menu琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫25
【夜明け】
どうやって此処に辿り着いたのか?
その答えは見つからない。
ここは一体何処であるのか?
その答えは周囲の光景が語ってくれる。
光と闇の境界線。
ふと気付いた時には、光だけの空間は消え失せ、うずたかく積み重なった瓦礫の上に影忍達は立っていた。
冷たい風が頬を嬲(なぶ)っていく。
ここはもう現実の場所であった。
見上げれば空。
もう夜明けはほど近いと見えて、空は紺碧を帯びていた。
昨夜嵐を運んだ雲は風に引きちぎられるようにして、細く細く東に向かって棚引いていく。
「此処は『三途の間』の跡か・・」
綾女が小さく呟いた。
その言葉も風がすぐ横からさらっていく。
カララ・・ン
小石が音を立てて崩れた。
「そう里の人間は呼んでいたけど・・元はそんな場所じゃなかったんだ・・」
若竹であった。
若竹は二人と少しはなれた場所から、辺りの光景を見渡していた。
『三途の間』の天井部分であった岩盤が崩れ、広間を埋め尽くした岩、土砂、木々の類。
陥没してしまった空洞。
此処にかつて大きな広間が存在していたのだと言っても、元の姿を知らない者達ならば、首を傾げたくなるような光景が目の前に広がっていた。
若竹がほつれ髪を風に靡(なび)かせながら、一人の女の物語を語リ始める。
「此処は元々『白の御力』の集まる場所・・その力が地表に向けて噴き出す口の一つだった。だからこそ、この場所を杜辺神が守り、住処としていた。でも、それがかえって仇となった・・」ある時一人の女が森に迷い込んだ。
胸に赤子の躯を抱き、引き裂かれた単をなけなしに着て、まるで気がふれたかのように・・
それは見るに耐えない酷い有様であったという。
女は最初死ぬ気で風穴に入った。
暗がりを壁伝いに辿っていくと、奥には清らかな清水を湛えた泉があった。
そのほとりで女は懐から懐剣を取り出した。
本来己の操を守るために持っていた懐剣。
だが、そのために使われる事無く、使う機会も無くして、放心した状態の女の傍らに、それは無造作に捨てられていた。
頬に触れる刃の冷たさ。
その感触を心地よいとすら女は思った。
ポタリ・・
傷付けた肌から伝い落ちる血潮。
それが泉に落ちた瞬間、そこに思いもよらぬものを呼び出していた。
――苦しいのですか?
真っ白な龍体に似た幻影。
杜辺神であった。
――何が貴方を苦しめているのですか?
柔らかな思念。
その時女は思った。
――私は此処で死ぬのか?
女の中で闇が鎌首をもたげた。
――この苦しみを、この悲しみを誰にも知られる事無く?
女の中で何かが変わりつつあった。
――嫌だ!
そして、それがはっきりと形をなした時、女は般若と化していた。
杜辺神は女の激しい情念に引きずり込まれる。
一瞬の出来事であった。
里はその後に作られた。
女を守り神と見立て、『御那己さま』と名をなして、『十六夜の里』は出来上がった。「でも、それも終わった・・」
若竹は静かに瞼を閉じる。
ヒュゥゥゥ
吹く風が咽び泣くように過ぎていく。
「お前は母御の後を追わぬのか?」
綾女が若竹に尋ねる。
若竹が振り返った。
「俺は行かない」
はっきりとした口調で若竹は答える。
その表情に迷いは見られなかった。
「俺のいる場所は此処だ。あいつ等もいる。寂しくは無い」
「ならば、大丈夫だな?」
綾女は念を押すように尋ねた。
「ああ。姉ちゃん達にはすっかり世話になった。そこのおっかない兄ちゃんにも、一応礼を言っておくよ」
「おっか・・って★」
綾女は思わず絶句し、視線をソロソロと左近の方に向ける。
左近はそんな餓鬼の戯言に本気で付き合っていられるかとでも言いたげにギロリと此方を睨むと、後は完全に無視を決め込んだ様子であった。
綾女はそんな左近の様子を可笑しげに一瞥し、もう一度若竹の方に視線を戻した。
「これからお前達は如何するのだ?」
「『御那己さま』がいなくなっても、里の生活は変わらないと思う。これまで通り・・俺達は此処に住み、仲間の面倒をみていく」
「そうか・・」
やり切れない現実は里に残る。
そこまでは影忍達は立ち入る事はできないし、立ち入るべき事でもない。
「そろそろ夜が明ける・・」
若竹が東の空を見上げながら呟く。
綾女はそんな若竹の横顔を見詰めてから、同じように東の空へ視線を飛ばした。
思い返せば、此処に影忍達が入ったのは、ほんの昨日の事であった。
だが、此処で影忍達が味わった時間は、人が一生を費やしても味わえない程の濃厚さを持って流れたような気がする。
「名残惜しいけど・・ここでさよならだ、姉ちゃん達」
若竹が二人の方を振り返って言う。
そこにはとびっきりの笑顔が浮かべられていた。
「俺達、夜が明けきる前には、戻らないといけないから・・」
若竹がそう言い終わるや否や、その言葉を待っていたかのように、温かな気流が次々と生まれ、影忍達の周囲を取り巻くように風が戯れる。
「さいなら、姉ちゃん」
「ありがと」
「ありがとね」
「さようなら」
「兄ちゃんも元気で・・」
十六夜の子供達の声であった。
子供達は口々に影忍に別れを告げると、夜明けを迎えようとしている空を、森の方角目指して飛び去っていく。
若竹の体がフワリと宙に浮いた。
その姿もまた、風の中に消えていこうとしていた。
「じゃ、元気で。今度会う時は、説教は無しで頼むな・・」
若竹が笑いながら、片手を上げる。
それが影忍達の見た若竹の最後の姿となった。
その姿を見送りながら、
「生意気な餓鬼が・・」
左近が憎まれ口を叩くようにボソリと吐き捨てる。
その声音が妙に優しかった事に、左近自身は気付いているだろうか?
クスッ
傍らで綾女が小さく笑う。
「何だ?」
「いや・・」
一睨みしてきた左近の視線を柔らかな眼差しで受け止めながら、綾女は明るい笑い声で左近の追求を軽く往(い)なす。
「あの・・そこいいですか?」
その時、すぐ近くで小さな声が上がった。
「え!?」
今度は綾女が素っ頓狂な声を上げる。
慌てて口元を押さえ、綾女が声のした方を振り返ると、影忍二人の仲睦まじい(?) 場面にいきなり出くわし、視線のやり場に困っている茜の姿が視界に入った。
「茜・・行かなくていいのか? それより・・その姿は?」
初めは動揺も露に、その後唖然としながら、綾女が茜に問う。
そこに存在する茜は、如何見ても十代の少女の姿をしていた。
「これが本来の姿なのです・・」
茜は苦笑しつつ、綾女の問いに答える。
そして、驚く綾女の傍らに茜は近づくと、そのすぐ足元、瓦礫を押し潰している大きい岩の上で屈んだ。
「此処にいたのね・・もう大丈夫よ」
茜が手を差し伸べ、誰かを招くように呼びかける。
と、見るや、茜の手が白く輝き始め、その光に誘われるように、白く発光するものが二つ岩の合間から浮かび上がってきた。
一つはフワリと浮かんで茜の腕の中に収まった。
もう一つは瓦礫の上に止まると、そのまま動かなくなった。
二つは最初縦に長い楕円形をしていたが、次第に形を整え、人の形をとり始めた。
一つは赤子の姿を。
一つは二歳くらいの幼子の姿を。
それは影忍達が初めて見る、魂魄が幽鬼へと生まれ変わる瞬間であった。
茜は赤子を腕に抱きながら、
「おいで・・」
と、瓦礫の上に座り込んでいる幼子へと手を差し出した。
幼子は茜の顔を見上げながら、何かに怯えるように震えていた。
「利吉、大丈夫・・もう怖くはないわ」
茜が幼子に話しかける。
その声音の優しさに、利吉と呼ばれた幼子は、おずおずと茜の手を取り、立ち上がった。
「利吉・・とは、アノ利吉なのか?」
綾女が信じられないと言いたげに茜に問う。
利吉と言えば、贄となった里の子供の一人である。
確か外観で七つほどであったはずだった。
「ええ・・この子は利吉。十六夜の里の子です」
ともすれば茜の後ろに隠れたがる利吉を片手で庇いつつ、茜はそのわけを影忍達に説明する。
利吉は元来勘の鋭い子供であった。
ある十六夜の祭りの夜、たまたま大人達の後についていってしまい、利吉は『御那己さま』と視線を合わした。
利吉がそこで感じたものは、村の守り神からはほど遠い『御那己さま』の本性。
それ以来利吉の心は幼児に退行してしまい、元に戻らなくなったのだという。
「そうでもしなければ、その時点でこの子の心の臓は止まっていた・・それを本能が察し、心を閉じてしまったの・・」
茜は利吉の髪を優しく撫でながら、悲しそうに瞳を曇らせる。
「あとの子達は幼すぎて分からなかった・・だから、幽鬼になっても順当に歳を重ねている・・でもね、全員が贄になって亡くなったわけではないの。私のように幼くして病で亡くなった子達もいる。それでも、若竹はとても責任を感じている。自分の母親が子供達を殺めたのだと・・いつも・・いつも・・自分を責めて・・」
語る茜の声は次第に細くなる。
「貴方・・もしかして・・」
綾女の言葉に茜は頭を横に振った。
そんな感情ではないのだと・・
そんな気持ちで縛りたくないのだと・・
少女の瞳がその心を無言で語る。
「辛いところね・・」
綾女は少女の気持ちを汲んで、それ以上の言葉は紡がなかった。
茜は目尻に涙を滲ませながら、少女らしい素直さでもって、綾女に微笑んだ。空が白み始めていた。
長かった夜ももうすぐ終りを迎えようとしていた。
「十六夜の子供は躊躇い月の子供。この世には戻れず、あの世にも旅立てない・・」
茜が風の合間に言葉を紡ぐ。
「そんな私達にも、天界の門が開く機会があります。でも、若竹は、十六夜の里から幽鬼が生まれ続ける限り、ずっと今の姿で此処に止まり続けるでしょう。そして、私もまた、魂守(たまもり)として此処に止まる・・」
茜達の姿は次第に空(くう)へと消えていこうとしていた。
それを気配で察しながら、綾女達はそれを黙って見送るしかなかった。
「さようなら、お二方・・此処から旅の幸いを祈っています・・」
そして、風は三人の魂魄を運び去り、瓦礫の上には綾女と左近だけが取り残された。
光が射す。
影ができる。
昨日が終り、今日が始まる。
二人は夜明けを迎えた空を見上げながら、いつしかその双眸を細めていた。
「・・これでよかったのだろうか?」
綾女が空を見上げながらポツリと呟く。
風が綾女の黒髪をサラサラと靡かせ、その表情を隠していた。
左近は綾女の横顔を一瞬痛ましいものを見るような目つきで見詰めたが、
「全てを成せると思うな。俺達にそれだけの力は無い・・」
きっぱりと言い切った。
「・・・・そうだったな・・」
綾女は吐息と共に呟き、視線を左近の方に送りながら、首を傾げて淡く笑んだ。
ザ・・ッ
左近が綾女の傍に近づく。
ふわ・・
左近の右腕が綾女の左肩から背にかけて回された。
「此処には俺達しかいない。我慢をするな・・」
思いもよらぬ言葉が、左近の口から綾女の右耳朶に囁かれた。
綾女はいきなり心をギュッと鷲掴みにされたような感覚を味わう。
「何を言って・・」
「お前はよくやった。それで良しとしろ」
「・・・私は・・私は・・何もできなかった。利吉達の命を守る事も、若竹の母親の凶状を止める事も、その命が潰える時でさえ・・そして、これからも、罪は重ねられると分かっているのに・・」
左近の腕の中で、綾女の体が激しく戦慄く。
綾女の吐露を聞く左近の表情が微かに歪んだ。
「思い上がるな!」
左近のいきなりな叱咤に、綾女は思わずたじろぐ。
「どんな力を持とうとも、俺達は人だ。人の生き様を左右する絶対的な存在にはなれない。姫神も言っていたではないか。運命を結論づけるのは自分達なのだと。今回はあの親子を救われぬ無限地獄から解き放った・・それだけでいいのではないのか? これ以上自分を追い詰めるな。お前が悩み、悲しむ必要は何処にも無い」
左近の言葉は綾女の心に突き刺さり、綾女の心を深く抉った。
そして、この事が、綾女自身心にかけた呪縛を解き放つ事になる。
「そうは言うが左近! こんな・・他人を不幸にしてまで、人は生きていかねばならぬのか? 生きる・・そのために屍さえ積み上げて・・人は生きていく事すら罪なのか?」
綾女の体の震えは止まらなかった。
――違う!
左近は綾女にそう言ってやりたかった。
だが、その言葉には嘘があり過ぎた。
「それでも生きていかねばならない・・でなければ、俺達自身はどうなるのだ?」
吐かれる左近の言葉にも苦渋が滲んでいた。
綾女を囲う右腕にも、心もち力が加わったような気がした。
「左近・・」
お互いがお互いの心の痛みを知る。
それ以上紡ぐ言葉が見つからなかった。いつか、琥珀の時を生きる影忍達に、その答えを見つける日は訪れるのだろうか?
風は黙して語らず、ただ無情に二人の傍らを吹き過ぎていくだけであった。