menu鬼灯(ほおずき)第三話
【幼なじみ】
越のしらね、その大神が錦を纏って里の裾野に降り立つ――秋。
見上げる峰は常世の雪を抱き、麓に向かう裾濃(すそご)は紅葉鮮やか、その裾さばきの見事な事、筆舌に尽くしがたい眺めである。
ブナ・クヌギ・ミズナラ・コナラ・・その足元に赤い木の実を実らせる潅木多種。
木々の梢を掻い潜り、小鳥達がやってきてはこれらの木の実を忙しなく啄ばんでいく。
先頃里では天がぐんと高くなり、いわし雲が帯広に空を渡る中で、胴体を真っ赤に染めきった秋あかねが里を埋め尽くさんばかりに飛びかい始めていた。
この地は山間を縫うように流れる川沿いに開けた山里である。
耕地できる平野は少なく、もっぱら山の傾斜を利用して焼畑を作り、そこへ"出作り"に赴いては雑穀を作って自給自足の生活をしていた。
里の季節は南から吹く風で始まる。
そして、北から吹く海風が山に押し寄せる頃、静かにその生活は深い雪の中に埋もれる。
今はその季節の一つ手前。色付く季節を背景に、二人の童が木々の間を器用にすり抜けながら駆けていた。
ヒュン!
空を切り、タ・ト・ト・と木に突き刺さる鉛色に鈍く光る遊び道具。
戯れるというには少々物騒なものが童の手から次々に放たれた。
この里の子供達は皆風と同じ。
「左近のへたっぴぃ!」
「なにを!」
少女は振り返りつつ少年をからかい、少年は少女の後ろをムキになって追っていく。
少女は少年より2歳年上であった。
名は夕香。里で少女の俊敏さを知らぬ者はいない。
6歳と8歳。この歳の差は天性のものでは埋まらぬものがある。
相手させられる少年は気の毒この上ない。
二人は幼なじみだ。それも隣同士。
左近は記憶のある頃には、この里の頭の屋敷に姉と共にやっかいになっていた。
頭は若く、身内はいない。つまり姉弟とは血のつながりは全くない。
歳の離れた姉の話によると、この里に来た時から"世話になっている"のだという。
ただし、そこに俗人的発想の根拠になるような関係は全くない。
ただ純粋に世話になっているだけである。
「左近! いくよ!」
この夕香の誘いを左近は大の苦手としていた。
朝から晩まで。それこそ天に日があるうち左近は夕香に振り回される。
左近もいい加減学習していいものを、ついつい顔を出してしまい、後で後悔する。
今日も朝から困惑し、大いに迷惑していたのだが、そこはそれ幼いものの思考ゆえ、すぐそんな事も忘れてつい夕香に突っかかっていた。
こうなっては夕香の思う壺。
いつもどおり左近は、夕香の掌の上でいいように扱われていた。この里を"日向の里"と里の者は呼ぶ。
近隣とは隔絶した世界を作る孤立無援の山里であった。
それもそのはず。ここは忍びの里。忍びの一源流(影忍)、日向忍群を輩出する里であった。
その里を現在束ねている頭領は有沢数馬である。
数馬が綾乃左近姉弟を拾ったのが6年前。
あの『風伯の数馬』が日向忍群の頂点に立っていた。
『風伯の〜』というのは数馬の忍びとしての技能を称してつけられた呼び名である。
が、その才は個人技に止まらず、比類なき才は多岐に及んで、歴代最年少にして日向忍群の頭領となった。もともと日向の里に世襲制は存在しない。
問われるのはその実力のみである。
血を重んじる風習がないため、近隣からの拾い子にも頓着せず、優秀な者にはそれ相応の地位が与えられる。
そのかわり脱落する者には最悪の場合"死"が待っていた。
真剣に応じなければ、修練と言えども大怪我を免れない。
怪我は治ればよいが、後遺症を残そうものなら即"役立たず"の烙印が押される。
役に立たねば屑同然。扱いもまた屑同様。
あまりの惨めさに己から死を選ぶ。
それ以前に生き残りを賭けた日常に耐え切れず逃げ出す者もいた。
すると里の者がすぐその始末に動いた。
追っ手にはその者に近しかった者が選ばれる。
その者の思考、癖、端にあってそれを見聞きしたものが適任者として差し向けられる。
昨日の朋をその手にかける――それは心を殺さなければできる所業ではない。
里に残る者の心も試された。
里で今日を生き抜くこと。その緊迫感が技と心に磨きをかける。
日向の里は特異な環境の上に優れた忍びを次々輩出していた。血は重んじない。
が、軽んじられてもいない。
優秀な者から将来優秀な子が生まれる可能性は捨てられてはいなかった。
ただ血が濃くなることは総じて好ましくないのが通例である。
それで失敗した過去もあったため、時々子を産む女は里の外から連れてこられた。
それも少女の頃からである。
里が隠れ里である以上、大人の女では後々面倒が多々あった。
個人的感情で騒がれては困る。何よりこの里の特異なことを外に知られては困る。
必然的に諦めを教え込める女子を里は求める。
買うなり拾うなり、血縁者のおらぬほうが後々恨みを残さず、その処遇を里の長老達で勝手に決められて便宜がよい。
婚姻に地位の上下の垣はない。ただ、里の血は里の長老達の手によって管理されていた。
緻密に人の目が配され、人は人によって監視されていた。場面を戻る。
「こらッ! 夕香ッ! また勝手に道具を持ち出したな!」
いきなり近くで怒声が上がり、夕香は思わず首をすっこめて立ち止まった。
風。その到来を予期して、夕香はすぐ傍の大きな栃の木を素早く見上げた。
「あは。とうさま。いつにもましてお早い」
見上げる大木の上に壮年の男。
その形相は仁王さながら。
「ようもまぁ懲りずに・・このじゃじゃ馬が! 年下相手に何を投げている!」
本心呆れ半分、諦め半分、それでも立場上怒らぬわけにもいかず、容赦なく男は娘を頭から怒鳴りつける。
「捧手裏剣」
ケロリとした表情で夕香は答えた。
その毒気のなさ。
父の溜息はどこそこの淵より深くなる。
「まぁったく。子供の玩具ではないというに。さっさと手にあるものをよこせ」
そして、父親は娘の傍へと飛び降りる。
「それは無理だよ」
「無理とは!?」
「ほとんどそこらの幹に刺さっちゃってるから」
上目遣いに父親を仰ぎ見つつ、夕香は小さく舌を出す。
「お師匠様・・」
そこへ遅れて左近がひょっこり顔を出した。
「左近・・お前もなあ」
あっちこっちに擦り傷、身なりは泥だらけ、笹の枯葉を前髪に引っ付けて現れた少年のいでたちを見て、男は思わずこめかみを押さえる。
夕香の父親は"童衆"の修練を監視指導する立場にある。
童衆とはその名のとおり子供の集団。
夕香は童衆に入ってそこそこの年月があり、その技を確実に上達させている。
対する左近はまだこのあいだ童衆に入ったばかりで、まだまだ技ともいえない域にある。
その腕の差は歴然であった。
それでも、それでもだ。
―― 一応つくもんついてんだし、いいように女子にからかわれて情けない。
左近を見ていると、男としての自尊心が急速に萎えていく。
我が娘の暴れっぷりにも悩まされるが、左近を内々に頭領から頼まれた身としては、穴ぼこに落ち込んだこの気持を少々てこ入れしてやらないと、これからを、これからも、やっていけない。
溜息も一つや二つ、いや、一度や二度で終わらないだろうし・・。
――止めろと言ってもやっている。相手するなと言ってもすぐ一緒にいる。困った仲だ。
遊びの中で互いの技を高めていくのは別段悪い事ではない。
だが、知らぬ間に無茶をして怪我をされては大いに困る。
厳しい環境の中にあっても、里の子はやはり里の宝であることにかわりはない。
どちらもこの先の里を支えていく大切な命であり戦力である。
大人達は慎重に子供達の成長を見守り続けていた。
「左近がドンくさいのよ」
「夕香のばかぁ」
まだ言い合っている。
「どっちも大人しくしていろ!」
雷と拳骨は同時に二入の頭の上に落とされる。
ケンカするほど仲がいい。次の朝にはまた一緒に遊んでいる事だろう。こりもせず。
そして、やっぱり本気を出して傷だらけになり、一緒に叱られる。その繰り返し。
父にして師である男の苦労は尽きない。多分ずっと尽きない。
男は溜息を深く深くついた。月日は流れる。
夕香10歳、左近8歳。
この頃から幼なじみの間に微妙な変化が起こりはじめていた。
まずはその力の均衡に変化が生じた。
実戦同様の訓練では3本に2本は左近が奪う。
野を駆ければ、左近の脚に敵う者はいない。
そこから『疾風の左近』と呼ばれるようになった。
左近の技前は、いつしか夕香のそれをも追い抜こうとしていたのだ。
特に剣を持たせれば、その気迫に指導する側さえ息を飲んだ。
――こいつは・・!
夕香の父親も剣を持った時点で変わる左近の表情に鳥肌の立つのを覚えた。
――本物だ。
時に剣の才はその一閃に見えたりする。
頭領へとその報告がいく。
――そうか・・左近が。
日向の頭領は収穫を間近に控えた里を見渡しながらその報告を聞いた。
風が吹く。草がうねる。
俯き加減に双眸が伏せられたとき、その口の端が軽く笑んだように見えた。
飄々とし、そのくせ素の感情を見せることのないこの頭が、心底嬉しそうにしているように見えた。
――才は才を呼ぶのだろうか?
頭より年上でありながらその下につく夕香の父親は、ふとその傍に控えながらそう思った。
それから間もなくであった。
左近が"風伯の数馬"から直々に剣の指南を受けるようになったのは。冬――。
里の空は急に低くなる。
重く垂れ込めた雲と、山野に積もった雪とで、天と地の色合いが曖昧になるためである。
海から吹く季節風は湿り気を多く含み、連山につきあたって多くの雪をこの地方に降らせていた。
陰鬱な空気が一気に里に押し寄せる。
長い長い冬の始まりである。
この時節里は峠越えの難ゆえに、暫し巣篭もりの様相を呈する。
だが、忍びとしての訓練はこの冬の間にも繰り返される。
ある意味この厳寒期の鍛錬にこそ本懐があった。
雪という悪条件を克服し、あるときはそれさえも利用し、複数の班に分かれて火花を散らし合う。
あるときは味方、あるときは敵、競う相手はいつも違う組み合わせで行われた。
勿論、優も、劣も、先達達によって判定される。
左近と夕香はいつも優の部類に入った。年が明け、その冬一番の寒さを迎えた朝。
その日はこの時季には珍しく朝から雲海が切れ、そびえる峰峰からから昇る日を久方振りに里から拝むことができた。
朝日を浴びて輝く白銀の世界。
その中で密かに息づく二つの呼吸があった。
二人とも雪の吹き溜まりになっている窪みにジッと身を潜め、相手の出方を待っている。
獲物を狙う獣のように彼らはそのときをひたすら計っていた。
そのときは一瞬のうちに始まった。
木々を縫って二人が駆ける。
竹林へ突っ込む。
二人が過ぎた後に、竹の二、三本が斜めの切り口を残して、ザザッと滑り落ちた。
ほぼ同時に近くの竹に飛びつき、竹から竹へと飛び移って二人は移動する。
互いの目線が交わる。
それが合図とばかりに、相手目掛けて手裏剣が飛ぶ。
変わり身の術。幻が残り、油断しているところに別の方角からまたニの攻めがくる。
カ・カカッ!
小気味よい音がして手裏剣が竹に突き刺さった。
「きゃぁ!」
そのときだ。
夕香が声を発した。
竹を掴む手を滑らせて、まっさかさまに地面に向かって落下したのだ。
すぐ近くの枝を手繰ってみたが、それらはことごとく折れ、落下を遅らせる手立てにもならなかった。
「夕香!」
夕香のすぐ脇を鈎縄がかすめ近くの竹に絡まった。
縄の終りを持つ左近の姿が瞬間的に夕香の視界に入る。
夕香が縄を掴むのと、左近が竹の節を蹴るのとほぼ同時であった。
縄がたわみ、竹がしなる。と見る間に縄は左近の重さを覚えて、再度ピンと横に張った。
夕香の落下が一時止む。弾みをつけて体を反転させ、夕香は雪の上に着地した。
ほぼ同時に左近も縄を揺らして近くの地面に降り立った。
「大丈夫か?」
腰まである雪を体全体でおし分けながら左近は夕香に近づくと、まず夕香にそう問いかけた。
「ええ」
夕香の顔色はまだ蒼ざめたままであった。
右手を左手で抱え込んで、残りの言葉を吐けずにいる。
左近は夕香の右手を乱暴に掴むと掌向けた。
掴み損ねた竹が摩擦を起こして掌に無数の傷を作っていた。
左近は無造作に袖を引き破ると、それを更に細かく裂き(そんなことをすれば姉に怒られるけれど)、無造作に掌に巻きつけて、シュッと軽く音を立てて両端を縛った。
「この寒さだ。気を抜くとすぐ怪我するぞ」
そう言いながら左近が次にしたのは、夕香のもう片方の手を掴んで合わせ、はぁ・・っと温かな息をその上から吐きかる、夕香の手を自分の手で覆い、擦り合わせる、という一連の動作であった。
夕香はこの光景を目の当たりにして、零れんばかりに目を見張った。
状況に気付き、やっとその手を引っ込めようと思い至ったときには、
「放してよ」
「なんでさ?」
「こっぱずかしいんだよッ!」
「それくらい我慢しろよ」
「バ、馬鹿!」
「ばかぁ〜?」
「バカだから馬鹿って言ってるんだ!」
――――既に会話にもならぬ状態になっていた。夕香と左近の差は、その腕のみならず精神面でも迫ろうとしていた。
場面によっては夕香の方が幼く見えるときがある。
この違いは何からくるものだったのだろうか?
里で生まれ育ち、父母ともに健在な夕香。
親の記憶もないまま他人の家に世話になり、慎ましく日々を過ごす姉の後ろ姿を見詰め育った左近。
その心中を窺い知ることはできないが、少なくともこの境遇の差が二人の精神成長を決定付けていたと考えられる。
それでも心の変化は少女の側から突然始まる。
夕香はこのとき初めて左近に対して動揺を覚えた。
そっぽ向きたい、でも、見ていたい、ずっとこのままであって欲しい、それでは物足りない、もどかしい、ままならぬ、怒りにも焦りにも似た、初めて味わう気持ち――恋。
ほんのりと色付いた心は、春の日差しを待って、ふくふくとほころび始めようとしていた。
しかし、恋もまたあわせ鏡、光と闇の両面を持っている。
提灯が灯る。
振り返った鬼がにやりと笑った。