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琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫12
部屋の中には明かり用に燈台が一つ。
そして年端のいかない赤子を寝かすための籐籠が一つ。
たったそれだけの部屋・・
その中を遠慮無しに左近は籐籠に近づき、乱暴に寝具をめくり上げた。
そこには、『御那己さま』の赤子が眠っているはずであった。
だが、そこに左近が見たものは!?
暫くして、左近が岩屋から姿を現した。
その間『御那己さま』は身動き一つせず、いや声一つ立てずに、じっと岩屋のほうを注視していた。
その顔は明らかに蒼ざめ、何かを恐れているようである。
同じように、倒れ伏しながら一狼太が、戦いの場から離れたところから二狼太が、倒れた綾女を気遣いながら三狼太が、そして痛む体を引きずるように立ち上がりながら綾女が、左近の起こした行動の結果を見定めようと、一斉に視線を岩屋の方に向けた。
左近が月明かりの射し込む広間まで、ゆっくりと歩いてくる。
その左腕には、腕の中にすっぽり入りきるくらいの小さな何かが、白い布に包(くる)まれて抱き抱(かか)えられている。
左近が赤い月の光を浴びた。
光の加減のせいだろうか?
それを抱く左近の表情が、心なしか強張っている。
「左近?」
綾女が訝(いぶか)しげに呟く。
先の左近の行動に自分が何を感じたかはこの際置いておいて、今の左近の様子がまず自分は気にかかった。
皆が見守る中、いきなり左近は腕に抱えていた包を、『御那己さま』向かってぞんざいに投げつけた。
「何をする!?」
『御那己さま』が慌ててその包を両腕で抱き止め、大事そうに腕の中に囲う。
包の中身が無事かどうか眺めやり、それが無事だと確認できると、ほっと安堵の表情を一瞬見せて、続いてこれ以上ない程の憎悪を込めて左近の方に視線を返した。
「卑怯な・・」
「ふん、お前こそ何の茶番だ・・」
左近の瞳は冷ややかに、『御那己さま』の姿を見据えていた。
「どういう事だ? 左近・・」
事の成り行きが掴(つか)めず、綾女が焦れる。
「どうしたも、こうしたも無い・・妖魔が後生大事に抱えている包の中身は・・赤子の躯(むくろ)だ!」
「何!?」
綾女の両眼が驚愕で見開かれる。
――では・・私はこの妖魔に誑(たぶら)かされていたというのか!?
綾女は愕然とした。
妖魔にも親子というものが存在するなら、人と形は違えど、何らかの情の通いがあるはず。
できれば人里から遠く離れ、静かに自然の精気だけを吸って、親子共に生き延びて欲しかった。
それができぬはずがない。
現に自分達と旅する犬神達も妖魔なのだから――
それに子は子・・害を成さぬ者なら、それを手に掛けたり、それを盾にしたりする事に、綾女は反対であった。
だから、左近の取った行動に綾女は嫌悪を覚えた。
それは人として恥ずべき行為・・いや、綾女が女だからこそ特にそう思うのだろう。
だが、それも今となっては後の祭り、左近が事前に策を詳しく綾女に語らなかった訳がここにあった。
全ては、子が生きていると想定した上での話なのだが・・
ジャリ・・
踏みしめた玉石が、重たげな音を立てる。
綾女は痛みを堪(こら)えて、ふらふらと歩き始めた。
その表情は暗い。
「謀(たばか)ったのか・・われ等を?」
歩きながら綾女は妖魔に問う。
踏み出す足の一歩一歩が、とても重たく感じられる。
――疲れた・・
それはいつも戦いの後で感じる虚脱感に似ていた。
綾女の心に、暗い影が忍び寄る。
――生きている手ごたえ・・生きている証・・
二人の影忍の宿命・・
永らえるだけが命ではない。
その一瞬一瞬があるからこそ自分達も生きていける。
妖魔とてそれは同じではないのか?
「躯(むくろ)と知っていて・・罪を重ね・・その罪を子になすりつけ・・おめおめと生き永らえてきたのか・・お前は!」
綾女の絶望に満ちた声を、風が無言で運んでいく・・
裏切られた気がした。
自分達の生き方まで汚された気がした。
だから・・綾女は叫びながら、その双眸に涙を宿していた。
「違う!」
今度は女が絶叫した。
「吾子は死んではおらぬ! 死んでなぞおらぬ!」
白い布に包まれたものをその両腕に抱きしめながら、激しく頭を横に振る。
その両肩が震えていた。
「・・眠って・・答えぬだけじゃ・・」
か細い声が『御那己さま』の口から零(こぼ)れ、そして、その双眸から嘘偽りのない涙が流れた。
「現にその赤子は死んでいる。それはどう説明しようと、変えようのない事実だ」
左近は『御那己さま』の涙に憐憫の情一つ見せずに、冷ややかに事実を言ってのける。
「言い過ぎだ! 左近」
綾女の言葉が左近を詰(なじ)る。
その言葉に対して左近は、不愉快そうに眉を顰(ひそ)めた。
「言い過ぎ? 言い過ぎ・・言い過ぎね。お前こそ妖魔の赤子が生きていたならどうしたのだ? 綾女。お前は戦えたのか? あのまま戦って生き残れたのか? この人としての器(からだ)消滅しても、われ等生きていられる保証がどこにある!? 俺は生きるぞ。例えそれが生き恥を晒(さら)す結果となろうとも、一度死んだ身だ。今度こそ貪欲に生きてやる。生きてお前の命を守るためなら、俺はどんな卑怯な手でも使う」
その言葉は、この男の本音の部分であった。
もともと生きる事に人生の意味を見出していた男であった。
だが、一度朧衆との戦いで死に、そして綾女の尽力によって再びこの世に生を受けた。それが不死という名の自然界の流れに逆らった生であったとしても、左近は今綾女と生きている事に喜びを感じている。
以前と同じく、人としての生をもう一度この手に掴む日が来るのであれば、左近は自らに課せられた妖魔との戦いという宿命から、更々(さらさら)逃(のが)れるつもりはない。
地を這いずってでもその日まで生き続ける
そして今度こそ、自分の心に正直に生きるつもりでいた。
だから妖魔の子を盾にする事に躊躇はなかった。
自分達が生き残るために・・綾女に詳細を明かさぬまま、あえて自らが汚れ役を買って出た。
その決断に微塵の後悔もない。
綾女にどう詰(なじ)られようと、左近は毅然としてそこに立ち続ける。
綾女が何かを左近に言おうとした。
だが、それより先に言葉を吐いた者がいた。
「・・皆同じじゃ」
その言葉に、皆が一斉に『御那己さま』の方を振り返った。
『御那己さま』が胸に抱いた白い包を愛しそうに撫でながら、何事かを呟いている。
「・・刀を持てば人は変わる・・血に狂い、刃を振り回し、愛しい夫(ひと)も・・愛しい吾子も・・私から奪い去っていく・・」
『御那己さま』の黒髪が次第にざわざわと蠢(うごめ)き始める。
「な・・ん」
思わず身構える綾女達。
射干玉(ぬばたま)の髪を掻き分けて、その頭部に異変が生じ始める。
少しずつ姿を現す二本の角――銀色に輝くそれが『御那己さま』の容貌を、慈母から般若へと変えていく・・
『御那己さま』――それは、親に代わり、泣きながら子を冥府へと送る慈母。
その『御那己さま』が顔を上げた。
顔の造形はそれほど代わらない。
だが、そこに纏(まと)う雰囲気に、慈母としての面影は全く止(とど)めていない。
いや、母だからこそ愛の裏返し=憎悪もまた、深く、悲しく、顕著に強面となって、その表情を縁取る。
まさにその姿は鬼女。
「お前達も私から愛しい者達を奪うのか! あの時と同じように、吾子と私の仲を引き裂こうとするのか!」
妖魔の言葉に、綾女の眉がピクリと反応する。
――『あの時』・・?
影忍達には覚えのない、妖魔の記憶。
妖魔の中で、二つの時空が交差していた。
後に、この記憶の断片こそが、『十六夜の惨劇』を解く鍵になるのだが、この時点では両者、その事実に気付いてもいなかった。
「皆、滅んでしまえばいい・・」
妖魔の両眼が血走っている。
愛しい我が子を右腕に抱き締めながら、癒されぬ心がその口より滅びの言葉を紡ぎだす。
受けた悲しみの分だけ・・込めた憎しみの分だけ・・
その言の葉には、救われぬ者の慟哭の深さが色濃く反映される。
『御那己さま』が左掌を地面につけた。
ある者が召喚される。
その名が叫ばれた。
深く地の底に、
届けよとばかりに!
「出でよ、禍蛇(かだ)!」
その言葉が終わると同時に、綾女達の足元で不気味な地鳴りが始まり、『三途の間』に幾筋もの亀裂が走リ始めた。
割れ目からは、次々と熱気泉が吹き出し、辺りはたちまち蒸気で白く霞みだす。
「あかん・・始まった」
二狼太。
「あんちゃん!」
三狼太。
「とにかく上へ! 外へ! 早くっ!」
そして一狼太が、綾女達にこの場からの退避を説く。
「何が起きたのだ!?」
上へ上へ、突き出た木の根を飛び移りながら、左近が犬神達に問う。
「今に分かります!」
同じく跳躍を繰り返しながら、手短に一狼太が答える。
風穴の天井穴は、すぐ眼の前に迫っていた。
犬神三匹、続いて影忍二人が、その穴より外へ、勢いよく飛び出す。
再び地上へ、不入の森を一望できる小高い丘の上へと、二人と三匹は出た。
空には赤い月が不気味に輝き、月を中心に渦巻く黒雲の中では以前凄まじい放電現象が起きている。
眼下には人の侵入を拒む、黒々とした森。
この丘の上から十六夜の里の家々の明かりが遠く小さく見えた。
人の心をどこか麻痺させて生き続ける十六夜の里人・・
人の心をどこかで狂わせ、贄を糧に生き続ける里の守り神・『御那己さま』・・
二つの符号が一つに合わさり、この不入の森を不可思議の迷宮に変えてしまっている。
綾女は、目の前に広がるこの光景を、複雑な気持ちで眺めた。
地の底ではあいも変わらず地鳴りが続いている。
地面の揺れは、刻一刻大きくなっていく。
「いい加減、今の状況を説明しろ!」
苛(いら)つく左近が、もう一度一狼太に事の説明を迫った。
一狼太は左近の焦れように一つ大きく溜息をつくと、その重たい口をやっと開いて、説明を始めた。
「『御那己さま』のあの多才な妖力は、この霊峰富士から直接注ぎ込まれるもんなんです。でも、富士の力を妖力に還元できる妖魔といったら、ここらでは杜辺神っていう一族くらいなもの・・『禍蛇』ていうのは――」
そこまで一狼太が説明し終えた時である。
全員が何かの前兆を察知した。