menu琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫10
「くっ!」
「左近!」
カキン! キン! カチャ カシャ・・ン
鋭い金属音がして、白い玉石の上に二本の苦無が散らばる。
月光を浴びて、黒鋼の切っ先が空しく光っていた。
「この期に及んで、まだ小手先の術を使うか?」
妖魔は綾女の投げてよこした飛び苦無を軽く手で打ち払い、その行為そのものをせせら笑う。
そうこうしているうちにも、妖魔の魔具・肩巾(ひれ)が左近の喉元に巻きつき、その首を締め上げにかかった。
「・・・ぐ・・・!」
見た目以上に強く絞まる布――
カチャ・・ン
左近の右手から太刀が離れ、音を立てて地面に落ちる。
布と肌との間に指を入れ、辛うじて気道は確保していたが、それ以上動く事も適わず、このまま時間の経過と共に、絞め殺されるのを待つような状況にまで左近は追い詰められていた。
せめて右手が開放され、我が手に太刀を取り戻せれば、勝機も見えてくるのだろうが、右手は魔布によって拘束され、外す事さえ適わない。
左近は苦しい息の下、空いた左手で懐を探った。
探し物は、忍びが目潰しとして用いる『鳥の子』。
妖魔相手にかなり人間臭い手ではあったが、この際どんな手段にせよ、嵩じる必要に迫られていた。
ギリリ・・
更に締め付けは強まる。
「くぅ・・っ」
締め上げられる苦しさから、左手は無意識のうちに喉元に戻される。
何とかして首に巻きついた肩巾(ひれ)を引き剥がそうともがくのだが、爪が皮膚を掻きみしるばかりで、その苦しさから逃れる術は無い。
耳元で女の優しい声音が囁く。
「往生際の悪い・・そなたの考えくらいお見通しよ・・じゃが、その諦めを知らぬ意志の強さ、腕の冴え・・なかなかに天晴れ(あっぱれ)。殺すにはつくづく惜しい男(おのこ)じゃ・・その顔(かんばせ)で無くとも、女子が捨て置かんじゃろ・・」
冴え冴えと降り注ぐ月陰の元、女のろうたけた美しい顔が微かに曇る。
何かを思い出しかけて・・
人としての顔が、その表情から微かに覗く。
だが寂寥とした表情はすぐ消え、女はまた元の『御那己さま』の顔に戻った。
締め上げる力に容赦は無い。
「ぐ・・は・・・っ」
「左近・・」
眉間に苦渋の後を刻みつつ、綾女が小さく左近の名を呼んだ。
同胞を盾に取られ、綾女は思うように妖魔に狙いを定められずにいた。
妖魔はそんな綾女の様子を、左近の背後から窺いながら、
「この者・・お主の思い人か?」
そんな質問を投げてよこした。
綾女は答えない。
それを肯定と受け取り、妖魔は話を続ける。
その妖力で左近の首を締め上げながら・・・
「太刀を帯びる者は、白刃の下、凶刃に沈む・・それが武士(もののふ)の世界の理(ことわり)・・じゃが、そなたは女子・・何故、女子の身で太刀を帯びる? 何故、人を殺める? そういう浅はかな人間の行いが、何を呼び寄せるか、お主も知っておろう? なのに・・分かろうとせぬ・・止めようとせぬ・・大切な者を失う悲しみ・・お主も味おうてみるか?」
「なっ!?」
綾女の驚愕をよそに、妖魔はこれ見よがしに左近の左肩をゆっくりと撫でさすった。
「優しき男(おのこ)・・先の斎庭(ゆにわ)でも、身知らぬ女子を庇おておったな・・」
その声音は、この状況下で寒気を覚えるほど優しげであった。
妖魔の瞳が冷たく光る。
「その心ばえ・・美しすぎて虫唾(むしず)が走る!」
そう言うと、妖魔はいきなり左近の負傷している左肩に、己の鋭く尖った爪を深々と突きたてた!
「ぐ・あぁ・・っ」
苦悶の表情も露(あらわ)に、出せぬ声を振り絞って絶叫する左近。
肩口を覆っていた白布ごと火傷の跡も生々しい左近の皮膚は突き破られ、皮膚の深部まで妖魔の爪は達する。
ズブ・・リ
更に妖魔は、深く突き刺さした爪を、肉を抉(えぐ)るような動きで、ゆっくりと引き抜いた。
命の拍動と共に、ドクドクと傷口から溢れ出す鮮血・・
溢れた血潮は見る見るうちに墨染めの衣装を更にどす黒く染め上げ、袂を濡らして重く垂れ、ボタリボタリと白い玉石の上に滴り落ちた。
「冥府に下れ・・」
激痛と出血の多さに意識も遠のきかねない左近。
その耳元で、夢路に誘うかのように、女の甘露な囁きが紡がれる。
締め上げる力が強まった。
「くっ・・・が・・はっ」
漏れ出る苦痛の声・・焼き切れんばかりに真っ赤に灼熱した脳裏・・狂ったように鳴り響く警鐘・・
命が抗い、拍動を繰り返す。
「さらばじゃ・・」
妖魔が微笑みながら男に別れの言葉を告げる。
ギリッ・・
更なる締め上げ。
喉に食い込む・・呪われた肩巾(ひれ)。
その時――
「くくくく・・はははは・・」
狂ったように綾女が突然笑い出した!?
「何が!? 何が可笑しい?」
綾女の豹変振りに、今度は妖魔の方が狼狽する。
肩巾(ひれ)の絞殺力が僅かに弱まる。
だが、完全にその縛が解かれた訳ではない。
息苦しさは相変わらず続いている。
「あ・や・・め」
妖魔の縛に耐えながら、左近が懸命に目を凝らす。
視線の先には綾女がいた。
月の光を浴びながら佇む綾女。
精巧な彫刻を模した美しい顔(かんばせ)は、青白く凍てついた表情を冷たい月の光の下に浮かび上がらせていた。
感情を押し殺した忍びの顔・・・
だが――
綾女は哄笑をやめると、妖魔に向かって叫んだ。
その双眸には涙が滲む。
「殺せるものなら殺してみよ! われ等不死人・・輪廻に帰れぬ身・・なれば戦うしか・・戦いに生きるしか道はないではないか!?」
溢れた悲哀は、一筋の涙となって綾女の頬を伝う。
「それが宿命(さだめ)・・われ等の選んだ・・」
妖魔も綾女の涙に何かを感じたのか、急に真顔に戻り、押し黙った。
束の間の静寂・・
皮肉にも刻だけは、人にも妖かしにも平等に過ぎていく。
一度閉じられた綾女の双眸・・次にそれが開かれた時、その瞳には、凍てついた月華の花の姿が映し出されていた。
強い決意を宿し、凛と輝く綾女の両瞳。
「わらわを討つのか? この者ごと・・?」
綾女は黙して語らない。
「姉さん・・」
固唾を飲んで、犬神達がその様子を見守る。
静かな洞内を風が抜けていく。
「我が名は綾女――」
綾女の黒髪が翻(ひるがえ)った。
「――香澄の綾女・・闇に蠢(うごめ)く妖魔を狩る者・・・」
朗々と澄んだ声が洞内に響き渡る。
綾女の全身からゆらゆらと青い陽炎が立ち昇る。
左近が叫んだ。
気道に当たる部分に強烈な圧迫を受けながら・・それでも声を振り絞り・・己の意志を相方に伝えようと・・
口唇が言葉を紡いだ。
「・や・・れ」
微かな・・本当に微かな・・呻(うめ)くような声・・
だが、その声は綾女に届いた。
瞬間、綾女の瞳が大きく揺らぐ。
唇が噛み締められる。
放たれる青い光――!
一瞬早く、三狼太の炎の攻撃が妖魔の肩巾(ひれ)に届く。
『御那己さま』は小さく舌打ちし、肩巾(ひれ)をその両腕から外すと、身を翻(ひるが)し、奥の闇へと遠く飛び退った。
浄化の炎が肩巾(ひれ)全体を舐めるようにして燃え広がり、その呪縛が急速に弱まる。
左近は首に巻きついた肩巾(ひれ)を力いっぱい引きちぎると、激しく咳き込みながら足元に落とした太刀を拾いつつ、転がるようにしてその場を離れた。
攻撃対象を求めて迷走する青い稲妻!
その先には深く傷付き、思うように動けずにいる左近がいた!?
破壊の光の到達!
迸(ほとばし)り、砕け散る光・・
一瞬にして光は、峻厳な青から優しく淡い白へと変わる。
破壊の力は癒しの力へ・・
傷口から溢れ出た血が、徐々に止まっていく・・
使い手の心に感応する妖刀の力――それは、影忍の肉体と馴染み、その身を内側から守ろうとする妖刀の意思が、顕著に表れた瞬間であった。
白い光が薄闇に溶けていく・・
その中で、左近は右手に握り締めた太刀を地面に突き立てて、それを杖代わりにゆっくりと立ち上がった。
左肩からの出血は止まっている。
だが、それはあくまでも外見上の話であって、傷はまだ癒えたわけではなかった。
本当の意味での治癒には、その過程で綾女の助力が不可欠であるし、なにより時間を要するのだ。
――取り敢えず動ける・・
今なお動かすと、左肩に激痛が走る。
深部では筋組織が悲鳴を上げていた。
当然、左上肢は使用不能に近い。
痛みに耐えながら、それでも左近は神経を研ぎ澄まし、脳裏で素早く現状打破の策を巡らす。
深手を負った左近の傍に、綾女と犬神達が走り寄る。
「大事無いか?」
「ああ・・なんとか動ける」
そして、二人は『御那己さま』の消えた洞の奥を振り返る。
「これだけやって、得たのは肩巾(ひれ)一枚・・か」
「どうする? 左近」
「長引けば不利だ。どこかで隙を突かなくては・・」
思案顔の左近が、ちらりと綾女の方を眺めやる。
「何だ?」
「お前は情けを捨てられるか?」
「いきなり何を訊(き)く!?」
「いや・・それより綾女、暫し妖魔の注意を、俺から逸らしてくれぬか?」
「何か・・あるのか?」
「ああ、俺に一計ある」
「分かった・・だが、お前は怪我人だ。無理はするな」
「お前こそ、退く頃合を違(たが)えるな」
そして二人は、互いを見詰めあい、深く頷く。
次の戦いに向けて、二人の心が合わされた。
続いて綾女は、足元に目線を落とす。
そこには、自分達二人を仰ぎ見て、次の指示を待つ犬神達がいた。
この妖かし達とは、幾多の苦難を共にしてきている。
本来なら吉野の妖魔族に属し、自分達に従うべき義理のない者達であった。
縁あって、自分達と一緒になって戦ってくれている。
傷付き、それでもなお自分達についてきてくれている。
自然、彼等を見詰める綾女の眼差しは優しくなる。
「一狼太、三狼太、力を貸してくれるか? お前達の助けが欲しい」
「なんなりと!」
綾女の言葉に一狼太が答え、三狼太が頷く。
「二狼太」
「はい」
「できる事なら、傷付いたお前は巻き込みたくはない。だが・・万が一の時はお前を呼ぶやもしれぬ・・それでもいいか?」
厳密に言えば、犬神も不死身ではない。
妖力が尽きれば、最悪の場合そのまま消滅するか、良くて再生のために深い眠りにつくことになる。
戦いは最終局面を迎えて、怪我のため戦いに臨めぬ二狼太にも、それなりの覚悟を迫った。
「姉さん、その時はその時や、思い切ってやりましょ」
二狼太が、深手を感じさせぬ明るさで答えを返す。
その答えに頷きあう犬神の兄と弟。
「二狼太・・」
健気な犬神達の反応に、綾女はかける言葉が見つからない。
「では、参るぞ」
綾女と犬神達とのやり取りをじっと見守っていた左近が、その場を締めくくるかのように皆を促し、自分が先頭にたって広間へと歩き出した。
綾女、犬神、とその後に続く。
広間中央に出ると、影忍、犬神、少し間隔を空けて、それぞれが月の光を浴びて立ち、洞窟の奥の闇を凝視した。
「来たな・・」
左近の声と同時に、奥の闇で小さな明かりの点るのが見えた。
闇の中を此方に向かってゆっくりと明かりが進んでくる。
「思いもかけず楽しませてくれるのう・・」
一度奥の間へと姿を消した『御那己さま』が、もう一度綾女達の待ちうける広間へと、その足を踏み入れてきた。
その右掌には灯明を点したようなに赤い炎が燃え、それは微かな風の煽りを受けて、ユラユラと揺れている。
「して・・末期の逢瀬は済んだかえ?」
この場を楽しむかのように、女は艶やかな微笑を浮かべる
まだその様子には余裕さえ伺えた。
十六夜の月が肩巾(ひれ)を無くした『御那己さま』の上にも降り注ぐ。
純白の肩巾(ひれ)の陰になっていた『御那己さま』の小袖が、月夜にも鮮やかに浮かび上がる。
毒々しいまでの緋色・・
「その衣の色・・まさか!?」
綾女が絶句する。
想像だにしたくない・・そんな事を、綾女は一瞬想像してしまった。
そして悲しいかな、その予想が的中してしまう。
「そう・・子等の生き血そのままに、染め抜いた衣じゃ」
妖魔は平然と、事の真相を告げる。
妖魔の余りの為しように、綾女は言い知れぬ胸のむかつきを覚え、眉を顰(ひそ)める。
自分の中で、怒りの滾(たぎ)るのが分かる。
が、逆にその表情は強張り、冷たく凍てつく。
その手に持つ小太刀が、微かに震えていた。
「ほほ・・更にわらわを許せんようになったか?」
妖魔が挑発めいた言葉を吐く。
「そなた達の言う妖魔とは、この戦世(いくさよ)にこそ似合いではないか・・食らうも殺すも変わらぬ・・罪は罪・・この衣は、せめてもの手向けじゃ」
そう言うと、『御那己さま』は自分の掌で燃えつづける炎を眺めやり、
「・・罪は消えぬ・・永劫な・・」
と、言葉を繋(つな)げた。
一瞬その横顔に、『御那己さま』らしからぬ表情が生まれる。
妖魔の瞳が炎を映して揺れていた。
「遊びは終りじゃ・・」
女は静かに呟くと、炎を掌の中で一気に握りつぶした。
後には、冷たい月明かりに『御那己さま』の白い横顔だけが残される。
続いて、切れ長の眼が綾女達の方に向けられた。
「今後は本気で相手いたそう・・」
白い素足が、真っ白な玉石を踏みしめる。
その体からは妖気が妖炎となって立ち昇り、体全体を包み込み始めた。
『御那己さま』の両掌がゆっくりと開かれる。
女の美しい爪先は、三日月の縁をなぞるように、細く輝きながら伸びだした。
子供達の守り神が、修羅の世界に生きる者へと、その姿を変えていく。
すると、『御那己さま』の変化にあわせて、洞内に不穏な風が流れ出した。
それまで雲一つ無く晴れ渡っていた夜空――十六夜の妖力によって無理やり捻じ曲げられていた天候――が、一天にわかに掻き曇り始め、月の姿を覆い始める
雲の合間に赤い閃光が不気味に走る。
赤い稲妻・・それは妖魔の全身から噴出する妖気と同じ色。
禍々しくも美しい赤い輝き。
今、それが黒雲の中に一部姿を現し、のたうち始める。
雲から月が姿を現す。月の色が変わった。
清廉な白から生き血に塗(まみ)れた赤へと・・
呪われた十六夜の夜。
妖魔の双眸が、ぎっと綾女達を睨みつけた。
「疾(と)く、参れ!」
洞内に『御那己さま』の声が朗々と木霊した。
チャッキ・・
綾女達もそれぞれの武器を片手に、『御那己さま』を迎え撃つ態勢に入る。
綾女達に勝機はあるのか?この戦いの行く末を、複数の瞳が無言で見守っている・・