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唯一の存在は作ってはいけない。
――それは戒めだった。

「左近、何をしている? 早く来い」
「あ、それ以上近づくな綾女。画面に入り切らなくなる」
「せっかく海に来たのに、泳ぎもしない気か?」
「って、おい、こら、駄目だ、綾女。落とすって。ううわっ」

zaaaaaaaaa……

途中で途切れてしまった録画映像。
終わると戻してもう一度見る。
繰り返し、繰り返し。
二次元の世界で彼女は生き生きと輝いていた。
変わることのない永遠の笑顔。
二度と戻らないふたりの日々。
自分だけが取り残された。

「――ァ」
「……ん」
「マスターってば」

額に赤いビンディ。
あどけない瞳が上から覗き込む。

いつの間にか眠ってしまったようだ。
カウチソファーに沈めていた身体をゆっくりと起こす。
目の前には65V型フルスペックハイビジョン液晶パネル。
既にスイッチは他人の手によって切られていた。

「寝ぼけてるですか?」
「いや、アヤメ」
「体に悪いよ」
「そうだな」

それでもこの習慣を変えることはないだろう。
小煩いメディエンスに言われても、己の落下速度は止まらない。

「バーチャルビジョンを変えたのはおまえか?」
「そ、元気のもと。朝の空気はおいしいがいい」

窓から差し込む爽やかな初夏の日差し。ときおり風に誘われてクリスタル製のモビールが揺れ、金属製の風鈴が涼やかな音をたてる。

「無駄な努力だと思うがな」
「そんなことない。マスター元気になる。わたし嬉しい」

苦笑混じりのため息をつき、バーチャルビジョンのリモコンを取り上げて、早々にスイッチを切る。途端に現実世界がそこに広がった。超高層ビル内部につくられた近代的な生活空間。実用一点張りのモダンな家具が整然と配置されて、部屋内は綺麗に片付けられていた。

「ベースを同じにすると似るのかな」
「マスター?」
「いや、こっちの話だ」

メディエンス(maidience)――昔でいうところのハウスキーパーに相当する役割を与えられたアンドロイドの新総称である。製造ナンバーWWO7-1017-1808、呼称AYAME。彼女は左近のために作られた特注のメディエンスであった。どこが特別であるかというと、ある人物の記憶データをパルス化し、彼女の電脳に送り込んである。思考基盤はもととなる人物とほぼ同じ。ただし誕生にさいして記憶等はまっさらな状態にしてある。

「アレも夏の風景が好きだった」
「だれです? その方」
「コレだ」
「ああ、マスターのいいヒト」

主人が小指を立てて示すと、その意味をアヤメはすぐ理解した。きょろきょろと辺りを見渡し、首を傾げて何やら難しげな顔をしている。

「どうした?」
「ん、マスターいいヒト見たことない」

綾女――メディエンスの名前は彼女からとった――の写真は彼女がここからいなくなったときにすべて処分した。もともと職業柄、ふたりは映像となるものは残さなかった。だが、あの夏のときだけ、なぜか自分は彼女を動く映像に収めていた。

「彼女は一年前に亡くなったのだよ」
「マスター?」
「だから、きみが生まれた」

穢れを知らないまっさらなアヤメ。彼女のオリジナルの手はいつも妖魔の血で染まっていた。
アヤメの身体を抱きよせる。髪、容姿、体型、体温、やわらかさ、声音……すべてが似ていながら、己が切に求める当人にはなりえない。

「マスター、苦し……」
「すまないね、アヤメ」
「なぜ、謝る?」
「いや……」

アヤメをそっと放すと、ふいっと左近は視線を逸らした。
開放されてほっとしながら、アヤメは主人のほうをちらりと見る。
こういうときは左近の好きなマンデリン(コーヒーの種類)を入れるに限った。
コクもあるけど、苦味もある。アヤメは苦手だったから、香りだけを楽しんだ。
主人が美味しそうに飲む姿。感謝の言葉。それだけで幸せ……。

(でも……)

愛したヒトとの思い出を繰り返し見るマスター。
ときどきその姿が闇に呑まれてしまいそうで不安になる。

(ヒトを愛するってどういうこと?)

(ヒトは愛を失くすとどうなるの?)

アヤメの初期設定に愛という概念は入力されていない。
死ぬということすら半永久的な生命体であるためわからない。

ただ警鐘が鳴り響いていた。
 
 
 

額のビンディに手をかざす。

「起きなさい、AYAME」
「イエス、マスター」

闇にサファイヤ色をした瞳孔が開く。もうひとつの人格・AYAMEが目覚めた。
昼と夜があるように、光と闇とが対になって存在する。AYAMEの存在理由は左近の仕事のパートナーとしてだった。冷静沈着、合理的な思考、仕事に感情はいっさい持ち込まない。

「位置は?」
「D区画3017、東方向に毎秒10メートルの速さで移動中」

前方に3Dで投影される敵情報を迅速に分析しながらAYAMEは答える。ビルとビルの合間を縫って跳躍を繰り返すふたりは、闇に紛れて活動する生き物を追う狩人であった。アンドロイドであるAYAMEはしかり、最新の特殊装甲を身にまとうことで左近も尋常ならざる運動能力を発揮する。
ふたりが追っているのは妖魔と呼ばれる類のものであった。500年を1周期にして、妖魔は到来を繰り返す。どういう業だろう。それに立ち向かいうる影忍もまた、昔の記憶を携えたまま転生を繰り返す。左近にとって5度目の転生であった。
相方は必ず綾女が当たる。めぐり合い、対妖魔戦のパートナーとなる。そこまではいつも同じだった。いつまで一緒にいるか、それはそのときのお互いの生き方によって違っていた。
今回は公私共にパートナーとなっていた。それゆえ相手に対する思い入れは特別なものがあった。しかし、何ということだろう。妖魔との戦いを決せぬまま、綾女は戦いの中で命を散らせた。特別な気持ちが綾女を死に追いやった、といっていいかもしれない。左近が深手を負い、それに気を取られた綾女は小太刀での攻撃を一瞬鈍らせ、そして――。

(綾女……っ)

苦い気持ちがこみ上げてくる。
血まみれになった綾女を抱いて左近は咆哮を上げた。
既に彼女は絶命したあとで、徐々に生きていた形跡は消えていった。
二度と同じ過ちは犯さない。だから新たなパートナーには感情を持たせなかった。

(AYAME……)

彼女は褥の上でのパートナーでもある。戦いで盛った男の性を鎮める役割を彼女は担っている。セクシャリス(sexualice)――人間の性的欲求を掃かせ、満たすためにつくられたアンドロイドの新総称だ。彼女はただ左近に抱かれる。不平も不満も言わない。要求はいっさいしない。ただセクシャリスの性能上、感じるままに自分を表現する人形であった。
今夜も彼女は抱かれるだろう。キングサイズのべッドの上で、人形は与えられる刺激のままにシーツの海を息絶えるまで泳がされる。
 
 
 
 

敏感なのは仕方がない。ヒトの肌の熱にさえ反応するように作られているのだから。
間接照明の淡い光の中でパートナーに抱かれ、背中に爪を立てる。
いつも熱に追い上げられて意識を手放す。
彼が自分を抱くわけ。
それには薄々気付いていた。

(誰カノ代ワリ)

AYAMEは訴える言葉を持たない。
今のままでいいとも思っている。

カラン…

グラスの氷が溶ける音。
冷たいグラスを頬に当てられ目を覚ます。

「マスター……」
「飲むか?」
「いえ、ワタシは」
「そうか……」

ゆっくりとグラスを乾していく。
上がった頤。嚥下を繰り返す喉元。
暗闇でマスターのシルエットを眺める。

「マスター、もうおやすみください」
「わたしよりきみのほうこそお眠り。夜明けまで少しある」

熱の去った後には柔らかな声が落ちる。
少し躊躇ったが、左近の言葉に素直に従うことにした。

「おやすみなさい、マスター」
「おやすみ、AYAME」

次に目覚めたときは、この体はAYAMEのものでない。
別の人格が彼の相手をすることになる。

昼と夜とにわかたれた魂。
どれだけの比率でふたつは魂を占めるのだろう。
 
 
 
 

夜更けに目が覚めた。
広い広いベッドにマスターの姿がない。
そういうときは決まってマスターは大きい窓から外を見ている。
星々の光の届かない、光化学スモッグでにごった都会の空。
見上げる先に闇しかなくても、彼はじっと空を仰ぐ。

「マスター……」
「どうした? まだ朝には早いぞ」
「目が覚めた。一緒にいて、いい?」
「かまわない」

今夜は満月だった。
ふと、ある昔話を思い出した。

「マスターも月が恋しい?」
「いきなりどうした?」
「月へ帰りたい?」
「ああ、かぐや姫か」

満月の夜に迎えの使者が来て、姫は月の都へと帰っていく。
幾人もの求婚者があったにもかかわらず。
今上の求めがあったにもかかわらず。

「月……か。遠いな」
「うん」

月の光を浴びて立つ。
彼が月の光に透けてしまいそうだった。
左近のシャツの裾をアヤメはひっぱる。
ぎゅっと掴んで離さない。

「どうした?」
「ううん」

離せない。
離さない。
飛んでいってしまう。

アヤメは左近の背中に額をこつんと当てた。
 
 
 
 

22XX年9月1日8:31 Tokyo cityは、突如M7.8の直下型地震にみまわれた。

22世紀に入ると首都機能は完全に分散され、各都市単位での統治が主となる。そのため国家規模での混乱は起こらなかったものの、旧首都圏は壊滅的は打撃を受け、一時期あらゆる通信手段が混乱状態に陥った。
自治連合政府は事態を重く見て、関東一円に第一級戒厳令をしいた。特に被害が集中した湾岸A/B/C/D/E地区には外部からの立ち入りはいっさい禁止され、この地区は政府の直接管轄化におかれることとなった。

そこで何が起き、何が行われていたか。
事実は伏せられたまま、まる二日が経とうとしていた。

『首尾はどうだ?』
『あと少しで終わります』

襲いくる妖魔の攻撃をかわしながら、ワイヤレスマイクに向かってAYAMEは答える。
隙を見て二匹が同時にAYAMEに向かって飛びかかってきた。一閃で二匹を一気に切り裂き、素早く背後を振り返る。視界に五、六匹の敵を捉えて、AYAMEは両手で小太刀を真横に向けた。
一瞬で念じる。裂けろ、と。

「はぁっ!」

青い光が小太刀からほとばしり、眩い光の中に敵の姿は呑み込まれる。光が消えた後には何ひとつとして残っていない。しかし、新たな敵が湧いて出るように、また崩れた瓦礫のあちこちから姿を現す。キリのない戦いがずっと湾岸で繰り広げられていた。
相手は思考を持たぬ化け物であった。当然、死への恐怖があるはずもなく、本能のままAYAMEたちに向かって襲いかかってくる。それらを切っては塵と化し、妖刀の力を使っては無へと返している。

『この先にきやつらの守るものがある』

戦闘に入って間もなく、左近は言った。行く手を遮るのは妖魔でも雑魚の類で、数にものをいわせての単調な攻撃しか仕掛けてこない。戦闘能力ははるかにAYAMEたちのほうが上をいく。なのに、ミッションの進行は思うように進んでいない。望まざる磨耗戦へと無理やり引きずりこまれ、アンドロイドであるAYAMEはともかく、人間である左近にそろそろ疲れが見られる頃であった。

(明らかに時間を稼いでいる)

左近たちにも作戦があり、現在の戦況を甘受している。この首尾さえやり遂げれば、風は完全にこちらに向かって吹く。
AYAMEは妖魔の攻撃をかわしつつ、最後の「楔」を地面に突き刺した。

『マスター、完了しました』
『よし。ではフィールドを発動する』

念を集中させて妖刀の力を最大値まで高める。力が増すほどにふたりの所持する妖刀は、青い光を眩いばかりに放ちはじめた。そして、左近の指示に合わせて、それぞれ離れた場所から妖刀の力を開放させる。

『今だ!』
『はいっ!』

科学の進歩は妖刀の力の解析を可能にした。
ひとつ矛のもの。かつてひとりの同胞が所持していた妖刀は、「彼」の血を吸って半生体鉱物という形で発見された。影忍のDNAを取り込み、その情報で自らを進化させ、操り手を必要としないままに力を発するに至った地球外鉱物。
だが、残りの小太刀のもの太刀のものは影忍という特別な操り手をまだ必要としていた。だから左近と綾女はいつの時代にも必然的に出現する。超自然的に、時に科学の力を使ってでも。

『冥府魔道が閉じる……』
『ええ……』

近づかなくても力の余波でわかった。冥府魔道が開くポイントを取り囲むようにして地面に突き刺した「楔」。かつて矛のものであったものは完全分離再生され、代わりとなる新たな力とするため現代に蘇った。妖刀は「楔」に感応して、三振りの剣の力を完全とする。それがフィールドと命名された現象であった。

『さすがに……きつかった、な』
『マスター?』

ヘッドホンを通じて伝わる左近の声音に異常を感じとる。
AYAMEは小太刀を鞘に収めると、すぐに左近を探しはじめた。
常に位置は表示されているため、だいたい見当はつく。
ただ気が急くため、そこにたどり着くまでの時間がとても長く感じられた。

「マスター!」
「AYAME……か。ご苦労、だったな」
「そんなことはいい。血が……、どこが痛む?」
「ふ……けっこう派手にやられた。もたんだろう、たぶん」
「馬鹿っ! 何を弱気言っている。いつもの左近はどうしたっ」

痛みに表情を歪めながら、左近はくっと笑いを漏らした。
AYAMEは険しい表情を更に険しくして、左近の胸倉を掴んだ。

「マスターが、……左近が死んだらワタシはどうしたらいい」
「は…っ。はっきりと、言うな。一応、まだ、ケガ人……だぞ」
「しゃべれるうちだから言っているんだ」
「聞けるうちだから、話して……いるんだがな」

AYAMEは表情をくしゃくしゃにした。

(切ナイ、切ナイ、切ナイ)
(コンナノ知ラナイ)
(コンナノ要ラナイ)

頬の上を熱い何かが流れていく。
アンドロイドの電脳は理解不能とパルスを送っていた。

(何が悲しいの?)
(何に震えているの?)

問うはずのない、もうひとりがAYANEに尋ねる。
アヤメの覚醒。

(アナタは?)
(あなたは、わたし)
(ワタシ?)
(わたしは、あなた)

思考が交差した。
そのまま螺旋を描いて上っていく。
知らなかったこと。
知っていたこと。
交わるはずのないふたつが合わさろうとしている。

(私は誰?)

遥か昔から自分を知っていた。
特別な血筋。それゆえに背負わされた運命。
それ以上に非情だった真実。
それでも生きた。
何度も、何度も。

(何のため?)

生きる理由があった。
生かされた。
生かした。
相手がいた。

(誰?)

目の前に息絶えそうなヒトがいた。
見知った、懐かしい顔だった。
常に傍にあったヒト。
心も。
体も。
魂さえ。

「左近……、死ぬな」
「AYAME?」

それでないと涙するヒトが首を横に振る。
懐かしい瞳が左近を見下ろしていた。

「まさか……」
「ああ、そうだ」

愛しげに男の腕に触れる指。
男は手を伸ばして、そのヒトの頬に触れた。

「泣かせて、ばかりだな……」
「泣かせてくれるな」

触れた指に手をそえて、その温かさに頬ずりした。
大きな手。少し肉厚なのは太刀を操るからだった。
涙が指先を濡らす。
とめどなく伝う。
溢れるものはとまらなくて。
この心情をどう言葉にすればいいのだろう。

――愛してる……。
 
 
 
 

後日、今回の地震による被災状況が報道された。

〈湾岸地区〉
 ・生存者なし。
 ・二次災害の危険性が高いため封鎖を続行する。

その後、何事もなかったかのようにTokyo cityは復興の道をたどる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

チリ…ン チリリ…ン
涼風に風鈴が揺れた。
 
 




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