(彩雲 第四話)

 葉ヶ塊の広間には、見張り以外の忍びが召集されていた。
既に頭領である龍馬から、一人が殺され、それが妖魔の仕業である事。加えて自分たちの妖刀が威力を発揮しない事が告げられていた。誰もが言葉を失い、水を打ったような静けさがその場を支配していた。
(伊賀と同じだ)
綾之介は伊賀での事を思い出し、心の中でそう思っていた。
ただ、頭領の様子だけが異なっている。あの時は百地三太夫が苦渋に満ちた顔で皆の意見を取りまとめていた。そして今は龍馬がその立場にある。正面に一人座る龍馬は厳しい表情ながらも悠然と構えていた。別に百地が劣っているという意味ではない。本当は龍馬も、その心中は穏やかである筈がないのだが、表面的には冷静そのものといった様子だった。育ちもあるのだろうが、こればかりは持って生まれた資質も大いにあるのかもしれない。
「落ち着け、ちゅうても無理な事はわかっとる」
龍馬は抑えた口調で話し始めた。
「じゃが、自信を持つがじゃ。此処に戻り、わしは正直言って驚いとるぜよ」
そこまで言って龍馬は皆を見回した。その場にいる全員が、一言も聞き漏らすまいと意識を集中させていた。
「葉ヶ塊の今の戦力、これまでの中で最強と言っても過言じゃないと思うとる。これも一人一人の精進があって出来た事。力を合わせれば妖魔は必ず倒せるぜよ」
そして一息置くと、力をこめて言った。
「自分を、仲間を信じるがじゃ」
その言葉に答え、そこに居る誰もが力強く頷いた。それを見た龍馬も、深く大きく頷いた。
「必ず勝つ!」
龍馬の言葉に呼応して、全員が声と共に頭を下げた。葉ヶ塊の結束を再確認した瞬間であった。

 
 静まり返った広間には、三人だけが残っていた。
散会直後、龍馬は綾之介と左近に目配せをして、暗に此処に留まるように伝えていた。無論、龍馬が二人を見た時には、既に綾之介も左近も、自分の意図を察していたのは言うまでも無い。
「綾之介殿、左近、どがい思うとる」
先程までと違い、いつもの穏やかな口調の龍馬が二人に意見を求めてきた。
「まず、妖魔の数だが恐らくは一匹、多くても数匹程度だろう」
左近の予想に二人とも異論は無かった。
「わしもそう思うとる。仕掛けてくるのも散発的だからの」
「だが、なぜ幾度も襲って来るのか。そこがわからぬ所だ」
左近が続けてきた言葉にも同感した。確かに妖魔の生き残りがいても決しておかしくはない。しかし妖刀が力を失っているいま、何度も狙ってくる理由がわからない。それに妖刀でなくても妖魔は斬れる。何故、同じ里を執拗に襲って来るのだろうか。
「安土の生き残り、ちゅうことも考えられるな」
「その通りかもしれぬ」
左近と龍馬の会話を綾之介は黙って聞いていた。心の隅にあった小さな疑念が急速に広がっているのを感じていたからであった。
その不安は、次の龍馬の言葉で現実味を帯びる事になる。
「案外、里の中に潜んどる恐れもある」
綾之介は体中から冷や汗が出るのがわかった。
「佳代殿の例もあるしの・・・」
小さな声で話す龍馬は何か思いつめたような表情をしている。
佳代の事は今でも苦い思い出として残っているのかもしれない。
そんな龍馬の表情に心を痛めながらも、綾之介は自分の心の中に広がる不安を抑えきれないでいた。
(もしや・・・)
綾之介が疑念を向けている相手、それは清十郎である。
最初から疑問には思っていた。どうやって、あの深手で生き延びる事が出来たのか。
『妖魔の返り血を浴びた村人がおかしくなった』
という話は聞いた事がある。清十郎を見ている限り、その様な事は感じられない。だが、佳代の時も真砂が正体を現すまで誰も気付いていなかった。その可能性も十分ありうる。
「どうした、綾之介」
黙り込んでいたので妙に思ったらしく、左近が話しかけてきた。
「いや、何でもない」
自分が思っている事を口にするのは不謹慎な気がして、綾之介は言葉を濁した。
同時に、幾ら長きに渡り戦に身を置いていたとはいえ、そのような考えをする自分にも嫌気が差していた。
「すまぬが、部屋に戻っても良いか」
落ち着いて、一人になって自分の考えを整理したかった。
「いいぜよ。すまん、疲れていたんじゃろう」
それに対して綾之介は何も答えず、軽く会釈すると広間を後にした。
気配が遠のいたのを確かめると、龍馬が口を開いてきた。
「綾之介殿が考えとる事、わかっちゅうじゃろ左近」
「まあな・・・」
疑念を抱いていたのは綾之介だけでは無かったのである。
だが証拠は何も無い。それに妖魔の生き残りがいる可能性も高い。
どちらにしても里の守りを強化し、次の出方を待つしかなかった。


 葉ヶ塊では、いつ襲ってくるかもしれぬ妖魔の来襲に備えた。
その後、しばらくは誰かが犠牲になるという事は無かった。しかし獣が殺される事が途絶える事は無く、じわりとした恐怖が里を支配していた。
その事は綾之介の心の不安を一層濃くさせていた。
拭い去ろうとすればする程、疑念は強まっていく様な気がしていた。
だが自分の勝手な思い違いである可能性も高い。綾之介は努めて普段と変わらぬように清十郎に接していた。
しかし疑念は日に日に高まる。聞かずにはいられなくなっていった。
ある日、偶然に一人で歩いている清十郎を見かけた。
「清十郎殿」
考える間も無く、無意識に近い状態で綾之介は声をかけていた。
立ち止まった清十郎から、特に変わった様子は感じられない。
「少し、御時間をいただけないか」
平静に言ったつもりなのだが、清十郎は何かを感じ取ったらしい。少しの間、自分の顔を覗きこむような様子が見て取れた。
「二人だけで話しましょうか」
清十郎は場所を変える事を遠まわしに伝えると、背を向けて里の外れの方へと歩き出した。綾之介は一瞬ためらったが、自分を納得させるように小さく頷き、黙ってその後に続き歩き始めた。
川の横にある土手の小道を綾之介と清十郎は何も言わず歩いていた。途中、綾之介はその風景に見覚えがある事に気がついた。
(そうか、桔梗さんと話した場所・・・)
自分が座った場所はあの辺りだったろうか。その時の事が胸中をよぎり、懐かしくも悲しい思い出が胸に甦ってきた。
同時に、清十郎とも香澄の里で、こうして歩いた穏やかな日々もあったと思い出した。つい昨日の事の様に思い出せる。
だが、その日に戻る事は決してない。
そうしていると、前を歩いていた清十郎が歩みを止めて振り返った。
「此処でよろしいか、話を承りましょう」
清十郎に何と話すか。綾之介は事前に決めていた。
『貴方ではないのですか』
決めていた言葉を、何度も頭の中で繰り返した言葉を口に出せばいい。わかっているのに、まるで凍ったように唇が動かなかった。
清十郎はそんな自分を黙って見つめている。話しかけてくるのを待ってくれているのがわかった。けれど、どうしても口にする事が出来ない。先日の道場と同じ様な事を綾之介は繰り返していた。
やがて、清十郎が細く息を吐いた。
「私の方から話しましょうか」
綾之介が困っている様子を見かねたらしく、先に語りかけてきた。
「疑っているのでしょう、私を」
聞いた途端、自分の目が見開かれるのを綾之介は抑えることが出来なかった。
清十郎は、そんな自分の変化を黙って見ている。
先程まで感じていなかった小川を流れる水の音が、急に綾之介の耳に響き始めていた。

 
 その頃、里では藤次の住まいを左近が訪ねていた。
訪問を告げるとすぐに戸が引かれ、中から多喜が顔を出した。
「まあ、左近様。如何されました」
左近の意図が分からない多喜は不思議そうに尋ねてきた。
「多喜、失礼であろう。中に入って頂くが良い」
奥から、少しばかりかすれた藤次の声が聞こえてくる。
「そうでした。どうぞ、狭苦しい所で申し訳ありませんが」
多喜が体を引くと、布団から起き上がろうとしている藤次が見えた。
「そのままで構わぬ、御無理なされるな」
左近の言葉に答えようとした藤次が咳き込んだ。実は先日から風邪を患っていたのである。左近が訪れたのは、明晩の見張りの交代を報せる為だった。
「入って頂こうと思ったのだが、うつしてしまいますな」
それだけ言うのが精一杯だったらしく、再び藤次は咳き込んだ。
「明日の見張りは別の者を立てる事となり、その旨を伝えに参った。ゆるりと休まれるが良かろうと存じ上げる」
それ以上喋らせては藤次が無理を続ける。左近は用件を素早く伝えた。
「かたじけない」
それだけを口にするのが精一杯で、藤次は再び咳き込んだ。
以前の自分ならば無理をしてでも役目を果たしていただろう。
だが年には勝てない。頭に白いものが目立ち始めた今、藤次は自分の体力が落ちている事を自覚していた。無理をして出て行っても、かえって迷惑を掛ける事になるかもしれぬ。それに娘にも余計な心配をさせたくなかった。悪いと思いつつも藤次は情けを受ける事にして、起こしかけていた体を苦しげに横たえた。
戸を閉めると、一緒に家の中から出てきた多喜が頭を下げてきた。
「御配慮、かたじけのう御座います」
「俺は伝えに来ただけ、その様な態度をされずとも良い」
「いいえ、ありがとうございます。皆様に気を遣っていただいて父は果報者です」
多喜の目はうっすらと赤くなり、いつもの快活さはどこにも感じられなかった。龍馬から、多喜は幼い頃に母を亡くし、他に兄弟も居らず、父一人、子一人だと聞いていた。風邪とはいっても若くない父の場合、拗らせたら命に関わる。親思いの娘としては心配でならないのだろう。
(早く安心させてやれば良いものを)
藤次は年老いている。何より、多喜が龍馬へ寄せている思いを左近は見抜いていた。龍馬の気持ちを確かめた訳ではないが、特にこれといった人もいない様であるし、多喜と話す時は、まんざらでもない様に見える。全く見ている方がやきもきする位だ。普段とは逆に、今は左近が龍馬への溜息を堪えていた。
「左近様、誰が父の代役をして下さるのですか。一言お詫び申し上げたいのです」
申し訳なさそうに多喜が聞いてきた。
「代わりを務めるのは綾之介だ。この事、本人はまだ知らないのでこれから伝えに参る。綾之介には俺から言っておくゆえ、御父上の看病をされるが宜しかろう」
それを聞いた多喜は、何か思い出した様な表情をみせた。
「綾之介様、ですか。少しばかり前に清十郎様と御一緒に、あちらの方へ参られるのを御見かけいたしましたが」
多喜は川へと続く道を指し示しながら言った。
「清十郎殿とか」
左近は多喜の言葉に胸騒ぎを覚えた。
「ええ、綾之介様から話しかけられていた様に見えました」
嫌な予感がする。多喜が指し示した方向へと左近は歩みを向けた。
(無茶はするな、そう言っておいたであろうが)
葉ヶ塊の忍びが決起をかけたあの後、広間で見せた綾之介の様子が左近は気になった。だから、その夜の内に綾之介に言ったのだ。
『決して、一人で動いてはならぬ』
清十郎の名は出さなかった。言わずとも察する事を左近は分かっていたからである。
だが綾之介の態度は、あまりにも素っ気無いものだった。
『何の事を言っているのだ』
左近の心配をさらりとかわすと、背を向けて去っていった。
思わず呼び止めて叱りつけたい衝動に駆られたが、二年以上の付き合いは伊達ではない。説得しても無駄な事は百も承知している。
また、出来る訳もない。
多喜の視界から抜けたのを確認すると、二人が向った方向へと左近は急ぎ駆け出した。


 綾之介と清十郎は無言のまま対峙していた。小川の音色は先刻と変わらず綾之介の耳に届いていた。だが、いつもは心地よく聴こえる水の音が、秋の空気の冷たさか、それとも二人の間に流れ行く秋風によるものか。今は硬く、冷たい響きにさえ感じられる。それでも小川は水の流れを途絶えさせる事は無い。せせらぎは、会話の無い清十郎との間を何とか繕ってくれていた。
深呼吸した後、綾之介は思い切って一気に話した。
「貴方では・・・すべて、貴方の仕業ではないのか」
やっとの思いで口に出来たが、そこまでが限界だった。言った途端に気合が抜けて、両膝からも力が抜ける様な感覚を覚えた。顔を上げ続ける事は出来ず、清十郎から目を逸らした。この様な時に相手を見ないなど、忍びとして決してしてはならぬ事なのだが心の動揺を抑える事が出来なかった。それは清十郎への後ろめたさを感じている為かもしれない。後は返答だけなのだが待っても答えは返ってこない。どうしたのかと思って視線を戻すと、清十郎が手を顎に当て、難しい顔で考え込んでいた。
「すまぬ」
その声に清十郎は顎から手を外し、意外そうに綾之介を見つめた。こんな表情を清十郎が見せる事は滅多に無かった。綾之介は酷い事を言ってしまったのだと後悔して、反射的に謝っていたのである。
そんな綾之介に清十郎がようやく話を始めた。 
「貴女が謝る事はありません。その事だろうと見当はついていました」
さすがに清十郎もいつもの笑顔は無かったが、それでも言葉だけは淡々と続けてきた。
「何故生き残れたのか、もしや妖魔にこの身を乗っ取られ、操られているのではと御案じなされていたのでしょう」
自分が内心で、ひそかに危惧していた通りの事を清十郎は言ってきた。
「すまぬ、申し訳ない事を言った」
「良いのです、御気持ちはわかります。事実、その様に思われても仕方のない状況でしたから」
穏やかに清十郎は言葉を続けてきた。疑いをかけた綾之介をなじる事無く、それどころか思いやりの言葉をかけてくる。
綾之介は自分の行為を恥じた。清十郎の顔を見る事が出来ず、可能ならば自分の言った事を取り消したい思いに駆られていた。
「折角だ、少し昔話をしましょうか」
優しい声に顔を上げると、いつもの笑顔が戻った清十郎が居た。
「今迄、ゆっくり話す時がありませんでした。香澄の思い出を語り合える相手は貴女だけです。暫し、付き合ってはいただけないか」
「清十郎殿」
その言葉と柔らかな物腰に、返って綾之介の心は痛んだ。
いっその事、なじってくれた方が自分はどれだけ救われるだろうとさえ思った。
以前、自分と清十郎は許婚という間柄にいた。その後は事情があったにせよ、今は他の男に心を惹かれている。しかも、つい先程まで自分は疑いをかけた人間だった。それなのに清十郎の自分に対する態度は変わる事がない。どうしようもなく胸が締め付けられた。
「清十郎殿は、・・・お優しすぎる」
切なかった。だが自分でどうすることも出来ない事はわかっていた。
「優しすぎる、ですか。でも、これが私だから仕方ありません」
清十郎は困ったように言って笑った。だがその笑顔は哀しげに綾之介の瞳に写り、自然と表情の翳りが強まる事を止められなかった。清十郎も、そんな綾之介の様子に笑顔を続ける事が出来なかった。少しばかり辛そうな表情を浮かべ、綾之介から視線を外した。それから傍を流れる小川に目を向けたまま、ゆっくりと話し出した。
「香澄にも小さな川が幾つも流れていました。川遊びの思い出でも話しましょうか」
幼い頃、よく川で遊んだ記憶を綾之介も思い出した。何度転んでずぶ濡れになったことか。泣き続ける自分を、兄や清十郎がなぐさめてくれた事は今でもよく覚えていた。
「川遊びは恥ずかしい思い出が多いのだが」
「それも昔話の良いところではないのですか」
清十郎は慈しむ様に自分を見ている。その表情に綾之介は複雑な思いを抱きつつも、つられる様にぎこちなく微笑んで頷いた。
今の自分の気持ちは変わらない。けれど思い出まで変える事は出来ない。清十郎も、それを分かった上での態度なのだろう。これ以上、自分が沈んだ表情を続ける事は、清十郎の配慮を無にするばかりか傷つける事にもつながる。戸惑いを感じつつも記憶だけは過去に戻り、幼い頃を懐かしく思い出そうとする自分がいた。
話し始めて僅かばかり経った時の事、左近が近づいて来ているのが綾之介の視界に入ってきた。決起の夜の忠告が脳裏をよぎり、何となく綾之介はばつが悪かった。いまは清十郎と昔話をしているが、元はといえば左近が懸念していた事を自分は行っていたのである。
(怒っているだろうな・・・)
叱責を覚悟した。だが仕方ない。自分の身を案じてくれているのは良く分かっていた。清十郎も気が付いたらしく、左近に頭を下げていた。
一方の左近は、つい直前まで走って来たのだが、穏やかな表情で話している綾之介が見えた途端に足を止めた。一息で呼吸を整えると、
暫しの間、二人の様子を見守っていた。そして自分の心配が取り越し苦労だった事に胸を撫で下ろしていたのである。
無論、それが結果論であるかもしれない事は分かっている。
何事も心配して無かったかのように装って、二人に近づいて行った。
「すまぬな、話をしている時に」
近くで見ると綾之介の表情はいつもと比べ落ち着きがない。自分の忠告を無視し、勝手に動いた事を気にしているのは明らかだった。
(正直者だな)
これでは後で叱る気にもなれない。
「明晩の見張りの事で相談に来た、と言いたい所だが受けて貰いたい」
事情を説明すると綾之介は二つ返事で承諾した。その様子を見ながら左近の胸中は複雑だった。
(仕方ないとはいえ、俺もひどい事を言うものだ・・・)
自分が代われるのなら綾之介に依頼したりしない。都合の悪い事に明日は自分も別の場所の見張りになっている。その為、代わる事はしてやれなかった。下忍の妖魔に綾之介がしくじる事は考えられにくいが、戦いは何が起こるか分からない。それに本人が男と言ったままの状況が変わっていない事に加え、妖魔との戦いに慣れている綾之介は実戦における貴重な戦力になっている。外すわけにはいかなかった。とは言っても、惚れた女を戦場に向わせる事に躊躇いを感じぬ男がいない筈もない。そんな左近の胸中を知らぬ綾之介は、当然の役割が回ってきただけ、といった顔をしている。
しかし、綾之介の心境は左近が思っている事とは異なっていた。
許婚だった男と、いま思いを寄せている男二人に挟まれている格好で、胸中穏やかに居る事など出来るわけが無い。
(どうにか、何とかせねばな・・・  )
一刻でも早く、この状況が過ぎ去るのを祈ろうとも思った。だが、活路は自分で切り開かなければならない。
この状況で言える言葉。懸命に考えたのだが、これしか浮かばなかった。
「戻りましょうか」
声を掛けると幸い二人とも頷いてくれた。しかし並んで歩くのは気まずく、そうかと言ってゆっくり戻る気にもなれず、心苦しくはあったが少し前を早めに歩く事にした。後ろでは気を使ってなのか、清十郎が左近に話しかけている。何故かほっとして歩みを進めた。清十郎が妖魔との戦いを続けながらの旅の状況を尋ねると、左近もそれに答えていた。その言葉を聞きながら、共に戦い、旅をしていた時の事を綾之介も思い出していた。二人の会話はそこで途切れるかと思ってい たが、更に続きを見せていた。綾之介は少々意外な気がした。いつもは無口な左近が言葉を交わし続けていたからである。しかも口調は滑らかで、清十郎とのやり取りを楽しんでいる気配が伝わってくる。
これまでに見た事の無い、左近の一面を垣間見た様な気がした。
そうしていると、清十郎が何かを思い出したかのように左近に問いかけていた。
「綾之介殿が、何か御迷惑をかけることはなかったのですか」
「特に思った事は無かったが、・・・何故その様な事を聞かれる」
清十郎の言葉に興味を持ったらしく、その先を期待した口調で左近が尋ねている。綾之介の耳も、ついつい二人の会話に集中していった。
「いや、正直言って、あまり器用ではない所もあったので・・・」
聞き捨てならない事を、清十郎が言い始めた。
「器用でないとは?」
「剣の太刀筋、忍びとしての身のこなしは器用なものでしたが、それ以外の事でちょっと・・」
「それ以外?」
左近が話の先を促している。清十郎は何と言っていいのかと、困った様な表情を見せていた。無論、綾之介に清十郎の表情は見えてはいないが、すでに気配から感じ取ってはいた
「何と申しましょうか・・・。その、例えば縫い物は御上手なのですが、決して早い方では無くて・・・・。」
その言葉が終わるや否や、左近が声を忍ばせて笑っている気配がした。だが笑いを堪えると、綾之介の援護を始めてくれた。
「いや、御心配無用。必要に迫られると人は精進するもの。きっと里の頃と今では、見違える様に上達していると思うが」
「まことの事ですか」
「それで相違なかろう、綾之介」
笑いを含んだ声で左近が尋ねてきた。
それを聞いた綾之介の足がぴたりと止まり、振り返ると横目でちらりと睨んできた。いつもと違う表情を見せる綾之介に左近と清十郎も思わず立ち止まった。これはもう今後の展開に身を任せるしかない。綾之介は、そのままじっと二人を見ていたが、やがて小さく口を開いた。
「縫い物をしている姿なぞ、これからも絶対に見せぬ」
低い声で呟くと、綾之介は勢い良く顔を戻し、二人を残して足早に去って行ってしまった。
「気に障った様ですね」
清十郎が小声で気の毒そうに言ってきた。
「一応、男ではないのでな」
同じく、小声で返答した左近の上手い表現を聞いた清十郎は、腕組みをすると笑いながら幾度か頷き、同感の意を表していた。
綾之介が立ち去り、男二人となった後も会話は自然に続いた。
『綾女』をめぐっては微妙な関係にある筈なので、少しばかり不思議な感じもしていたのだが、意外と気が合うのかもしれない。
時折、話しながら思案したり、あるいは頷いたりといった具合で、綾之介の後を追って里へと戻って行った。


 翌日の夜、綾之介達は交代の場所へと向っていた。見張りの場所にある焚き火が遠くに見えている。そこに向って綾之介達は進んで行った。
「見張り、御疲れ様でした」
「特に変わりはありませんでした、後を頼みます」
綾之介の声に清十郎が答えた。入れ違いで同じ場所の見張りとなっていたのである。
あの後、綾之介は何も無かった様に左近と清十郎に接していた。本人にしてみても、軽い冗談のつもりだった。
空気が益々冷たさを増している。綾之介は外套の襟元を締めながら白い息を吐いた。
「では」
そう言って清十郎達は里へ。残る綾之介達は、今宵の守りの配置を再確認しようと焚き火の周りへ集まった。話し出そうとしたその時、くぐもった声が背後から聞こえた。
振り返ると、最も端にいた一人の目が見開かれている。見れば胸は鋭い爪に貫かれ、血が滴っていた。そして、ゆっくり爪が引き抜かれると体が鈍い音を立てて崩れ落ち、代わりに一匹の妖魔が姿を現した。
「知らせに行ってくれ!」
綾之介は言葉と同時に太刀を抜いていた。妖刀が威力を失っているいま、小太刀で接近戦は不利だ。実戦で使った事は殆ど無かったが
この場合は仕方ない。
刀を構えた綾之介は、いつもと違う重みを感じた。
目の前にいる妖魔は自分達の隙を見つけようとしているのか挑んで来ない。横にいる清十郎が一歩足を出した。すると妖魔も片足を僅かばかり後ろへ引いた。その隙を綾之介が見逃す筈がない。
瞬時に斬りかかっていった。だが太刀は空を斬った。
(速い!)
予想していた以上に動きが早かった。振り返ると、既に妖魔は襲い掛かる態勢を整えていた。
「綾之介殿!」
清十郎が横から入って斬ろうとした。だが間に合わない。妖魔は飛び上がると木を蹴り、勢いをつけて挑んできた。綾之介は態勢が整い切れてないままで太刀を構えた。
「くっ」
無理に体を捻った体勢で妖魔の攻めを止めたが、同時に右の手首に痛みが走った。
(しまった!)
綾之介は自分の体に何が起こったのか瞬時に把握した。
(どうすればいい)
妖魔の攻めを、痛みをこらえながら次の手立てを必死に考えているのだが、良い手が浮かばない。その時、妖魔の体を突き破って太刀が現れ、自分の体まで一寸もない所で刃は止まった。妖魔の目から光が失われ、太刀が引き抜かれるとゆっくりと崩れ落ち、いつものようにその姿を消していった。
再び、周囲は何事も無かった如く、闇と静寂に包まれた。
「怪我はないですか」
止めを刺したのは清十郎だったらしい。刀を納めないまま心配して近づいて来た。
「ああ、大事ない」
痛みを堪えて太刀を鞘に戻した。今は一刻も早く、この結果を里に知らせなければならない。綾之介は里へと急ぎ戻った。


 里では先に戻った者の報告を受けて、援軍に駆けつけようとしていた。丁度その時に綾之介が戻ってきたのである。倒した事を聞くと、皆一様に歓声を上げた。無論、すぐに龍馬から油断を禁じる言葉が出された事は言うまでもない。
綾之介は龍馬に事の仔細の説明を済ませ、自室に戻ろうとしていた。右手首の痛みは引いていない。手当を頼んでも良かったのだが、さほど強い痛みではないし、己の未熟さから来ている事なので言い出しにくかった。それに、あの男に知られて『未熟者』とは言われたくない。手当をする為に自室へと急いだ。
部屋の前に着いた時の事である。
「倒したそうだな、怪我はないか」
声の方に振り向くと、あの男、左近が立っていた。
「何とかな」
見抜かれるような気がして早く部屋に入ろうとした。気取られぬように、いつもと同様に右手で障子に触れた。
「痛めているではないか」
「何の事だ」
「右の手首だ。慣れない太刀で無理をしたのではないか」
「いや、何ともしていない」
思わず嘘をついた。
「御主は嘘をつくのが下手だな」
左近の声は溜息混じりで、すでに見通している様だった。
「何処に証拠がある」
未熟者と言われた気がして、綾之介も少しばかり意固地になっていた。
「障子に手を添えている場所だ。いつもより下に触れているではないか、痛くて曲げられないのだろう」
さすがに左近は見るところが細かい。その通りで何も言えなかった。嘘をついたのにも気が引けて、綾之介は自分の手を黙って見続けるしかなかった。
「綾之介」
左近は廊下の途中にある、庭へと降りる階段の所に腰を降ろしながら自分へ声をかけてきた。何を意味しているのかは分からぬが、嘘を見抜かれた手前もあり黙って従った。傍らに正座すると左近は自分の右手を取ってきた。手の温もりが伝わってきて、綾之介はどきりとした。鳳来洞は別として、今迄これ程近くに左近と接した事は無かった。もちろん手を握られた事も無い。それに何より、今は自分の左近に対しての感情に気づいている。胸の鼓動が弾んでいるのが自分でもはっきりとわかった。左近に触れられている右の手に、その鼓動が波となって伝わり、心の震えが伝わる事を綾之介はおそれた。声も出さずに自分を静めようと 懸命になっていた。
しかし、その努力は実らなかった。それどころか鼓動は耳にまで響き、体も熱くなっている。冷たい筈の夜風が、今は心地良い程度に感じられていた。動揺して いる自分とは対照的に、左近はいつもと変わらぬ表情で何やら確かめるように手首を診ている。
勘の鋭いこの男が、自分の動揺を何も感じていないのだろうか。
(それとも、気付いていない振りをしているだけなのか・・・)
綾之介は黙ったまま左近の手の動きを見続けていた。そうしていると、その指が何かを見つけた様にすっと止まった。
「少し力を入れるからな。最初は痛む、我慢しろ」
そう前置きすると左近は静かに手首を揉み始めた。だが痛みは思っていたより少なく、逆に和らいでくるのがわかった。
「良く気付いたな」
施しを受けている場所から目を離さず、上ずりそうになる声を抑えで左近に語りかけた。
「小太刀と太刀では重さも異なる上に、手首の使いが違うからな」
誰に教わったのだろうか。左近は器用な手つきで続けていた。
辺りは静まりかえり、誰かが近づいてくる気配も無い。間近に思いを寄せている男と二人だけで佇んでいる状況が変わる兆しは無い。綾之介は息をひそめて座り 続けるしかなかった。息苦しさと、間を持たせる為に何か話そうと努力しているのだが、ひとつも言葉が浮かんで来ない。
「俺は、そんなに不器用とは思っていなかったがな」
昼間の続きを手首に視線を向けたままで話しかけてくる左近に、何も思いつかない綾之介は乗る事にした。
「針仕事は好きなのだが・・・」
そう言って、一度言葉を区切った。
「好きと上手は一致せぬらしい」
自分自身に対して呆れた表情と口調で話した。
「そうではない、と思うが」
左近は手を休めずに答えた。
以前、一度だけ綾之介が自分と龍馬のほつれた襦袢を縫ってくれた事があった。丁寧な縫い目で今もほつれてはいない。それに淑恵に贈った手製のまりは上手に 作っていた。
清十郎が言ったのだから間違いはないだろうが、今となっては何か別の意味もあったのではという気もしてきた。目の前に座る綾之介は落ち込んでいるのか冴え ない表情のままで、左近も何か言ってやらねばという気持ちになっていた。
「好きな事ならいずれ上手になる。焦らずとも良い」
それを聞いた綾之介は、少しばかり表情を和ませた。
「そうなれば良いがな」
「大丈夫だ。何なら俺が指南してもよいぞ」
(この男・・・)
いつもと同様、左近が自分をからかっているのが分かった。
「左近!」
殴るつもりは無いのだが、綾之介は思わず拳を握りしめていた。
「もう、大事ないようだな」
「えっ、あ・・・」
手元に視線を落とすと、自分は迷う事無く痛めていた右手で拳を作っていた。完全ではないが、動かす分には全く支障ない程度に痛みは消えている。確かめるよ うに、ゆっくりと手首を曲げ伸ばしている綾之介を左近は黙って見ていたが、大丈夫だと思ったのだろう。
立ち上がると背を向け、その場を去ろうとしていた。
「左近」
急いで綾之介は呼び止めた。
「世話をかけた・・・それと、昨日はすまなかった」
左近の忠告を無視して清十郎に問いただした事、謝らなければならないと思っていた。
「龍馬殿に、御主が使いやすい太刀がないか聞いてみると良い。何時また妖魔は襲ってくるかわからぬからな」
綾之介の言葉にではなく、これからの事について左近は告げると、今度こそ立ち去って行った。
事実、妖魔はあれだけとの証拠はない。左近が案じている様に、また襲って来る事があるかもしれない。
綾之介は痛めていた自分の手首に目を遣った。まだ左近の温もりが残っているような気がした。悪い事をしている訳ではないのだが、周囲に人がいないか事を確 かめてから、そっと左手でその部分を包み込んだ。
綾之介は暫しの間、ひとり静かに物思いにふけり、その場から動く事が出来なかった。


 それから十日経った夜。
綾之介は里の中にある、見張りの集合場所になっている詰所へと向っていた。先日、藤次の当番を代わっていた事もあり、今回は当番の間が遠かった。それが幸 いし、手首の痛みはすっかり取れている。太刀も軽いものに変え、もしもの時の備えは出来ていた。
詰所の戸を引くと早く来た事もあり、まだ誰も来ていなかった。
囲炉裏の火種が心配で早めに来たのだが、既に消えかかっている。
再び起こしかけていると、戸が引かれる気配がした。
「清十郎殿」
清十郎が戸口の所に立っていた。
「綾之介殿も当番でしたか」
「はい、一番砦の。今宵は冷えますね」
「火種が消えていてはと思って早く来たのだが、綾之介殿に先を越されてしまったようですね」
清十郎も自分と同じ考えで来ていたらしい。綾之介の手で囲炉裏の火は再び元の勢いを取り戻していたが、これでは足りない。綾之介は炭を加えようとしたが、 傍らの炭入れにはひとつも入っていなかった。
「私が致しましょう」
綾之介が覗き込んでいる炭入れを手に取ると、清十郎は部屋の隅にしゃがみ込み、置いてある炭を補給しはじめた。
部屋の中には二人だけしか居ない。炭のぶつかる軽い音だけが室内にこだましている。清十郎の様子を見ながら、綾之介は妖魔と戦った時の事を思い出してい た。今も一つ気になっている事があるのだが、左近にも言えずにいた。考えすぎかもしれない。けれど、あの場にいた清十郎に自分の憶測を聞いて欲しい気持ち になっていた。
「清十郎殿」
「何でしょうか」
清十郎は手を休めることなく返答してきた。
「清十郎殿は、あの時の妖魔に何か感じませんでしたか」
「と、言いますと」
「清十郎殿が一歩前へと踏み出した時、本当に僅かですが妖魔の足が下がったのです。別に他の妖魔でも見られない訳ではないのですが、何か気にかかる」
綾之介は囲炉裏の火を見ながら話を続けた。脳裏には、その時の事が思い出されていた。清十郎も背は向けたままではあったが、黙って話を聞いていた。
「確かに襲い掛かってきた。妖魔の中でも手強い方でした。しかし、上手く言えないのだが、殺気が弱かったような気がしてならないのです」
そこまで話すと綾之介は囲炉裏から清十郎へと視線を移した。清十郎はいつの間にか手を止めている。それだけでなく、妙にじっとして動かなかった。
「清十郎殿?」
いつもと違う気配を感じて綾之介は声をかけた。
「そこまで気付くとは」
清十郎は炭入れを床に置き、ゆらりと立ち上がった。
「褒めてやろう・・・さすがだな」
振り返った清十郎と向かい合った瞬間、戦慄が綾之介の全身を駆け巡った。
(まさか・・・・・)
囲炉裏の炭が、ぱちりと音を立てて崩れ落ちた。
忘れたくても、決して忘却する事の出来ない記憶が綾之介の体を縛りつけていた。
                      (第四話 終)


 
 

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