menu「風の行方」 3
よう、おめえさん、一人旅なのかい?
え、心強い連れがいる?後から落ち合う手筈ンでもなってんのかい?違うって?ふうむ。
ま、いいさね。ところで、よ、知ってますかい?ここんこと流れている物騒な噂を。何
がって?村焼きだよ、大方、戦が無くなって食うに困った連中が、暴れまわっているんだ
ろうがね。そいつが、ひでえんだよ。必ず、皆殺しにする畜生共なんですよ。
それがまた、なんでも薄ッ気味悪い噂がついてて、焼け跡から、化けモンが出て来たと
か、人がねじれていたとか、そう、雑巾みたくね。え、信じられるかい?その他にも、あ
るよ。鉄鍋に人の食いさした跡がついてたとか、色々な。生き残りなんかいねえから、何
があったか知るモンもいねえとくる。
こっからが、本題でよ。あったらしいんだと。ここの近くでさ。あ?そうだよ。その焼
き打ちがさ。どこかから、流れ者が集まってきて、住み着いてたんだがね。ああ、ここと
も、すこうし、遣り取りがあってね。いい毛皮とか、山菜とかを持ってくるんで、塩や米
と交換しててね。
ところが、もう十日くれえ前から、音沙汰がねえんですよ。ああ、こりゃやられたなと。
若いもんが様子見に行くっていうがね。どうも、危ねえよなあ、こっちに飛び火しかねね
えしなあ。まあだ、あの辺、うろうろしとる人影、見たっつう奴もおるしさ。
ん?おめえさん、どうした?でかける?ええっ、まさか、そこへかい?よしなせえ。危
ねえよ。ああ、確かに、おめえさん、腕は立つがさあ。あの長虫の六蔵を、軽く投げ飛ば
した時にゃ、もう、胸がすうっとしたさ。あの大将、あれからすっかり大人しくなってね。
皆、大助かりさ。
んでも、よう。どうしても、いくのかい?ああ、もう、確かに、旦那にこの話したのは
アタシですがね。何とは無く、旦那向きだとは思ったけどさあ。しょうがねえなあ。途中
にね、小屋がある、必ずそこで一息ついてから、行きなせえよ。もう、ずううっと人が住
んでいねえんで、ひでえあばら家だがね、野宿はいくらなんでも、物騒だよ。
本当なら、おめえさんみたいに腕のたつ旦那には、いてもらいたいんだけどなあ。
ああ、もう、引き止めんですよ。おめえさん、なんか大きな目的があるんだろ。はは、
わかるさ、これでも、伊達に飲み屋の亭主、勤めちゃいねえよ。
じゃあ、お気お付けなせえ。くれぐれも用心してくださいよ。本当にね。
そうだ、ことが済んだら、一つ、ご馳走させてくんなせえ。約束ですぜ。*
朱。
動物は本能的に、この色に惹きつけられる。
命の色、鮮やかな情熱、意味を持つ色。
注目、警告、危険を示す色。
ただ、今は優しく締め付けるような郷愁を持って、見る者を圧倒している。
夕焼け。*
木立の中にのっそりと立つ二つの人影を見つけ、吾空はわざと足音をたてつつ近づいて
いった。あの小男と八角だ。
「見事な眺めですな。」
糸で繋がってでもいるように同時にゆっくりと振り向いた二人に声をかける。
「ああ、本当に見事なもんです。」
じっと、こちらを見つめる小男とは対照的に愛想良く八角が応えた。
「俺ゃね、お坊さま、夕焼けがたまらなく好きでね、それとおんなし位ェ怖いんでさ。」
「ほう、怖いとは、いったい?」
「へへ、餓鬼みてえなんですが、要するに暗くなんのがおっかねんですよ。」
「・・・人は常に闇を恐れる。明かりを燈してみても、所詮、人の作り出した偽りの灯火、
自然のままの真の闇などはらえぬものです。」
「そう、流石坊さまだ、学のある言いかたをしなさるなあ。」
「はは、あまり持ち上げんで下さい。師匠の受け売りでしてな、私は暗闇など照らしてし
まえば良いと思っている無粋者です。」
「こいつあ、恐れ入りやした。確かに照らしちまえばいいんですがね。」
その時、それまで黙りこくって沈み往く日を、食い入るように見つめていた小男が、不
に低くうなりだした。しゃがみこんで体を前後に揺らし、目は宙を泳いでいる。
「おい、これ、どうしたのだよ。しっかりしねえかい、おい。」
あわててなだめる八角の声も耳に入っている様子はない。ますます体を激しく揺らし、
うう、うう、と唸り続ける。
「どこか痛むのですか?」
そう尋ねながら小男を覗きこんだ吾空の首筋に、背後から八角の手刀が振り下ろされた。
*
俺の、他に、誰かいるのかい。
ああ、いるんだな。
なんだか、よく見えねえよ。あんた本当にそこにいるのかい。
いるんだったら、返事くれえしとくれよ。
あんた、近くに居んだろ、なあ。*
日が暮れるに伴い、小屋は急速に暗色に包まれた。煙出しの穴以外に灯り取りになるよ
うな所は見当たらないせいだろう。風が抜けないので、空気がぬるくよどんでいる。
佐吉は薪ぐらい集めようかとも考えたが、
(樵小屋で薪集めもねえもんだ)
思わず苦笑した。なるほど、樵が薪を絶やす事はあるまい。
小屋には今、佐吉一人である。日が落ちる前に夕餉の足しに山菜でもと、樵と徳次は藪
に分け入っていったのだ。
(火ぐれえ起こしておくか)
佐吉は立ち上がり小屋を出た。日は完全に没し、夕焼けの名残が山際を縁取っている。
夜の冷気を含んだ風が心地よい。小屋の周囲を一回りして薪を探そうと、右手を向いたと
き、出し抜けにすぐそばの茂みが動いた。僅かばかり動揺したせいか、反射的に伸びた手は腰の脇差ではなく、懐に入っていた。指先に小さく細い物が触れた。しかし、
いけねえ
佐吉は激しく舌打ちしていた。
こいつは切り札だ、まだ使うときじゃねえ。相手をよく見極めてからでなくては、使えねえ。
すばやく茂みとは距離を大きく開けるように移動したが、声を掛けたものかどうか迷っ
た。相手が獰猛な獣だとしたら、うかつな事は出来ない。
幸い、佐吉の迷いはすぐ解消された。茂みから男が現われたのだ。
火鉢の灰のような顔色の男の体は所々、朱に染まっている。まず、助かるまい。
その男は、徳次だった。
とりあえず、抱き起こしたが佐吉が出来ることは、それ以外は何もなかった。溢れ出る
血潮のため傷所をあらためる事も適わない
「ちくしょおお、ちくしょ、ここまで、きて、おいて。おお。」
佐吉は、とめどなく怨嗟の声を並べる徳次を止めようとはしなかった。もはや、止める
意味がない。
「ああ、くらく、なって、きやがった。くしょう、ちくしょうめ。」
「……おい、お前さんをこんな目にあわせたのは、一体誰だ?」
あまり期待をせずに佐吉は問い掛けた。こちらの声が聞こえているのかどうかも怪しい。
が、驚くべき事に返事はあった。尋常ならざる体力ではある。
「しってどうする、よ。どうで、おめえも、おなじ、さだめ、よ。」
「あきれた奴だな、へらず口をたたく余裕があるのか。さ、あまり時間はねえぞ。あの世
に往くめえに言いたいことを吐き出しとけよ。」
「なに、いって、やがる。てめえも、欲かいて、きたんだろうが。」
「欲?なんだそれは?この辺にお宝でも転がってんのか?」
「へっ、とぼけ、なさんな。…ほんとに、しらねえ、のか?へへ、こいつぁ、いいや」
徳次は口腔にたまった血をぐっと飲み干すと、ぐいと佐吉の方へと身を乗り出してきた。
「ひ、ひとつだけ、おしえて、やる。お、おれの、つれ、あ、あいつと、あの、おとこに
はな、繋がりがあんのよ。だ、だから、おれたちは、ここに、これたんだ。」
「おい、それはどういう意味だ?」
「あ、あんたらも、ここに、これたってことは、くく、まさかな。」
「おい、もっとわかり易く言えっ。おいっ。」
「もう、すこしで、し、死ななくても、す、すんだのに。」
ひゅうっと、徳次が息をのんだ。次の瞬間
「ちっくしょおおお」
かっと、目を見開き、そのまま、絶息した。
「ちっ。肝心な事は言わず終いか。思わせぶりな事ばかり言いやがって。」
「こちらは、片がついたか。」
何の前触れも無く掛けられた声に、佐吉は、今度こそ芯から動揺した。*
美しい夕映えのなか、振り下ろされた八角の手刀は、鈍い音ともに宙に静止していた。
それは、吾空の首には届かず、その手にしたものに止められているのである。
一見、頼りなさそうな僧の反撃に自称芸人は、ひるんでいた。
「沙門を手に掛けると、七代祟りますぞ。」
小男の傍らに屈みこみざまに、懐から出した独鈷所を手に吾空は涼しげに微笑んだ。
後ろに回りこんだ八角から、一瞬の殺気を感じ取り、その攻撃を受け止めることが出来
るとは、この僧もただ者ではなかった。
あまりのことに、次の手に移れずにいる八角の逆をとるのは、わけのないことであった。
「さ、話して頂こうか、あなたがたの知る全てを。」
むしろ、穏やかに尋ねる。
返答は、辺りに響く笑い声。
何故、笑う?吾空が訝しく思ったその時、小男から発せられた異常な気配が伝わり、思わず八角のことを一瞬忘れた。
吾空の視線の先で、ゆっくりと、いやいやをするように立ち上がった小男の着物の中に
何かが蠢いている。いや、露出している腕や足も、波打っている。着物の中ではなく、体
内に何かが生じつつある。
小男が身を揉むように、着物の前を開いた。
びゅっと、何かが吾空の頬を薙ぎ、後ろの木立に命中した。ただの一撃で、木は弾けた。折れたのではなく、圧倒的なパワーによって破裂してしまったのだ。あまりの事に、立ち
竦む僧の手を振り解き、転がるように八角が木立の中に駆け込んでいく。
その間にも、変化は続いていた。皮膚は、血管が表皮付近まで押し上げられている為に、
赤黒く染まっていく。頭部と胴体は腫れ上がり、そこに不吉な蛇の如く浮き出た血管が脈打っている。そこには冗談の如く、ほぼ原型の手足がくっついている。まるで巨大な赤子のように見えなくもない。
おおおおおん
再び、口腔から、舌がせり出し、しなやかな鞭と化して大地をえぐった。立ち木を一瞬にて破砕せしめるパワーを秘めた衝撃を食らって吹っ飛び、受け身も取れないまま、木に激突する。色彩のみが、視界を目まぐるしく移動していく。打撲による呼吸困難から回復しようと、吾空は大きくあえいだ。
こんなところで、意識を失ったら、結果は火を見るより明らかだ。
三度、舌が閃き吾空がもたれた木を破砕する。地に叩き伏せられながら、吾空は微かな
違和感を感じた。
「やはり、こいつでは、役不足だな。」
最後に八角の呟きを、吾空は確かにそう聞いた。