menu琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫21
【暴走】
『禍蛇』――『負』の化身。
その額の瞳が、激情の『赤』から、無情の『黒』へと変化していた。
雨の中を、『禍蛇』が唸り声を上げてながら、上昇していく。
雷光が煌いた。
と、見るや、地上目掛けて雷が走る。
落雷。轟音。炎上。
綾女達を襲った凄まじい光の正体は、『禍蛇』が上空から呼んだ雷であった。無残になぎ倒され、ぶすぶすと燻り続ける森の木々達。
生きている者などどこにも存在していないような、そんな荒涼とした風景が寒寒と広がっていた。
落雷のあった付近では、雷の凄まじい熱量によって雨が気化し、白い霧のようなものが立ち込めている。
霧の中で何かの動く気配があった。
木々の残骸を押し上げ、綾女が、続いて左近が、それぞれ負った傷を手で庇うような姿勢で、姿を現す。
「・・無事か?」
「なんとかな・・」
二人の姿は、降りしきる雨の中にあって、まるで影のように存在していた。
濡れた髪のあわいから覗く二人の眼光は依然鋭く、油断なく周囲を見渡す。
雷光が閃いた瞬間、二人は咄嗟に身を場に伏せた。
だが、雷の衝撃は凄まじく、多量の土砂と共に二人の体も吹き飛ばした。
そのまま何の防御も無しに折れた木の幹にでも直撃していたなら、二人は大怪我を負っていた事だろう。
この時、普段は潜在している妖刀の力が急激に目覚め、本能的に二人の体を衝撃から守った。
そのお陰で、二人は無傷でいる。
ただし、この状況を素直に喜ぶには、余りにも複雑な心境であったが・・
霧がようやく晴れようとしていた。
元々闇の中での戦いである。
普通に視界が開けるはずも無い。
だが、影忍達は、ここの地形を特異な感覚で感じていた。
雷の直撃した場所。
霧が晴れるにつれ、その全貌が次第に明らかになる。
目の前で大地が深く抉れていた。
その規模は今風に説明すると、直径100メートル、深さ6メートルにも及んでいる。
「あの者達は?」
綾女が無言で前方を指さす。
「あれが、そうか?」
「多分・・」
落雷があったのは、丁度十六夜の子供達が集っていた真上、そして、女、茜、草太、若竹のいた場所であった。
富士から力を得るものからの攻撃は、同じく富士から力を与えらた十六夜の子供達には通用しない・・そんな理が、この富士裾野には存在している。
それでも、その力が弱まっている時には? その力に抗しようとしていない時には? 疑問は尽きない。
だが、それらは全て杞憂に終わったようである。
闇の中に、一つ、二つ、と、鬼火が姿を現し始めた。
雷撃を逃れるために、一旦姿を消し四散した、十六夜の子供達の魂である。
そして、綾女達の見詰める先、抉れた地面の一番深い場所では、大小二つの光が輝いていた。
その光が次第に薄れ、潰えた時、若竹と、茜、草太、その両名を腕で庇うように蹲(うずくま)る女とが、ほぼ同時に姿を現した。
若竹は、子供達の中でも、群を抜いて強い力を持つのだろう。
女も、一時期、この神聖な森に、自分だだけの結界を張ったほどの妖魔である。
両者、自己の妖力で、『禍蛇』の雷撃を回避したようであった。若竹は光の防護壁を解いた後、暫らく呆然と女の姿を見下ろしていた。
あの時、
――逃げて!
と、いう女の声を確かに聞いた。
だから、落雷の前に、若竹は光の防護壁を張る事ができた。
そうやって我が身は守れた。
だが、仲間の茜達を、自分は守る事ができなかった。
それほど『禍蛇』の攻撃は早かった。
あの時、茜も草太も女の癒しに意識を集中していたため、『禍蛇』の異変に気付くのが遅れた。
もし、あのまま『禍蛇』の雷撃をまともに食らっていたなら、二人の魂はその存在すら危うかった事だろう。
それを、女が我が身を呈して守った。
『禍蛇』と女はその思念で繋がっている。
だから、『禍蛇』の異変に女がいち早く気付けたとして、さして若竹は驚きもしなかったが、女が二人を守った事については、驚きを隠せなかった。
若竹の表情が急に不機嫌になる。
そのまま若竹はツカツカと女の傍に歩み寄ると、
「いつまでそうやっている気だ!」
女に向かっていきなり怒鳴りつけた。
「次が来るだろ・・」
語尾に近づくほど小さくなる声。
それが聞こえていようと、なかろうと、若竹はお構い無しと言った風に、今度はプイッとそっぽを向く。
女は若竹の剣幕に一瞬眼を見張ったが、
「・・そうね」
どこか幼さを残す若竹の仕草にその本心を垣間見て、微苦笑を浮かべた。
「立てる?」
「・・ええ」
さすがの茜も先の衝撃から表情は強張り、蒼ざめたままであった。
状況の危うさは、時を追うごとにはっきりとしてきている。
「草太、おいで・・」
茜は早々にこの場から退散する事を決めた。
だが、肝心の草太が女の小袖を掴んで離さず、女の傍から離れる事に渋る素振りを見せた。
「お行きなさい・・」
すがるような眼差しで自分を見上げる草太の顔を覗き込みながら、女は優しく諭す。
「草太」
再度茜が名を呼んだ。
その声でやっと諦めたのか、草太は女の小袖から手を放した。
草太が茜に伴われ、女の傍から少しずつ離れていく。
草太は名残を惜しむかのように、女の方を振り返った。
女の柔らかな眼差しが、
――それでいいの・・
と、草太に告げていた。
女は二人が自分の傍から離れると、眼差しを新たにし、上空を見上げた。
降りしきる雨が眼に入り込み、女の視界を邪魔する。
女の両眼が、空で猛り狂う『禍蛇』の長大な姿を捕えた。
女が立ち上がる。
立ち上がろうとする。
その上体が傾き、女が急に咳き込み始めた。
口元を覆う両手、その隙間から真っ赤な血が滴り落ち、泥濘(ぬかるみ)と化した大地に、瞬く間に血溜まりが広がった
「いや――ッ」
その瞬間をたまたま見た茜の口から悲鳴が上がった。
「茜!」
「ねえたん!」
そのまま茜は膝から崩れるようにして倒れる。
草太が、続いて若竹が、急ぎ茜の傍に走り寄り、若竹が倒れた茜の体を助け起こした。
「おい! 茜! しっかりしろ!」
茜の顔を覗き込みながら、必死の形相で若竹が茜の体を激しく揺さぶる。
その振動に茜がうっすらと瞼を開いた。
「・・若」
「馬鹿・・やり過ぎだ!」
若竹は真剣に怒っていた。
何かを恐れるように、若竹の表情は苦しげに歪められ、その瞬間が来ない事を必死で祈る。
若竹の腕の中で、茜の体は――その手先や、足先から、うっすらと闇の中に溶け込もうとしていた。
十六夜の子供達は、童の姿をとるために、それなりの力を必要としている。
力が減ずれば、それだけ人形(ひとがた)をとっている事は難しくなる。
茜は、その力を、女のために使い切っていた。
「私の事はいいから・・」
茜はゆっくりと腕を上げると、透けて見える指先で、若竹の背後を指さした。
「・・あの女(ひと)をお願い・・」
「茜?」
「・・あの女(ひと)、力が弱まっているの・・このままだと・・危ない」
「何だって!?」
若竹の顔色が急に変わった。
茜が虫の息の下で言葉を続ける。
「だから、あなたは――」
茜が何かを囁いた。
その言葉に、若竹は大きく動揺を見せる。
「俺だけ、そんな事できるか!」
「若・・あなたは何故ここにいるの?」
「それは・・」
若竹が口篭もる。
そんな若竹を、茜は穏やかな眼差しで見上げた。
「ね・・」
それでも若竹は、暫く思案していた。
やがて――
「・・済まない」
小さく茜に告げると、若竹は草太の方を振り返った。
「草太」
「ん?」
草太は、つぶらな瞳で若竹を見た。
「茜を連れて、皆の所へ戻ってろ」
若竹の表情は、真剣そのものであった。
「『わか』は?」
不安げに草太が問う。
「俺なら大丈夫だ。やる事もある。だから、茜はお前に任せる。いいか?」
「うん・・わかった!」
「戻ったら、絶対姿は見せるな。皆にもそう言っておけ」
若竹は草太に念を押すと、すぐにでも草太達二人をこの場から遠ざけようとした。
「若・・」
それを、茜の小さな声が引き止めた。
「どうした? 茜」
若竹が茜の顔を覗き込む。
茜の唇が言葉を刻んだ
――約束よ・・
「お前・・」
若竹は、一瞬唖然とし、続いて、クッと、短く笑った。
「ああ・・心配すんな。俺は俺のやりたいようにする。だから、あっちへ行ってろ」
茜は、若竹の反応に、フ・・と淡く笑み、そのままスーっと瞼を閉じた。
「行け! 草太」
若竹の声に促され、草太は茜と共に姿を消す。
二人を闇の中に見送ると、若竹は自分の後方を振り返った。
そこには、胸を押さえて蹲(うずくま)る女と、それを助ける影忍達の姿があった。