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琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫5
【御那己さま】
扉が閉められた事により、土蔵の中は完全に外界から遮断された。
唯一外界と繋がるのは、閉め忘れられた鉄格子の小窓――そこから十六夜の月が床の上に細長い光の帯を伸ばしている。
微かに流れ込む夜気が、村人達の会話を運んでくる。
「今宵は清六のところのと、与平のところの利吉か・・・」
「・・はい」
「この歳にもなって不憫な事じゃ・・十あるうちの一つというに、五つの歳まで手中の玉の如く育てても、途中何が起こるか分からぬ・・・」
「いえ、言いつけを守らず、十六夜の晩に外に出たあの子が悪いのでございます」
「一つ、二つ・・七つの歳まで子の魂魄は神仏の御手の中にあると言われておる・・普通に生きても儚くなる事は多い・・これも持って生まれた運命かの・・・後の事は御那己さまにお願いするしかあるまいて・・して御内儀は、多惠殿はこの事に納得されたか?」
「・・いえ、やはり無理でした。あの歳まで育てますと、愛着はひとしおのものがあります・・仕方なく、納屋に閉じ込めてあります」
「そうか・・辛いところじゃの・・・さあて皆の衆、刻限じゃ。御社へ出向く事としよう。御那己さまがお待ちのはずじゃ」
村長の言葉を最後に、村人達の気配は蔵の前から遠ざかっていった――
暫くして――
「今のを聞いたか?」
「ああ」
暗闇の中、沈黙が破られ、言葉が交わされる。闇が蠢(うごめ)く。
立ち上がる気配。ぱらり・・――縄の解ける音。
そして月明かりに浮かび上がった二つの影――それは今しがたまで意識を失っていたはずの綾女と左近であった。
胸元から小しころを取り出すと、自分達の足首に巻きついている邪魔な荒縄を、ブチッという音と共に一気に切り裂いて、完全な自由をもう一度手にする。
忍びに素人の縛りなど通用しない。
縛られる前から綾女達は、故意に体中の筋肉を緊張させて、体の表面積を増やしていた。
そして、その後極限まで身を細らせる事で、縄を抜けたのである。
他に関節を自由に外し縄を抜ける方法もあるが、今回そこまでは必要なかったようである。
それにしても二人、一服盛られた杯を傾け、その全てを飲み干したのではなかったか?
実は二人とも酒は一滴も口にしていない。全て袂へと流し込んでいたのである。
そこらの狡猾さは忍びの忍びたる所以である。
実際毒を少量口にしたところで、綾女達にはすぐに効かない。
物心ついた頃より綾女と左近はあらゆる毒――勿論その毒は一過性のものに限ったが――を少量ずつ服用し、耐性をつけてきたのである。
眠り薬如きで――しかも匂いを嗅いだ時点でその名前・効用は綾女達の知る所となっていた――不意を食らう二人ではない。
「とうとう動き出したな・・」
「御那己さま・・とか申していたな・・何者であろう?」
「分からぬ・・とにかく行ってみない事には・・と、その前に此処より先の扉をどうにかせんとな・・」
左近が土蔵の二の扉にあたる木製の頑丈な引き戸を小突きながら言う。
どれほど頑丈な扉であろうとも、材質が木であるうちは何とかできる。
だが、金属の扉ともなると、破壊には手間隙がかかるのだ。
まあ、火薬を使ってぶっ放すというのであれば話は別だが・・・
左近が顎に右手の甲をあてがいながら腕組みし、暫し思案していたが、ふとすぐ横に綾女の気配を感じ、ちらりとそちらを振り返る。
綾女も一緒になって何やら一生懸命考えていた。その姿がなんとも微笑ましい。
左近、こんなところで男の性か――?
その時左近の中で何かが閃いた。思わず左近の口元がにやりと綻(ほころ)ぶ。
「綾女――」
左近の呼びかけに振り返った綾女が、左近の笑みを見て先ず思った事――
――左近の悪い癖だ
何か思いついても単刀直入に話してくれない。
何か策を持っていても、人が翻弄されているのを楽しんで見ている傾向がある。
事に綾女(自分)に対してはそれが著明だ。
――意地が悪い
勿論真面目に事に当たる場合は、左近もそんな態度は取らない。
冷静かつ迅速、しかも適切、これ以上頼もしい相方も他にはいないだろう。
「何だ?」
もう慣れた事とはいえ不愉快な気持ちは残る。少々怒気を含めて綾女が問い返す。
「いっそこの場で、あの者達を使役してみる気は無いか?」
「あの者達?」
「ああ、あの忌々しい犬神達の事だ・・・」
左近も何かを思い出したのだろう。眉をひそめながら犬神達の事を言葉にする。
「――あの者達、今日は急な事で俺の言葉にも従ってくれたようだが、本来お前の言う事しか聞こうとせん!・・それはそれとして、あの者達の力を持ってすれば、この扉の一枚くらい容易く開けられそうなものだが・・その力、使わぬ手は無い・・」
左近、余程犬神達に日常で煮え湯を飲まされているのか、吐き出す言葉の端々に無数の棘が見え隠れしている。
綾女は苦笑しつつ、
「ああ、その手、悪くはないな・・」
と、左近に同意して、小声で鋭く犬神の名を呼んだ
「一狼太、聞こえていたな? できるだけ――」
綾女の言葉を全て待たずして、一狼太の声が返る。
「御意! 少し離れてください」
その返答とほぼ同時に入り口の枠全体が閃光に縁取られる――
「――穏便に・・」
後に続く綾女の言葉が空しく空に紡がれた。
綾女は思わず額に右手を当てて、次に起こるであろう事態を覚悟した。
鉄の扉が掛け金から枠ごと外れると、それはゆっくり庭の方に向かって倒れていった。
ガシィィ――ン・・
轟音と共にそれは地面に俯し、反動で跳ねた時、再度音の揺さぶりで大音響を引き起こした。心配していた最悪の結果――綾女の米神がピクリと動いた。
犬神達が土煙に噎(む)せながら二の扉の向こうに見たものは――夜叉の如く形相でゆらりと此方を見詰めて立っている綾女――嫌な予感があった。
「・・・人の話は・・最後まで聞け――っ!!」
「ひえ〜〜っ」
綾女が叫ぶ後ろで、左近が蔵の長櫃(ながびつ)に俯して何やら肩を震わせている。
「左近! お前も笑っている場合か――っ!!」
――どいつもこいつもこんな時に!(怒)
綾女は切れた堪忍袋のやり場を、目の前の二の扉に向ける。
既に枠組みに亀裂の入った扉――後は・・
「えーい、四の五言ってる時でない・・この際だ!」
ドコォ――ン・・
此方も派手に蹴り飛ばす。
「行くぞっ 左近!」
母屋の方から「何事か」と、騒ぎを聞きつけて、留守を預かる者達の集まってくる気配があった。
「くく・・ああ、犬神達も(役立つかどうかは知らんが)付いてくるがいい・・」
まだ可笑しさがこみ上げるのか、左近は真顔に戻れないまま、皮肉を込めて犬神達の方を振り返る。
「〜〜〜〜〜〜」
綾女にどやされた手前、犬神達は左近に言い返す言葉が無い。
犬神三兄弟のうち二狼太と三狼太が、長男・一狼太を間に挟み、じ――っと見詰める。
今回の失態は、主に雷撃を落とした一狼太の仕業。
兄弟間においても一狼太の立つ瀬は無かった。それはさておき、疾風の如くその場を出立した二人と三匹が向かった先は、村はずれの森の中に存在する、とある風穴――初めから行き先が分かっていた訳ではなく、妖魔の発する気を辿るうちその入り口に辿り着いた。
風穴とはいっても、此処ら一帯に存在するものは、流出した溶岩の外部が冷却・凝固した後、内部が容易に凝固せず、外殻を破って流出したため生じた洞穴である。
したがって、人一人が楽に通れるだけの広さは兼ね備えている。
この風穴の入り口には注連縄(しめなわ)が張られ、此処より先は禁足地であるが如く様相を見せていた。
「此処か、村人の言っていた社とかいう場所は・・・」
綾女が呟くと、
「何やら生臭い匂いがしてきませんか?」
畏まると難波言葉の引っ込む一狼太が、匂いに対する嫌悪からか鼻先に皺を寄せながら、綾女に話し掛ける。
そう言われれば、人間の嗅覚にも届く微かな匂いが、奥からの風の流れに乗ってやってくる。それは陰湿で執拗な嘔吐感を誘う生臭い匂いであった。
何か得たいの知れない悪寒が背筋を走り、思わず左近と綾女も顔を顰(しか)める。
「とにかく行くぞ」
左近の言葉に頷き、綾女達は次々と洞穴の中に入っていった。
それから遅れる事数間、懸命に彼等の後を追ってやって来た人影が一つあった。
その足取りは覚束(おぼつか)無く、何度か地面に足を取られ、倒れた際できた擦り傷を体のあちこちに拵(こしら)えていた。息も途切れがちである。
この人物が誰であるのか――それは、この後すぐ分かる事となる。