menu琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫26
【残るもの】
光は、あまねくものを照らし、現実という名のもとにこの地の惨状を晒す。
真っ黒に焼け爛(ただ)れた森の木々。
無残に抉られ露出した大地。
森のそこかしこに、昨夜の激しい戦いを物語る、生々しい爪痕が残っていた。
それでも時の流れの中で、これらは次第に修復されていく事だろう。
誰も何も語らないままに・・それが自然界であった。
だが、そこに存在する人間達は如何だろうか?その後、綾女と左近は、丘の麓・十六夜の里まで下りてきた。
左近は止せと止めたのであるが、綾女がそうする事を強く望んだのである。
十六夜の里で影忍達を待っていたのは、戦いの余波をこうむった里の惨状、そして、その元凶である二人に対する憎しみに満ちた眼・眼・眼・・
村の有様を見れば、村人達の反応は当然であった。
――やってくれましたね・・
村の長老・木下又兵衛は、開口一番そう言った。
そのすぐ後から、
――よくも村を・・
――よくものこのこと・・
村人達は口々に呪いの言葉を吐きながら、集まってきた。
殺気は次第にはっきりと形を成し、恨みというどす黒き一塊となって二人に迫ろうとしていた。
だが、
――お待ちください!
それを引き止めた者がいた。
村人達が一斉に声のした方を振り返った。
一人の男が小柄な女を両腕に抱え、一軒の家の戸口を出た所に立っていた。
――与平・・それに多惠ではないか・・
二人は利吉の両親であった。
昨夜多惠は『御那己さま』の社で右足に重度の熱傷を負っていた。
そのため地に足を着けずにいた。
その多惠を抱く与平が口を開いた。
――うちもの(妻)が、そちらの方に利吉の事を尋ねたいと申しています。どうかその願い、聞き届けてやってくださいませんか?
その言葉に村人の間でざわめきが起った。
多惠は夫の腕の中から顔を上げると、弱々しい声音で懇願した。
――お願いです。どうか・・どうか利吉の事を・・あの子の事を・・せめてその生死をだけでも・・でなければアノ子が・・余りにも不憫です・・
翁の片眉がつり上げた。
――与平。そなたも内儀と同じ考えなのか?
線引きしたような眼の奥から、ジロリと黒目が覗いた。
与平は一瞬ヒクリと表情を強張らせたが、とうに覚悟はできていたらしく、
――はい。
と、はっきりと答えた。
辺りは急に水を打ったように静かになった
綾女は多惠の申し出を承知するかのように小さく頷くと、与平・多惠夫婦の方へ近づいてきた。
与平夫婦の手前には村人が群れをなして集まっていた。
村人は群れると強気に出たが、一人一人はとても臆病であるらしく、背筋をしゃんと伸ばして遠慮なしに近づいてくる綾女が眼前に迫ると、次第に退って場所を明け渡した。
与平の腕に抱かれた多惠は、昨夜半狂乱の様相で風穴に飛び込んできた時に比べ落ち着きを取り戻し、身なりもこざっぱりと整えられていたが、その面差しは一晩でやつれ、小袖から覗く手足の傷、それを手当てした後が見目に痛々しかった。
与平はそんな妻を痛ましげに見詰め、労わるような感じで腕に抱いていた。
――これを・・
綾女は多惠に近づくと、帯の間からあるものを取り出し、それを多惠の手に渡した。
――私達が行った時には、もう・・
そして、事実を多惠に短く告げた。
綾女が多惠に渡したのは、御伽這子(おとぎぼうこ)と呼ばれている、子供の形代(かたしろ)として凶事をうつし負わせるため子の傍らに置く人形であった。
本来の目的をまっとうする事無く、『三途の間』にポツンと落ちていたのを、綾女が『御那己さま』との戦いに突入する前に見つけ、拾っておいたのであった。
人形を受け取った途端、多惠の瞬きが止まった。
呼吸する事さえ忘れてしまっているようだった。
多惠が両手で人形を握り締めた。
人形の中身がはちけるかと思われる程の力で、多惠はそれを握っていた。
――り・き・ちぃぃ・・っ
そして、多惠の口から我が子の名が漏れた。
手の内にあった温もり。
確かな存在。
失ったもの。
守りきれなかった――!
捩じ切られた心が血を流していた。
血塗れになりながらのたうっていた。
慟哭が何もかもを一飲みにしようとしていた。
悲しみも、切なさも、やるせなさも、諦めも、悔いも、罪も、全て・・
そうまでして守ったものは?
そして残ったものは?
与平もまた、咽び泣く多惠の体を抱き止めながら、己の荷担した罪を、その罪の深さを、その結末を、再認識しているようであった。
綾女は二人の姿から無理やり剥ぎ取るようにして視線を村人達の方へ向けた。
――貴方達が『御那己さま』と呼んでいた者は、もうこの世に存在しない・・私達がその最期を見取った・・今後は呼び出そうとしても、かの者は来ぬ・・そう心されよ!
綾女の口から告げられた事実は村人達に動揺を与えた。
そんな! 如何して!? 何故!? ――呆然とする者。
これから・・ 一体・・ どうする!? ――たちまち不安に陥る者。
誰が? あいつらだ! あいつらが来たから! ――困惑を憤りにすりかえる者。
村人達の反応はまちまちであったが、その結論だけは同じであった。
"全てこいつ等のせいだ!"
村人達の怒りは再燃した。
――出ていけ・・
――出ていけ・・
――此処から・・
――今すぐ!
――来るな・・
――来るな・・
――二度と!
陰陰と浴びせられる言葉の数々。
余りの言い様に与平が思わず身を乗り出した。
その動きを綾女は手と視線とで制し、村人達の後方から事の成り行きをずっと見守っていた左近は双眸をすーっと細めた。
綾女も左近も表情は変えなかった。
代わりに、深い沼の淵を思わせる眼差しが村人達を見詰めた。
――いい加減に・・しろ・・
綾女の声は酷く淀んでいた。
――戦世を憎むのも、戦世を呪うのも、その惨劇から逃げたいと思うのも、人誰しも気持ちは同じ、責められたものじゃない・・だが、貴方達が此処でしてきた事は何だ? ・・・自分達は安穏と生き・・そんなにしてまでこの村を守りたかったのか!
その迫力は並ではなかった。
――そうだとしたら?
村人が震え上がる中で、ただ一人翁だけが村人の心を代弁するように答えた。
――武田の御家が絶えた時、この近辺にも無法の嵐が吹き荒れた・・その有様たるや――!それでもわし等は生きた。必死に耐えて。必死に足掻いて。命があるだけまし・・そう思わなんだらやっていけなんだ・・だからこそ! ・・そんな気持ちをお主達は分かるか? 抗するだけの力を持ったお主達に分かると言うのか!?
――・・分からぬ・・分かりたくもない! 貴方達は恥ずかしくないのか? 追い詰められて・・それでも生きようとする者はこの世に星の数ほどいる。貴方達は胸を張って言えるか? 生きていると! 本当に生きていると!
綾女の叫びは悲鳴に近かった。
――綾女、そこまでだ!
打ち切りを命じる声。
左近が足音一つ立てずに、村人達の後ろに迫っていた。
――心開かぬ者に、お前の言葉は届かぬ・・
深き森のその奥に存在する湖の静寂にも似た左近の声が、村人達を震撼させた。
道が開ける。
綾女の時以上に速やかに、距離を開いて。
――行こう・・もう、用は済んだはずだ。
――あ、ああ・・
左近に半ば強引に促されるようにして、綾女は体の向きを反転させた。
去り際綾女は与平夫婦を見た。
彼等は不利な状況下でも密かに綾女の身を案じてくれていたが、左近の底冷えするような眼差しに出会うと、怯えた様子で綾女達を見た。
綾女はフッと寂しげに笑んだ。
そして、何かを諦めたような表情をすると、集っている村人達をずらりと見渡し、歩を進めるにしたがい、その視線を離していった。
影忍達は十六夜の里を後にした。
その少し後に、
――あ、ありがとうございましたっ!
と、与平から影忍達に向かって言葉が投げかけられたが、二人が里を振り返る事は二度と無かった。