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「あの日 あの時 この場所で」
戦国の風雲児・織田信長が天下統一の野望を胸に築いた安土の名城は、京都・本能寺における彼の死から程なくして灰燼に帰した。
焼け残った建物も後に焼失・散逸し、現在では仁王門と三重塔のみが山中に往年の姿を留め、乱世を駆け抜けていった英雄を偲ばせる。
時の流れと土砂に埋もれて草木に覆われていた安土山は、平成元年度より20年計画で城跡の発掘調査と遺跡整備事業が進められている―――
1・安土城址における発掘作業員の日常
「縦線から18.2cm、横線から14,3cm。・・・次、桝目1つ下。
縦線から3.8cm、横線から12.7cm。・・・はい、一周しました。外周おしまい」
「・・・・・ねー、綾ちゃん・・・」
あたしはげんなりと膝に抱えた画板から顔を上げた。
穴の縁にしゃがんだまま首を傾げてこっちを見た綾は、着古したTシャツにジーンズ。ラフと言うより楽で、なおかつ汚れても構わないという格好はあたしとたいしてかわらないのだが・・・いやはや、美人は得だわ。
その向こうでは調査員の指示の元、発掘作業員のおばさん達が慣れた手つきでシャベルや手鍬を操り、ざかざかと土を剥いでいる。
一輪車には取り除けた土が積み上げられ、こうしてかつての名城の姿が明らかにされていく。
もっともその作業をするためには、この城の主が失われてから我が物顔で育った木をまず切り倒さなければならなかった。まあ、どこの遺跡もそんなものだろうけど、そうした辺りにつくづくと時の流れを感じてしまうのは、あたしだけではないと思う。
綾とあたしはふたりとも、某大学の史学部に在籍中の学生だ。専攻は考古学。遺跡の発掘実習を兼ねてのアルバイトということで、この夏休みをここ・安土城址で発掘作業にいそしんでいる。
で、今はこの穴、もとい発掘された遺構がどういう形で、発掘区のどこにどう位置していたかを記録する、縮小実測図をつくっているわけだが。
しかし。
「これ、ほんとーにこれでいいの・・・?」
・・・解説。実測図の描き方。
遺構、もしくは出土状況を図示したい遺物の範囲に糸を張り、桝目に区切ります。図面にするものの輪郭の1点を、縦糸横糸それぞれからの距離を測り、縮尺に応じて方眼紙に点を打ちます。これを繰り返して、それぞれの点を線で結び、形を写し取る訳ですが・・・・・うう、大体のところはお解かりいただけますでしょうか・・・
実測範囲が広い場合は2人で組んで、1人が距離を測って読み上げ、1人がづ免を書くことが多い。石器や土器、瓦といった遺物の場合はひとつひとつの輪郭を取り、柱穴のような遺構なら外側の縁と底部の輪郭をそれぞれ図にする。
さらに測量して要所要所の高低を測り、穴の深さや遺物の位置関係を記録するのだけど、それはとりあえずおいといて。
しかし。
綾が計って読み上げた数値を線で繋いだら、画板に貼り付けた方眼紙の上に、どこからどう見ても怪獣の足跡としか思えない形が出来上がってしまった。
「だって、ずれてないよ。それに図面見るまでもなくこんな形してるし」
綾は薄い作業用手袋をはめた手で、アルミ製のメジャーを玩びながら平然と言ってのけた。
たしかに、見れば一目瞭然というくらいはっきりと形になっては、いる。
足跡と言ったけれど、どちらかと言えば手形。美女を手に高層ビルに取りついて暴れる巨大ゴリラの映画を思い出したけれど、あれよりは多分大きい。
親指の付け根のふくらみも、尖った爪の形もしっかりと。
5本の指を開いて、どんと地面に印されている。
黄色いナイロン糸で碁盤の目に区切られたそれが、たった今綾とあたしがその輪郭を描き上げたシロモノで。
場所と方向から言って、天守閣から身を乗り出して身体を支えようとしたらこんな風になるかもしれないけれど・・・
あたしはぺったり地面に座ったまま、こればかりは焼けずに残った石垣を見上げた。
ああ、そらが青いわー・・・。在りし日には、この視界を豪壮な天主が遮っていたものだろうけど。
・・・信長さん、ここでいったい何を飼っていたんですか?
「この図面渡したら、また森さん、顔色悪くなりそうだねえ・・・」
この巨大手形が見つかった時、それはみんな驚いた・・・というか呆れたけど、発掘調査員の1人・森氏は顎が外れそうな顔をしていた。
掘り進むにつれ、ただでさえ色白な森さんがしまいにはイカのような顔色になってしまって、いやーあれは気の毒だった。
まだあたし達みたいな作業員はそれですむけど、報告書の執筆が待っている調査員としては頭を抱えたくもなるだろう。
ここがアリゾナだのモンゴルの砂漠だのというのならともかく、日本の、それも高々400年前の城跡からこれが出てはちょっと笑い事だと思う。
偶然こんな風に土が抉れただけだと言いたくなるのもよーく解かる。
膝の屈伸を何度か繰り返して、膝を伸ばして。綾はポニーテールに結んだ長い髪(茶髪が流行を通り越してすっかり世間に定着した昨今、珍しいくらいの艶やかな黒髪だ)を、一振りして背中に流し、
「―――いたのかもしれないよ? 怪獣・・・」
耳に心地よい少年のようなアルトでそう言って。
それはそれは綺麗ににっこり笑う、極めて真面目な人柄で知られる友人を暫し見つめ―――あたしは画板に突っ伏した。
「おんしゃら、休憩だぜよ」
捻り鉢巻きを締め、首にタオルを巻いた木暮調査課長(高知県出身だそうな)が、測量機材一式を担いでのしのしと歩いて行った。
2・安土城址における発掘調査員の憂鬱
カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ・・・・・・・
茜色の夕日が差し込む、調査事務所という名の仮設小屋にキーボードを叩く音が無表情に響く。
その中で。
「こんな予定はなかったんだがなー・・・」
はあ。
森調査員は描き上がった巨大手形の実測図を手に、盛大かつ何やら妙に悩ましげなという器用な溜め息をついた。
「・・・・・あってたまるか」
低めた声が短く返す。
机に向かってパソコンにデータを打ち込みながら、同僚の調査員であるところの日向は振り返ろうともしない。
「報告書になんて書けばいいんだかなあ・・・」
「だーかーらー、そのまま書けばいいだろうが。本当の事なんだから」
戦国時代、海の向こうの国にまでその名を知られた安土の城には、巨大怪獣が住んでいたようです、まる。
・・・・・・・・・・・・・。
「日向〜〜〜〜〜」
「泣いても可愛くないぞ」
・・・・・あのうつけものなんであんな所に手なんかついたんだ、少しは場所考えろ場所を、いっそ土ごと抉り取ってれば解らなくなったのに、いやそれより見ないふりして誤魔化そうと思ったのに、尾田さん(ベテラン作業員。49歳・主婦)なんであんな土の色の違いなんか指摘してくれたんだ、秋には現地説明会だってあるのにどう説明すればいいんだごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃ・・・・・・・・・
―――はっきり言って、美声の無駄使いである。
じゃ――――――んっっ
パソコンのエラー音が延々と続く愚痴を遮る。
「やかましい」
日向調査員とて(もちろん木暮課長も)、この事について悩んでいない訳ではない。
訳ではないが・・・世にこの状態を、現実逃避という。
―――それにしても。
日向はしみじみと思う。
確かに、こんなことになるとは思わなかった。
よりにもよって、己の人生の終焉の地で、日々働くことになろうとは。
おかげさまで、あの時は目もくれなかったようなことにやたらと詳しくなってしまった今日この頃である。
前田利家邸や羽柴秀吉邸がどういう構成でどこに位置していたとかいうのはともかく。
大手道の石段に石仏が敷かれていたとか。
補修用の屋根瓦がどこに保管されていた(種類別に10枚ずつ積んであった!)とか。
天主の瓦がどっちに向かって崩れ落ちたとか。
柱の下に来んな石がしかれていたとか。
こんな皿でゴハンを食べていたとか・・・・・
かつての自分にはどうでもよかったこと。
今の自分にはとても大切なこと(何しろ、メシの種だ)。
その上。
あの日あの時この場所で。
命懸けで戦い殺しあった輩が、揃って仲良くその闘いの舞台を掘り返す日が来るなどと・・・一体誰が思うというのだ。
お釈迦様でも解かるまい、である。
ふう。
はあ。
思わず零れた溜息に、背後からまたしてもけったいな溜息が重なる。
「いっそのこと、夜中にこっそり掘り返してなかったことにしてしまおーか・・・」
「―――おい・・・」
仮にも文化財の調査保護に携わる人間にあるまじき発言に、流石の日向も手を止めた。
巨大手形の発見以来、ずっとこの調子の同僚にぐるりと椅子ごと向き直り・・・ゆらりと立ち上がる。
その怒りの元が、彼の発言の中身にあるのか、うっとうしく愚痴を聞かされ続けたことにあるのか、はたまた時を遥かに溯っての怨恨にあるのかは不明だが。
思わず後ずさった森を眼光でその場に縫いとめ(その背に迫るオドロ線を見たのは、森の気のせいだろうか)、日向はとうとう―――その声の魅力を(ある意味)存分に発揮して―――怒鳴った。「だいたいなあ! 元をただせば全部! おまえのせいだろうがっ!!」
夏草や 兵どもが 夢の跡 松尾芭蕉
化け物どもも、夢の跡。
ああ、なべて世は事も無し。
平成X年。
夏ももう、終ろうとしていた―――――――
参考――安土城考古博物館・平成11年度秋季特別展「安土城1999」図録
* 冒頭で触れました、遺跡発掘整備事業20年計画は本当です(念のため)。