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鬼灯(ほおずき)第2話
 

【全ては此処から始まった】
夜明けを迎えた空。
その日は空がいつもより真っ赤に染まって見えた。
ヒュン
東の空を背景に飛来したもの。
それが空を切って村里の粗末な茅葺(かやぶき)屋根に突き刺さると、瞬く間にパチパチと音を立てて火が燃え広がり、家屋全体を炎が包み始めた。
ヒュン ヒュン
一つ。また一つ。火矢が飛来する。
今この小さな村に禍が近づこうとしていた。
鬨(とき)の声が上がる。
土煙。馬蹄の響き。迫る一群。
やってきたのは黒い甲冑に身を包んだ殺戮者達。
人かと問いたくなるような甲高い雄たけびが、馬上の武者から発せられる。
狂気に歪み切った笑み、血走った目――襲来者である彼等の方が逆に何かに追い立てられているような形相を見せながら、その者達は里を阿鼻叫喚地獄へと陥れにやってきた。
逃げ惑う人々、取り残された子供の泣き声、ある者は悲鳴を、ある者は絶叫を上げて倒れ伏し、許しを請うても許されず足蹴にされた後その頭上に刀を振りおろされる者、逃げる際見せた背を袈裟懸けに切りつけられる者、馬で駆け抜ける際すれ違いざま首を撥ねられる者、心の臓を槍で一突きにされる者――巷はさながら地獄絵図と化していた。
その一部始終を、水神の祭ってある岩の祠の中から格子越しに見ている少女がいた。
背にまだ一歳になったばかりの弟を背負い、息を潜めながら、それでいて眉一つ動かさず少女はその光景を見詰めている。
祠は惨事と目と鼻の先、一本松の根元の茂みにひっそりと位置し、見つかればそれで姉弟揃(そろ)って一巻の終わりという距離にあった。
幸い弟は腹が満ちているためこの騒ぎにも目を覚まさない。
――この子だけは私が守らなければ・・・
少女は自分の背に負ぶった弟の安らかな寝息を確認しつつ、自分の心を強く持つ。
今、悲鳴も上げず、正気を保っていられるのは、弟の存在があったからであった。
そうやって時を待つこと一刻、里を焼くだけ焼き、手当たり次第根こそぎ命を奪っていった元凶は、来た性急さと同じ速さでまた去っていった。
そして惨劇が終わりを告げると共に、辺りは急に不気味なほど静かになった。
動くものの影など何処にも存在しない、ただの焼け野原――所々でまだ燃えている家の残骸が、辛うじて此処に村が存在したのだと示すだけとなってしまった廃墟が、その情け容赦無い攻撃振りを今にとどめていた。
その誰もいなくなった廃墟目掛けて駆けて来る複数の蹄の音があった。
ザザザ――ッ カッカッカッ
馬の到着と共に最初姿を現したのは、頭から黒一色に身を包んだ一人の男であった。
それに遅れる事一呼吸、同じ装束に見を固めた者達が三騎、その後に続いた。
「遅かったようですね・・」
「・・うむ」
手下らしき者の言葉に、先頭を駆けて来た男は覆面の下から無念そうに言葉を漏らす。
「おのれ信長め! 関係の無い民百姓を幾人殺めたら気が済むのだ!!」
その声には、ここ数ヶ月の間近隣の村で起きている無差別な虐殺への怒りが込められていた。
永禄三年・桶狭間の戦いに勝利してより破竹の勢いで隣国に侵攻を始めた尾張・織田信長は、その勢いの影で落人狩りと称し、部下の者にあちこちの村を襲わせていた。
その理由も理不尽であったが、その行為は更に残虐非道を極め――快楽殺人の域にある――生存者も無い事から事は闇から闇へと葬り去られていた。
そして噂のみが村の間で飛び交い、いつかしらその行為は誰からとも無く『闇狩り』と呼ばれ、恐れられるようになっていた。
その『闇狩り』を水際で食い止めようと、一つの組織が暗躍していた。
今回この里を訪れたのも、組織の一員――『影』達である。
その働きで『闇狩り』を事前に阻止できた例もあったが、今回のように間に合わない事の方が多く、毎回組織の『影』達は歯噛みする思いを味わっていた。
それほど『闇狩り』は用意周到かつ迅速に進められていたため、一部では人外の者達の介入も噂されていた。
「これでは生きている者など誰も居るまい・・」
『影』を率いる立場にいる男が、馬上から片手で仏を拝む仕草を見せた――その時である!
何処からとも無く幼子の泣く声が聞こえてきた。
「誰かいるのか!?」
その問い掛けに、焼けただれた一本松の根元、その傍の岩影から小さな子を背負った一人の少女がおずおずと出て来た。
着物は泥だらけ、顔や手足は煤(すす)にまみれ、髪は伸び放題、だがそこから覗く瞳は驚くほどに真っ直ぐ、声を掛けた馬上の男の方へと向けられていた。
男は顔面を覆っていた布を少し顎の方にずらし、その顔――まだ歳にして二十前後、日に焼けた精悍な顔立ちを覗かせた。
男が口調を改め、幼子に話し掛けるような調子で少女に話し掛ける。
「生き残ったのは・・お主達だけか?」
少女は警戒を緩めぬまま唯頷いた。
「親は――?」
「知らない」
少女は妙に淡々とした口調ではっきりと答えた。
表情が少し強張っている。
男は少女が無表情なのはこの惨劇に見舞われたせいだろうと解釈したが、少女の胸中にある感情は別のものに向けられていた。
この姉弟、本当は此処で親に捨てられたのだ。
戦で財の全てを失い、親子は新天地を求めて故郷を後にした。
しかしどの地に赴いても戦乱の世、安住の地は無く、親子は諸国を流れ流れて、その途中で弟が生まれた。
やっとの思いでこの村にたどり着いてみれば、『闇狩り』の噂の真っ只中に自分達が来てしまった事を後になって知る。
親はこれまでの経験から勘で身の危険を予知し、着いた早々急いでこの地を後にする事に決めた。
この時ふと親の心に魔がさした。長旅の疲れもあったのだろう。
親は足手まといになる子供を此処に置き去りにする事に決めた。
親子水入らず最後の晩となった昨夜、親はなけなしの金を叩いて村の者から食料を買い取り、子供達に雑炊を腹いっぱい食べさせた。
子供が食べている間、親はほとんど食べ物を口にせず、子供が器に入った雑炊を美味しそうに口へ掻き込む姿を両目を細めて見ていた。
弟の方はというと、母親の腕の中に抱かれ、今しがたまで同じ雑炊を母親の吹く息で冷まして貰いながら人匙ごと口にしていたが、やがていやいやするような仕草を見せ母親の乳を欲しがった。
「しょうがないねぇ」
母親は幼い我が子を抱きなおすと、着物の合わせを割って中から白い豊満な乳房を覗かせ、その先端を待ちわびる弟の口元へと近づけた。
かすかに甘酸っぱい乳の匂いが、母親の体温と共に立ち上る。
弟はその匂いを嗅ぐと、ダアーと声を立てて笑い、夢中でその乳首を頬張った。
皮肉なもので、どんなに飢えようとも乳だけは途切れた事が無かった。
だからこの幼児もここまで育つ事ができたのである。
それも今宵限り・・・
母親は子に乳を与えながら、思わずうっと声を詰まらせた。
幼子の顔の上に、ぽつぽつと涙の雫が滴り落ちた。
「これ・・止めなさい・・」
夫が泣き出した妻を優しい声でたしなめる。その声も心なしか微かに震えていた。
本当は男の方も泣き出したかったのである。
子は宝と、最後の最後まで慈しみ育ててきた。それを此処に置き去りにするのである。
戦乱の世を生き残るための一つの手段とはいえ、それは親として断腸の思いで出した結論であった。
だから、子供達の手前、無様に泣く姿を晒すわけにはいかない、最後の別れの時まで、子供達を不安がらせてはいけないのであった。
そんな親の様子を、今年十一になる姉の方が鼻も隠れるほどの大きな器の上から目だけ覗かせてそっと見ていた。
姉は生来の勘のよさ聡明さも手伝って、ああ、自分達は此処で捨てられるのだと、おおよそ感付いていた。自分一人だけなら親に付いて行く事もできよう。
だが、昼夜を問わない逃避行に幼い弟を連れて行くことは無理だと、特に今度のような一刻を争う状況の中では自分でさえ足手まといになる可能性のほうが高いと、姉は薄々分かっていた。
――いずれかは捨てられる運命にあるのであれば、いっそ此処で弟と共に捨てて行ってくれた方がありがたい・・・自分も弟を見捨てるくらいなら、此処で野垂れ死ぬほうがましだ・・・
雑炊を啜りながら、姉はそんな事を考えていた。
翌朝、一本松の立つ水神様の祠の前で、姉は雑穀の残りを入れた小さな麻袋を親から手渡され、山二つ越えて食べ物を探してくるという親を、弟と共に見送った。
弟は、母親に別れる間際乳を貰い、上機嫌で笑っていた。
その様子を母親は潤む目で見詰める。
「さあ、行こう」
夫に促され、妻もまた歩き出した。
もう一度今生の別れとなる子供達の方を母親は振り返る。
ご機嫌で笑う弟を背に負いながら、姉もまたでき得る限りの笑顔で母親に向かって手を振っていた。
それは、これまで姉が母親に見せた中で、一番眩しい笑顔であった。
眩しすぎて、儚く夢と消えてしまいそうな不吉な笑顔――母親はそれを見て、我が子が全てを承知した上で自分達を見送っているのだと気付き、改めて自分達のしている事の惨さに背筋を凍らせた。
顔は笑っているが、心は凍り付いている。
そう、姉は此処で親を見限った。
この笑顔は、自分達を此処まで育ててくれた親に対するせめてもの感謝の気持ち、そして自分達だけで生きていく事を決意した少女の親に対する絶縁状。
だから少女の見上げる瞳には自然凛とした強い意志が宿り、その少女を生命力の塊としてそこに存在を強く印象付けた。
「ならば、一緒に来るか?」
その瞳を甚く気に入り、男が少女に問い掛けてきた。
少女は大きく首を縦に振った。
――これ以上の地獄は何処にもあるまい・・ならば何処ででも生きていける・・・
そう少女は心の中で思った。
だが実際は、現状と異なる地獄もあるのだと後々になって知る。
飢餓と刃の脅威からは開放されたものの、着いた場所は周囲を蜘蛛の糸で張り巡らした小さな世界であった。
そしてそこに生きる者達は、一生を絡みついた糸の中で終える宿命を背負っているのだと身を持って知るのである。
男は馬から降りると、幼子を背負った少女ごと馬上に乗せ、自分はその後ろへひらりと身軽に跨(またが)った。
手綱を引きつつ、男は少女に念を押す。
「振り落とされぬよう、しっかりと掴まっておれよ!」
少女が頷く。
「名は――」
男が急に思いたったように少女に問うた。
「――名は何と言う?」
「綾乃・・・」
「そうか・・よい名だ」
そう言うと男は手綱をしゃくり、自分達の拠点――日向の里に向かって馬を走らせにかかった。
この時少女・綾乃、十一歳。
その弟は名を左近といい、当年一歳になったばかりの童であった。
対する男・有沢数馬(またの名を風伯の数馬)、二十一歳――既にその腕前は加賀日向忍群一の手練としてその名を馳せつつあった。

運命の糸車が回り始めた。
カラカラカラカラ――・・
軽やかな音を立てて回るそれを止められる者など、この世に存在しない。
運命は終焉に向けて、唯その軽快な音を立て続けるだけであった。
幾筋もの糸を寄り合わせながら・・・

その糸の一本に、一人の少女の運命も含まれていた。
名は夕香――彼女もまた、この後左近と関わる事になる人物である。
彼女の事は次回、少し触れる事としよう――
 
 

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