menu「風の行方」 1
その夜は、明るすぎた。
天にある月より、地上の明かりが夜を支配しているのだ。
それは、地獄の業火に似ていた。
いや、実際に地獄を見た者がいない以上、「似ている」という表現は相応しくないだろう。
だから、こう、いい直そう。
その炎は、生命あるものを糧に、焚き上げられていた。
こんな所で死ぬ為に、わざわざここまできた訳じゃない。
闇雲に走り回りながら左右を見渡す、さぞや血走った目をしていることだろう。
炎はいよいよ勢いを増し、あたり一帯を踊り狂っている。
「おい、これがお前さん達のいう『諸行無常』って奴かい?」
耳に慣れた声に、私はほんの少し、自分を立て直すことができた。
「・・・・私は、琵琶法師じゃない。修行僧だ・・。一応な」
突然、私たちの目の前の炎が割れた。何かが、火の中を突き破ってきたのだ。黒くシルエットが人の形を伴って浮かび上がる。小さい。
「よくゆうぜ。この破戒僧が。」
いうなり、私の直ぐ脇を男が駆け抜け、鮮やかな銀色の線を引きつつ、輪郭のみはっきりとした人影に迫る。
その時、私には、はっきり、見えた。
切りかかっていった男には、よりはっきりと見えただろう。
遠目にも、可愛らしい少女に見える。ただ、、、
その手が、熊の心臓でも掴み出せそうな鋼の光沢を持つ鉤爪でなければ、
その唇が、がちがちと打ち鳴らされるそそり出た牙を備えていなければ、
そして、何より、その瞳が周りの炎より強く赤光を放っていなければ、
その表情は、人としての感情を残しているが故に、どのような獣よりおぞましいものに
見える。何度見ても、慣れるものではない。
私が目を反らせずにいると、少女がこちらを見た。
全身が石と化し、視野が狭く暗くなっていく。
「きぇい」
男が気合と共に、打ち下ろした刀は、鮮やかに少女の肩口をとらえた。小さな体がくる
りと半回転して地に倒れ付す。
普通なら、それで終わりだ。が、
「ちっ。俺のナマクラじゃ、きかねえな。」
舌打ちと共に、男はすばやく後退し、私の横に並んだ。ぬらり、と小さな悪鬼が立ち上がる。
「おい、突っ立ってねえで、引くぞ。吾空(わくう)。」
まだ、半分悪夢に浸かったままの頭を振りつつ、私は男に問いかけた。
「佐吉、他の人々は、、、。」
「阿呆も休み休みいえ。そんな余裕かましてる場合か。」
・・それも、そうか。
私たちは、闇を目指して身を翻した
*
十七世紀、黎明期――、
関が原の合戦の、余韻が残るこの時期。
戦国の混乱は、ようやくに収束の気配を見せ始めた、民衆が戦火に怯える日々も過去の
ものとなりつつある。時折、戦場という職場を失った食い詰め者どもが群れなして、好ま
しからざる事態を引き起こすこともあったが、次第にその姿も消えゆくだろう。
人々の生活には光が戻りつつあった。当然、光に呼応し、闇も存在する。
*
「何か、残ってるか?」
俺は、僧形の男に声を掛けた。僧は聞こえているのか、いないのか、数珠を持った手を
片手拝みの形にしたまま、大地に視線を落とし、もごもごと口の中でなにやら唱えている。
「おい、吾空」
「聞こえている。が、声明(経文を読む事)の邪魔をするな、、、。」
相変わらず、地に視線を向けたまま、僧形の男、吾空は答えた。
読経ねえ、、。何の意味があるんだか。
腹の中で感想を述べて、佐吉は辺りを見渡した。山中にぽっかりと口をあけた空き地を
穏やかな風が吹き抜けていく。鼻につく香ばしいとさえいえる臭気と、生物と無生物の区
別すらつかないほど炭化した塊がごろごろしていなければ、ここに昨夜まで、村が存在し
たなどと誰も信じないだろう。
村といっても、所詮、あぶれ者どもの吹き溜まりだが。
まだ、大地に残る微熱のせいか、季節柄か、微かに陽炎が立ち昇っている。それが、妙
に佐吉の癇に障った。「中り、だろうな。」
「そうのようだな。私たち以外に、生き残りはなしか。」
「ハナっからいたら、俺達も間違いなくあの世逝きだ。」
「もっと、早く着いていたら、未然に防げたやも知れぬ。」
「これを見てもそう言えるか、お前。」
一面、焦土と化した中でもことさらに、二人の足元は異様な風体を示していた。強いて
例えるなら爪で引っ掻いたような溝が、一筋、掘られている。ただし、実際に爪で同様の
跡を残そうとするなら、女の胴周り程はある指が要る。果して、その持ち主を人と呼ぶか
どうかは、わからないが・・。
「なあ、どうして高野の坊主が奴を追ってる?求道にしては、きつかろう?」
「お主が、あ奴を追う訳を聞いてから、答える事にしよう。」
「けっ。喰えねえ坊主だ。」
「お互い様だな。」
確か、この会話は、こいつと始めてあった時も交わした。お互い同じ事を考えたのだろ
う。思わず二人は顔を見合わせて、にやりと笑った。
俺たちは奴を追っている。お互い訳ありって事で多くは語らねえが、その一点だけは、
はっきりしている。そして、昨夜ようやく奴の足取りらしきものをつかんで、このちっぽ
けな集落に辿りついたのだが、一足違いだったようだ。
佐吉は、歯を強く噛み締め、
「つぎは、逃がさねえ」
地の底から響くような呟きを漏らす。
この佐吉いう男、脇差一本の軽装ではあるが昨夜の身のこなし、その眼光の鋭さから只者ではない雰囲気を漂わせている。一方、吾空と名乗る僧も、読経らしきものを行った以外、仏となった者に対する感心を見せない。傍目からでは、僧とその従者と見えなくもないのだが、どこか、異なる。その身に、押えきれない剣気を纏っているせいかも知れない。
「奴、近くにいるな・・・。」
「ああ、私もそんな気がする。」
風が、どうと、二人の全身を叩く。灰燼が巻き上がり、風景が霞む。
「・・・・・。」
「佐吉?」
佐吉は、あらぬ方向に視点を定め、上の空だ。
いや、あらぬ方向ではなく、自分の後方の何かを見つめていると吾空が気づいたのと、佐吉が吾空を突き飛ばすように押しのけたのとが、ほぼ同時に起きた。急に、強くなった風のせいで、姿が良く見えない。体どころか、頭まですっぽりと覆っている襤褸(ぼろ)のようなものが、ばたばたとはためいているのも手伝っている。
ふいに、そいつは口を開いた。「これ以上、来るな。」
耳障りな、声だった。
「てっ」
佐吉が短い気合を発し、仕掛けた。
ふわり、と身を引いて紙一重でかわし、
「来るな。」
もう一度繰り返す。次の瞬間には、二人の頭上を軽々と飛び越え木々の間へと消え去っ
ていった。
「あれ、か・・・?」
毒気を抜かれたような佐吉の言葉に、
「ああ、そうらしいな。」
ややあって、空ろな吾空の返事があった。