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         「 安土城址妖異譚 」
 

     1 安土城址の日常と不可解な幾つかの出来事について
 

 滋賀県はJR安土駅より徒歩約30分、自転車で約15分のところに、かつて織田信長がその居城を構えた安土山はある。
 麓に沿って走るは県道5号線。(通称・朝鮮人街道)
 傍らには、こちらも城跡を抱える観音寺山。博物館その他文化施設を足元に従えて。
 辺りに広がる畑と田圃。天下一の賑わいと称された城下町の面影もない、静かな田舎町。
 頂上から見渡せば、かつてその水際に壮麗な天主を映したであろう琵琶湖を今は彼方に望む。
 特別史跡安土城跡においては、今日もざくざくと土が掘り起こされている。
 もとい。着々と発掘調査が進められている。

    

       (1) 発掘調査員・日向 彰

―――さこん…

 名を、呼ばれたような気がした。
 先刻出土した金箔貼りの瓦の写真を撮っていた日向調査員は三脚に固定したカメラから顔を上げた。
 立ち上がって、辺りを見回す。
 次の指示を求める作業員のおばさんたちの声が一日中あちこちからかかるのだが、今は皆それぞれ地面に屈みこみ、手鍬やシャベルで薄く土を掻き取る作業に没頭している。
 巨大手形遺構を検出した天主に近い発掘区での作業は一段落し、今はこの大手道側の発掘区が作業の中心だ。
 聞こえてくるのは風の音と木々が葉を揺らす音。
 ざくざくざりざりと土を掘り返し、かき集める音。
 どこにいるのか、遠ざかってゆくカラスの声―――
 作業の指示は先刻出したばかり、何か変わったものが出てきたふうでもない。
……誰も、日向を呼んだ様子はない。
―――いや、それ以前に
 日向は眉を寄せる。
―――左近、と……呼ばれなかったか。
「日向さん」
 今度こそ本当に呼ばれて、振り返れば画板を抱えた葉月綾が立っていた。袖を肩まで捲り上げたTシャツに土埃で汚れたジーンズという、いつも通りの作業衣姿で。
 対する日向は支給品のベージュ色の作業着の上にモスグリーンのメッシュのカメラマンベストを羽織った、これもやはりいつもの出で立ちである。
 いつもと同じ発掘現場の風景の中の、いつも通りの調査員と作業員。
「すみません。実測図できましたけど見てもらえますか?」
「……」
 ……違う。彼女ではない。
 ふと、そんなふうに思う。
 表向きにはここで初めて会ったアルバイト学生と調査員一同ということで通している彼らの間では、他の人間のいる前で決して昔日の名を口にしないという事は彼らの間では暗黙の了解だ。
 だが、それをおいてもあの声は、違う。
 今目の前で笑う彼女は、大学3年だと言ったか。―――あの頃とさして変わらぬ年頃だ。
 あの頃は、こんなふうに笑わなかった。
 そして、今の彼女はあんなふうに自分を呼ばない。
 あんな―――――…
「……日向さん?」
 我に返る。
 首を傾げた綾が訝しげに日向を見上げていた。
「いや。なんでもない」
―――気のせい、だな。 
 胸の内でそう言い聞かせ、画板を受け取る。貼り付けた方眼紙には20分の1縮尺で、崩れた石垣の図。
 実測に使う0.3ミリのシャープペンシルにはHBの芯を入れているはずだが筆圧が高いらしく、濃い芯に替えたのかと思うほどに黒々とした線。
 これは描いたのは綾の方だな、と日向は思った。
 もう一人の学生アルバイト・篠原夕美と綾とを組ませて幾つか実測図を描かせたが、どちらがペンを取ったかはすぐに解る。
 オトコマエな線書く娘だなーと、最初に綾の描いた図面を見た時に森が妙にしみじみと呟いていたことを思い出す。
「この図面はこれで良し。写真撮り終ったらこの瓦の実測も頼むから―――――」
 二人の上に大きく翼を広げた鳥の影が落ちた。見上げれば、トンビが一羽悠々と飛んでいく。
 空は青く雲は白く。今日も発掘日和ないい天気である。
 いい天気では、あるのだが。
 それ故に。
 日向は軽く握った左手でこつんと綾の頭を叩く。
「それはそうと。……ちゃんと帽子は被ってたほうがいい」
「焼けるのは別に気にしませんけど…」
 そういう問題ではないのだが。
 このさして長くもない期間で顔も腕もずいぶんと日焼けした綾に、日向は軽く溜息をついた。
「日焼けするのは一向にかまわんが、日射病でも起こされると困る」
 ……つまらないことをと言わば言え。作業員の安全管理も調査員のお役目のうちである。実際、夏場には珍しい話ではないのだ。
 広い面積を一度に掘り返す大規模な発掘現場になると木陰のひとつもないこともあると思えば、周囲を木に囲まれたここはまだマシな方かもしれないが。
 日向は、被っていたベストと同色のキャップを取ってひょいと綾の頭にのせた。……後頭部のポニーテールを避けたので、ほとんど顔に被せるような状態になったが。
「それ、被ってなさい」
 流石に面食らった様子で、綾はあわてて帽子のつばを押し上げる。
 帽子の下から現れた、そのやけに幼い表情を楽しげに見やった日向は、真面目くさった顔を作って再び実測図に目を向けた。
 ……平和な日常とささやかな幸せを心密かに噛み締めつつ。
 
 

       (2) 調査員・森 辰樹

「あのー」
 作業も残すところ僅か、大半は下の作業区に移った作業員を少数残すのみという、天主側の発掘区の担当は森調査員である。
 発掘区を隔てる柵の向こうから声をかけてきたのは、初老の夫婦だった。どこからおいでになったのか、ポケットカメラを片手にいかにも観光客といった風情だ。
 近年安土城址では幾つかの新発見があり、テレビの特集番組等の影響だろうか訪れる観光客も増えた。
 一般市民の皆さんが興味を示してくれるのは、この道の人間として大変喜ばしいことである。
 森は作業服の袖で汗を拭うと、書きかけのメモを中断して胸ポケットに押し込んだ。
「はい、何でしょう?」
「この辺って、何か大きな動物います?」
 と、妙に真剣に旦那さんは言った。
「…………へ?」
 藪から棒な質問に、思わず間抜けな返答をしてしまう。
「いえね、さっき大きくて黒っぽいのがものすごいスピードで動いてたのを見ましてね。何だったんだろうなーと思いまして……見たことあります?」
 大きな動物と言っても。森は思わず芥川龍之介ポーズで考え込む。
 とりあえずクマが出るようなところではない。
 シカだのイノシシだのにもお目にかかったことはない。
 大きいということなら、身長2メートルの大男が約1名いることはいるが。
 そう言うと、奥さんはほらね、と片眉を上げて旦那さんを見やった。
「いや、でもね、俺は見たんだって!」
「けど、こちらもこんな所に大きな動物なんて見たことないっておっしゃってるじゃないの」
「でもあれは絶対木の枝なんかじゃ…」
「だって私見てないもの」
「俺だってチラッと見ただけなんだって。ものすごーく速かったんだよ」
 ……言い合いになった。
 ほんとだってば信じてくれよと一所懸命に訴える旦那さんと、しょうがないわねこの人はといった様子で笑って取り合わない奥さんと。
 ある意味のどかな光景ではある。仲良きことは良きことだ、うんうん。 
「―――人間ほどとは言いませんがカラスとかトンビとか、羽広げるとかなり大きく見えると思いますけど……どうでしょう?」
「カラスかトンビ…ですか」 
 言われてみれば確かにトリっぽかったかなあ…と旦那さんは少しばかり自信なげに首をひねる。
「けど、あんなトリいるかなあ……」
 それでもなおしばらく考え込んでいたが、不承不承ながらもとりあえずそれで納得することにしたらしい。
「ほんとにごめんなさいねえ、うちの人ときたら…」
「いやあ、お仕事中お邪魔してすみませんです。……ついでというわけでもありませんが、今そこで何が出てきてます?」

 お仕事がんばってくださいねーと(いい人たちだ…)会釈して去っていった夫婦連れを見送ったところで声がかかる。
「おおい森君、ちっくとええがかー?」
 つい先程、ナゾの影の正体候補に上げた大男の、課長である。
「はいはい只今…」
 そちらへと向かいかけて、森はふと動きを止めた。

 オオキクテクロッポイノガ、モノスゴイスピードデウゴイテタンデス。

 ・・・・・・・・・・・・。
 ちろりと向けた視線の先には、発掘区の一角を覆うブルーシートがある。
 遺構保存のためと称して被せた(単に見たくないだけという説もある)シートの下には巨大手形遺構(もちろん説明からは省いた)がある。
 帽子の上からかりかりと頭を掻く。
「まさか、なあ…」
 一人ごちて。細い黒縁の眼鏡を押し上げ、森は仕事に戻っていった。
 
 

       (3) 作業員・篠原夕美

 安土山には、現在二つの入山口がある。(他の入山道は立入禁止になっている)
 天主郭南側に幅6メートルの道が180メートル続く大手道口。西側に、二王門へと続く百々橋口。
 この二つの道がちょうどぶつかる辺りが織田信忠邸跡と伝えられている。  
 そこから、両脇を木立にはさまれた石段をさらに天主方面に向かって登ってゆくと、左側に置かれた柵の向こうに石碑がふたつ。織田信澄邸跡と森蘭丸邸跡。
 夕美はファインダーを覗き込みながら慎重に森蘭丸邸跡の石碑にピントを合わせた。
 趣味と実益と思って一眼レフカメラを買ってみたものの、どうもマニュアル操作で合わせようとすると微妙にピントが合わない。
 眼鏡越しなのが悪いのか、単に腕が悪いだけか。後者の可能性が高いと心の中で自分に突っ込みながら、溜息をつく。
 試しに視力矯正用の接眼レンズを買ってみようかと考えながらシャッターを押した。
 アルバイトとして安土に入って以来、昼食を大急ぎで済ませては昼休みの残り時間をカメラ片手に過ごすのが、夕美の日課のようになっていた。
 もっとも、移動だけでそれなりの時間と体力を必要とするので、発掘区からはあまり離れられないのだが。
 それでも、とりあえずカメラに慣れるべしの初心者マークが練習がてらに写真を撮って歩くには十分だ。
 石碑だけにピントを合わせ、背景はぼかして1枚。
 今度は画面全体にピントを合うようにレンズを調整する。
 夏の真昼とはいえ、生い茂った木の葉に日差しを遮っているので石碑の周りは濃い影に包まれている。
 一枚撮って少し考え、今度はフラッシュをたいてシャッターを切……った、まさにその時。
「あ」
 思わず声を上げる。
 視界を見慣れた横顔が横切った。左から右へ。下から上へ。長い黒髪をなびかせて。
―――今の…綾?
 カメラから顔を上げて人影の走り去った方を見たが、もうその姿は見えない。
 どうかしたんだろうか……あんなに急いで。随分怖い顔してたようだけど。
 何かあったなら、声くらいかけていってくれてもよさそうなものなのに……
 いや、そもそも今しも写真を撮ろうというその鼻先を物も言わずに横切ってゆくとは。
 とりあえず何があったか見に行ってみようかと、カメラを肩へかけなおして石段に片足をかけた時。
 「夕美!」
 下から声がかかった。
 振り返って、夕美は石段を登ろうとした姿勢のままかちんとその場に固まった。
「時計、置いていったでしょう……そろそろ時間だよ、戻らなきゃ」
 左腕を見下ろす。確かに時計がない。そういえば昼食の時、汗ばんだ腕に皮バンドが邪魔で外したような気がする。
 しかしこの場合問題は、持ち主に忘れられた腕時計よりもそれを片手に歩きにくい石段を足早に登ってきた当人の方で。
「綾ぁ!?」
 夕美は思わず頓狂な声を上げる。
 綾、だった。
「あんた、今上行かなかった?」 
 どうして上に行ったはずの綾が下から来るのだ。 
「上?」
 襟首をひっ掴まんばかりの勢いで詰め寄られ、目を瞬かせた綾は天主跡へ向かって伸びる石段を見やった。
 視線の先を遮る木立が風に揺れてさわさわと涼しげな葉擦れの音を聞かせている。
 そこへ来てようやく夕美は、先刻目の前を走り去った「綾」が足音ひとつ立てていなかったことに思い当たった。
 ……ざあっ、と。
 風が大きく枝を揺らした音か。夕美の顔から血の気の引いた音か、それともその全身に鳥肌が立った音か。
―――あたし、何見ちゃったのーっっ!?
 
 

       (4) とどめ。
  
 突如。
「どおおおおおおっっ!?」
 ……としか書きようのない、野太い叫び声が響き渡った。
 パソコンに向かっていた日向がつんのめる。滑った手が的外れのキーを叩き、エラー音が盛大に鳴り響く。
 調査事務所という名の仮設小屋で、ベージュの作業着の首にタオルを巻いた調査課長・木暮龍治がラボから届いたばかりの発掘現場の写真を手に硬直していた。
 さして広くもない事務所の真ん中に、身長約2メートル体重100キロ強という馬鹿でかい男が突っ立たれた日にはかなりの圧迫感である。
「どーしたんですか…」
 ゆるゆるとキーボードから顔を上げた日向の脱力した声に、返る言葉はない。やれやれと伸び気味の前髪をかきあげる。
 つと立ち上がって近づき、わなわなと震える上司の大きな手から無造作に写真の束を取り上げた。
 1枚、2枚、3枚…4枚……5枚………6枚…………写真を捲る手がだんだんと遅くなる。
 不意に、室内の気温が下がったような気がした。
「・・・・・・」
 ……ばさっ。
 半分ほど目を通したところで日向の手から写真が滑り落ちた。
「ああああ、何やってるんだ!? 課長までどうしたんです…?」
 丁度そこに測量機材を抱えて戻ってきた森が、写真をばら撒きつつ即席石地蔵と化した上司と同僚に目を剥く。
 夕方とはいえ夏である。この暑い時期だというのに、なにやら妙に薄ら寒く感じられる事務所内に首を捻り、固まったまま動こうとしない二人に代わって床に散らばった写真を拾い集めて埃を払い、テーブルに広げ。
 ―――そして、石地蔵が3人になった。
 心霊写真だった。
 それも、原因不明の光が写り込んでいるだの、木の間に覚えのない人影が写っているだの、人の手や足が欠けているだの、肩にあるはずのない手があるだのといった類の心霊写真ではなかった。
 崩れて重なり合った瓦(出土品)の上に、雨あられと降り注ぐ瓦や材木。
 土に埋まっていた石段を掘り出している作業員の姿は、今しもどこぞから吹き飛んできたとしか見えない、土煙を纏わりつかせた白壁の破片の陰になって後ろ半分しか写っていない。
 礎石の前を横切っているぶれた黒い影は恐らく脚なのだろうが、人間どころかどんな動物のものですらありえない。
 そして、巨大手形遺構にぴったり重なって押し付けられた、巨大な手。硬そうな緑色の鱗に包まれたそれを透かして、その形通りに窪んだ地面が写っている。
 撮影時にあったはずのない、しかし妙に心当たりのありすぎる光景が二重写しになっていたのである……
 事もあろうに、報告書に掲載予定の現場写真がことごとく。
「これは…」
 巨大手形遺構の写真を片手に眉間にしわを寄せ、難しい顔つきで森が呟いた。
「………撮りなおしだ」
 ……………………………そういう問題では、ない。
 
 

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