menu
 
琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫6
 

溶岩特有の感触のする壁を伝い、二町程進んだ所で、奥の方に明かりが点っている所を見つけた。風穴の終わり――問題の社が祭られている場所へと綾女達は出た。
社を中央とし左右対称に点された篝火――その燃え盛る火に照らされて、奥の間の全貌が綾女達の目の前に明らかにされる。
奥の間の広さは二十畳程、高さは大人二人分の背丈を足したほどで、想像していたよりはこじんまりした斎庭(ゆにわ)である。
一番奥には天岩戸(あまのいわと)に似た一枚岩が風穴を塞ぎ、それ自体が本殿への入り口かのように向拝が設けられている。
その手前には清水を湛えた直径二間程の池、その丁度中心に小さな石塚を安置した此方は直径一間程の浮島。
その浮島に生まれて間も無い乳飲み子と、五歳くらいの男の子が置き去られている。
男の子は一人、御伽這子(おとぎぼうこ)――天児(あまがつ)の一種で子供の守として枕頭に置く幼児に模した人形でキャラキャラと笑いながら遊んでいるが、どこか心この世にあらずという風で、はっきり言って気が狂(ふ)れている様子である。
そして一番後方――入り口近くには村の長老である翁、村長、その他村の代表四人が社の方を向いて座し、何やら祝詞を上げていた。
「お前達、此処で何を始めようとしている!?」
何か身の毛のよだつ奇妙な胸騒ぎを覚え、綾女が村人の祭事を咎める。
「お主達・・眠ったのではなかったのか!?」
村の相談役である翁・木下又兵衛が驚愕に目を見開く。
次いで村人の代表である五人が一斉にその声に後ろを振り返り、騒然とする。
左近達はお互い視線で合図を送り合うと、まずは子供達を浮島から助けようと動いた。
それを押し止めようと村人達。硬直状態が続く。
その間を割るようにして浮島へと走り寄る者がいた。
「多惠っ!」
男の一人がその者の名を叫ぶ。男の名は与平。多惠とは与平の妻の事である。
たしか与平が納屋に閉じ込めたと話していたような――
多惠は見るからに満身創痍の状態であった。
着物は泥だらけ、手足は擦り傷だらけ、更には手の十指全ての爪が割れ、中には生爪の剥がれた指さえあった。
必死で戸を掻きみしり、こじ開けて此処まで走ってきたのだろう。
見れば草鞋を履いているはずの足も素足のまま、鋭利な岩で切ったのか踝(くるぶし)に深手の傷を負っており、血が流れ出ていた。
「利吉――っ!!」
母の声が洞穴に響き渡る。
その血を流した足が池の清水に浸る。
「いかん!」
又兵衛の血相が変わり、悲鳴にも似た声が上がられる。
途端、今度はこの場にいる全ての者が驚愕し、恐怖する番であった。
その池の水が見る見るうちに赤く染まり、ボコボコと沸騰し始めたのである。
多惠の絶叫が上がる。それに素早く対応したのが左近であった。
村人の手を振り切ると、急ぎ多惠の足を池の中から引きずり出した。
多惠の足の皮膚は強い酸によって焼かれ、爛れていた。
怪異現象はそれだけに止(とど)まらない。
岩戸の奥から何やらおどろおどろしい声が聞こえ、生臭い風がその隙間から流れてきた。篝火が風に煽られ、激しく猛り狂う。
皆が注視する中で、重たい岩戸が轟音と共にゆっくりと開いていく。
気流に乗って奥の方から白い靄(もや)が流れ込み、足元の視界が遮られる。
幻の橋が向拝の大床から浮島に向かって架けられた。
完全に開いた岩戸の奥から現れたのは、鮮やかな緋色の小袖に純白の打掛けを羽織った恐ろしいまでに美しい女――艶やかな黒髪は両耳朶にかかる一房を残し、滑るように肩から背の方に向かって流れている。
きめ細やかな白い肌、黒目がちの瞳、真っ赤な花を連想させる、肉は薄く小ぶりの唇――
その唇が微笑し、突然開かれた。
「こっちに来や・・」
声音は鈴を振るような清らかさで、話し振りは猫が舌で全身を舐るような執拗さで言葉を紡ぐ。
禍々しさを否めないのに、人の心を陶酔感で満たす不思議な声の持ち主であった。
「皆して幸せになろうの・・・」
陽だまりを髣髴させる微笑を浮かべながら、何故か星を湛えた瞳が大粒の涙を宿らせ、その星の雫が夜空を流れるように頬を伝う。
聖か邪か見紛う・・・だが、この者がこの場に居合わせる者達全てを魅了している事は確かであった。綾女達もその姿に暫し言葉を失う。
「御那己さまじゃ・・」
呆けたように村人の一人が呟く。
『御那己さま』と呼ばれた者が子供達に手を差し伸べる。
赤子は抱かれ機嫌の良い笑い声を立てた。
もう一人、利吉という童がその手を取ろうとする。
「利吉――っ」
突如静けさを破って、母親・多惠の悲痛な叫びが洞穴中にこだました。
皆が一様に我に返る。
『御那己さま』が声の上がった方を一瞥し――凍りつくほどに冷たい視線であった――その瞳が憎憎しげに多惠を見据えた。
「危ないっ!」
左近の声が上がる。一瞬の出来事であった。
左近が多惠を庇い、その左肩に強酸の洗礼を受けていた。
「左近!?」
綾女が左近の傍らに走り寄る。
「大丈夫・・だ」
――余り大丈夫そうではない。
左近は気配から『御那己さま』の発した殺気を誰よりもいち早く察し、強酸の水の飛来から多惠を守ったのである。
唯その攻撃が余りにも早く、避けきれなかったが――
その間にも『御那己さま』は利吉の手を取り、元来た道を戻ろうとする。
「俺のことは良い・・早くあの岩戸を壊せ! 閉じてしまうぞ!」
左近の叱咤に綾女は社の方を振り返る。
丁度『御那己さま』が踵を返し、岩戸の裏の風穴へと子供達を連れて姿を消していく所であった。
重たい岩戸がまた音を立てて閉じ始める。
綾女は強く一つ念じると右手に妖刀を取り出し、居合と共に青い光を放った。
爆音が炸裂し相当量の砂礫が吹き飛ぶ。音と共に岩戸は真っ二つに割れた。
見たことも無い力の凄まじさに村人達は肝をつぶし、声も出ない。
気絶した者さえいる。
綾女は手早く懐から富士の霊水の入った竹筒と手ぬぐいを取り出すと、左近の肩の火傷の跡にその霊水を惜しみなく注ぎ、手ぬぐいを当て、その端を脇に通して縛った。
取り敢えずの応急処置である。
今度は与平を呼び、その手に腰の携帯袋から取り出した合わせ貝(蛤)を握らせる。
「薬だ。急ぎ此処を離れ、すぐに御内儀の手当をされよ。清水で酸を流し、この薬を塗った清潔な布を当てるのだ」
与平が真剣な顔でそれを受け取り、大きく頷く。
綾女は他の村人――特に翁の方に視線を向けて有無を言わさぬ口調で命令する。
「他の方々も早々に此処を出られよ。此処にいる事あいならん」
翁が冷ややかな目で綾女を見ながら問う。
「して、外者のお主達が此処で何をしようとしているのじゃ・・」
綾女も翁に負けず劣らずの視線で翁を一瞥する。
「それこそ我等の領域・・答える義務はない・・去ね! その命惜しくば」
もう、命令どころかその口調は脅迫に近い。
「ふん! その言葉後悔するな」
翁は鼻で綾女をあしらい、村人を引き連れて洞穴を去っていった。
「お前もなかなかにきついな」
左近が痛みに顔を顰(しか)めながら苦笑する。
「いい加減狸の相手も飽いたわ・・性に合わぬ」
思わず本音が漏れる。やはり綾女には腹の探り合いは似合わない。
左近の視線が優しく緩む。
「左近、傷を負ったところで悪いが・・戦えるか?」
綾女が左近の体を気遣いながら問う。
「ああ、先の処置で痛みはだいぶ楽になった・・戦うのに支障はない」
その答えに安堵すると、綾女はきっと眼差しを新たにし、その瞳を戦いの修羅と化す。
鮮やかな変化(へんげ)――綾女であり綾之介でいられるのは、この心の切り替えの速さにあるのかもしれない。
理由はどうであれ、女子の身でそれはなかなかに困難を極めるという点で変わりはないであろうが・・・
「・・くっ」
左近も甘酸っぱい思いから意識を戦いへと切り替えると、火傷により引きつる肩を庇いながら、それでもすくりとその場に毘沙門天の如く厳しい顔立ちで立ち上がった。
綾女はそんな左近の様子を目の端で確認しながら、先陣を切って風穴の奥へ、妖魔の巣窟へと飛び込んでいく。
その後を左近も遅れじと地を蹴り、瓦礫を飛び越えて暗闇へとその姿を溶け込ませた。
『御那己さま』が二人の子供を連れて姿を消してから、少し間があいている。
――間に合うか!?
走り続ける彼等の横顔に、焦りの色が見えた。
風穴は奥から何者かの胎動と息遣いを風に乗せて送ってくる。
恐怖を煽る風――戦慄の事実が今明らかにされようとしていた。
 
 

back    menu    next