menu雛の宴(ひいなのうたげ)2(香我美姫異聞)
その夜を境に香ヶ美の様子が変わった。
五歳とはとても思えぬ早熟さで、それまでたどたどしかった言葉使いまでも急に大人びて、庄五郎夫婦をとても驚かせた。
そして、香ヶ美はもう一つの能力――先見の力を両親のために惜しみなく発揮し始める。
そのため駿河屋は商売繁盛を続け、いつかしら香ヶ美は、親からも一目置かれる存在となった。
だが、その一方で両親は、異常なまでに利発になった我が娘を、心のどこかで恐れるようになっていた。
ある日、
「人形には飽いた」
と言うので、父親は小鳥を飼ってやった。
すると、香ヶ美を前にして、小鳥は異様に暴れだし、けたたましいほどに鳴き叫んだ。
暫くして香ヶ美が、
「小鳥だ逃げた」
と言った。
なるほど、篭の中から小鳥の姿は消えていた。
ひと月ほどして、やはり生き物が飼いたいと言い出した。
小鳥の一件があったので娘を哀れに思い、父親は白い猫を飼ってやった。
暫くしてその猫も姿を消した。
そんな事が五回ほど続いて、両親が訝しがり出すと、香ヶ美はピタリと生き物を飼いたいと言い出さなくなった。
そのかわり近所の猫、犬、果ては家の天井裏にいるはずの鼠にいたるまで、生き物という生き物は、次々と姿を消していった。翌、永禄三年――
「ととさま――ッ かかさま――ッ 早く――ッ」
香ヶ美が石段の上から後ろを振り返り、後から上ってくる庄五郎夫婦に向かって無邪気に手を振る。
その様子を庄五郎夫婦は目を細めて見上げながら、
「危ないから、ゆっくりと上りなさい」
と、温かく言葉をかけていた。
今、三人は、山の中腹にある寺へと赴く途中である。
香ヶ美の様子が変わってから約一年。
意を決した両親は、娘・香ヶ美に、不動明王を本尊とするこの山寺で加持祈祷を受けさせる事にした。
勿論、香ヶ美にはそんな事は一言も話してはいない。
香ヶ美は、久しぶりの親子揃っての外出に、心底楽しそうにはしゃいでいる。
その姿は、どこから見ても普通の、五歳の愛らしい少女であった。
この少女が妖かしの類に憑依されているなどと、両親は考えたくもなかった。
でも、そうとでも考えない限り、この一年の間、自分達の周りで、何故こんなにも人が亡くなっていくのか説明がつかなかった。
商売敵の病死に始まり、使用人の自殺、素行の悪い客の溺死、細工職人の焼死・・と、ここのところ、自分達と少しでもかかわりのあった者達の訃報が相次ぎ、いい加減その不気味さから解放されたいと願っていた。
これら一連の怪死が、香ヶ美の手によるものだとすれば・・
天真爛漫にはしゃぐ娘の様子を両親は複雑な心境で睦めながら、ここに来た本当の目的を娘には悟られまいと、精一杯のさり気なさで両親は娘に向かい合っていた。
寺につくとすぐ、駿河屋の親子は、幔幕(まんまく)に囲まれた真っ暗な道場の中へと案内された。
道場の中心には護摩壇が築かれ、護摩の炎が赤々と燃え盛っている。
護摩の炎に照らされて、三方に配された明王像が闇にくっきり浮き上がり、壇上の武器や法具が妖しい光を放っていた。
「かかさま・・」
密教独特の異様な雰囲気に香ヶ美は怯え、母親の袂をぎゅっときつく握りしめる。
「この子が例の?」
「はい、お願いいたします」
「では、すぐに始める事にいたしましょう。娘さんをこれへ・・」
寺の住職の指示で、四方を縄で張り巡らせた結界の中へと香ヶ美は座らされた。
間を置かず祈祷が開始される。
住職が陀羅尼(密教の呪文)を口早に唱えながら密教法具を使い、次々に印を結ぶ。
時間と共に護摩の炎は勢いを増し、陀羅尼を唱える住職の所作も次第に激しくなっていった。
「かか・・さま・・とと・・さま・・」
すがるような視線を両親に向かって投げかけながら、幼い少女は悶え苦しむ。
その様子を見るにつけ、やはり香ヶ美の変わりようは物の怪の所業であったか、と思う一方で、その苦しみように、両親は幼い娘の命を心配する。
命には別状はない、と住職は言っていた。
だが、その苦しみようは尋常ではない。
「かか・・さま・たすけて」
娘の何度目かの哀願に、とうとう堪りかねた母親が、娘の元へと走り寄る。
そして、
ブチッ
結界の縄は、母親の手によって無残に引きちぎられた。
「何をされる!」
「もう、いいです! こんな・・こんな事までして」
住職の叱責に、母親は大声で叫びながら、さめざめと泣き出した。
「年端もいかぬこの子をこんな風に苦しめて・・それくらいならいっそ、一緒に地獄の業火に焼かれた方がマシです!」
そう言いながら母親は、娘の方を振り返った。
ゆら・・り
伏していた香ヶ美が、ゆっくりと立ち上がる。
「香ヶ美・・?」
すると、泣き濡れた目で自分を見る母親に向かって、
「かかさま・・」
と、香ヶ美が明るく答えた。
「ああ、香ヶ美! 良かった!」
母親は涙を流しながら、香ヶ美の小さな体をかき抱き、我が子に優しく話しかけた。
「ごめんなさいね。苦しかったでしょ? もう大丈夫。今からかかさまと、おうちへ帰りましょうね・・」
その言葉に対し、娘がコクリと小さく頷く。
母親は娘を気遣いながら、その場に立ち上がろうとした。
その時、
ズブッ
何かが母親の体を貫いた。
――え・・?
母親が信じられないといった様子で、下を俯(うつむ)く。
そこには愛しい娘の姿があった。
「どう・・して?」
そう呟く口の端から、一条の血が糸を引いて流れていく。
「何故って?」
香ヶ美がクスッと小さく笑う。
その右手が母親の体を深々と突き刺していた。
「かかさまもご存知でしょう? 香ヶ美は裏切られる事が大嫌いって事。だから、これは、香ヶ美からの、ささやかなお返し・・お気に召しまして?」
「そん・・な」
母親は明るい口調で語る娘の顔を絶望に満ちた目で見詰め返しながら、最後の力を振り絞るようにして、必死で娘の体にしがみつこうとする。
「か・・が・・み・・」
母親は徐々に力尽き、その場に膝から崩れて始めた。
「かかさま」
香ヶ美がこの上もなく優しく、だが、その瞳はまるで他人を見るかのように冷ややかに見下ろしながら、死にゆく母へと手向けの言葉を語りかける。
「香ヶ美はかかさまに感謝してますのよ。この体は、かかささまが私にくれたもの。この先も有意義に使わさせていただきます。ですから、かかさま、ゆっくりと、おやすみなさいませ」
そう香ヶ美が言い終えるやいなや、母親の息は事切れた。
香ヶ美は、すがりつく姿勢そのままに、寄りかかってきた母親の体をその手で無下に払うと、何事もなかったかのように、今度は父親の方をゆっくりと振り返った。
炉の中では火にくべられた薪がパチパチと音を立ててはじけ、赤い炎が香ヶ美の美しい横顔をより艶やかに闇の中に浮かび上がらせる。
「かが・・み・・お前という娘は・・」
無残な親子劇を目の当たりにして、庄五郎はやり場のない怒りとやるせなさに満ちた表情で、その全身を激しく戦慄かせていた。
「情に流され、お前を放っておいたは、この父の罪・・」
庄五郎はそう呟きながら、右手を懐へと突っ込む。
「これはせめてもの親心です・・」
その手には一振りの短刀が握り締められていた。
闇の中でスルリと短刀が抜き放たれる。
「香ヶ美、覚悟!」
そう叫ぶと、庄五郎は切っ先を香ヶ美の方に向けて、真っ直ぐに突進してきた。
父の突き出す短刀が、今まさに香ヶ美の体へと届こうとする。
くすッ
香ヶ美が笑った。
「!?」
香ヶ美は柳の風を受け流すがごとく、スッとその身を横へとずらす。
刹那、闇の中に香ヶ美の赤い小袖の袖が優雅に翻(ひるがえ)った。
次の瞬間、庄五郎の体は、もんどりうってその場にドウッと音を立てて倒れる。
その体には首から上の部分がなかった。
「ととさま」
涼しげな表情で、香ヶ美が呟く。
その足元には血の海が広がり始めた。
「人を騙してはいけません。特に私のような者を怒らせると、後々こういう目にあいますのよ。それと――」
そこでチロリと香ヶ美は寺の住職を見た。
「ひッ」
香ヶ美の底冷えするような視線に会い、住職は喉元から絞るような悲鳴を上げる。
「そこの人。自分の力をわきまえなさい。少々力があるからって、人間ごときに、このアタシが調伏(ちょうふく)できると本気で思っていたの? 愚かな人・・」
そう告げると香ヶ美は、喉元で、くつくつと、くぐもった笑いを漏らした。
「ひいいいいい」
住職は見栄も外聞もかなぐり捨てて、必死になって道場内を逃げ惑う。
その様子が香ヶ美の美観を著しく損ねたのであろう。
さもうるさいと言わんばかりに、香ヶ美は眉を顰(ひそ)めると、スッと片手を上げた。
途端、悲鳴を上げる間もなく、住職の頭部は膨張、破裂し、幔幕や床におびただしい汚れが飛び散った。
「あ〜あ、呆気なさ過ぎ」
香ヶ美は手に付着した血を舌先で舐めながら、さもつまなさそうに一人呟く。
それはまるで狩りを終えた獣が毛繕いをするような仕草であった。