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琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫11


時空の狭間に生きる男と女がいる。
――われ等は・・生きていると言えるのか?
女がふと漏らす言葉。
戦いに明け暮れる日々・・
見知った人は皆、風の向こう側に去っていく・・
闇の中、血で染まった我が手を見詰め、その両手を胸元できつく握り締めると、女は瞼を伏せてその細い肩を震わせる。
そして、その震える肩に男の両手が静かに添えられる。

――ワレ等ハ、生キテイテイイノカ?

生きる意味――
存在する意味――
もしこれが、命の意味を問う戦いであったとしたなら・・
その答えは何処に?

【対峙――迷走する思い】
赤い十六夜の月が、影忍達と『御那己さま』との戦いの行方を、上空から見詰めている。
空では黒い群雲が月を中心に棚引き、その雲の中で赤い稲妻が身をのたうたせながら、不気味な唸り声を上げていた。
洞内では、『御那己さま』と影忍・犬神(一狼太と三狼太)とがお互い睨み合い、今まさに一瞬即発の状態にあった。
厳しい顔で妖魔と向き合う綾女達の額から一筋の汗が流れる。
力ある者は、動かずとも相手の力量を測れる。
忍びならば・・いや、人外の者との死闘を繰り返してきた彼等だからこそ、知りえる妖魔の恐ろしさ・・
今、この場の空気からも、この妖魔の持つ底知れぬ妖力が直に伝わってくる。
妖魔の纏(まと)う妖炎は十六夜の月と同じ赤。
その妖炎が妖魔の体をすっぽりと包み込み、波間の藻のように妖魔の周囲でたゆたう。
幼子の血で染められし緋の衣が、炎の中で一層鮮やかに照り輝き、美しい『御那己さま』の容貌を益々際立てていた。
だが、その妖気に、朧衆との戦いの中で感じたような悪意が、全くと言っていいほど感じられないのは何故だろう?
そこに綾女は違和感を覚える。
――本当に・・これが妖魔なのか?
迷いが生じる。
妖魔との戦い・・それが自らに課した生き方。
妖魔が人に害をなす以上、敵意を見せる以上、全身全霊をかけて戦いに挑むが影忍の定石。
――私は戦う・・そう決めた!
綾女は迷いを一蹴すると、小太刀を逆手に構えて、先手に転じた。
「でや――っ」
掛け声も勇ましく、果敢に正面から突進を開始する。
それに付き従うのは犬神の三狼太。
その間に左近と一狼太も左右に分かれて展開する。
突然、妖魔の眼光が強まる。
と、見る間に、三組目掛けて妖魔の炎が襲い掛かった。
その灼熱の舌先で獲物を舐め尽くそうと、炎が襲いくる。
それをすんででかわす左近・一狼太。
そして綾女に向かった攻撃は、火炎系の妖力を持つ三狼太が、その『炎』の力で弾き返す。
当の綾女はと言うと、妖魔との距離を急速に詰め、その間合いへと素早く入り込み、小太刀を妖魔の喉笛狙って繰り出した。
ガキッ!
小太刀の切っ先は、鋼のような『御那己さま』の爪に阻まれ、甲斐無く弾き返される。
一度綾女は退り、再度低姿勢で『御那己さま』に突っ込む。
それを待っていたかのように、今度は妖魔の鋭い爪先が綾女を襲った。
間一髪それを小太刀で受け止め、その機を逃さずに、綾女は妖魔目掛けて妖刀の力を一気に放った。
妖魔がそれを哀れむかのように一瞬微笑む。
緋の衣が綾女の視界を遮り、舞った。
「!?」
妖刀の力は、妖魔の小袖の袂へと、何事もなかったかのように吸い込まれていく。
今度は綾女の身に危険が及ぶ番であった。
「姉さん!」
そこへ犬神の三狼太が割って入り、その体から猛火を一気に噴出した。
退る『御那己さま』と綾女。
取り敢えずは二人を引き離す事に成功し、無事事無きを得る。
「てや――っ!」
その綾女の後を左近が受け継ぐ。
妖炎に身を守られながら白銀の爪先を繰り出す妖魔と、妖かしの力を秘めた太刀を振りかざす左近。
赤い闇の中で、金気を帯びた火花が散る。
だが、左肩に傷を負っている左近は、やはり通常の半分も力が出せず、最初から苦戦を強いられた。
その左近の死角ともいえる左側を、犬神の一狼太が固めている。
妖魔の隙を突いては、一狼太は得意の雷撃を妖魔にお見舞いし、左近を援護する。
左近と一狼太。綾女と三狼太。
それぞれが組を組んで代わる代わる、または同時に、『御那己さま』と戦い続ける。
赤い月の光を受けて冴え渡る影忍の刀身・・
迸(ほとば)る青い光・・
たて続けに打ち込まれる『雷』『炎』・・犬神達の力・・
だが皮肉にも、犬神達の攻撃は悉(ことごと)く妖魔の妖炎に飲み込まれ、逆に妖魔の妖力を高めてしまい、次なる妖魔の攻撃は、同じ系列の力で、綾女達に返ってくるようになる。
果てなく白兵戦、妖力戦、を繰り返すうちに、綾女達の体力の限界が朧(おぼろ)に見え始める。
影忍、犬神、それぞれ吐く息も荒く、『御那己さま』の攻撃を紙一重でかわしつつ、たまに攻撃に転じるのがやっと、という状況まで追い詰められつつあった。
左近は時ここに至って、強く決意する。
もはや綾女の気持ちを思いやる余裕は残されていない。
――多分綾女は躊躇する・・
だから何も告げずに、突然左近は綾女に声をかけた。
「綾女! いいか!」
「承知!」
混戦の中でお互いの姿を見失ったまま、その声だけを頼りに、戦いの前交わした約を確認しあう二人。
危険な賭けであった。
綾女が正面切って妖魔に挑む。
「性懲りもなく!」
妖魔が綾女の単調な攻めを嘲(あざけ)る。
妖炎が猛った。
「させるか――っ」
三狼太が綾女の背後から炎撃を送り込み、綾女の身を妖魔の攻撃から守る。
妖魔は小さく舌打ちし、その炎を自分の妖炎に同化させ、綾女と再度刃を交わした。
ジャキ・・ン
鋭い金属音が、洞内に鳴り響く。
「なんとも芸のない・・腕は立つが、存外知恵は回らぬと見た」
「そうか?」
綾女が額の汗に黒髪を張り付かせながら、妖魔相手にニヤリとほくそ笑む。
「どういう――」
妖魔が言葉を言い終えぬうちに、二人の頭上を一つの影が過(よ)ぎった。
慌てて上空を振り仰ぐ妖魔。
影は妖魔の遥か後方の地に足を着けると、すぐさま疾風のように一方向目掛けて走り出す。
影の正体は、言わずと知れた左近である。
「お前の相手は私だ!」
隙を見せた妖魔を相手に、綾女は金具を仕込んだ前腕で『御那己さま』の鋭い爪を防ぎながら、小太刀を斜め上方へとなぎ払う。
小太刀の切っ先が妖魔の胸元を浅く捕らえた。
切り裂かれる小袖の前身ごろ・・軽く乱れ露になる妖魔の胸元・・妖魔の雪のような肌に赤い筋が一本つけられた。
そこから妖魔の赤い血が吹き出し、緋の小袖を更に赤く染めていく・・
「邪魔だっ!」
妖魔の念が、綾女の体を一瞬にして吹き飛ばす。
そのまま綾女は、背から岩壁に、勢いよく叩きつけられた。
「が・・はっ」
口一杯に鉄錆(さび)た血の味が広がる。
――左近・・まさかお前・・
遠のきかける意識をなんとか保ちながら、勝機を得るため傷付いた相方に目もくれず、ひたすら走り続ける左近の後ろ姿を綾女は目で追った。
「ゴホッ・・左近・・やめ・・ろ」
今の衝撃で、肋骨の一、二本は折れているだろう。
血反吐に咳き込むだけで痛みの走る胸を片手で押さえながら、綾女が呻き声ともつかぬ声で必死に左近へ呼びかける。
が、その声はあまりにも弱々しく、左近に届くはずも無い。
「おのれ・・」
『御那己さま』は己の傷は一切お構いなしといった様子で、憎憎しげに言葉を吐く。
その意識は、洞の奥向かってまっしぐらに駆けていく、左近一点に絞られていた。
洞の奥には、白い几帳(きちょう)が立て掛けられた岩屋があった。
「小賢しい真似を・・」
妖魔の怒りは焦点に達していた。
「何が人だ!」
妖魔が空に向かって、その右腕を高々と掲げた。
その感情が天の怒りを呼び覚ます。
群雲の波間に雷竜の怒りが逆巻いていた。
丁度その頃左近が岩屋に到着し、入り口の白い几帳(きちょう)に手をかけようとしていた。――と、その瞬間、空全体で放電現象が起き、紡がれた雷の束が、左近の頭上へと無情に打ち落とされた。
紅竜が咆哮を上げ、地上の者を飲み込む勢いで、一点目掛けて直下する。
万物を粉々に噛み砕く竜のあぎとが、凄まじい勢いで獲物をその歯牙にかけようと、空より降臨した。
その間一瞬(またた)き・・光に遅れて、大気を劈(つんざ)く轟音が轟(とどろ)き、左近の姿は赤い光の中へと飲み込まれ、消えた・・
「さこぉぉぉ――ん・・」
綾女の絶叫が洞内にこだました。
地面を直撃した赤い稲妻は、その明るさを数十倍にも増幅し、四方へその閃光を広げていく・・
迸(ほとばし)る光の渦が生み出した相当量のエネルギーが、周囲にまでその高熱を撒き散らしていった・・
沈静化する光と、静けさを取り戻していく風の咽(むせ)び泣き・・
「当然の報いよ」
『御那己さま』が、さも当然と言いたげに言葉を紡ぐ。
が、それで勝敗が決したわけではなかった。
風が吹き抜け、熱波が去り、辺りの大気が澄みはじめた頃・・まだ残るモウ気の中に、雷撃の名残が時々音を発しつつ、静かに輝いていた。
そこに透けて見えたのは青白い火花・・
聖なる色・・
「雷なら、うちも十八番やで・・」
モウ気の中から姿を現したのは一匹の犬神。
赤い稲妻が地面に落ちる直前、左近の前へと飛来し、その全身で電光を受け止めたのは、他ならぬ犬神・一狼太であった。
その小さな体で禍々しい雷撃の全てを受け止め、更に自らの糧へと変換し、今に至る。
だが――
「・・ちっと、きつかったけど・・な」
それだけをやっとの事で言葉にすると、二狼太に続いて、一狼太もその場に倒れこんでしまった。
一狼太の能力をもってしても、これが限界であったらしい。
「済まぬ・・」
その一言だけを一狼太に手向けて、左近本人は岩屋の中へとその身を滑り込ませる。
岩屋の中は、ガランとした殺風景な部屋であった。



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