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  「風の行方」  4
 

 おどろいたなあ、どうも。
 おまえに会えるなんてさ。
 生きてみるもんだな。
 こんなに、なっても、うれしい事、あるんだな。
 迎えにきて、くれたのかい?
 ……それとも、送って、欲しいのかい?

                              *
 日が沈すると、たちまち、景色は黒に塗り込められる。
 今、天空を彩るのは自らは光を発しない冷たい天体たちだ。
 夜の獣道を確かな足取りで急ぐ僧形の男。
 言うまでもない、吾空である。
 あの後、夜気に頬を叩かれ、目を覚ましたのだが、その事に当の本人が一番驚いていた。
 (とどめを、ささなんだか・・・。)
 すでに、二人?は姿を消している。
 (追わなくては・・・。)
 とはいえ、辺りを探っても、去り人の手掛かりとなるような物も、心当たりもない。
 だから、今は額に薄汗をにじませ、ただひたすらに小屋を目指している。
 (今更、戻ってなんになろう。)
 その顔色は、紙のように白く、無表情だ。
 やがて、夜空よりなお暗く、何かの象徴のように小屋が見えた。
 佐吉や徳次と名乗る男はともかく、主たる樵の姿もない。こんな夜更けに、である。
 所在なく周辺を見渡す。しん、と静まり返り、木々の囁きさえ耳にすることができそう
だ。
(?)
 突然、ある事実に気づいた。微かな戦慄が背を走る。
(些細なことだ。そう、なにか理由があるのやも知れん。) 
 あらためて小屋の中にも足を踏み入れた。些細な疑問は、確信に変わりつつあった。
(佐吉。おらぬのか。)
 ふと、心細くなっている自分に気づき、吾空は猛烈に佐吉をうらんだ。
 用心にと心張棒(戸のつっかい棒)を掴みしめ、小屋を出た吾空の視線に、盛られたば
かりの土饅頭が映った。
(どうなっておるのだ。)
 土饅頭の前にたたずみ、途方に暮れる。
 がさり
 茂みを分ける音に、顔を上げる。
 腹から湧き上がる、絶望によく似た感情を抑え、笑みさえ浮かべつつ
「まだ、御名をうかがってはおりませんでしたな。」
 小屋の屋根にまで、達しそうな影に語りかける。
 おおおおおん
 応えは夜気をかき乱す咆哮だった。

                               *
「しくじったな・・。」
 先を行く人物の呟きを耳にして、佐吉は立ち止まった。
「小屋に戻ったようだ・・・。」
 くるりと、踵を返し、さっさと今来た道を戻り始める。
「どうしてそんなことが、わかるんだ。」
 声を荒げて佐吉は呼びかける。
 可笑しなことに、返事にはやや、笑いが含まれているように感じた。
「風で、分かるのだ。急ぐぞ」
 大体、こいつは何モンだ。それより、得体の知れねえ相手に、ほいほい事情を話し、あ
げくに、付いて歩いている自分はなんだ。
振り回されっぱなしで、血が上った頭で佐吉は思っていた。
この俺に、気取られずに接近した上に、夜の獣道をまるで自分の庭みてえに歩きやがる。
「先に行く。」
 いうなり、そいつはそれこそ風のように駆け出す。
「冗談。」
 余裕のある返事をしたつもりだったが、正直、付いていくのがやっとだった。 
 まったく、なんてえ奴だ。
 
                               *
 どうして、よってくるんだよ。
 俺は、ただ、生きてたいだけなんだよう。
 生きるために、ただ、生きるために生きてるだけだのに。
 どうして、なんだ。
 
                               *
「残念ながら、お坊様。こいつにゃ、名前なんて、ねえんです。」
 八角の姿は見えず、声のみが響いた。
「墓に名を書いてやりてえんなら、そいつはいらねえ気遣いで。」
 化け物の背後から、勝ち誇り、語り続けようとする八角が固まった。
 巨体がもたらす影に身をひたしつつ、僧がこう口にするのを聞いたためである。
「残念ながら、八角殿。こいつは、あなたの後ろのお方に聞いていることでして。」
 八角の背後に、重い闇がわだかまっている。愕然としつつも、八角は背後を振り向かず
に、横っ飛びに頭から藪につっこんでいった。
 吾空はそれには目もくれず、というのもそんな余裕がない為なのだが、ゆっくりと語りかけた。
「樵殿、この小屋には、薪も、鉈も、いや、それどころか鍋や湯飲みすら、見当たらない。」
 一息ついて、続ける。
「あなたはここで、何をして、暮らしておられる?いや、何を食して?」
 くくくく
藪から、八角の笑い声が聞こえた。
「そんなこと、わかっておりやしょう。だからこそ、ここへきなさったんでしょうが」
 おおおおん
 おおおおん
「おお、やっぱり、そうか。お前さんも、覚えていりゃ、ざそ懐かしかろうよ。」
 衝撃波さえともなう哭き声に、しかし二つめの影は微動だにしない。泣き続ける醜悪な赤子を一心に見詰めている。
「その様子じゃ、徳次はしくじりゃがったな。こっちから、いくぜ。どうせ、行き着く先
ゃいっしょだ。」
ただ、八角のみが語り続ける、その口調は狂喜している者のそれだ。
「これで、ようやく、望みが叶う。手出ししねえなら、坊様よ、いい目みせてやれますぜ。」
 藪から、鋭い輝きが銀の軌跡を引きながら、突っ立ったままの樵の顔面に突き刺さった。
 ぐわう ぐわう 
 ぎおう
 獣じみた絶叫をあげて、樵が荒れ狂う。
 と、見る間にその姿を変えていった。顔を抑える両の手には鋭い剛毛が生じ、太さも倍増しでは利かぬ程、膨れていく。その手指の隙からのぞく薄黄色いものは、牙であろうか。胸板は女の如く盛り上がり、それを支える下肢は、まるでしめ縄の束だ。身に付けていたものは千切れ、細かな小片となって散った。
 樵を襲った輝きの正体は小ぶりの鎖鎌であった。ずっと、懐に隠し持っていたのであろう。すばやく手元に引き戻しつつ、
「へへへ、そうこなっくちゃあ、甲斐がねえぜ。」
 ほくそえみながら、無残な攻撃を仕掛けた本人は何を思うてか、そのまま、のこのこと二つの間に歩み出てきた。
「私たちが取れるのは、西方浄土への旅路しかないように思うが。」
 吾空がぼそりと呟く。その呟きに被さるように、
「坊主っ、伏せとけっ。」
 佐吉の叫びが、世界をほんの一時、蒼く染めた。
 
 

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