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花と風と4(琥珀の時外伝)
 

「・・・死んだ者に何ができる・・」
冷たい声であった。
「何だとっ!?」
「死んだ者が、お前に何をしてくれるというのだ!!」
最初の言葉に込められたのは怒り――すぐ傍にいる自分を素通しし、過去を振り返る綾女に対するやり場の無い怒り。
愛しい女子の事だけに、溢れる感情の奔流を押し止める事などできない。
理性よりも感情が勝る。
言葉で、行動で、容赦無く綾女をずたずたにしたくなる。
そこまで自分を追い詰めながら、それでも口にしたくない言葉もある。
――俺が生きてお前の傍にいてやる
そう言ってやりたい。だが言えない。男として、これからの二人の関係のためにも・・・
これは予感だ。
それを口にしてしまえば、自分達はこの過酷な宿命を生きていけなくなるのではないか?
だからきつい言葉にも嘘が混じる。
「時に過去を振り返るのもよい。思い出に浸るのも、たまにはよかろう。だが、今のお前は何だ? 幾百幾千もの命の上に紡がれたその命、お前はどう扱っている? それが死んだ者への愚弄でなくして何だ? 甘ったれるのもいい加減にしろ!!」
左近の剣幕に綾女は呆然とする。
――この者は何を言っているのだ? 私が甘えている? 何処が!? お前がそれを言うのか? この私に!?   
綾女の頭にカッと血が上る。霞のかかっていた意識が次第にはっきりしてくる。
日頃鬱屈していた感情が、かつて無いほど綾女に左近を食って掛からせていた。
「男のお前に何が分かると言うのだ? 何も生み出せない、この手、この体、何のために私は女に生まれてきたのだ!」
悲痛な叫びであった。
魔封じの旅は、野辺送りを遠くから見送るのに似ている。
魔に落ちた人の魂は、一度輪廻の中に帰してやらなければ蘇る事はできない。
魔を封じても、自分達の手の中に何一つ残らないのだ。
斬って、斬って、斬りまくる――手には相手を斬ったときの感触だけが残る。
返り血がこの身に降りかかる――呪われた我が身・・・でき得るなら、自分こそをずたずたに引き裂いてやりたい!
この時、綾女にも左近にも精神的なゆとりは存在していなかった。
左近の中でぎりぎりまで張り詰められていた理性の琴線が、派手な不協和音と共に琴柱(ことじ)から切れて外れた。
左近が動き出す。灯台の火が妖しく揺らめいた。
綾女は明かりを背に突然ゆらりと立ち上がった者を見上げながら、先の自分の言葉によって、今お互いの間に存在する空気に色が変わった事を地肌で感じ取った。
自分の行く手を塞ぐように入り口を陣取る者は、綾女の日頃良く知った人物ではなかった。
別の人間、いや――獲物を求めて暗闇を徘徊し、標的を見つけたらその身を物陰に潜め、襲い掛かる機会を狙っているしなやかな獣の気配がした。
綾女は無意識のうちにその身を後退った。
左近の動きに伴い風が生まれ、部屋の明かりがゆらゆらとその身をくねらせる。
その度部屋を支配している光と闇の関係が、微妙に入れ替わった。
逆光に、自分と同じ白小袖を着た左近の輪郭が浮かび上がる。
着やせして見えるが、寛いだ胸元から覗く体躯が思いのほか逞しい事を綾女は知っている。
いつもよりその体つきが大きく見えるのは、己の恐怖心が呼び覚ます錯覚のせいなのだろうか?
揺れる焔を宿した双眸――その視線に縫いとめられ、体が思うように動かない。
人の瞳に点った火は容易に消えるものではない。
人間が太古の時代から世代を経て培ってきた本能。
それは命の火、それを消すまいとする意志の火、己を次代へ託そうと足掻く火、そのために対なす者を求め、乞う火――
人は生まれ落ちた時は半身でしかない。
だから、その心はいつか巴をなす片割れを求め、己の形状を満たそうと渇望するようにできている。
求める半身がすぐ目の前にいたとしたら、人は何とする?
「お前の方こそ分かっていない・・」
「・・左・近!?」
「・・男というものを!」
左近と綾女の目線が一瞬強く絡まりあう。
綾女が場の雰囲気に居たたまれなくなり、思わず逃げの態勢に入る。
その動きを制する左近。
逃げようとする綾女の右上腕を、左近の大きな左手が鷲掴んだ。
そのままぐいと右手を引き、綾女を強引に自分の腕の中に引き寄せた。
左近の瞳がすぐ目の前にある。
「何をする!」
「・・お前は残酷だな」
「――?」
「好いた女に昔の男の話を聞かされる・・くく、俺も見くびられたものだ」
「――!?」
「俺はお前の何なのだ! 親か? 兄弟か? いい加減にしてくれ!」
「な、何を突然・・」
思いも寄らぬ左近の言葉に、綾女は返す言葉に詰まった。
左近は綾女の顔を覗き込み、その距離を近づける。
いつかと同じ、不意の口づけ。
「っ・・!」
小さな舌打ちと共に、左近が綾女から顔を離した。
下唇からポタリと滴り落ちる真っ赤な鮮血。
甘やかな余韻は、綾女の思わぬ抵抗によって蹴破られた。
退いた左近の顔を目掛けて、綾女が血の混じった唾を思い切り吐きかける。
「それはこっちの台詞だ!」
拒否――
己を睨みつける綾女の両の瞳――それさえも焔に映えて美しい。
――重症だな・・
気高き野生の獣は、その自由な精神が屈服を知らぬゆえ、益々持って命の輝きを増す。
今の綾女が、まさにそれであった。
自分の腕の中に愛しい女がいる。
その体は自分と同じしなやかな筋繊維に覆われているが、抱いた感触は男のものとかなり異なる。
何よりその肌。
きめ細やかで繊細、そして柔らかく温かい、白磁器のように透き通るような肌。
ここ連日の熱で体が弱っているせいもあるが、元々綾女は夏場も女である事を隠すため、多めに衣装を着込み、肌を露にする事を極力避けているため、その白さは闇の中、特に左近の目を引いた。
左近の目元が不意に和む。
その予想外の反応に、綾女自身が今度は戸惑いを隠せない。
それもそのはず、綾女自身はここ数日の記憶を朧げにしか覚えていない。
数日前まで綾女の裸身なぞついぞ拝んだ事のない左近が、ここに来てからというもの、綾女の身の世話を全て行っていたのだ。
その間に、白い裸身に浮かぶ玉の汗、体温でむせ返る女の匂い、そんな女の綾女を目の当たりにしながら、左近は一度たりとて疚(やま)しい気持ちに振り回された事は無かった。
それがここに至って、急に男を主張している。
お笑い種であった。
男は本来愛しい者に対して臆病だ。
そして、大切に思う相手には、できる限り誠実でありたいと願っている。
それが奇麗事であり、男の建て前であったとしても、やはり愛しい女子には自分の胸で憩うて欲しいのが本音であった。
綾女が体調を崩せば、心配の方が先に立つ。
左近にとって男の生理など二の次であった。
実際、思念から男の生理を切り離す事など、左近にとって造作のない事であった。
それができるだけの鍛錬を昔から積んできている。(それを逆に応用する場合もある)
そういう点で忍びは人間離れしているといえるかもしれない。
それほど色恋沙汰には厳しい世界でもあった。
だが、人間らしく左近も生きたかった。
男として愛しい女をこの手に抱きたかった。
綾女が自分の全てを理解できないのは仕方ない事なのだろう。綾女は女、自分は男。
男の性を女の綾女に理解しろという方が、土台無理な話なのだろう。
――だが・・
左近は腕の中に綾女を抱きしめながら、すれ違うお互いの心に苦い思いを噛み締める。
「まあ・・いい」
そう低く呟くと、先とはうって変わり、左近は冷めた態度で綾女を腕の中から開放した。
「左近・・?」
今度は綾女が、戸惑いの表情を見せる。

花が憂いの露を含んで、風に重たげに揺れる・・
風が溜息を一つ小さくついて、花の傍を掠めていく・・
二人の心が触れ合う日はいつ訪れるのか?
男と女の間には、まだまだ深い谷が横たわっていた。
 
 

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