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琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫15
 

遠い過去から、
記憶の断片が零れ、
凪(な)いだ湖面に波紋を広げる・・
 

――何!? 児(やや)ができたとな? それは真か? 小萩、でかしたぞ! そうか、そうか。これでわしも親父殿か。そうと分かれば、まずは呼び名じゃ。そうだな・・竹丸というのはどうじゃ? 竹のように真っ直ぐ天を目指して延びる男子じゃ。うん、決めた! のう、良き名であろ?  
――殿、いくらなんでも気が早すぎまする。まだ男子か女子かも分からぬうちから・・
――はっはっはっ、なんの、なんの、善は急げじゃ。今から待ち遠しいのう・・
 

――今・・なんと?
――柿崎殿が持舟城の戦いにおいて亡くなられた、と・・
――小六殿が・・!? 
 

――お館様、わたくしを今回の一行から外すとおっしゃるのですか? 
――小萩、そなたは先の戦で亡くなった忠臣・柿崎小六の内儀・・その腹には柿崎の子を宿していると聞き及んでおる。今回の峠越えは、夜間の強行軍となる予定・・無理を通さば、腹の子にも影響しよう。警護の者を一人付ける。そなたは此処から間道を回って、元の里へと逃れるがよい。
――そんな・・わたくしは何処までもお館様とお方様に付いて参りとうございます!
――そなたの忠義は嬉しく思う。だが、そなたとそなたの腹の児(やや)に何かあれば、亡き柿崎に対し、主として顔向けができぬ。すでに我が娘・お貞は、妹・お松にその身を託し、この城より落ち延びさせた。せっかく宿した命を、今更粗末にするもなかろう。すぐに出立いたせ。これは命令だ・
――お館様!
――小萩・・わらわからも乞う。殿の申す通りにしてはくれぬか?
――お方様・・
――小萩、そなたには随分世話になりました。十四の歳で小田原よりこの甲斐に嫁ぎ、これまでとは余りにもかけ離れた慣習の違いから、心細さに毎夜泣いていた私を、そなたは親身になって慰めてくれた・・北条との盟約が破れた折もそう・・殿とお会いできぬ日々の中、絶望に打ちひしがれていた私を支えてくれたのは、殿の「信じよ」の一言と、そなた自身の存在。そなたがいてくれたからこそ、あの辛い日々を乗り越えてこれた・・そなたは申したな? 殿御の戦は外にあり、女子の戦は内にあると・・女子の武器はこの腹に宿す命。子は親の宝。ひいては武田の宝。次代の武田を支えるのは、そなたの児(やや)じゃ。
――うっ・・うう・・
――健やかな児(やや)を・・
――そう心配いたすな。暫し間の別れじゃ。一度大月まで退き、軍勢を整えた上で、敵を返り討ちにしてくれる。武田菱(たけだびし)の旗は、そう易々と地には落ちぬ!
 

――おい、知っているか?
――何を?
――天目山で武田勝頼様、ご嫡男・信勝様、ご正室・北条院様、ならびにそれに付き従う数十名の者が、女子供に至るまで、全員自害して果てたらしいぞ。
――それは真か!? 
――ああ、先ほど此処を通った落ち武者狩りの連中が話しているのを、この耳で聞いた。
――そうか・・とうとう信玄公のお血筋は・・勝頼様の代で絶えてしまわれたわけだな・・
――正確に言えば、それの前に難を逃れた方々もおられるようだ。その探索は今も続いているようだが・・
ガシャ――ン
――う・そ・・
――娘御、如何した・・と、血相を変えて走っていってしまったぞ? あれは誰だ?
――ほら、木下殿の所の・・
――ああ、武田の御家臣に嫁いだ・・とかいう? 戻っていたのか?
――なんでも連れ合いを先の戦で無くし、新府城から全員退避する際、自分は児(やや)を身篭った体で里へ逃げ帰ってきたとか・・
――主を見捨ててか? 
――さあな・・いずれにしても皮肉な事だ。自分は生き永らえて、自分とさほど歳の変わらぬ主は自害して果てたのだからな・・
 

――へへっ、こんな山里にこんな上玉がいたとはな・・俺達運がいいぜ。
――無礼者! その汚らわしい手を退(ど)けなさい!
――ほお・・お前、武家の出か? 話す言葉が俺等民草とは違い、えらく上品じゃねぇか・・
――離せ! 離せと申すに!
――用が済めば離してやるさ・・赤子がうるせぇぞ! 黙らせろ!
――いやああああああ――っ!!
 

――この乱世を生きる者は、諦めるか、泣くしか方法はないのか? 何を恨めばよい・・我が定めを与えし神か? 救いをくれぬ仏か? 神仏などいらぬ・・神仏に縋(すが)るくらいなら、いっそ私が神仏に成り代わり、この地を支配してくれる!
 

――浅ましき我が身・・この手にかけたる命、幾つありや・・それでもこの渇き、この飢え、癒す事適わぬ・・

パリィィィ――ン・・
耳元で薄ら氷(うすらひ)の砕け散るような音がした。
春の優しい雨のような光が、白銀の粒となって空から降り注ぐ。
次第に消えていく幻影・・
広がっていく音・音・音・・
――ダァレモイナイ・・ミンナ逝ッテシマッタ・・・
誰かの呟く声。
音の波間に微かに聞こえ、そして飲み込まれていく言葉。
一体・・誰の?
 

音が止んだ。
光も少しずつ消えていく・・
綾女は顔を上げ、周囲を見渡した。
「・・今のは・・・?」
すぐ傍らで、左近も同じように周囲を見渡している。
雲が切れ、赤い月が顔を覗かせた。
月の光の中に、小さな人影が浮かび上がる。
目の前に少年が一人立っていた。
年の頃十二、三――頭頂近くで無造作に束ねられ髪の先が、風に煽(あお)られ揺れている――萌黄色の擦り切れた木綿の筒袖に腰帯、足は素足のいでたちの少年は、まるでその場にずっと立っていたかのような錯覚を、綾女達に覚えさせた。
「お前は・・」
状況が掴めず戸惑う二人
更に、怪現象は続く。
綾女が少年の背に声をかけた瞬間、上空には、一つ、二つ、三つ・・と突如鬼火が生まれ、その数は数十個にも及んだ。
見上げた空一面に浮遊する青い鬼火達・・
そして――唄が始まった。

――ねんねんころり おねむりな
十月十日(とつきとうか)の夢語り
草葉の陰の髑髏(されこうべ)
焼け野の雉子(きぎす) 夜の鶴
泣かぬやや子よ 寒かろう
躯(むくろ)あやして乳をやる・・

唄が進むにつれ、無数の鬼火は、その姿を子供のそれへと変えていく・・
上は十歳くらいから、下は大きい子供に抱かれた赤子に至るまで、あらゆる年齢の童が此処に一堂に会していた。
その中には、あの不入の森の入り口で一度出会い、言葉も交わした、茜、草太という名の童の姿もあった。
子供達が子守唄を歌っている間――
綾女達は、童の中で一人地上に降りている少年と言葉を交わしていた。
「お前達は十六夜の・・」
「ああ・・俺の名は若竹。こいつらは皆――俺も含めて――全員十六夜の子供だ」
「今になって何故出てきた!?」
「こんな事にあんた達を巻き込んで済まないとは思っている・・だが、俺はこれ以上、あの『御那己さま』に関わりたくないんだ。 だから悪いとは思ったが、あんた達の力量と性根をずっと見せてもらっていた・・」
「何!?」
「俺達ではあの者は倒せない」
「あの『御那己さま』の動きを封じるだけの力を持ちながらか?」
「十六夜の力は、『御那己さま』とその妖力の源(富士)は同じだ。互いに牽制はできても、相手を傷付ける事は叶わない」
光が去った後の『御那己さま』――その状況については、何一つ触れずにここまできたが、実は、『御那己さま』は子供達の歌う子守り唄の言霊に拘束され、動きを封じられていたのである。
「オノレ・・マダ、カヨウナちからヲ隠シテイタトハ・・エエイ、口惜シヤ!」
魔が歌にその身を拘束されながらも、『御那己さま』は影忍達に向かって、激しく罵声を浴びせている。
妖魔の言葉に、綾女はふと疑問を生じた。
「あの者の眼に、お前達の姿は見えていないのか?」
「ああ、見えていない・・ずっと・・遠い昔から・・」
そう答える少年・若竹の表情が、僅かに曇る。
だが、それも束の間、若竹は意を決したように、綾女達に一つの願いを告げた。
「俺達があの者の動きを封じる・・だからあの者を! 『御那己さま』を! あんた達の力で倒してくれ!」
そう叫ぶ若竹の両手は、爪が掌に食い込む程きつく握りこまれ、その両腕は小刻みに震えていた。
「断る!」
憮然とした表情で、左近はきっぱりと言い放つ。
「左近!」
綾女の非難を無視して、左近は言葉を続ける。
「何が頼みだ! 人を試しておいて・・それが人にものを頼む時の態度か!」
左近の一喝にうな垂れる若竹。
――分かってはいるのだ・・
綾女は思う。
その願いが強すぎて、己の主張が先走り、余りにもそのきり出し方が短慮であった事を・・
左近の言い分は正論として、綾女としては、若竹のさっき一瞬垣間見せた表情の方が気にかかった。
綾女はその場で腰を屈めると、優しい眼差しを若竹の方に向けた。
少年の額にかかる前髪を、スッと右手で優しく掻き上げる。
若竹の広い額の中央には、蓮の花のような形の小さな赤痣があった。
綾女は優しく諭すように少年に話しかけた。
「分かった・・私もあの者をこのままにしておく事には賛成できない・・」
「お姉さん・・」
「綾女?」
「左近、此処は私に任せてはくれないか?」
「何故だ?」
「さあ・・何故かは私にも分からぬ。唯・・あの者、妖魔だから討てばいいという安易な了見だけで、倒していい相手ではないような気がするだけだ・・」 
そう言うと、綾女は静かに猛る『御那己さま』を黙視した。
子供達の歌う子守り唄は、今この瞬間も流れている。

――いつか夢路は覚めるもの
黄泉平坂(よもつひらさか)その先の
三途の川原で待ちましょか・・

――『御那己さま』・・
髪を振り乱し、叫び、喚(わめ)く、女・・
妖魔の見据える先にあるものは、果たして綾女達の姿だけなのだろうか?
――強い憎しみ・・だが、あの瞳の奥で揺れているものは何だ?
突き抜けていく視線が、綾女の心の琴線をかき乱す時、そこに微かに違う音律を、綾女は見出す。
綾女は、小太刀をその掌へと収めた。
「綾女!」
左近が綾女の行動を咎める。
綾女が振り返る。
笑顔を見せて。
「心配するな、左近・・」
綾女はそう言い残すと、ゆっくりと『御那己さま』に向かって歩き出した。

―― 一二三(ひふみ)数えて拾っては
かかさま、ととさま思いつつ
小さなお手々で石を積む・・

子供達の歌う唄が、唯一妖魔の動きを封じている。
その唄がもうすぐ、終りを迎えようとしていた
 
 

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