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花と風と2(琥珀の時外伝)
 

夜明けと共に石部を出発し、草津、大津と来て逢坂峠を越えると、そこは京の都である。
だが、此処に来て綾女の体調が急変した。
これまでの旅の疲れと、心労とが重なり、高熱を出して倒れたのである。
熱は一向に下がる気配を見せない。
急ぎ医者に見せる必要があったが、あいにく伝も無い。
そこで左近が思い出したのは、鈴鹿峠で香具師から手渡された文――京で何か困った事が起きたなら此処を訪ねてください、という言葉と共に渡された紹介状であった。
この際背に腹はかえられないので、その足で文に紹介された主の屋敷を訪ねる。
来てみれば上流貴族の屋敷。
ところが香具師の紹介状を見せると、表門の警備の者がすぐに中に繋ぎを入れてくれて――後の事は省略するが、すんなりと事は運び、主の都合で山際の山荘で生活する事になり、今に至っている。
考えてみれば峠を越える前から既に、綾女の様子は可笑しかった。
妙に無口で話し掛けても上の空、夜寝付いたと思えば夢に魘(うな)されて起き上がる、気が付くとぼんやりと物思いに耽っている――等、いつのも綾女とは様子が異なった。
山荘を借り、養生を始めて二日目当たりから、綾女の熱は下がり始めた。
それでも終始微熱が残り、綾女はけだるそうに床に付していた。
時々起き上がって、外の景色を眺めている時もあったが、そんな時何故か綾女の頬を涙が伝っていた。
理由を聞いても首を横に振り、後は一人にしておいてくれと力無く呟くだけ――左近はその度溜息をついた。

なんとか病も峠を越した頃、綾女が突如部屋から姿を消した事があった。
荷物はそのままに、綾女の着ていた着物一式がない。
左近は慌てた。一瞬でも綾女から目を離した事を強く後悔した。
薄着のままで屋敷を飛び出し、小道へと出る。
今宵は月の綺麗な晩であった。
月の光が煌々と雪の小道を照らし、雪の上に残された女子の足跡を教えてくれる。
綾女の足跡は雑木林を抜けた向こう、竹の群生地の方に続いていた。
空間を縦に割ったような竹林の中、同じく影が細長い墨絵を地上に描いている。
頭上に雪を頂いているせいだろうか、夜のしじまに竹が雪を弾き、振るい落とす音が時々聞こえてくる。
遠目に、綾女の姿を見つけた。
竹藪の切れた少し開けた場所で、何を思うのか、綾女はずっと空を見上げて一人佇んでいた。その姿そのものが竹と同じように天を目指して真っ直ぐと立っている。
左近はすぐにでも追いつきたい衝動を抑え、綾女の動向を見守る。
天には冴え冴えと光る月、地には純白の雪、両の空間に挟まれ凛と咲き誇る一輪の花――
綾女は一つ息を吐くと意識を集中し、居合いの声と共に腰の小太刀を抜き放った。
白刃が一閃し、カッ、と微かに音を立てる。
一瞬きの後、一本の竹が、ハラリ、と白く尖った切り口を残して落下した。
綾女は何事もなかったように小太刀を鞘に収めると、斬った竹を持って竹薮を屋敷へと引き返していく。
左近もまたその後を追う。その後、特に綾女に変わった様子はなかった。

次の日は朝から綾女は竹を刺刀(さすが)で削り、何かを拵(こしら)え始めた。
二日がかりでそれを完成させ、また綾女は一人、夜更けに屋敷を抜け出した。
勿論その後を左近がつける。
今度は前と違って、西の方に向かい綾女は歩を進める。
左近は、音も立てず滑るような足取りで足早に歩く綾女の姿に、一抹の不安を覚えた。
追いつきそうで追いつかない二人の距離――綾女の後を追う左近の足も、決して遅いものではないのに、病み上がりの綾女に左近は追いつけないのだ。
綾女は幾つか辻を折れ曲がり、奥へ奥へと草の伸びた野辺の道を分け入っていく。
枯草を払いのけながら進むと――突然何千という石の据えられた荒涼とした寂しい場所に出た。
元は山寺のようであるが、今は人の通った気配すら止めていない荒れ様で、左近は何とはなしに無常観に襲われた。
――化野(あだしの)か・・・
こんな場所は全国各地に存在する。戦が多ければ、当然無縁仏も多くなるのだ。
こうして葬られる者達は、まだ幸せな方である。
綾女はというと一つの石塚の前にしゃがみ込み、何かを一人呟いている。
いや誰かと話している様子である。
耳をそばだてると、その内容が微かに耳元に届く。
「・・ほう・・戦でな・・」
「・・これが気掛かりだったのか・・」
「・・一つでは足りぬであろう・・」
そう言い終えると、綾女は懐から何かを取り出し雪の残る地面に、それを突き刺した。
微風に吹かれカラカラと回る、そろいの一対の風車――
綾女がまた、誰もいない空間に向かって優しく声を掛ける。
「達者でな・・姉妹揃って仲良ういたせ・・」
するとどうだろう、闇の向こうから幼い女の子達の笑いさざめき合う声が聞こえてきた。続いて下駄の走り去る音が闇に響き渡る。
――おねーちゃん ありがとう・・
そんな声まで微かに聞こえたような気がした。
左近の背筋にぞっと凍るものが走った。
――綾女の魂は現世(うつしよ)よりも隠世(かくりょ)に近いのか
そんな危惧を覚えたのであった。

こんな夜もあった。
やはり一人屋敷を抜け出した綾女は、今度は裏山の方へ行き、沢が流れ込み小さな滝を作っている場所に来ていた。
淡雪が空から舞い落ちる――その中で岩に腰掛けた綾女が葦笛を吹き始めた。
ヒュ――ヒャララ ヒュ――ヒャララ ヒーヒー ヒララ・・
その物悲しい音色は、親と逸れた小鹿の泣き声に似ていた。
胸に迫る音色――それを離れて聞いている、左近の胸にも、去来する悲哀があった。
――何故、こうも綾女は一人咽び泣く・・・
自分が傍にいるというのに、綾女は多くを頼ろうとしない。
時にそれが左近にとっては歯痒く、いつかしら左近は綾女に対して苛立ちを覚えるようになっていた。
握り締めた拳の上にも淡雪が降る――甲の上に乗ると儚く消えていく淡雪――二人の関係をそこに見て、胸にズキリとした痛みが走るのを左近は感じた。
 
 

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