消えた後継者の真犯人の演技は、狂気に一貫して、それでいて比較的抑えた演技だ。
うしろに立つ少女の真犯人の演技は、狂気と恐怖の奥底に悲哀があり、非常に激しい。
双方の真犯人役はどちらも著名な声優さんで、また手前味噌な話になりますが他の作品でも良く知っているお二人でした(どちらも有名な声優さんなの
で、今も吹き替え映画・アニメを見たりボイス付きゲームをされる方なら少なからずご存じでしょうけれど)。
それでいて2作それぞれの犯人の演じ方にずいぶん違いがあって、おや、と感じるところがありました。
一口で言うと、消えた後継者の犯人については意外と抑えた演技だなという印象であり、うしろに立つ少女の真犯人についてはここまでやるかという印象
だったのです。
クリアしてしばらく考えて、これはとてもシンプルに、消えた後継者とうしろに立つ少女の2作品の違い、「物語の核を担うのが誰であるか」の差なの
だと思い至りました。
この2作の物語の構造が対称的であるということはSwitch板発売の以前からうっすら考えていたことだったのですが、今回フルボイスになり、犯人
役のそれぞれの声優さんの演じ方の差でこの違いが非常に鮮明に表されたと感じたので、
消えた後継者・うしろに立つ少女の真犯人二人の演出の差からわかる2作の対比について記載したいと思います。
消えた後継者は、主人公(探偵くん)が物語の主役です。
失われた記憶を取り戻し、タイトルロールを担う。「消えた後継者」はユリのことでもある一方、探偵くん自身のことでもあります。
彼は失っていた記憶以上の自身の物語を得ることで事件を解決します。
そんな消えた後継者ではありますが、ファミ探シリーズの共通テーマである親子関係についていえば、遠山一家ばかりでなく神田一家にも多少の事情が感
じられます。
より正確に言うならば、感じる描き方をしても良いはずです。
遠山一家も神田一家も、身内が理不尽な死に追い詰められる点では共通点があります(これは後継者の
「対比」考察の通り)。
神田(恭之介)は愉快犯などではないし、単純な財産目当てで殺人を犯したわけでもありません。手段を選ばない殺人鬼というわけでもなく、あくまで復
讐心の
範囲内で殺人を犯しています(当初の計画外にあずさこそ殺害しているが、主人公が地下から出た後のやりとりを考えると善蔵まで手に掛けた様子はない)。
けれど、消えた後継者はそんな真犯人を肯定的に描くことはしていません。同情的に描くということさえしていないのです。
なぜといって、この物語の核を担うのは遠山一家だからです。
遠山一家は神田と別の道を歩みました。
特にユリは、本来違う選択も可能だった人間です。理不尽には理不尽で返す、権力には権力で以て返すということも実家を頼ればできない立場ではありま
せんでした。
それでもユリはその選択をしません。理不尽に耐え、復讐は選ばず、死を目前にしても我が子に憎しみを伝えるのではなく、ただその安寧を祈った人でし
た。
主人公もまた父の無念や理不尽を知った上で、母の意を酌む選択をします。
消えた後継者の物語は、強い力を持つ者に家族を奪われた犯人と主人公がいて、復讐を選んだ犯人と復讐を選ばなかった主人公とユリの対比の物語に
なっています。
ここで、主人公サイドと逆位置に立つ真犯人は完全なヒールです。
立場に似通った面があるからこそ、主人公と犯人の二人(あるいはユリを含めた三人)の選択の差が歴然とし、主人公サイドの清さが際立ちます。
その真犯人の作品上の立ち位置ゆえに、フルボイスになっても真犯人は目立ちすぎないバランスに徹底していました。
真犯人の演技は常に抑えたものなっています。主人公に襲いかかり犯罪を独白するシーンにおいても絶対に大きくなり過ぎません。
同情を引くような芝居もありません。演じ方によってはプレイヤーの憐れみを呼ぶ演技もできたと思うのですが、決してそうならない、危険な殺人犯とし
ての演技 に徹しています。
なぜなら、消えた後継者において、この「殺人事件の解決シーン」は物語におけるクライマックスではないからです。
消えた後継者の物語の中心は殺人事件の解決ではなく、主人公の記憶・主人公の出生の謎の解明にあります。
母・ユリからの手紙と両親が見舞われた悲劇。そしてユリと志を同じくする叔父・和人と合流した後のラストシーンがこの物語の核なのです。
そんなこの物語の核となる2つのシーンの間に「殺人事件の解決シーン」は挟まります。
Switch版の地下での犯人の演技、画面演出は、大事な大事なそんな2つのシーンを犯人のインパクトや犯人への同情で分断してしまわないよ
うに、非常に管理・調整された結果であると感じました。
消えた後継者は、主人公の物語であり、彼の家族の物語なのです。
これに対して、うしろに立つ少女で主人公(探偵くん)はその呼ばれ方の通り探偵役に徹します。
推理物の探偵役というのは、主人公ではあっても必ずしも「物語の主役」ではありません。消えた後継者が事件を通してまさしく「主人公(探偵くん)の
物語」で
あったのに対して、うしろに立つ少女に探偵くん自身の物語はほとんどない造りになっています。あゆみちゃんや空木先生との出逢いがあるくらいでしょう。
そんな中、ファミコン探偵倶楽部のシリーズとして見た時に、2作がそろったことでこのシリーズには親子の情という共通テーマがあることが判明しま
す。
消えた後継者において、このテーマを担ったのはもちろんユリと主人公、あるいは隆雄を加えた遠山家の親子です。
だからこそ消えた後継者では、主人公(探偵くん)は「探偵役」に留まらず、そのまま物語の主役でもありました。
これに対してうしろに立つ少女で親子の情というシリーズのテーマ、物語の核を担うのは犯人サイドです。
ここで、消えた後継者とうしろに立つ少女という、シリーズ内の作品同士での対比構造が現れます。
消えた後継者は一作目ということもあり(言い方を変えるならば二作目が出るという保証がなく)、一作の中だけで「主人公側-犯人側」の対比構造が
ありました。
復讐を選ばなかった主人公と、復讐に人生を賭けた犯人という明と暗、陽と陰のような対比です。
一方、うしろに立つ少女は作品単独の中での対比構造は存在しないと言って良いでしょう。15年前と現在の2つの事件という時間的な二元構造はあっても、この二つは対比と
いう構造になっていません。
うしろに立つ少女において、対比の対象となっているのは一作目である消えた後継者です。
消えた後継者では主人公サイドが担った親子の情というシリーズの核となるテーマを、うしろに立つ少女では犯人側が一手に担います。
消えた後継者では犯人は「物語の主役」ではなかったわけですが、うしろに立つ少女では犯人が、あるいは共犯者が「物語の主役」なのです。
うしろに立つ少女でも小島秋江は遺族として娘を殺害された母親の悲哀を体現していますが、彼女は親子の情というテーマを担っていると言えるほど重き
を
置かれてはいません。全体的に出番も多くはなく、特に後編では少なくなっています。被害者の悲劇性に敢えて深入りしないように物語が調整されているのです。
それほどに犯人側に重きが置かれています。
この意図が結集したものが、今回のSwitch版における真犯人の演技と演出、そしてクライマックスの盛り上がりです。
消えた後継者では主人公の記憶と出自の判明で大きく盛り上がり、その後に殺人事件の解決編が挟まり、和人との会話によって再度主人公とユリの物語
になるという最終盤で話が行き来する展開にならざるを得ませんでした。
その中で消えた後継者の犯人は、彼の一家が見舞われた悲劇やあるいは狂気によって主人公サイドの正当性を食ってはならず、抑えた演技によって「解決
編」は その前後の主人公とユリの物語の盛り上がりに比べて控え目になっています。
そんな風に消えた後継者で主人公とその父母の存在がかすむことは決してあってはならなかったように、うしろに立つ少女では犯人がかすんではいけませ
ん。
うしろに立つ少女は物語のクライマックスと解決編が重なっています。
作中でいちばん盛り上がるのは真犯人が判明してからその逮捕までであり、この間は真犯人の独白が場を圧倒するのです。
うしろに立つ少女の真犯人の叫びは狂気と恐怖に加えて悲痛さも漂わせていますが、物語として、その感情の爆発的な発露を抑える必要がない展開が用意
されています。
なぜなら、うしろに立つ少女では彼こそが主役だからです。
スタッフロールの直前に(Switch版では一枚絵も加えられて)明かされる真相と共に、シリーズのテーマ・物語の核となる部分が犯人側にあったこ
とがそのことを証明します。
消えた後継者が主人公とその親子の物語であったのに対して、うしろに立つ少女は犯人とその親子の物語です。
フルボイスとなったSwitch版では、それぞれの真犯人の演技が、それぞれの作品の意図を非常に明確に表現していました。
声優さん自身の理解によるものか、演出指示あってのことかは知りようもありませんが、こうして分解していくと作品の位置づけに極めて高い理解のある
素晴らしい演技となっています。
最後に。
物語の担い手、テーマを負う者を誰とするかという点について、一作目は主人公、二作目は犯人と来て、さて三作目ではどうするかという課題をBS探偵
倶楽部は意外と上手く解決して見せていると思います。
わたしはBS探偵倶楽部については将来的にもリメイクされる可能性は低いと思っているのですが、当時プレイされた方はもちろん、そうでない方も内容
を 知る機会があれば、そんな視点で一度BS探を見ていただきたいです。
Oct. 2022