を上げながら風の障壁に襲いかかった。
キィィィ―――・・ン
鼓膜を劈(つんざ)く勢いで、高音域の音波が洞内を駆け巡り、激しい耳鳴りを起こす。
喉を掻きみしるような風の悲鳴を飲み込んで、青い光が炸裂した!
至近距離に雷が落ちたように、辺りは凄まじい閃光に包まれる。
その場に居合わせた者は全員、眩しさから思わず目を細めるなり、腕で遮るなりして、その光から己の視界を確保した。
爆裂の余波が轟音と共に二人と三匹に迫ってくる。
その爆風を、綾女と左近と犬神達は難なくやり過ごした。
各々の発した念の余韻が、己の肉体の周囲を覆い、爆風から彼等を守っていた。
轟音は次第に地響きに変わる。
障壁を打ち崩した光は粉々に砕け、残響を上げながら急速に弱まっていった。
偽りの風は阿鼻叫喚を上げ、のたうちまわり、やがて黄泉路へと帰りついた・・・
風が不気味なほどピタリと止む。
結界を力尽くで破ってみれば、目の前に存在していた入り口が、跡形も無く消し飛んでいた。
そして――
急速に視界が開けた。
――!
思わずその光景に全員が目を見張る。
天から音も無く降り注がれる、光・・光・・光・・
そこには、白い玉石ばかりを敷き詰めた、百畳敷きとも言うべき大広間が展開していた。
天井を形成しているはずの岩が、ぽっかりと大口を開け、そこから、中天に差し掛かった
十六夜の月が顔を覗かせている。
その柔らかな月の光を受けて、広間の中央部分が白く照り輝いていた。
見る者を圧倒する荘厳な光景――
だが、天井穴から覗く上空では、あいも変わらず不自然な風が渦巻き、十六夜の月を中心に雨雲が同心円を描いたように棚引いていた。
どこか人を不安にさせる妖しげな空――
その場所には、神々しい光と禍々しい影とが同時に存在し、その両方が違和感無く融合していた。
神が住まうにはどこか穢れを残し、魔が住まうには眩しすぎる世界――
此処が洞窟の最奥、綾女達の目指した最終の地、十六夜の里人に祭られた、『御那己さま』の住まう奥の間であった。
綾女はきゅっと下唇を噛み締めると、無言のままその右掌に、青白く光る破妖の小太刀を召喚した。
その足で広間に向かって歩み出そうとする綾女――その右上腕が後ろからむんずと掴まれ、綾女の体はまた、元の位置に引き戻される。
振り返ったすぐそこに、相方の静かな双眸があった。
「綾女、事を焦って、上手くいった例(ためし)があるか?」
左近の落ち着いた声が、暗に綾女の行動に釘を刺す。
左近の言う事は理に叶っていた。
「それくらい承知している!」
綾女は己の腕を強く掴んで放そうとしない左近を睨みつけると、その手を振り払い、
「だが――」
焦りの表情が浮かべながら、眼前に広がる空間に目を走らせる。
連れ去られた子供達がその後どうなったか・・気掛かりだった。
こんな時さえ、相方は心憎いほど冷静である。
それが綾女には気に入らない。
それだけ今回、『子供』という特別な存在に、綾女の心は揺さぶられていたのだった。
一方左近にしてみれば、綾女の直情的な行動が危なっかしくて仕方がない。
綾女が下唇を噛み締める時は、いつも彼女が意を決し、事を起こす前触れであった。
それだけ綾女は決断が早く、実行力に長けていると言ってよいだろう。
だが、時としてそれが綾女の弱点となり、思わぬ結果を招く時もある。
広間の全容を見渡せば、床から空に向かってそそり立つ壁は、溶岩特有のゴツゴツした岩肌で形成され、所々で樹木の根や樹木そのものがその岩壁を突き破り、月光を受けて、亡者の腕のような奇異な影を床の上に落としている。
広間の奥の方には、岩の陰となり、闇に支配された場所もあった。
闇には闇に住まう者達がいる。それが魔だ。
事実、此処に至るまでの先の空間では、奥の間へと続く洞の回廊を隠すために、魔風結界が施されていた。
あの時、いずれの道を選んだとしても、生きては帰れぬ迷宮へと、誘われる結果が待っていたに違いない。
まやかしの入り口は、相手からの無間地獄への招待状だったのである。
その狡猾さ、その陰湿さ、これが魔の仕業でなくて何であろう。
ここは慎重に事を進める必要があった。
「姉さん・・兄さんの言う事は・・もっともやで・・」
後方から同意の声が上がった。
振り返れば、心配する兄弟に付き添われた二狼太が、乱れる息の下、途切れがちになりながらも、きっぱりとした口調で言葉を吐いていた。
犬神が――特に二狼太が左近の肩を持つ事は珍しい。
二狼太は先の結界突破で妖力の大半を使い切ったのだろか、心なしか足元もふらついて見える。
だが犬神の両の瞳は爛(らん)と輝き、戦意はいささかも衰えてはいない。
「どういう・・意味だ?」
綾女が二狼太に問う。
「言葉そのまんまですがな・・最悪の場合・・とてつものない妖力を相手せなあかんかもしれまへん」
「何だと!?」
綾女・左近両名の口から、同時に同じ言葉が飛び出す。
「あんちゃん・・まさか!?」
弟の三狼太が次兄に対して疑問を口にする。
その言葉尻が微かに震えていた。
「ああ、比之木のお婆が憂慮していた最悪の事態や・・あの結界の波動からして、十中八九(じゅうちゅうはっく)間違いないやろ」
「比之木が? 何を――」
綾女が本題を問いただそうとした時だった――
グォォォ――・・
突然広間の奥の方で地鳴りが起こり、轟音が此方向かって一直線に近づいてきた。
身の危険を感じ、反射的にその場から、銘々が勝手勝手な方向に跳び退る。
ほぼ同時に、いきなり地面が裂け、綾女達が立っていた場所から蒸気が吹きあがった。
と、見る間に、煮えたぎったそれを浴びた溶岩が、異臭を放って溶け出し、原形を崩していった――
それは、先に『御那己さま』の斎庭(ゆにわ)でもって、左近が肩に浴びせられた泉の成分と同じ強酸――しかも今回は気化寸前まで熱せられた液体であった。
その威力の凄まじさに、一瞬、綾女達の表情が強張る。
だが、その一撃をかわし、ほっとしたのも束の間、
ザシュ! ザシュ!
第二、第三と続けざまに、着いた地の底が裂け、同じく強酸の蒸気が彼等を襲った。
酸の洗礼を紙一重でかわしながら、その魔手から逃れるうち、綾女達は知らぬ間に広面の中央へと引き戻されていた。
攻撃がピタリと止む。
それまで執拗だった攻撃は、綾女達を白の広間に引きずり出す事に成功すると、沈黙したのである。
 
 

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