menu「風の行方」 6
影は暗い色の筒袖の上着に肘まである手甲をはめ、無造作に結い上げられた長い髪を風
になびかせていた。腰には小太刀が一本、頼りなげに差されている。
(あ、あの人は・・)
「だ、誰だ、どっから出てきやがったっ」
完全に逆上した八角を尻目に、ゆっくりと樵の正面に回る。
「こうなったのは、お主の望む所ではなかったのであろうが、」
びょうと、風が吹いた。白煙が吹き散っていく。
「私も倒れる訳にはいかぬ。」
束の間、声に哀しみが落ちる。
「来るがいい。」
凛然と言い放ち、小太刀を抜き払った。
ごあああああ
叫びは歓喜の声にも聞こえた。激しい呼気が衝撃波となり全員を襲う。小屋の屋根さえかしぐ突風が吹き荒れる中、地べたを何度も転がされながら吾空は必死に顔を上げた。
(あの人はどうしてる。)
淡い輝きに包まれ、すべるように進む姿を呆然と見つめる。その視線の先で、その人は
前進を続ける。直前で身をかがめ腕の一閃を避け、その勢いで更に両膝を深く折り、全身
のばねを使い伸び上がりざま、顎の下へ一刀を叩き込んだ。
再び世界に蒼が満ちる。強く、より激しく。
光の中で消滅していくものには目もくれず、つ、と視線を移した。その先には、舌をだらりと伸ばしたままの塊が転がっていた。静かに小太刀を振り上げ大上段に構える。その動きをとめたのは、吾空の叫びだった。
「待ってくれ、こやつは人を殺めることは出来ぬ。」
「・・・・。」
「だた、人で無いだけだ。穏やかに暮らしていれば問題などあるまい。」
「・・・この地には、こやつらの居場所など無い。」
全てを断ち切る口調。
今度は、一気に振り下ろされた。そして、
「彼らになりたい、といったな。」
逃れようのない死の魔手を咽喉もとに感じて、八角の意識は止まった。*
しらしらと、夜が明けていく。
薄い光に照らし出された場には、凄惨な印象は無かった。
全てが吹きちらされ、戦いの余韻を残すものはかしいだ小屋のみ。
暗色は灰白色にうつろい、辺りは曖昧な立体感に包まれる。
吾空の脳裏には一連の騒動よりも、あの朝の光景が強烈に蘇っていた。実は、自分はま
だ小僧で、自分が立っているのは、あの玉砂利の敷き詰められた庭ではないのか、そんな
錯覚に陥りそうになる。ぐらり、と足元が揺らぎ思わずへたりこんだ。
何故なら、その人は、
(あの日の)
地に落ちた小柄を拾いあげ、丁寧に懐紙で拭い佐吉に向けて差し出す。佐吉は諾々と促
されるまま受け取り、用は済んだと言わんばかりに歩みだすその背に聞いた。
「いいのか?俺を野放しにしておいて?」その人の名は、佐吉も耳にしたことがあった。その凄まじい戦いの痕跡はあの山深い里の広場に、いまだにありありと見ることが出来る。翌日、一緒に旅立った人達は帰って来ることはなく、1,2年経った頃、風の中に立つ墓の墓標が増えていた。墓標にするには、それらはあまりにも無骨な代物であった。
大きな矛と太刀。
里の者たちは頭を寄せ合い、二つを封じる事に決めた。
「俺は自分からは、戻る気ゃねえぜ。」
忍び込んだ先で、目にした太刀の刀身の美しさにある思いが浮かんできた。まだ少年だった佐吉が、その身の閃きを見たのは、あの晩の一度きりだった。
(これほどの得物でも、彼らは戻らなかった。)
太刀を握った手に力がこもる。
(俺たちの里に、彼らに、一体、何が起こっていたのだ。)
そして、小柄を引き抜き、その足で里を出たのだ。
事実を目にする為に。佐吉の問いかけに歩みを止めはしたが、振り向きもせず、声のみを返してきた。
「連れ戻す気などない。」
再び、歩みだしながら、
「ただ、小柄の行方が確認できれば良かった。やつらに出会ったのは、偶々だ。お陰で少
し出遅れた。」
ふわりと風が起こり、乳白色の朝霧が地表を滑り出す。
白く消えかかる影に、吾空が呼びかけた。
「あ、あなたは、何故っ・・。」
あの日のままなのか
想いのみが錯綜し、声にならない。
「未だ、かの怨みは尽きぬらしい。」
呟きを最後に、その姿は掻き消えた。「けっ、追っかけてるつもりが、追われてたとはな。」
小柄を懐に収めつつ、佐吉は自嘲した。それを受けて、
「今度は私たちの番だな。」
吾空が立ち上がりながら、応えた。
「ああ、俺達が追う番だ。」
*
よう、見かけねえ顔だなあ。おや?お坊様も酒を召し上がるんで?百薬の長ですかい。
はっは、ここいらの連中にゃ、「きちがい水」ですぜ。
山ぁ、超えてきなすったんで?物騒な目に合わなかったですかい?特に何もなかった?
ふうん、じゃ、あの旦那も平気だろ。え?ああ、ちょいと前にねえらく腕の立つお人が来
てね、この近くの村が落人どもにに襲われた話をしたらね、様子見てくるってぷいと行っちまったんでさ。うわっ、何だよ、いつの話だって?。そう、3,4日前かな。おいおい、もう出るのかい。道中、お気をつけて。
ったく、なんだろうなあ、連中。飛んでいっちまった。
おおっ、噂をすれば、旦那じゃねえですかい。いつからそこにいなさったんで。今、妙な二人連れが・・、知ってなさる?行かせとけって、いいんですかい?
あ、それより旦那、約束ですぜ、まずは、一杯。嬉しげにかたり続ける親爺に丁寧に別れを告げ、人影がひとつ、人気のない街道をゆっくりと歩んでゆく。
「・・・あの二人、追いつけると思うか?」
何処となく愉しげな呟きを、風のみが聞いた。