menu

琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫13


「飛べ!」
左近が叫ぶ。
それを合図に、影忍と犬神は地を一気に蹴って、できるだけ離れた場所目掛けて跳躍する。
それに遅れること一瞬、一際地面が大きく揺れるや否や、影忍達が出てきた穴からいきなり熱風が吹き出し、風は岩穴を突き崩しながら、上空目掛けて猛り狂った。
気流に乗って、何かの登ってくる気配。
唸り声。
更に崩れる岩盤。
飛び散る砂礫。
そして、真珠色の光を放つ長大な生き物が、ついに姿を現した!
生き物の上昇と共に大気が波打つ。
強烈な風が生じる。
波立った大気が風圧となって、周辺の木々をなぎ払った。
綾女達は地に身を伏せる形で風の難を避けながら、目の前で展開される光景を食い入るように見詰めていた。
「白竜・・?」
「あれが『禍蛇』です!」
なるほど、
印象的な額の紅玉・・
その上部から長く延びる、先が二つに分かれた二本の銀の触角・・
長い胴体が波打つたび、白銀の鱗が真珠の光沢に似た光を四方に向かって放つ・・
その姿は、竜に似ていながら、竜とはやや異なった特徴を持っていた。
『御那己さま』同様、その姿は聖とも邪ともつかず、人の目を惹きつけずにはいられない、そんな不思議な魅力に満ちた生き物が、綾女達のいる森の上空を占拠していた。
『禍蛇』のあぎとが大きく開かれた。
口から咆哮が迸(ほとばし)る。
その声は雷雲を呼んで、たちまちのうちに十六夜の月を、墨染めの雲で覆い隠してしまう。
辺りは一面真っ暗な闇の世界。
闇を一瞬にして走り抜ける赤い光――稲妻。
不気味な轟音。
稲光が縦横無尽に空を駆け巡り、雷鳴が上空の大気を揺るがしていた。
眩(まばゆ)い閃光が闇夜に瞬くたび、『禍蛇』の体が輝きを増す。
天を悠然と泳ぐそれは、ゆっくりとその身を反転させると、今度はその身をくねらせながら、地上へとその力を示し始めた。
次第に近づく『禍蛇』という名の生き物。
『禍蛇』が咆える。
闇の中、眩い光が瞬き、地上目掛けて稲妻が走る。
光の洗礼を受けた場所は火柱を上げ、続いて鼓膜を劈(つんざ)くような大地の悲鳴が大気を割り砕く。
「桁違いの破壊力だな・・これが『禍蛇』の持つ妖力なのか!?」
左近が『禍蛇』の動きをつぶさに観察しながら、感嘆の声を上げる。
見据えた方向から、猛烈な風が吹き上げていた。
色素の薄い左近の髪が、強風に煽(あお)られ風下に向かって激しく乱れる。
『禍蛇』を見詰める左近の双眸が険しい。
左近の傍らでは、同じく綾女が一つに束ねた黒髪を風に棚引かせていた。
「どうする? 左近」
綾女が静かに左近に問う。
先ほどから影忍と犬神は場所を移動し、ある見晴らしのよい場所から、広い森の上空で暴れ狂う『禍蛇』の姿を見詰めていた。
その破壊力の凄まじさに、抗する術も思い浮かばないまま、『禍蛇』が森を破壊していくの様を、ただ黙って傍観するに至っている。
「このまま『禍蛇』の暴走を放っておくと、富士の山が噴火しかねません」
「そうだろうな・・」
一狼太の不吉な言葉を、当然とばかりに左近は頷く。
「一狼太、『禍蛇』とは何だ?」
今度は綾女が問う。
「あれは、ここ富士裾野を住処とする妖魔・杜辺神(とべがみ)のなれの果てです。あの一族は竜の末裔・・火、水、風、雷・・いずれにも通じた妖力を持ちます。何よりその力は、この富士の地脈、岩しょう(=マグマ)の流れ、断層に影響を与える・・あの一族が命の果てるの覚悟で妖力を放出すれば、富士裾野は無事で済まされません。なによりあの翡翠であるべき第三の眼が、あの通り紅玉に変わってしまっている・・ああなると、あの一族は制御をなくし、破壊の妖魔『禍蛇』となって暴走するんです」
「あの者を倒す方法は?」
「『禍蛇』の妖力は、富士の活動力そのものです。尽きる事は無いですから、倒すのは至難の業かと・・」
「ではせめて、その思考を元に戻す方法はないのか?」
「杜辺神(とべがみ)を『禍蛇』に変えてしまった者を見つけ出し、その思念を正すか、そ
の思念を断つか、そのいずれかやと思います」
「すると、問題はやはり『御那己さま』という事になるな」
「はい・・」
飛翔する『禍蛇』の耳朶の陰に、『御那己さま』の姿が見えた。
「殺るしかないのか?」
綾女が意外な事を呟いた。
「綾女?」
「あ、いや、何が正しいのか・・と一瞬思うてな。済まぬ。捨て置いてくれ」
そう言いながら綾女は、口元だけで薄く微笑む。
綾女の影がなんとなく薄かった。
それが左近の気にかかる。
「大丈夫か?」
「――?」
左近の言葉に、一瞬綾女は怪訝そうな顔を見せる。
自分の心の揺れに、綾女自身が気付いていない様子であった。
「・・いや、何もなければいい」
左近自身もなんとなく言葉尻を濁(にご)し、その話題に深入りしない。
――?
その時、綾女の着物の裾を、誰かがクイクイと引っ張った。
見下ろせば、そこには着物の裾を歯で咥込み、綾女を見上げる犬神の二狼太がいた。
体は絶不調でも、心は絶好調の天然お調子者。犬神の次男。
「どうした?」
綾女が言葉を掛けると、それだけで尻尾をフリフリ、二狼太は喜びを露にする。
「姉さん、うちらがあの『禍蛇』止めましょか?」
一瞬、綾女の頭に疑問符が浮かぶ。
二狼太の言った言葉の意味が、今一つ掴みきれていない。
「だーかーらーあの『禍蛇』の動きを、うちらが少しの間封じますから、その間に兄さんとで『御那己さま』をどうにかしてくれません?」
「できるのか?」
綾女の確認の言葉に、兄の一狼太が力強く頷き返す。
「ならばやるか?」
左近も一狼太の頷く姿を見て――どうも二狼太の言う事は、今一つ信用されていないらしい――次で勝負を決める事にしたようである。
「ただ・・」
一狼太が真剣な面持ちで、その要点をかいつまんで影忍達に説明する。
「これは、うちらの妖力を全開にして行う呪です。呪をかけるまで、呪をかける間、呪を終えてから、いずれの場合も、うち等は妖力をそれ以外の事に使えません。無論、姉さん達の援護もできなくなります。更に、あの『禍蛇』相手に、どれだけの間この呪が持つか分かりません。多分持って数間・・いいでしょうか?」
「それで充分だ」
「じゃあ・・二狼太、三狼太、方法は覚えているな?」
「は〜い」
「合点、承知の介!」
順に三狼太、二狼太。
弟達の返答振りに、ちょっぴり不安を覚える兄・一狼太。
その様子に、思わず苦笑する綾女。
左近一人が真顔で、犬神達に話して聞かせる。
「俺達の方で、できるかぎり妖魔の目は引き付けておく。その間にお前達は動け。ただし、いつ攻撃の矛先がお前達に向くかは分からぬ。十分に気をつけろ」
「はい!」
左近の言葉に、三匹揃って(素直に)返事をする。
事ここに至って、左近が全てを統括し、最終的な判断を下していた。
手筈は整った。
後は銘々が、己の役割を念頭に置いて、自発的に動くだけであった
「行くぞ」
「ああ」
その言葉を合図に、岩場から影忍二人の姿が消えた。
犬神の三匹も、呪の準備に入るため、それぞれの持ち場目指して疾風のように駆けていく。

――≪いきなり閑話ば〜じょん≫――しりあすを求める方はすっとばしてください。
犬神三兄弟の走りながらの会話。
三「兄さん、えらい優しかったな〜」
二「不気味やわ。明日は雪降るで」
一「二狼太、お前いつか罰当たるで・・」

一方こちらは左近と綾女。
不機嫌極まりなしといった様子で、黙々と森の中を走り続ける相方の横顔を見て、綾女がクスリと忍び笑いを漏らす。
「何だ?」
左近がさも不愉快と言いたげに眉を顰(ひそ)め、目線だけを綾女の方に送る。
「いや・・」
左近の不機嫌の理由を知る綾女は、内心でその可笑しさを噛み殺しつつ、表面ではいたって真面目な顔して、それ以上の言葉は慎んだ。
俗に、沈黙は金なり・・と言うが、綾女のこの沈黙は、逆に左近の神経を逆撫でしてしまったらしい。
「全くっ!」
誰にという風でもなく一言闇に向かって毒づくと、左近は益々その仏頂面を険しくした。
これにはさすがの綾女も、もう少しで噴き出しそうになった。
あの左近が、犬神達の身を案じて言葉をかけるなんて、滅多にない事である。
更に、あの犬神達(特に二狼太)が、左近の言葉に素直に頷くなんて、日常では絶対見られない光景であった。
日頃、この両者の犬猿の仲には、ほとほと呆れている綾女である。
一応、左近の名誉のため無表情を装ってはみるが、内から湧き上がる可笑しさは、押え切れるものではない。
せっかく凛々しく引き結んだ口元が、ついつい緩んでしまう。
悲しいかな左近には、そんな綾女の様子が気配だけで手にとるように分かる。
忌々しいとは、こういう時にこそ使う言葉なのだろう。
――おのれ〜〜〜犬神め〜〜っ!
怒る相手がまるきり違う。
怒りの矛先を、いきなり自分達に向けられては、犬神達もたまったものではないだろう。
触らぬ神に祟りなし・・という言葉が存在する。
今の状況の左近を示すのに、これほどふさわしい言葉もない。
たまには束の間の休息も必要だとは思うのだが、本当にこの二人、死地に赴(おもむ)く影忍なのだろうか?
なぁ綾女(苦笑)

――≪本編に戻ります(苦笑)≫――
その頃――
「気は紛れたか?」
優しい声音。
グルル・・
低く喉を鳴らして、その声の主に答える獣の唸り声。
「いきなり呼び出して悪かったな・・これが終わればゆるりとできようほどに、暫しの間、力を貸してくれるか?」
豊かな獣の鬣(たてがみ)をその長い爪で梳(くしけず)れながら、妖魔は優しく自分の相方に語りかける。
少し物悲しさを誘う声の主は『御那己さま』。
その声の主に首筋をすり寄せ、その望みに応じようとする『禍蛇』。
『禍蛇』を見詰める『御那己さま』の眼差しには、先程綾女達に向けた氷のような妖魔の視線とは違う、人と同じ血の通った温かみが感じられる。
ここでも妖魔は、その表情と仕草に、『慈母』の側面を惜しみなく見せていた。
グル・・
「見つけたか?」
『御那己さま』の瞳が妖しく光った。
見る間に、その表情から人の気配が消えていく。
『禍蛇』が、こちら目掛けて走ってくる綾女と左近の姿を、その第三の眼で感知していた。
「さあ、参ろう『禍蛇』・・」
『御那己さま』を乗せた『禍蛇』が、地上目掛けてゆっくりと、その長い胴体をくねらせ
ながら、降下を開始する。

二つの力が再度ぶつかり合う。
それで全てが解決されるのか?
――『力』ニハ『力』ガ返ル・・
憂いを帯びた声で、誰かが呟いた。



back        menu        next