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琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫4

【十六夜の里】
雷光が闇を切り裂く。烈風が空を切る。火炎が雨のしぶきを忽(たいま)ちのうちに気化させていく。
その先を浮遊し、三つの御魂を目的地へと導くのは、青白く闇に点った複数の鬼火。
これまで人の介入を頑なに拒み、浸入者には死出の案内状を送り続けた森が、今、自らの意志をもって彼等を選び、道を譲っていく。
女の童(幽鬼)・茜の言う通り、森は完全に彼等の味方となっていた。
目指すは、この緑の海原の奥深くに存在する十六夜の里。
その後を負う影二つ――闇にその姿を溶け込ませ、しなやかな身のこなしで跳躍する美しき獣達――影忍
左近と綾女の二人は今、その鍛えぬかれた脚力を遺憾無く発揮し、疾風の如く地を駆け、道無きところは枝から枝へと木々の間を飛び移り、遅れずに三つの化身の軌跡を追う。
そうやって走り続ける事およそ半刻、やがて鬼火は視界からふっと消え、犬神達も突然何を思ってか、弧を描いて銘々三方に散り、ぱっと姿を消した。
さらに先へと左近達が歩を進める。
すると突然緑がいきなり途切れ、これまで枝葉に遮られていた空が目の前に広がった。
いつの間にか降りしぶいていた雨が上がり、天頂には熟れて腐敗を待つばかりの月――十六夜の月が群雲のあわいから顔を覗かせている。
だが何か解せない。天気の変わりようがあまりにも唐突過ぎた。
二人はその答えを、天空の雲の流れからすぐさま見出す。
墨染めの空に細く筆で刷いたような雲が風に煽られ棚引いている――それはまるで野分の時垣間見る、束の間の雲の切れ間に似ていた。
問題は、その雲がここいら一帯を中心に無理やり同心円を描かされている事。
円の外輪部分では雨雲が外側へと追いやられ、断末魔を上げている
境目では拮抗する力がこすれ合うためか、無数の蛇がのたうつように、所々で放電現象が起きていた。
故意に自分達の存在している世界だけが隔絶されている・・・
「嫌な空だ・・」
「ああ・・」
上空に得体の知れない力の作用を感じ、綾女達は眉を顰(ひそ)めた。
やがて――
「招かれざる者・・らしいな」
左近が溜息混じりで呟くと、
綾女も同じく小声で、
「穏便に願いたいものだ・・」
と言葉を返す。
突然二人の近くで松明の火が点された。
と、同時に、二人の周囲に大勢の村人が姿を現す。
個々が斧や鎌、鍬や鋤といった農耕具を手にして、殺気を隠そうともせず二人を取り囲み、じりじりとその間合いを詰めてくる。
「どうする左近?」
「うむ・・これは人、下手に手出しできぬ・・」
二人はぴたりとお互いの背と背を向き合わせ、村人の動きに注意を払いながら、背後の相方と小声で言葉を交わす。
今この里の上空で起きている怪現象の意味を里人は知っているだろう。
だが、尋ねたところで里人は答えてくれそうにない。
尋ねられる雰囲気でも無い。
万事休す! ここはひとまず退散か――そこまで覚悟を決めた時のことである。
「やれやれ・・」
人垣の背後から言葉を掛けてきた者がいた。
綾女達を取り巻いていた村人の間にざわめきが起き、人々の間で狼狽が走る。
村人達はおずおずと後方の者に道を譲り、人の垣根に人一人が通れるくらいの切れ目が作られた。
そのあいさを通って、二人の村人を伴った老人が姿を見せる。
年の頃六十前後――この戦国時代においては長生きな方――の小柄な好々爺が顔を出した。
その翁が口元に優しげな微笑を湛えながら、在るか無いかの細い目で綾女と左近の二人を真っ直ぐに見据えている。
どうしてどうして、翁の双眸には、隙の無い鋭い眼光が見え隠れしている。
この人物がなかなかにろうたけている事は、綾女達のすでに知れるところであった。
人の何たるかを読む――それは忍びを生業とする者にとって、初歩の心得である。
翁は一拍間を置いてから、ゆっくりとした口調で話を始めた。
「皆の衆、稀人に物騒な物を突きつけるでない。お二人が驚かれておる。済まぬな御二方、外より御越しの方はほんに稀でな、こんな世情じゃ、皆、気が立って、ピリピリしておるのじゃ」
「そうでしたか・・私共も突然お邪魔して皆様を驚かせて仕舞いました・・この通りお詫びいたします」
綾女が警戒を解いたかのように見せかけて、深々と村人に向かって頭を下げる。
その背後に影の如く左近が寄り添い、同じように軽く会釈を返した。
こういう話の展開の時は綾女に対応を任せた方が良い。
綾女の柔らかな対応が、いつも要らぬ争い事から二人を遠ざけていたからである。
これも旅の途中で得た一つの教訓であった。
「まあ、そこの所はお互い様という事で・・・それにしても、このような森外れの村によう無事で辿り着かれましたな・・此処は不入の森、またの名を迷いの森と申して、入り込む人などまずいない辺境地ですのに・・何か特別な用でもあり申したかな?」
案の定、綾女の丁重な物腰は翁に気に入られたようであったが、そこは年の功、すんなりと騙されてはくれないようである。
不審な点を鋭く翁は突いてきた。
その問い掛けに綾女は、沈痛な面持ちでぽつりぽつりと理由を語り出す。
「父が・・父が危篤との報を受け、駿河へと急ぐ余り、慣れぬ間道を使うはめと相なりました・・途中雨に降られ、道を間違え・・後は・・後の事は無我夢中で覚えておりませぬ・・
今此処に生きておられるのも、偏(ひとえ)に浅間大神のご加護の賜物かと・・・」
「ほう、危篤とはまた大層な・・して?」
「あれから幾日か経っておりまする・・もう今生では会えますまい・・仕方ありません、親の死に目に会えぬことは世間一般でよくある事、幸い弔ってくれる者が他におりますゆえ、私の親不孝も草葉の陰から笑って許してくれましょう・・・」
「そうですか・・それはお気の毒な事に成りもうしたな・・・なれば慣れぬ旅路でさぞやお疲れの事しょう。体も冷え切っておいでのようだ・・では如何かな? 手前どもの里までおいでなされませんか? 鄙びた山里ゆえ何のおもてなしもできもうさぬが、夜露を凌ぐ一夜の宿にはなりましょう程に・・」
「それは、かたじけない!」
「いえいえ・・申し遅れましたが、私は里の長老を務めます木下又兵衛という者・・と、申しましても、長は別に若い者がしておりますから、私はたんなる楽隠居の身ですが・・」
「いえ、こちらこそ重ねての御厚情いたみいります・・私は綾之介、連れの者は左近と言います」
「連れの御仁は無口な方ですね」
「こういう不躾な男なのです・・お許しいただきたい」
「一向に構いませんよ・・ささ、此処で話も何ですから、先へ参りましょうか・・・」
「ところで・・此処は何と言う里なのですか?」
綾女がさり気なく例の疑問を口にする。この際、それが最優先事項であった。
翁は一言、
「十六夜の里――と言います」
と、答えた。
さて――
さっきから綾女の背後で二人のやり取りの一部始終を聞いていた左近は、仏頂面のまま心の中で苦笑する。
――不躾な男・・ね
綾女も綾女なら、翁も翁である。
狸と狐の馬鹿し合いとはこの事で、明らかに嘘だと分かっていながら、お互い腹を探り合っている。
この勝負一旦は引き分けて、とりあえず翁が稀人の二人を村に案内するという事で落ち着いたようだ。安心は禁物であったが・・・
その後翁に伴われ――村人達に監視され、連行されたという方が当たっているが――暫し野辺を歩くと、すぐに村の明かりが見えてきた。
村ではいたる所で篝火が焚かれ、村全体が真昼のような明るさに家々の軒先を浮き上がらせていた。
「何か今夜あるのですか?」
綾女が心底不思議そうに翁に尋ねる。
「なーに、秋の祭りの準備ですよ」
翁がさらりとその問いをかわす。
――狸め
綾女が心の中で舌打ちする。
こんな夜更けに、村総出で祭りの準備など聞いた事が無い。
大体、この村全体を覆っている独特の雰囲気が、綾女の性に合わなかった。
微かに開けられた戸の隙間から、窓越しに物陰から、自分達二人を見詰めている無数の目――興味はあるくせに、あえてその感情を押し殺し、他人を値踏みする人々――無言の重圧に綾女は今にも窒息するのではないかという感覚に襲われた。
――やりづらいな・・・
閉鎖的な所は何処となく香澄の里も似通った所があったが、これほどまでに鬱屈し淀んだ空気を綾女は味わった事が無い。
自分は此処と同じ自然豊かな中で育ち、同じような春夏秋冬を見てきたはずだった。
だがそこには家族がいた、仲間がいた、何より温かい人の温もりが存在していた。
だから綾女は隠れ里に育ちながら、窮屈さを味わった事など一つもなかった。
一方左近は、この里に入って以来、終始無言であった。
冷淡とも取れる態度で、村の様子を抜かりなく観察している。
此処の雰囲気は何処となく自分が育った日向の里に似ていた。
日向の里も自然に恵まれていた。
冬の寒さはひとしおであったが、その代わりに四季折々の美しさがそこにはあった。
だが、そんなものに目を奪われている余裕など、里の若者達には無かった。
里の者は仲間であると同時に、競争相手でもあった。
技量の有無、程度よって里における自分達の地位が決まる。
力のあるものはより上(上忍)へ、生き残る確率の高い地位へと皆が望んでいた。
だから他人に関しては、綾女より人への執着が無い分、左近の方が冷静な判断が下せるのである。
今も左近は綾女の影に徹しながら、村の地形、家の配置、村人のおよその数等諸々を見た範囲内で正確に把握し、状況を分析しつつ歩いていた。
こういう点では両極に位置する二人であった。

村に着いて早々、二人が通されたのは村長の家だという人回り大きな屋敷の大広間であった。元々そこは八畳四間であったのだろう。
部屋を仕切る襖全てを取り払い、今は一つの大きな座敷として使用していた。
その広間一杯に膳が、所狭しと並べられている。
村の主だった者が此処に集まっていたのだろう。
二人は勧められるままに上座の席へと移動し、左右二手に分かれ、お互いが一間ほど離れ対座するような形で座り込み、その場で胡座をかいた。
その二人の前にも他の者と同様膳が運ばれ並べられる。
「今宵の客人は運が良い。山里ゆえに何もござらんが、今は収穫の秋、山の珍味も出そろうております。ささ、遠慮は入りませぬ、たんと召し上がってください」
村長と称する男の勧めるままに膳を眺めてみる。
なるほど鄙びた山里にしては奮発した豪勢な献立――山野の恵みに田畑の収穫物、清流で捕れた川魚・・それら新鮮な素材を存分に生かして作られた料理の数々、汁、飯、膾(なます)、坪(香物)、平皿、焼物、一般に言う一汁三菜が膳に並べられ、更に肴、吸い物、酒までもが膳とは別に運ばれてきた。
「ささ、一献召されよ。酒はいける口ですかな?」
村長が左近の前に進み出て、手にした酒を勧める。
「かたじけない」
左近が杯を手に取り、それを受ける。
一方綾女の方はというと、これも同じく村人の手によって酌をされている。
「さあ、此方の方もぐっと一気に呷ってください」
綾女は軽く会釈し、満たされた杯をじっと見詰める。綾女も酒は嫌いでない。
信濃の山裾に存在した香澄の里も、この頃より雪が降り積もる。
その冬の一つの楽しみとして、雪見酒があった。
主として父と兄が飲み交わす酒を、その傍で綾女も相伴(しょうばん)に預かる。
そして兄が驚くほどに、綾女は酒に強かったのである。
それが後に、男に扮した際役立つ事となろうとは、夢にも思わなかった綾女であるが、何かの折、男――左近も含む――と酒を飲み交わす時にはそれ相応に男と同等、それ以上に渡り合う事ができ、役に立ったと言えば言えた。
だがこの酒は――
一刹那、綾女と左近の視線が交叉する。この酒からは酒とは別の甘い匂いが微かにした。
それは普通の民人には嗅ぎ分ける事のできないほど微かなものであったが、鍛錬され絶対嗅覚を持つ二人にしてみれば、それが何の匂いで何を意味するのか嗅ぎ分ける事は造作の無い事であった。
綾女と左近は互いに目配せし合い、次のような会話を交わす。
――これは!?
――ああ
――どうする?
――口にするしかあるまい・・
相手の口の動きだけで言葉を読み取る――読唇術により二人は相手の意志を確認し、声にせずとも己の意志を相手に伝えた。
先ず綾女が、
「いただきます」
と言い、袖口を手指の方へ引っ張り、両手を杯に添えると、ぐっと一息に呷った。
そしてそれを一気に飲み干す。
「おおっ・・!」
広間に思わず感嘆の声が沸き起こった。余程度数の高い酒なのであろう。
飲み慣れた村人さえ一気に飲む事のできぬ酒を、いきなり外部の者が飲み干した事で村人達の度肝を抜いた。
――やるな綾女
左近は心の中で苦笑しつつ、その隙に自分の杯を空にする。
それに気付いた者は一人もいなかった。
そして――その時はすぐに訪れた。
カラン・・!
「な・・ん・・」
杯の落ちる音がして、綾女の体がぐらりと傾いた。
「綾之介っ!・・――!?」
そう叫んで片膝立ちの姿勢をとっさにとった左近も、自分の体の違和感に気付き、暫くその場に蹲(うずくま)ってそれに耐えていたが、そのまま前のめりに倒れ込むと、甲斐無く意識を失った――

二人が意識を失うと、村人達がその傍まで寄って来て、村長を中心に二人を取り囲む形で倒れている綾女と左近見下ろした。
その時、更に奥の間に通じる襖が、音も無く開け放たれた。
現れ出でたのは先に村長の家の前で別れた翁・木下又兵衛であった。
又兵衛が問う。
「眠ったか・・・?」
「はい・・夜伽草から抽出した深迷丹を使いました。さすがは、森の獣もその匂いを嗅ぎ分けて食す事の無いという薬草だけはありまする・・して長老、この二人如何いたしましょう?」
村長が代表して、今後の指示を翁に請う。
「今しばらくは、このまま生かしておくしかあるまい・・・」
又兵衛は大きく嘆息し、一度言葉を切る。
そして今一度厳しい顔つきに戻ると、村人全体に聞こえるように指示を出した。
「今宵は中秋の名月を過ぎた、十六夜月が昇る特別な晩じゃ。儀式の前に外者の血で里を汚してはならん。血の匂いは御那己さまを刺激する。それは避けねばならぬ。この者達の始末は儀式を終えてからで良い。それまでこの者達を縛り上げ、裏の蔵にでも閉じ込めておけ」
そう言うと翁は村長の家を後にした。
後に残った者達が、四人がかりで二人を後ろ手に縛り上げ、更に荒縄で足首も縛った。
そして二人を抱き起こすと、村の力自慢の男が二人を抱えて土蔵へと運び込んだ。
ギィ――ッ・・ ガラガラガラガラ――・・
蔵の重い鉄の扉と金網を張った木の引き戸が開かれる。
夜気に混じって、少しかび臭い蔵の空気が辺りに漂う。
男は誇りっぽい床板の上に、細心の注意を払いながら二人を横たえた。
ガラガラガラガラ――・・ カチャリ
ギィ――ッ・・ バタン キキキキキィ――ッ ガチャン
二つの扉が閉められる音と、閂(かんぬき)が掛けられ、施錠する音とが暗闇に響いた。
蔵の中に残されたのは闇と静寂、明り取りの窓から差し込む月影、そして意識を取り戻さない二人――
里の社では、もうすぐ『御那己さま』と称する者のために、十六夜の祭りが始められようとしていた――
 
 

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