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琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫27
 

綾女と左近はその足で不入の森(はいらずのもり)を出た。
重苦しく心にのしかかるものが、二人の足をそこから足早に遠ざからせた。
"程無く"回復すると姫神に言われた犬神達の姿は、まだ二人の周囲には現れていなかったが、アノ犬神達の事だ。
影忍達が何処に向かおうとも、その行方を追ってくる事はこれまでの経験からも予想されたので、さほど心配もしていなかった。
その日一日二人は山道を西に向かって歩いた。
道といっても、近在の者さえその存在をほとんど知らないような道、利用するのは獣かそれを猟師くらいの細い踏み分け道をであった。
一戦の後での峻険な山道。
しかし、その足取りは最後まで落ちる事は無かった。
近く大きな戦が西の方で起こると、二人はコレまで仕入れた情報で睨んでいた。
戦場ははぐれ妖魔の格好の餌場であった。
死体とはいえ、その直後は新鮮な生肉である。好物の臓腑にも事欠かない。
これまでも影忍達は妖魔の現れるであろうその場所を特定し、旅を続けていた。
不入の森の噂は、そんな道中に聞きつけたものであった。
森では予想外に時間を食ったが、さほど急ぐ旅でもなかったので――もともと当てのない旅である――特に問題はなかった。
その夜、二人は山間の洞を一夜の宿とした。
ちろちろと薪を舐める火を前にして、二人は無言であった。
二人は身も心も疲れ切っていた。
特に綾女の疲労は目に見えて明らかであった。
「少し眠ったらどうだ・・」
左近が綾女の体を心配して言葉をかけた。
「いや、まだいい・・」
対する綾女の口調は重たかった。
少しして、
「左近」
今度は綾女の方から声がかかった。
「何だ?」
「あの里は・・これからも生まれてくる赤子を殺め続けるのだろうか?」
揺らめく炎が、綾女のはっきりした目鼻立ちに陰影をつけていた。
左近は炎の向こう側に綾女の顔を眺めつつ、
「あそこに止まり続ける限りは、生きていく為にそうするだろうな・・」
と、静かに答えた。
バチッ!
炎の中で薪が大きく爆ぜた。
「堪らないな・・」
その音と綾女の呟きとが重なり合った。
左近は微かに眉を顰(ひそ)めたが、その呟きは聞かなかったような顔をして、言葉を続けた。
「アノ里の連中はこれまで自分達の手を汚さずにきた。だが、これからは違う。これからは、自分達の手で、血を分けた者を殺めていかねばならぬ。それにいつまで、あやつ等が耐えられるか・・だ」
左近の中で、底意地の悪さが鎌首をもたげていた。
「そんなにしてまで・・生きていたいのだろうか・・」
綾女は左近の皮肉めいた言葉に込められた村人に対する嫌悪には興味を示さず、独り言のように言葉を紡いだ。
「生きたいと思う事自体に罪は無い。それは命あるものの本能だ。問題は、その者の性根だろう。苦しみから眼を逸らし、逃れようとするものに、他人の命をとやかくする資格はない。違うか?」
左近の答えははっきりとしていた。
「フ・・そうだな」
その余りの明瞭さに、綾女は苦笑を誘われた。
パチ パチパチ
赤い炎が踊っていた。
抗えぬ運命に巻き込まれ、のたうつ人間の姿がそこに見えるようだった。
「子供達は・・またアノ森を彷徨うのだろうか・・」
今夜の綾女の話し振りはいつもと違っていた。
ポツリポツリと取り留めもなく話を続ける。
それだけ今回の事は、綾女の心に暗い影を落としているのだろう。
思い浮かぶままに綾女は語り、それを止める気配はなかった。
左近はそれに気付いていたので、辛抱強く綾女の相手をしていた。
今も綾女を見詰めながら、言葉一つ一つに祈りを込めながら真剣に答えていた。
「その道を選んだのは子供達自身だ。彼等は現実を受け止め、それから眼を逸らさずに生きている。それが幽鬼という存在であったとしてもな。それに、守られるばかりが幸せとは限らないだろう。姫神も子供達の意志を尊重している。お前は子供達を見て、哀れだと思ったか?」
「いや・・」
「人の命は灯火のようなものだ。いつなんどき、どういう加減で吹き消されるやも知れぬ。その瞬間を知りながら、生きていける人間なんていると思うか? 純粋に一日一日を生きる子供達だからこそ、姫神も心を開いた。その魂を救おうと不可思議な力を与えた。彼等は彼等なりに定めを受け止め、前向きに生きようとしている。それの何処を心配する必要がある? 自分達で決めた生き方なのだ。悲しみはあっても惨めさはないはずだ」
綾女は左近の話に耳を傾けながら、目頭が熱くなるのを感じた。
「如何した?」
左近が優しい眼差しで綾女に問うた。
「ハ・・まさかお主から、そんな言葉が聞けるとは思わなかったのでな・・子供達の事は・・苦手そうに見えたから・・」
綾女が泣き笑いしながら左近に言うと
「そうか? ・・まっ、正直餓鬼は苦手だがな。何をしでかすか分からぬ・・まるでどこぞの誰かのようにな」
と、左近は含みを持たせて答えを返してきた。
「誰の事だ?」
「さあな。そうやってすぐ反応するところなど・・身に覚えはないのか?」
左近の切り返しに、綾女は左近を一睨みした。
口でこの男に勝てた試しがない。
左近の口から軽やかな笑い声が漏れた。
一笑した後、左近は真顔に戻った。
「綾女、今お前に必要なのは休息だ。早く疲れを取って、次に備える事だ。これからもこんな事は一度や二度ではきかぬ。そのための眠りなのだ」
「お主は・・いいのか?」
綾女が左近に尋ねてきた。
真剣な眼差しが左近を見ていた。
眩しいものを見るような目で左近は綾女を見詰めた。
「お前が寝入ったら休む。そうせねば、寝ていても休んだ気がしないだろうからな」
「抜けせ!」
「ははは・・」
結局綾女は左近の勧めに従い、その場に横臥した。
それでもすぐには寝つけず、暫く綾女は眼を開けていた。
「左近・・お主は来世を信じるか?」
「何だ? えらく唐突に・・」
パチ パチッ
炎が弾ける。
「・・・まだ、子供達の事が気になるのか?」
焚き火を真正面に見据えた左近の両瞳に、赤々と燃える火が映っていた。
「忘れられぬのだ・・アノ子達の声が・・明るく笑っていた・・」
左近は一つ溜息をつくと、仕方ないといった風に口を開いた。
「俺は来世など信じぬ。だが、そんなものがあってもいいとは思っている。茜が言っていたではないか。いつの日か、天界の門は開くと・・ならば、その魂は、また輪廻の中へと戻っていくのではないのか? ・・次の生に向けて・・神仏もそこまで無慈悲ではあるまい」
「そうだな・・そう願いたい・・」
綾女の言葉が優しく空気に溶けた。
「左近・・」
「まだ、何かあるのか?」
「いや・・」
「じゃあ、何だ?」
「・・・・・・救われたのは・・私達の方・・かも・・」
バチ・・ッ
殊更炎が大きく爆ぜ、一部薪の木組みが崩れた。
「綾女?」
返答がなかった。
「眠ったのか?」
寝息が聞こえてきた。
「そうか・・やっと眠れたな・・」
左近の口から安堵とも取れる優しい囁きが漏れた。

誰を哀れと思うか?
子を亡くし、その無念で生き続けた女?
子を殺してまで村の安寧を守りたいと願う村人?
生まれてきた生を、村人の勝手で消されていった子供達?
ただ、これだけは言えた――この世が戦世でなかったなら?
辛くとも女は子を慈しみ育てた。
村人達は人並みの営みを続けた。
子供達は太陽の光の下、大声を上げてはしゃいでいた。

誰が悪い?
誰を恨めばよい?
やり場のない怒り、やるせなさ。

――かごめ かごめ
森の奥深くから、子供達の歌声が聞こえてくる。
――かごのなかの鳥は
閉じ込められていたのは一人の女。
――いつ いつ 出やる
待っていたのは一人の少年。
――夜明けの晩に 鶴と亀がすべった
物語は此処で終りを告げる。
――後ろの正面だ――れ?
語るは小さな語り部達。

きゃはははは・・うふふふふ・・(遠ざかる笑い声)
 
 

宝永四年十一月二十三日(1707年12月16日)富士の山は噴火する。
世に言う、宝永の大噴火である。
この宝永四年末に起きた大規模かつ爆発的な噴火(宝永噴火)については、江戸の近郊での事件ということもあって、数多くの記録・文書・絵図が残されている。
だが、その中に――それ以外の記録にも――富士裾野に隠里が存在していたという記載は一切ない。
例え里の存在が明記されていたとしても、そこに生きた人々の思い、生き様、その後については、記録として残る事はまず無かっただろう。
史実とはそういうものである。
江戸時代に盛況を誇った富士講も、明治に入り廃仏毀釈の嵐が吹き荒れると衰退の一途を辿った。
そして、現代――
富士は観光の山として多くの人々が集う。
その裾野に広がる緑の海原――樹海。
そこに語られる事の無い歴史が、今も静かに眠っている。

【出会い】
「隠れてないで出てきたらどうだ?」
綾女が眠ると、左近は洞の外の闇に向かって一喝した。
――知ッテイタノカ
「ずっと森からついてきていただろう」
姿を現したのは額に緑の印を持つ白蛇であった。
白蛇の出現と同時に白い靄(もや)が入り口付近に立ち込め、一人の女形がその場に現れた。
その姿はぼんやりとしていて、顔の造作等ははっきりとしなかったが、その女が白蛇自身であり、妖かしの類である事は間違いなかった。
「何用だ?」
――ソナタヲ気ニ入ッタ
「だから?」
――使役スルモノヲ望マヌカ?
「要らぬ!」
――サレド、今回ノヨウナ事モアル。イイノカ?
暫く左近は考えていた。
「お前・・名は?」
――『白藤』
「杜辺神か?」
――ソウダ
「狂うものは要らぬ」
――ソナタガそれヲ拒否スル限リそれハ無イダロウ
「では――」
左近の双眸が妖しく光った。
「人の記憶を消す事はできるか?」
――雑作モナイ事ダ
「ならば、かの者たちの記憶から俺達の存在を消せ!」
――何故ダ?
「あやつ等に・・くれてやるものなどないからだ!」
左近の右拳が洞の壁を激しく叩き、拳から血が滲み出た。
「分カッタ・・デハ、ソノ望ミ受ケテイク・・」
「ああ・・」
こうして十六夜の里の住人から影忍達の記憶は消された。

【そして・・お約束】
犬神達は眼を覚ますと、慌てて森を後にした。
二「一時はどないなるかと思おたわ」
一「まっ、サクヤさまのおかげやな」
三「あんちゃん。姉さん達どこなん?」
一「もうすぐや。ほら見えてきたやろ。あの洞穴や」
二狼太は喜び勇んで洞穴に飛び込んでいく。
一「あ・・ほ・・そんないきなり行ったりしたら」
三「どないなんの?」
ピカッ
どおおおおおおおおん
うわ――ッ(左近の叫び声)
ピカッ
どげえええええええん
キャイン キャイン(二狼太の悲鳴)
二狼太が洞穴から飛び出してきた。
続いて雷をまともに食らったような格好をした左近が飛び出してきた。
左「こんの糞ッ垂れがあああああああああああ!」
二「姉さんはうちらのもんやああああああああ!」
逃げていく二狼太。追う左近。
一「ああなるわけや」
三「あいかわらずやな」
一「ええ加減。学んでもいいのにな」
三「うん」
一「そんにしても。ありゃ仲ええんか・・悪いんか・・」
三「どっちもやろ?」
シリアスに終わらないあたり・・(苦笑)

【おまけ】
三「この森の主は誰なん?」
一「ああ、杜辺神のおひーさんや」
二「そういやあのおひーさん。約束には堅いんやけど・・」
一「けど?」
二「気に食わん奴は徹底的にイビルんやて」
一「へ?」
二「それとな」
一「まだあるんかい!」
二「今思い出したやけど。すごく面食いでな。ええ男は執念で追いかけてくるそうやで」
一「何やて!?」
三「それって・・兄さん一番危ないんと違う?」
二「お前もそう思うか!? その話吉野の佐保姫さまから聞いとったん思い出してな。何や嬉しゅうなってな〜 先が楽しみやわ〜」
一「お前・・だんだん歪んでってないか?」
杜辺神といえば竜の末裔ですが、同時に蛇神にも近しい存在です
とりつかれたら一生離れないと思います。
さて・・どうなる事やら?
 
 

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