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琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫14
 

鬱蒼と生い茂る樹木の間を縫って、犬神達が懸命に走っていく。
状況は、犬神達に空を飛ぶ妖力を使う事さえ許してはいなかった。
大掛かりな呪を成すために、これ以上妖力を減じる事は禁忌。
そして、呪を成就するまで『御那己さま』に気配を気取られる事も、その間防護壁一つ張れなくなる事から、これまた禁忌であった。
三匹の位置関係は、それぞれが二里の間隔を置いて、南南東の方向に一、西の方向に一、北東の方向に一、『御那己さま』を中心に据えて陣を組む事になる。
その上で念を集中し、呪を唱える。
今、犬神達は、天を突く手近な大樹を駆け登り、それぞれの定位置へと、ようやく到着した。
犬神の長兄・一狼太は乱れる息を整えると、すぐさま弟達に向かって思念を飛ばす。
――始めるで・・
一狼太。
――ええよ
三狼太。
――こっちもええで
二狼太。
一狼太は一つ大きく息を吸った。
自分達の全妖力を賭けた呪――その成功が、この『御那己さま』との戦いの勝敗の鍵を握っている。
一狼太の横顔に緊張が走った。
静かにその双眸が閉じられる。
念の集中が始まった。
「我が御親、吉野の姫神に願い奉る。呪の成就のため、われ等三名の魂(こん)、此処に開放するを許されたし・・」
静かにその口から呪が流れ始める。
犬神達の全身が次第に白く輝き始めた。
「雷(らい)!」
「颯(さつ)!」
「炎(えん)!」
上から順に一狼太、二狼太、三狼太。
それぞれの掛け声が上がると同時に、その全身から天に向かって一直線に白い光が迸(ほとばし)り、不入の森の三ケ所に、突然巨大な光の御柱(みはしら)が生まれた。
「桜花封呪・・」
それぞれの場所で、三匹の声がピタリと合わさる。
「三方結界陣!」
途端、三本の光の御柱から、同類の二本目掛けて、光が走り抜けた。
広大な富士裾野の一角に突然出現する光の陣。
三匹の犬神を起点とした『御那己さま』を包囲する光結界。
それが今、ついに完成を見た。

【十六夜の子守唄――狂気の陰にある真実(もの)】
時はそれより少し遡(さかのぼ)る――
此処は『御那己さま』の社に程近い不入の森の一角。
犬神達が森に広大な結界を敷くべく森を迂回する一方で、影忍達は生い茂った樹木の闇に紛れて、森を一直線に突っ切っていた。
辺りは、視界の利かぬ漆黒の闇。
だが、何故か綾女と左近の眼には、森の上空を自在に舞う『禍蛇』と、それに乗る『御那己さま』の姿がはっきりと見えていた。
今の二人には、妖力を感知できる特殊な超感覚が働いている。
二人の身体は、妖魔との戦いを繰り返す事で、普通の人間では持ち得ない超感覚がどんどん研ぎ澄まされていくのである。
普段この能力が働く事は無い。
だが、一度戦いが始まると、嫌でもその能力が芽吹いてくるのであった。
特に、妖刀の力をたて続けに使うとその出現頻度は増す。
人の心を持つ彼等からすれば、妖魔を討つ自分達こそ人外の者になってしまったようで、決して心地のよいものではなかったが、時としてその能力が我が身を守る術となる。
真珠色に輝く『禍蛇』が長首を揺らした。
金の虹彩を持つ『禍蛇』の両眼が、地上へと向けられた。
まるで森の中を疾駆する二人の姿が見えているかのように、『禍蛇』の瞳は揺るがない。
『禍蛇』があぎとを開いた。
――来る!
二人は咄嗟に腕を顔の前で交差させる。
両掌より生まれる青い光。
見る間にそれは、南蛮渡来の瑠璃杯に光を透過させた時のような広がりを見せ、影忍二人の全身を覆っていく。
間を置かず二人に押し寄せた『音』の波。
鼓膜を突き破るかと思えるほどの気圧の変化が二人を襲う。
耐え難い空気の振動に晒(さら)されながら、二人は自分達の周囲に信じられない光景を見る事になる。
ほとんど音らしき音も立てずに輪郭を崩して消えていく木々達――
まるで砂の山を静かに波が洗っていくような光景――
跡には剥き出しの溶岩台地だけが広がる――
悪夢を絵に描いたような一瞬の出来事。
それら全て『禍蛇』の放った特殊な『音』がもたらした惨状であった。
必然的に視野が開ける。
影忍達のすぐ頭上に『禍蛇』と『御那己さま』の姿があった。
改めて、天と地という位置関係で対峙する事になった影忍と『御那己さま』。
――この戦いで全てが決する・・
そんな緊迫感が、綾女と左近の横顔から伝わってくる。
この森に二人が足を踏み入れてから、どれほどの時間が流れただろう。
風が二人に夜明けが近い事を告げていた。
――今夜は一夜がとてつもなく長く感じられる・・
この感覚は、あの天正十年の安土城での戦い以来、久方振りの事になるか・・!?
影忍達の額に汗が滲む。
両者睨み合ったまま動かない。
風がなにも無い大地を無言のまま吹き過ぎていく。
沈黙は唐突に破られる。
最初に仕かけたのは『御那己さま』。
それを妖刀の力で受け止めて返す影忍達。
闇に妖魔の発する赤い光と妖刀の発する青い光が煌き、交差し、飛び散る。
壮絶を極める妖力戦。
それは、どこか安土での死闘を思い起こさせる光景であった。
そんな戦いの最中(さなか)、影忍二人の脳裏に、かつての同胞の姿がふと過(よ)ぎる。
そもそも影忍の持つ妖刀とは本来、三振りの剣一つ個所に集う時、其は青き光を解き放ち、黒き魔人を討ち果たすなり(概略)――と、高野の聖に伝えられていたように、三本揃ってこそ最大の力を発揮する。
だが、三本のうち矛のものは、冥府魔道を閉じると同時に消失している。
そして、その継承者である人物もまた、帰らぬ人となっていた。
かつての同胞は、名を木塊龍馬(またの名を不動の龍馬)と言った。
豪放闊達・・勇猛果敢・・それでいて細やかな神経の持ち主であった龍馬。
その豪快な笑いに、真摯な眼差しに、心の泥沼に落ち込みやすい綾女と左近は何度救われた事だろう。
――龍馬殿・・貴方がもし、生きてこの場にいたなら・・
妖魔と戦いを繰り広げている今もそう。
二人で旅を続けているときでさえ、時折そんな思いが心に去来する。
同じ宿命を背負った者同士が男と女だという事は、時折思いもかけないすれ違いを生み、お互いを苦しめる時がある。
そんな時、何気に龍馬の温かな眼差しが懐かしく思い出されるのだった。
救われたいのは両者共通の願い。
安土での戦い以降も、影忍と妖魔との戦いは続いている。
次の妖星の到来を迎えるまで、二人は宿命から逃れられない身である。
時空の狭間で己を『人』として保っていく――それは口に言うほど易しい事ではない。
人としての心は、戦いの中で常に傷付き、悲鳴を上げている。
それでも生き続ける・・
そう誓った。
だから、二人は今も戦っている。
その一瞬一瞬に自分達の存在を確かめながら・・

戦いは結果こそ全てだ。
特に命を賭けた戦いに経過を問う者などいない
そう言う点では、戦いとは非常に冷酷なものだと言えた。
今、妖魔の前には、全身傷付き汚れた綾女と左近が立っていた。
妖魔を見据える二人の眼光は、全く衰えを見せていない。
だが、その表情は苦痛に歪んでいる。
もう、逃げる体力さえ二人には残ってはいないのである。
そんな二人の姿を、『禍蛇』に乗った『御那己さま』が冷淡に見下ろしていた。
おどろ髪が風に靡(なび)いている。
稲光の合間に『御那己さま』の容貌が浮かび上がった。
想像を絶する妖鬼の美しさ。
般若と化してなお、女は壮絶に美しかった。
妖魔の胸元には、綾女の刻んだ太刀筋が生々しく残っている。
右腕には布に包んだ赤子の躯(むくろ)が抱かれていた。
その『御那己さま』が静かに口を開く。
「オ主達ハ勝手ニ我ガ地ニ入リ込ミ、生キ人トシテ私ト吾子ニ刃ヲ向ケタ・・」
妖魔の表情は凍り付いている。
「其ハ、コノ地ニオイテ一番ノ禁忌・・」
纏(まと)う冷気は寒気を感じさせた。
「・・生キテ此処ヨリ帰スモノカ・・」
暗く淀(よど)んだ声。
「・・死ネ・・死ンデ詫ビヨ・・地獄デ・・ソノ身ノ不運ヲ呪エ!」
呪いの言葉。
グオオオオオオ――ォ
『禍蛇』が『御那己さま』の怒りに共鳴を起こす。
――不味い!
左近の心に微かな焦り生まれる。
逃げ場など何処にも無い。
危険はすぐ眼の前に迫っている。
早急に何か手を打たなくてはならなかった。
そう左近が思った矢先の事である。
「!?」
突如、一里ほど離れた個所で、たて続けに光の御柱が三本立ち並んだ。
続いて木々の海原を光の矢が走り抜ける。
光は三本の御柱を起点にお互いを線で結び、巨大な光の三角形をこの大地の上に描き出した。
「間に合ったか・・」
思わず左近の口から安堵の声が漏れる。
三匹の犬神達が、持てる全妖力を賭して結界・『桜花封呪』を完成させていた。
『禍蛇』の動きがピタリと止まる。
と、同時に、『禍蛇』より『御那己さま』に流れ込む妖力も止んだ。
「今だ!」
機を逃がさず、左近は己が太刀を上空へと突き出し、意識を『御那己さま』目掛けて集中させる。
続いて綾女も、小太刀を垂直に立てると、左手をその棟に当て、念を集中させた。
影忍達の持つ妖刀が青い光を放ちだす。
準備は整った。
妖魔を倒す千載一遇の機会が、ようやく訪れようとしていた。
まさにその直前、
――ソレデ、イイノ?
綾女の脳裏に少女の声が木霊した。
「誰だ!?」
「如何したっ、綾女!?」
突然上がった綾女の声に、左近が念の集中を途中で止めて、綾女の方を振り返る。
――貴方ハ、後悔シナイ?
「何を言っているのだ!」
綾女は、姿なき声の主目向けて、また言葉を返す。
左近には、綾女の言動が全く理解できない。
――『力』ニハ、『力』ガ返ル・・
「何だと!?」
――貴方ハ、如何シタイノ?
綾女は、その声の主の問う言葉の意味が理解できなかった。
『力』には『力』が・・・それはまさに今の状況を指している。
では、自分は如何したい?
そう己に問うた時、その言葉に綾女は引っかかりを覚えた。
『御那己さま』と戦ううちに心に生じた違和感、戸惑い、迷い・・
それら全ての感情を打ち消し、戦う事を決めたはずなのに、今になってその陰った心の部分が、謎に満ちた声の主の一言によって、簡単に呼び覚まされる。
――この戸惑いは何処から生まれるのだろう?
綾女がそんな事を考えているうちに、事態は影忍達にとって、最悪の状況へと傾きつつあった。
グルルルル・・
『禍蛇』が少しずつ動き始めていた。
犬神・一狼太の言っていた、『数間』という限られた時間が過ぎようとしている。
「綾女!」
左近の声に綾女が我に返った時には、もう全てが遅すぎた。
御柱の光は次第に弱まり、そして完全に沈黙した。
――犬神!?
胸騒ぎを覚える。
「往生際の悪い!」
『御那己さま』の声が上がった。
――仕舞った!
と、綾女が思う間もなく、遥か頭上で雷光が炸裂し、それは綾女と左近目掛けてまっしぐらに落ちてきた。
咄嗟に念じる綾女。
ドガガガガ――ン・・
爆音。
死・死・死・・誰もがそれを覚悟した。
飛び散った光・・
だが、その場を制したのは、『御那己さま』の憎悪に満ちた赤い光でも無ければ、綾女達の妖刀が持つ峻厳な青い光でもなかった。
白い、真っ白な光。
――なっ!?
予想外の展開に、両者お互いが狼狽する。
『御那己さま』の命じた『禍蛇』の力は、言わずと知れた雷撃。
対する綾女が咄嗟にかけた術は、香澄の里に古(いにしえ)より伝わる秘伝書に記された、妖刀を受け継ぐ者だけに成せる奥義の一つ、香澄奥義・水鏡――この術は、水面に物を映すような要領で、相手の力をそのまま利用し、跳ね返すというものである。
その両者どちらの力も、今回は不発で終わっている。
しかも不思議な現象はそれだけに止まらなかった。
白い光は益々輝きを増すと、その場にいた綾女・左近・『禍蛇』・『御那己さま』の四名を飲み込んで、その姿を光の中へとかき消していった――
 
 

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