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誘い(いざない)第四話
 

≪閑話その弐≫
一つ、二つ、三つ、月夜に浮かぶ影三つ。おいでになったのは、ご存知、犬神三兄弟。
何事してると問われれば、そりゃ決まっていますよ旦那さん。
人の色事見る奴は、馬に蹴られて・・・の世界ですね。
でもそれを易々問屋が卸すはずがありません。どこにも天敵は存在します。
ひゅ――――――るるる・・・トン! テン!! カアン!!!
「痛〜イ」(三匹同時に)
「何すんねん」
兄の一狼太が頭を抱えて(?)後ろを振り返りぎくりとする。
背後にとてつもないオーラを背負った老婆が一人、樫の大木の上に立っていた。
「お主達、此処で何をしておる。見張りはどうしたのじゃ、ん?」
とんでもないところを見つけられて、犬神達が震え上がる。
「げっ、比之木の婆、あの、えっと・・一応何事も無いかと思って見回りなぞ・・・」
それでも気丈に長男(?)・一狼太、どもりながらも何とか取り繕おうと努力する。
それが火に油を注ぎ込む事になろうとは露知らず。
老婆の瞳の奥がきらりと光る。
それでも口元には至上の笑みを浮かべ――想像もしたくは無いのだが――優しい声音で尋ねてくる。
「お主達、今年で齢幾つに・・なった? ん?」
「五十と六つです! 婆様」
二狼太は元々お調子者。老婆の微妙な変化になんかに頓着しない。素直に素直に答える。
「そうかそうか、五十と六つか・・五十と六つとな・・ってボケている場合か、このたわけ者が! 妖籍の末席に名を連ねたばかりお主達は、まだ妖かしに毛が生えたくらいの存在じゃぞ。そのひよっこが、こんな夜更けに何故此処に居る?」
老婆の剣幕に首をすっこめた三匹は、お互い顔を見合わせて、その中で一番めげていない二狼太が第一声をあげる。
「後学のために〜」
続いて三狼太。
「と、あんちゃん達が言っとったから・・・」
それを聞いて慌てたのが一狼太、
「あ、馬鹿、そんなこと言ったら――」
そう、雉も鳴かずば撃たれまい・・・ブチッと堪忍袋の緒が切れる音がして、米神の血管を浮き上がらせた比之木が、黙って懐から何やらを取り出した。
「げっ、芭蕉扇!?」
「あー分かった、俺達が悪い!だからお婆、落ち着け!」
取り出された物を見てギョッとなる一狼太と二狼太。
三狼太にはそれが何なのかわからない。
「あれ、何? あんちゃん」
一郎太はごくりと喉を鳴らし、後ずさりしながら三郎太に説明してやる。
「三狼太、あれはな、芭蕉扇といって昔――」
「そう去る時代、妖魔が所有し、使ったという唐渡りの魔具――」
一狼太の話を割って、比之木が説明する。
右手には芭蕉扇、それを左掌の上でぽんぽんたたきながら、見詰めてくるその目が据わっている。嫌な予感がした。
「三狼太、安心おし、いい子には使わない・・・人の色恋語るには百年早いという事を、骨身によーく染みさせる必要のある者に使う物じゃ・・そうじゃな――」
そう言って、右手をいっぱいまで振り上げると、
「お前達――っ!」
問答無用の速さで、芭蕉扇を振り下ろした。
ゴォ――――――ッ
いきなり生じた風が、大きな唸り声を上げて、一狼太と二狼太に向かって襲い掛かった。
と、見る間に二匹は山の向こう、それよりずっと彼方へ飛ばされ、点となり、消えていった。
「おお、よお飛ぶ、よお飛ぶ。さすがは芭蕉扇、一山に及ぶ山火事も一瞬に消せると言われておるだけの事はある。あれなら今夜一晩、帰ってこられんのう」
額に手をかざし、遠目で二人の行方を追いながら比之木は言うと、両手を腰に当て、カッカと高笑いした。
「・・・ふぇ」
三狼太が泣き出した。
その様子を見て、比之木は優しい眼差しで三狼太を慰める。
「心配せずとも良い・・兄達は、また戻ってくる・・必死でな。お前もねぐらに戻って休め。後はわれが引き受けよう。今宵はあの二人にとって、特別な夜なのじゃよ。二人きりにしてやれ・・・」
そう言うと、樫の木の枝に腰をかけて、夜空を見上げた。
「月が、ほんに綺麗じゃ・・・」
三狼太は月どころではない。一人(?)残され、途方にくれる。
「あんちゃ―――ん」
その夜、吉野の山々に狼の遠吠えがこだましたとか、しなかったとか。
吉野の夜も、また風流でよいものである――
 

≪閑話休題≫
見上げれば月明かり 真の姿は一つなのに
うつむく瞳に その真実は映らない
人ゆえの 愚かしさ
人ゆえの 愛おしさ
――二人の物語が、また動き始めた
 

【明けゆけば、後朝(きぬぎぬ)の・・・】
漆黒の闇が広がる・・・
寒さに自分の身を掻き抱き、自問自答する。
――寂しいのは誰だ? お前か?
身も心も凍てつきそうだった。
かけがえの無い者を無くし、他人の中で生きるうち、生きている意味さえ分からなくなっていた。
それでも死ぬ事だけは許されず、生きている証を探すように、唯ひたすら生きた。
そして見つけた。生きている意味――その行動は死に場所を求めていながら、人のために何かをせずにいられない、そんな熱い心を持った娘と出会った。
その明けの明星を思わせる冴え冴えとした光を宿した瞳が、必死で自分に問い掛けてきた。
忘れかけていた心が蘇る。それと共に漆黒の闇に、明かりがともった。
――お前のためになら、この命かけられる・・・いや、そうではないな・・正確に言えば、共に生きるために戦えると、言うべきか・・・
「さ・こ・・ん」
微かに遠くから自分の名を呼ばれたような気がした。
ここで自分の名を呼んでくれる者などいない。
そう思い、更に当ても無く闇を歩き続けようとした。
――――!?
その時鼻先を青い光が掠めた。
よく見ると不思議な光を放つ蝶が、闇の中をひらひらと、まるで左近を誘うように飛んでいた。左近の思考が軽い眩暈と共に突然鈍る。
左近は思考を奪われたまま、蝶の誘う方向へその足を進め始めた。
次第に自分を呼ぶ声が大きくなる。
「左近・・・」
その声の主がはっきり分かる頃、左近の体を暖かな密度の濃い大気が包みだした。
頭上から、揺れる大気の波を通して、眩しい光が射しこんで来る。
左近は、湖底からその光を見上げているような位置にいた。
誰かがゆっくりと降りてくるのが見えた。逆光でその顔は確認できない。
だが、それが誰なのか左近は知っていた。その者の影の輪郭さえ忘れるはずも無かった。左近に向かって手が差し伸べられる。
「・・か?」
左近が名を呼ぶと、相手が微かに頷く。
左近は小首を傾げながら瞼を伏せ、ふっと吐息と共に口元をほころばせた。
そして再び目を開けると、手を伸ばし、迷わずその者の手を取った。
温かな思念が、指の先から左近の心へと直に伝わってくる。
眩しい光は下界へと続く道。自分の帰りを待ちわびる者がいた。
ぐっと頭上の光を見据え、左近は地面を強く蹴った。
誘う者がいる。誘われる者がいる。
今、この瞬間――左近の覚醒である。
 

「う・・ん」
けだるい眠りが、まだ体を支配している。
左近は物憂げに、その重たい瞼をゆっくりと開けた。
顔に直接降り注ぐ光。眩しくて何も見えない。
未だ夢と現実の狭間を意識が彷徨っているような感じが残る。
「目が覚めたか? 左近」
その声に、急に現実味を帯び始める世界。
左近はゆっくりと上体を起こした。
肩の辺りから上掛けのように掛けられていた女物の小袖がずり落ちて、左近の腰より上の裸身が差し込む光に照らし出される。左近は眩しさに目を細め、腕で日差しを遮った。
天上岩から漏れる光そのものは強くはないが、目が慣れるのに暫しの時が要った。
光の向こうに目を凝らす。
すると空間の隅、洞窟の奥まった所に、人の姿を見つけた。
「綾女・・・」
綾女は手元に降り注ぐ細い光を頼りに、何かを繕っているところであった。
器用に針を持つ手が動かされ、裂けていた生地が丁寧に繕われていく。
視線を感じ、綾女が針を動かす手を止めた。
「どうした? 何を呆けている?」
左近は、綾女の針を使う姿に暫し見とれていたのだが、我に返り、尋ねた。
「俺は死んだのではなかったのか?」
その話かと言わんばかりに、綾女は繕い物の方に視線を戻し、再び手を動かし始めた。
手を動かしながら綾女が答える。
「死んでいたさ・・だが、お節介な奴がいて、霊験あらたかな場所があるとか言われ、問答無用で此処に連れてこられた――此処は吉野だ」
そう言いながら、糸で結び玉を作り、糸を口の端に掛けて、それを噛み切った。
「ほら!」
繕い終えたばかり物を丸めて、左近に投げてよこす
左近が怪訝顔でそれを受け取り、布地を広げてみた。
自分が着ていた忍び装束――安土での最終決戦の際、刀傷でずたずたになった代物が丁寧に直されていた。
直しはできているが、血染めになった跡は生々しく残っている。
「今はそれを着ておけ。着る物が他に無いからな。後で私が里に行き調達して来よう。それまでの辛抱だ。幸い此処は山の中だ。訪れる者も少ないだろう。その装束で糧を探しに外に出ても、怪しまれる事も無いはずだ」
綾女は素気無く言い放ち、そっぽを向く。
「くっ」
左近が思わず笑いを漏らした。
「何が可笑しい!?」
綾女はかっとなり、左近のほうを振り返った。
そして顔を赤らめ、もう一度壁の方を向いて怒鳴り返す。
正にその時、左近は立ち上がり、全裸をさらして着替えに入る所であった。
いくら旅を一緒にした仲とはいえ、男の裸なぞあまり遭遇した事の無い初心な綾女である。
左近の知らぬ間に、成り行きで左近と一夜を契ったが、それでもその裸身を直視できるほど歳は重ねていない綾女であった。
その慌てぶりをいとおしげに見詰めながら、左近が誤解だと説く。
「そなたに、このような才があろうとは思いもしなかったのでな・・女子にとっては極在り来りの事かも知れぬが、お前は女であると共に、俺の中では信長を討つための同胞でもあったからな。綾之介の時の印象がどうしても強くなる・・ふっ、因果なものだ」
左近の声を背に聞きながら、綾女はじっと頑なに壁の方を向いていた。
左近からすれば、反応を返してくれない綾女をつれなく感じるかもしれないが、綾女の心情は今、それどころでは無くなっていたのだ。
昨夜の契りの余韻が思い出されて、体に熱が帯び始める。
自然息が上がり、それを左近の目から隠すのに精一杯であった。
こんな事は生まれて初めての事である。
これまでがあまりに禁欲的であったせいもあるかもしれない。
仇討ち一本に命を賭けて、女になるつもりなどさらさら無かったのに、思わぬところで女の性(さが)を知ってしまった。
一度この身に性を覚えてしまうと、もう昔の自分に戻れないという恐怖が付いて回る。
自分を制御できない人間だけにはなりたくなかった。
綾女は後ろに左近の着替えの気配を感じながら、静かに息を整えた。
そして左近に背を向けながら、気がかりだった事を問い掛ける。
「体は・・もういいのか?」
左近はふと着替える手を止めて、綾女の背を見た。
「ああ、いい具合だ。むしろ調子が良すぎて怖いくらい――」
そこまで答えて左近は押し黙る。自分の傷は死んでも可笑しくないほど重症だったはずだ。
あの戦いからどのくらいの時が流れたかは知らないが、ちょっとやそっとで直る傷ではない。
左近は嫌な予感がした。
「綾女・・・あれから俺はどのくらいの日日此処で眠っていた――?」
綾女は一瞬肩を戦慄(わなな)かせた。
来るべき時が来た事を悟り、苦渋のあまり眉を寄せながら、双眸をきつく閉じる。
その質問が左近の口からついて出る事は、最初から覚悟の上であったが、どう話を切り出して良いものか、綾女は迷った。
「綾女! 何故黙っている! 答えられぬのか!?」
綾女はきゅっと下唇を噛むと、意を決して両の目を見開いた。
そして左近の方へ向き直ると、これまでとは異なり、幾分沈鬱な面差しで、それでも目だけは真剣に左近を見据えながら、説明し始めた。
「これが何か分かるか?」
綾女が右手掌の方を上向けて、静かに念じる様子を見せると、掌から何か青い光をしたものが浮かび上がってきた。
そして一際その光が強く輝くと、それは綾女の持つ妖刀――小太刀に姿を変えた。
「これが一つの答えだ・・・」
綾女はそう言うと、妖刀を元のように掌に収め、そしてうな垂れた。
一方、左近は綾女のする事を固唾を飲んで見守っていたが、事の顛末を見て、その尋常でない光景に顔を引きつらせた。
そして静かに、しかし怒りを含んだような低い声で、綾女に問いただした。
「これが答えだと!? 笑わせるな! 先ほどのあれは何だ? あれで説明したと本当に思っているのか! 詳しく話せ、綾女! 俺が眠って間に何があった? お前の身に何が起こった? 一体全体どうしたというのだ? 綾女、答えろ!!」
その声は次第に大きくなり、綾女の心に深くつき刺さった。
そして声に攻め立てられながら、途中左近に掴まれた上腕がきりきり痛み、その痛みがまた綾女の心を締め付けた。
「――?」
思いのたけを言葉にぶつけて、左近は息を切らしながら、それでも綾女を見詰め、綾女の次の行動を待った。
綾女は唯うつむいたまま、黙っていた。その細い肩が微かに震えている。
そして最初呟くように、やがてその言葉は、自分の心を己の生爪で深くえぐり取るような悲痛な叫びを伴って、綾女の口から搾るように出された。
「・・・如何すれば・・よかった・と・・言うのだ? 一人残されて・・あの時如何したら良かったと・・言うのだ!?」
その顔が引き上げられる。
大粒の涙をぼろぼろと零しながら、左近を見詰める瞳はきつく、それでいてどこか絶望を秘めたように物悲しく、左近の瞳を見詰め返していた。
綾女はあの時必死だった。それを左近に攻められているようで、綾女は悲しかった。
力無くその後に言葉が続く。
「お前がいなくなり、私の手には二振りの太刀だけが残された・・そして然る妖魔にその刀の業を聞かされ、あまつさえその業を背負える者は、自分とお前しかいないと聞かされ・・・はっ、どれだけ詰(なじ)られようと、誰に謗(そし)られようと、私は同胞が欲しかった・・・一人では、一人きりで負いきれるものではなかったから・・・私は・・私は・・」
「もういい!」
左近の言葉で綾女の独白は遮られた。そして代わりに左近の腕が、綾女の華奢な肩をきつく掻き抱いていた。
「左・・近?」
腕の中で綾女が、驚いたような声を出す。
「いいから黙れ! お前は苦しんだのだろう? それならいい・・それなら俺の身に何が起ころうとも、俺なら大丈夫だ・・俺も影忍の一人、日向忍群が一、疾風の左近であろう?」
その物言いに綾女は泣き笑いし、
「ああ、そうであったな・・・」
と、今更ながら再認識するように呟くのであった。
左近の言葉やその心が、回された腕の温もりを通して綾女の心に染みてくる。
次第に綾女の心は、静かに凪いでいった。
「綾女、一つ聞いても良いか?」
左近が口を開いた。
「何だ?」
綾女はすんと、一つ鼻を啜(すす)ると、涙の跡の残る目で左近を仰ぎ見た。
「お前の小太刀はお前の体の一部として吸収されている・・それは分かった。ならば俺の体もたぶん妖刀の憑人(よりまし)となっているということだな?」
綾女は真顔に戻り、左近に答えて返した。
「ああ、たぶんな・・・比之木と名乗る妖魔の言うには、影忍という人間の鞘を亡くすと、妖刀は暴走を始め、自然界をも巻き込む惨事を招くという事だった。嘘か誠かは知らぬが、あの妖魔、これまで私達が戦ってきた奴等とはどうも勝手が違う気がした・・・」
その答えに対して左近は、
「・・・妖かしとは言っても、その言葉一つで片付けられるものでは無いという事だな」
と、言って顎に手をやり、何かしら考える素振りを見せた。
「左近――?」
「いや・・これからもはぐれ妖魔との戦いが続くだろうが、時と場合を見定める必要が出てくるやも知れぬ、と思うてな・・・」
「妖魔は全て討ち滅ぼせば良い――というわけでは無いと?」
「ああ、この世には妖魔以上に邪悪な人間も存在する。妖魔の所業と見せかけて、その実、後ろで糸を引くのは人間と言う場合もある。それを見定めねばならぬだろう・・・」
「そうだな・・・」
綾女は左近の言葉を重く受け止めた。
綾女は比之木の言葉を思い出した。
『この世が人間だけのものとは思わぬ事だな――』
確かにそうかもしれない。姿ある者無い者、全てがこの世をよりましとして生きている。その存在の善悪は別として、どんな者にも生きる権利はあるはずだ。
ならば自分達も持てる力の全てを注ぎ込み、足掻いて生きていこうと思う
それがこの世を生きるもの達への最低の礼儀だと思うから――
 

綾女はふと、自分がまだ左近の両腕の中にいるという事実に気が付いた。
急に羞恥が首をもたげる。
更に左近の前で涙を流したという醜態(?)が脳裏を過(よ)ぎり、その羞恥に追い討ちをかけた。
もういいとばかりにもがいて、左近の広い胸を押し返すと、綾女の態度の急変に左近は苦笑して、それでもその腕を解いてくれた。
左近がからかい調子で綾女に問う。
「それにしても不思議なものだ。あれだけの傷をどうして直す事ができたのか、参考までに聞かてもらいたいところだな」
直後綾女の顔が朱に染まる。
穴があったら入りたいとはこういう時に使う言葉か!?
あの時の行動は、自分のものであって自分では無かった。
できれば昨夜の出来事は、記憶の隅に追いやりたい気分であった。
本当に左近は何も覚えていないのだろうか――?
知っていて自分をからかっているだけではないのかと、勘ぐりたくもなる。
ちらりと左近の顔を不信の眼差しで見上げるが、当の本人は、ん?とばかりに綾女の顔を上から覗き込んでくる。
その能天気具合が何となく癪に来て――何が癪に来たかは追求せずに、思い切り顰(しか)め面をして返してやった。
突然の反撃に怪訝顔の左近をきっぱり見切り、綾女は少し左近との間に距離を置くと、同じくからかい調子で、幾分いや半分以上本気で左近に釘をさす。
「一生考えていろ! 大体どれだけ傷を負えば気が済む!? 傷は男の勲章と誇る前に、忍びにとっては恥でしかないぞ・・・生きて・・生きて帰ってこそ、忍びは評価されるのだ。分かっているのか!?」
左近はそれを聞いて苦笑し、やれやれといった仕草で、それでも優しい眼差しを忘れず、
こちらも半分真顔で答える。
「他人の評価なぞどうでもいいがな・・死んで仕舞っては守りたい者も守れなくなるな・・
それは不味い。これからは自重する事としよう・・・それで良かろう? 綾女」
意味ありげな眼差しで綾女の方に視線を向ける。
そう、綾女が無茶をしなければ左近も危ない目に遭わずに済む。
左近の言いたい事が綾女にも分かったのだろう、思わず左近を睨みつける。
そこは左近、暖簾に腕押しである。
何食わぬ顔を装いつつ、心の中では苦笑していた
――それでもお主は無理を承知で火の中に飛び込んでいくのであろうな・・・
そして、そんな綾女の後を自分も追っていくのだろうと自覚していた。
――朧衆の一人であった良庵が言っていたな・・そんな事をして悟りなぞ開けるものかと・・
確かに俺では無理であろうな・・・
既に綾女に関する自分の行動は重症の域にある。
左近は、未だ自分を睨みつける綾女と自分との間合いをじりじりと詰め、その腕を取ると自分の方に強引に引き寄せた。綾女の体が左近の中に誘い込まれる。
「な、何を――」
その言葉が左近の唇によって吸い取られる。
一度重ね合わされた唇は、すぐに許された。
「馬鹿っ!!」
綾女の罵声が飛び、平手が左近の頬を掠めた。
それを難無くかわし、左近は綾女の顔を間近で覗き込んだ。
その瞳が優しい。綾女はその瞳に見詰められ、返す言葉を失った。
この瞳の光を守りたかった――その気持ちを思い出し、綾女は自然と瞼を閉じていく。
「もう心配を掛けさせるな・・いつ死ぬか、もう死ぬか考えていたら、私の寿命が持たぬは・・・」
左近が吐息で笑い、その言葉に答えてやる。
「そうだな・・今後は気をつけよう・・・」
「馬鹿・・・」
そして自然に二人の唇が重ね合わされた――そこには嘘偽りも誤魔化しも存在していなかった。
二人の気持ちが初めて一つになった瞬間であった――
 
 

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