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鬼灯(ほおずき)第一話
 

ほおずき(鬼灯・酸漿)
茄子科の多年草。茎丈二尺前後。葉は卵状楕円形。
春、葉脈に黄緑白色の花が開き、夏、球形の液果が嚢状に膨大した宿蕚に包まれ赤熟。
果実は小穴を開け、種子を丁寧に取り除いて空にしたものを、女児が吹き鳴らして玩具とする。
古(いにしえ)より伝わるまたの名を『輝血』――と書いて『かがち』と読んだ。

【序章】
天正七年――秋。
日もとっぷり暮れた頃、永伏山中腹に存在する一洞窟で、十人程の男達が火を囲んで雑談に花を咲かせていた。
最初は、今日の略奪物(えもの)の品定めやら誰が一番の功労者であったかに話は始まった。
そのうち酒の酔いも手伝って、話は何やらしっぽり艶のある話へと変わっていた。
一人一人の話が酒のつまみにされるたび、洞窟内に男達の嬌声と下卑た笑い声がこだまする。
この洞窟は、ここ永伏山を拠点とする山賊達のねぐらの一つであった。
山賊達は生活の跡を残さないように、こういった拠点をいくつか持っており、そこを移動しながら略奪を繰り返す。
蓄えがある程度貯まれば暫くは遊んで暮らし、蓄えが底をつく頃示し合わせて落ち合い、また略奪を繰り返しているのであった。
話のつまは丁度佐吉の番であった。
「――そんでよ、女がそこで泣いて頼むんだわ、夜更けに口笛をいてくれるな。鬼が来る。後生だから止めてくれってな。そこで俺は言ってやったんだ、鬼が怖くてこの渡世やってらっか!ってな。もちろんその後わざと口笛吹いてやったわさ。ありゃ本気で怯えていたなあ」
その話を聞いて男達は口々に、女は臆病だの、そこが可愛いなど、鬼など居るまいになど、勝手勝手な事を言って笑い合っていたが、一人その輪から外れたところで静かに酒を呷る男がいた。
荒くれ者の男達の中にあって、一人意気に着流しなぞを着て涼しげな顔をしている場違いな男であった。
更にその風貌は、山賊家業とは縁の無さそうな美貌を誇っている。
「旦那――と、と、違いやしたっ! お頭は・・どう思われます?」
やはり山賊の一人権六が、一人洞窟の片隅で酒をちびりちびりと飲む男に話を振り、ぎろりとその男に睨まれて、慌てて言い直した。
お頭と呼ばれた男は、いつもは飄々とした優男の形(なり)をしていたが、時々それにそぐわない殺気めいた危ない光を瞳に宿す時があった。
なまじ顔の造作が整っている分、そういう時の男の風貌は際立ち、凄みを帯びる。
そして、それがかえって逆に、この男の仄かな色香をも引き出すという、なんとも皮肉な結果をもたらしていた。
一瞬の殺気――修羅を経験してきた者だけが持ち合わせている危うい雰囲気は、ほんの一瞬のうちにかき消され、男は人を食ったような目つきで権六の方をちらりと見、ふんと鼻で笑うとまた杯を口に運びながら答えた。
「・・あながち嘘ともばかり言えんぞ」
瞼を伏せて語る男の様子からは、事の真偽が見えない。
「お頭――?」
今度は既に出来上がっていた酔いどれ達の方が、自分達がお頭と呼んで崇めている男の方を振り返る番であった。
もう一度男が言う。
「・・鬼は来るかも知れんぞ、と言っているのだ」
「お頭、本気で信じているんすか? そんな迷信!?」
皆の疑問を代表するかのように三郎が尋ねる。
「俺は見たからな・・鬼というものを・・・」
男は一気に杯の酒を飲み干すと、こちらを見て真顔で語ってみせた。
その口調があまりにも静かで、素面の時と変わりが無かったので、荒くれ者達一同は、お互いの赤ら顔を付き合わせて、押し黙った。中にはごくりと唾を飲み込んだ者達までいた。
掴まえ所が無いようでいて、その実、妙に説得力がある男であった。
元を正せばこの男、初めは標的の一人だった。
だが相手を外観だけで判断したのが不味かった。
数秒のうちに仲間の何人かが切り伏せられ、手下の不甲斐無さに業を煮やした先のお頭が挑みにかかったところ、これもすれ違いざま一刀のもとに始末されてしまったという経緯が山賊とこの男との間にあった。
そして今ここに次代のお頭としてこの男がいる。
いや、正確には、その太刀筋に惚れた山賊達に引き止められて、男が此処に残ったと言った方が正しい。
男も行く当てが無かったのか、無表情でそれを承諾したのだった。
そうやって山賊達がこの男の事をお頭と呼び始めて、まだそんなに間はない。
だが、一緒に暮らすうち、この男の人間なりにも男達は惚れ込むようになっていた。
前のお頭は、力で自分達を従えていた。
言う事を聞かなければその場で切り捨てられたし、嫌でも殺生、強奪、強姦、人攫(さら)い・・ありとあらゆる悪事を強制された。
それを高みの見物で楽しんでいる節さえあった。
その点この男は何も言わない。
一度だけ、無駄な殺生はするなと言ったきり、何も要求してこなかった。
獲物の取り分も必要最低限手にするだけで、後は自分達子分に公平に山分けするよう言い残して、後は一人で酒を飲んでいる。
たまにふらりと色里には出かけているようであったが、それ以外女にも食指を伸ばしている所などついぞ見た事が無かった。
そんな男が真顔で言うのだから、笑って聞いてなどいられない。
恐る恐るこの話を始めた大元である佐吉が、自分達のお頭となった男に確認を取るように尋ねた。
「う、嘘ですよね・・お頭!?」
言い放つ言葉の割に小心者の佐吉にしてみれば、わが身の事なので必死であるわけなのだが、他人から見るとその落差が激しくて、その怯えようが滑稽にしか見えない。
今回は全員金縛り状態なので、一人も笑う者はいなかったが――これは佐吉の名誉のためには幸いな事だが――当のお頭の方はその様子に思わず苦笑を漏らす。
そして佐吉のために言ってやった。
「ふっ、冗談だ」
その言葉に全員脱力する。
「佐吉、お前、お頭にからかわれたんだよ!」
「そうだ、そうだ」
「お頭〜 それは無いでしょう〜」
途端笑い声やら情けない声が入り乱れ、男達が次々に言う言葉にその場の雰囲気は一気に和んだ。
そんな子分達の様子を楽しげに見詰めながら、男は酒の入った徳利を引っつかみ、杯に傾けて、一気にそれを飲み干した。
口元に薄い笑いを浮かべていながら、その実、その酒の飲み方には追い詰められた者のやるせなさが滲み出ていた。
子分たちがいよいよ宴酣(たけなわ)といた様子で盛り上がりを見せる中で、男はまた一人酒をちびりちびりと飲み始めた。
お頭用にと子分の一人が調達してくれた銘酒であった。
味は辛口、それでいて喉越し涼やかで、純度が高い分五臓六腑に染み渡るいい酒であった。
それなのに、いくら飲んでも酔いが回らない。逆に頭の方は冴え渡っていくのだ。
男は子分の手前、いつも酔った振りをしていた。
酒では酔えないどす黒いものが男の心の中で渦巻き、心はいつも覚めていた。
――こやつ等が羨ましい・・・
そう思ったのはこれで何度目だろう。ついつい自嘲気味になるのは自分の悪い癖であった。
だが、それがこの男の本音でもあった。
山賊達はえてして多分に粗野、女好き、酒好き――だがそれは男同士の付き合いの中では当たり前の域にあった。
負け戦で志半ばにして挫折した者、田畑を焼かれ、あまつさえ妻子までも殺された者、戦に借り出されるのを嫌い逃げた者・・・人それぞれの境遇から流れに流れ、この永伏山に集まってきた連中であった。
一人一人は陽気で、気さくで、仲間思いのいい奴等なのである。
戦乱の世で無ければ、心も行いもこれほどまでに荒みはしなかっただろう。
それでも、それでもだ。自分よりこの者達の方がよほど人間らしいのだ。
一つのことに一喜一憂できる、この者達の姿を見ていると自分の心も癒されていく気がする。
その反対側で、自分との落差にやるせなさを感じる時もあるのだ。
自分の技はこの者達より数段上とは自負できる。
だが所詮人殺しの技である。その事実が心に重くのしかかる。
彼等の生き方に大義名分など無い。
今を楽しく生き、運良く生き残れればそれだけでとりあえず十分であった。
その点自分は違った。
宿命から逃れたはずなのに、まだその手の内でもがいているような気がしてならない。
男は、すぐ傍らの壁に立てかけた自分の太刀を眺めた。
手放そうと何度も試みたが、そのたび何らかの理由で自分の手元に戻ってくる太刀であった。どうもこの太刀に、自分は魅入られてしまっているらしい。
男は誰にも気付かれないよう一つ嘆息し、開いた眼(まなこ)で見えないものを睨みつけた。
それは自分自身の心であり、自分の未来でもあった。
――鬼は人の心の闇が呼び寄せる・・・
それを知る一人が自分であった。

その気が無くても、人はすぐ鬼と化す。
心に鬼の灯を点す。

 夜更けに笛を吹くのは誰ぞ
 ありゃりゃこりゃりゃと
 嬉々として
 鬼が網代車を引いていく
 その手に持つは鬼灯提灯
 案内するは冥府の底――・・

そんなわらべ歌が耳元でざわめいていた――

この男、名を左近という。
「加賀日向衆が一、疾風の左近――」
この男が己の境遇を全て受け止め、そう自分で名乗る日が、今から遠く無い未来に訪れる。
そのためには、一つの出会いが男に用意されているのであった。
だが、それはまだ訪れていない未来の話、今はこの男の心に巣食う闇とは何なのか、もう少しこの男の過去に遡(さかのぼ)って探ってみたいと思う。
事の始まりは二十年ほど前に遡る――
 
 

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