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琥珀の時(誘い後日譚)其の壱―≪御那己さま≫3

【迷いの森にて】
幾らか時が経った頃だった。
「綾女、起きろ!」
突然左近の声に、眠りの淵にいた綾女は叩き起こした。
焚き火の火はまだ赤々と燃えている。左近がずっと寝ずの番をしていてくれたのだろう。
「・・ん? どうした左近・・交代か?」
綾女が目を擦りつつ起き上がる。
そこには全神経を集中させて、洞穴の外、闇を睨みつけている左近の姿があった。
「――!?」
綾女も何かを感じ取り、すぐさま臨戦態勢に入る。
すると闇の向こうに、一つ二つと鬼火が点りだすのが見えた。
その鬼火に照らされて、事もあろうに、子供が二人此方に向かって歩いてきた。
綾女の腕に鳥肌が立つ。普通の子供ではないはずだ。
普通の子供がこの迷いの森にいるはずがない。
――ならば何者だ?
綾女の掌に青い光が呼び覚まされる。
だが魔を断つ妖刀の光を見ても、相手はそれに怯(ひる)んだ様子を見せなかった。
子供のうち歳の小さな方が、先を行く女の童(めのわらわ)の後ろに、そっと隠れただけであった。
「こんばんは、お姉ちゃん・・起こしちゃって、ごめんね」
女の童の方が先に声をかけてきた。
うっすらと頬を染めてはにかみながら童女は、困ったように眉を顰(ひそ)めながら、愛らしく話を続ける。
「頼みがあるの・・でも時間が無いの・・今夜十六夜の月が昇る・・その月が昇りきると、また人が死ぬわ・・それを止めて欲しいの・・・」
「お前・・いや、お前達は何者なのだ?」
「あたしは茜、この子は草太・・十六夜の里の子供・・・」
女の童は自分の後ろに隠れている子供の方を見下ろしながら、自分たちの名を明かした。
茜は七歳、草太は三歳といったところか――
茜が歳の割にはきはきとした口調で綾女達に訴える。
「お願い・・大人達を止めて・・これ以上犠牲者を増やさないで・・お兄ちゃんが泣くから・・また・・だからお願い・・・」
茜の黒目がちな瞳が、必死で綾女に訴えてくる。
「ねえたん・・お願い・・」
後ろに隠れていた童も出てきて、舌足らずの言葉で綾女に頼み込んだ。
その姿に邪気は無い。
綾女は二人の子供の必死に頼み込む姿に、この子達のためならば、その頼み聞いてもいいとさえ思い始めていた。
「お前達・・」
その時――
「綾女、騙されるな! 子供の形(なり)をしてはいるが、こやつ等幽鬼だ!」
左近の叱咤の声が、童の言葉に誘われ始めていた綾女の意識に届いた。
その言葉にはっと我に返り、綾女が左近の方を振り返る。
左近の手には、いつの間に出したのか、自らが所有する妖刀が握り締められていた。
その照り輝く刀身に、左近は子供達の姿を映している。
鏡のような刀身の表面に、子供達の姿は映し出されているはずだった――
だが、そこには誰も映っていない!?
生きている者の姿は必ず映し出す鏡――逆に姿なき者はその本性ゆえに、鏡にその姿を映す事は不可能――つまり、茜達は生きた存在ではなかった。
茜が一つ、ふふっと袂で口元を隠して笑う。
そうしておいて、突然草太を抱えると童女は宙高く飛んだ。
その後を追う綾女と左近。
洞穴を走り出て空を見上げると、虚空に二人の子供が軽々と浮いていた。
既に二人の子供は、妖かしの他の何者でも無い事は明らかであった。
茜が大きな声で、眼下の二人を見下ろしながら叫んだ。
「さすがにそのお兄ちゃんまでは騙せないわね・・・でも本当の事よ。もうすぐ人が死ぬ。貴方達で無ければ止められないわ・・・」
その表情はそれまでとうって変わり、大人びた真剣な顔をしている。
だがそれも一時、すぐに、ぱっと表情を切り替えて、
「草太、行こう!」
明朗な声をあげて、茜は草太の手を引っぱると、無邪気に空を駆け出した。
――月が昇る・・
――十六夜の祭りが始まるよ・・
――また血が流れる・・
――もうすぐ・・もうすぐ・・
代表の二人を取り囲むように、気配だけで存在していたその他大勢の子供達――そのささめきが闇夜でひそひそと交わされる。
くすくす・・くすくす・・
その忍び笑いが何処からとも無く闇の隙間から零れてくる。
そうしているうち二人の姿がす――と闇に溶けて消えた。後には声だけが残される。
「お姉ちゃん・・地の精霊・犬神を使いなさい・・・この森の主に話はつけてある・・もう、この森で迷う事も無いわよ・・・」
そう言い終わると、また子供達の気配は唐突に消えた。
それでも左近は妖刀の柄を両手で握り締めると、真一文字に構えた姿勢で暫く辺りを警戒していた。
十数える間待ったが何も起こらない
それ以上待っても何も起こりそうにないので、左近は柄から片手を放し、構えを解くと、そのまま妖刀を己が掌へス――と青い光と共に吸い込ませた。
既に蘇生を遂げた時点から、左近も綾女と同じく、己の身を妖刀の鞘へと変化させていたのである。
それは己の思念によって、我が身から自由に掌の中へと出現させる事ができる。
二人は人でありながら人でない者として、この世に存在しているのであった。
一方綾女の方はというと、先ほど目の前で繰り広げられた光景に、己の信じる道に迷いが生じ、茫然自失の境地にあった。
――何処までが嘘で、何が真実なのか・・・
茜達が消えた闇を見上げながら、冷たい霧雨の中、一人佇んでいる。
「綾女・・」
左近が傍まで来て、背後から綾女の肩をぽんと軽く叩く。
「あ、ああ・・」
それでも綾女は上の空である。
左近は微かに眉間にしわを寄せると、思わず綾女の左肩を掴み、力任せに自分の方へと綾女を振り向かせた。
驚く綾女をよそに、左近は素早く綾女の頤(おとがい)を持ち上げ、有無を言わせぬ強引さでその唇に己の唇を重ねる。
雨が天から降り注ぐ中、一刹那二人の立ち尽くすその場所だけが時間を止めた。
既に自分達の体に時間の流れは存在しない。
自分達二人だけが時空の狭間に取り残されているのである。
だが感情は別だ。そして自分たちの周りの風景は、刻一刻とその姿を変えていく。
立ち止まっている暇など無いのだ。
綾女は思いのほか激しい口づけを左近から食らい、最初は頭を混乱させた。
心に点った思いの火が、自分の心をちりちりと焦がしていく――それに呼応して、何故か心は少しずつ冷静になっていった――
バシィ――ッッ・・
小気味良い音を立てて、綾女の張り手が左近の左頬を捉えた。
「こんな時に何をする!」
綾女は本気で怒っていた。
左近が綾女に張られた頬をそのままに、真剣な面持ちで綾女の諭す。
「ならば立ち止まるな! 行くと決めたのなら行け! 迷うな! 迷っても始まらぬ!」
そう言葉尻を強めて言うと、次に虚空に向かって左近は叫んだ。
丹精なその顔に向かって、霧雨が振りしぶく――
「犬神達、そこにいるか!? 今回は急ぐ! 十六夜の里を探してくれ! たぶん幽鬼が誘ってくれるはずだ! その妖力を辿り、付いて行け!」
切れ長の双眸が、獲物を求めて彷徨う。男もまた戦いに向かおうとしていた。
「御意!」
左近の言葉を受けた犬神達が雷となり、風となり、焔となって三方に散って行く。
それは復活を遂げてからずっと二人に付き従う犬神の三兄弟――犬神という名を持つ精霊達の本質、真の姿であった。
「綾女、お前も覚悟はよいな?」
もう一度綾女にその心積もりを問う。
「我等は影忍・・そうであったな?」
左近の叱責に、己の本来の務めを思い出し、綾女は神妙に答えた。
その瞳には明けの明星の輝きが戻っていた。いつもの綾女がそこにいる。
左近が大きく頷き、
「ああ、そうだ・・そして――」
一端そこで言葉を切ると、
「――人でもある」
と、言葉を続けた。
暗闇の中、表情からは左近の心情は読めない。
だが、綾女には、左近の言わんとする事が十分理解できた。
「確かに・・」
左近の言葉に綾女も同意の言葉を返す。

迷いの森のその奥に存在する里――十六夜・・
何がそこで待つというのか――?
その後二人は、犬神達の軌跡を追って、その渦中へと飛び込んでいく事になる――
 
 

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