menu<ヒトリノ夜>「・・・左近?!」
「ここは俺が引き受けた。先に行け、綾之介。」他に、かけるべき言葉など見つからなかった。
驚きを隠しえない背後の声に応えながら、思う。
こんな戦いに赴いてきた自分は、恐らく正気の沙汰ではないのだろう。
-----いや、こんな戦いだからこそ。◆
気が付けば火は消えていた。己の輪郭すら覚束無いほどの暗闇。
洞穴の入り口の方向すら判然としないところを見ると、恐らく今は宵なのだろう。
また、迷い続ける夜が訪れる。時間がない。
そう言われたのはほんのニ三日前だっただろうか。
あの二人が信長の殺害に失敗したという知らせを受けたのは。
その時はただ、関心がない素振りをした。
素直に説得に応じる気にはなれなかった。
「このままだと二人は犬死にだ。」
確かにそうだろう。だが、少なくとも一人はそれで構わないと思ってる節がある。
だとしたら。説得をしていた者が去って、そこそこ時間が経過してもなお、その言葉に心が惑ってる自分に正直あきれる。
「他人の選ぶ道など、どうこうできるわけでもなかろうに。」
それが己の力量だと、嘲笑うようにはき捨てた時だった。「気ニナルノカ?」
何かが、非常に近いところから囁きかける。
自身の声か、それとも妖しか。
すでに気が遠くなる程ここに留まりつづけているためか、そんなことですらどうでもよくなってくる。気にならない、といえば嘘になる。
敗北の前に戦線を離脱して後も、自分がこのようなところで(悟り)を開こうとしていること自体、その事を物語っているのではないだろうか。
一人は信頼できる戦友であり、もう一人はどうしても気がかりな存在だった。
しばらく前に、どうする事もできない事実を突きつけて決定的に突き放したはずのその相手は尚、定めという名の渦中に身を置いている。
それが(彼女)の、いや(彼)の決めた道だとしたなら自分に何ができるというのだろう。そう、自分の真実を捨ててまで戦い続ける者を留めることなど、そもそも可能なことなのだろうか。「ソノ女、手ニ入レタイノカ?」
分からない、と自嘲の思いを込めて笑い飛ばす。
そこまで明確な思いがあれば、自分は伊賀を離れなかったのではないだろうか。再会した時にその手を離さなかったのではないだろうか。
だからこれは、そんなありふれた思いではないのだろう。
曖昧な心。廻り続ける思考。時間だけが徒に過ぎ去っていき、夜がただ深まっていく。(綾之介)は迷うことなど無かったようだ。
不意に、時折漠然と考えていたそんな思いが再びよぎり、愕然とする。
迷うことが無い事を、危ういことだと言うのは容易い。考えろと言うことも簡単なことだった。
戦いにのめり込んでいく彼女から目が離せなかったのは、恐らくその危うさにどこかで惹かれていたという事実。
なぜ、そこまでして何一つ価値のない戦いに命を賭けるのかと腹立たしく思いながらも、だ。
その答えが、今、かなり唐突に引き出されたような気がする。
私だけが生き残ったのも事実だと、彼女は絞り出すように叫んだ。
恐らく、その時点で。(綾女)が(綾之介)になった時点で。迷う余裕も、甘えも彼女は持ち合わせてはいなかったはずだった。だとしたら。俺は、彼女に何をした?
恐らく、間違いなく。ずいぶん残酷なことを言っていた。
伊賀で、そして、ここで。
この道しかないと思い定めている相手に、言ってどうなるものでもない言葉を投げつけ、そして突き放した。
彼女が思い留まる可能性など無いに等しいにも関わらず、感情の赴くままにそんな言動に及んだのは・・・。------死なせたく、無いからだ。
育った里を、仲間を見捨てる事は出来ない、と健気に笑った少年の笑顔が脳裏をよぎる。
いいヤツほど早く死ぬ、とはよく言ったものだ。どんな戦いでも、真っ先に死ぬのは真っ直ぐな人間だ。
惜しまれる資質を持つ者ほど、簡単に命を落としていく。
それで、その者の願いが叶うのなら、まだ救いもあるだろう。だが。
------この戦いに、勝ちはない。
根拠など無い。だが、それは確信に近い、この戦いに関する自身の答えの一つだった。
この定めの奥には、確実に、巨大な暗い何かが潜んでいる。
魔王とされる信長を、仮に倒すことが出来たとして。その後に待つものが一体何なのかは判然とはしない。
だが。出来すぎているこの定めが落としている影は不吉なものでしかない。
だからこそ。
今度こそ、不要な犠牲を防ぎたかった。・・・彼女を、思い留まらせたかった。「無様ダナ。」
声が嘲笑う。
そう、結局のところ、彼女が思い留まる事など無かったのだ。ひたすらにただ、定めを自身の大義として命を賭けている。
このまま妖刀が揃わなければ無駄に命を落としかねない可能性があると、恐らくは承知の上で。
そして、このままだと恐らく、間違いなく彼女は願いが叶わないまま死んで行く。伊賀の少年も、死を覚悟していた。
あの時の、笑顔で応える少年の意志を尊重した事を、悔いている訳ではない。
ただ一つ、後悔していることがあるとすれば。それは、その安否を気遣う自分の感情よりも、己の主張を優先させた事だった。
あの時、引き返していたら。あるいは、少年だけでも救えたのかもしれないという思いが、苦く深く自身の中に刺となって埋め込まれている。だとしたら。
あの時の決定が、今なお後悔となって残っているのであれば。
おのずと答えは見つかっているのではないだろうか。
彼女を思い留まらせることは確かに出来なかった。だが、自分が動くことはまだ出来るはずだ。
この先に何があるのか。この答えは、今の(綾之介)が見つけるしかない。
このばかげた戦いに生き残ることで。
では、俺には何が出来る? 俺は一体何を望む?-----願わくば、彼女が望みを果たすところを見届けること。
「何ノタメニ?」
怪訝そうに、どこか面倒気に声が問う。
それを。この願いの理由をはっきりさせてどうしようというのだ。
それは形にならない思いだ。無理に言葉にすることもない。
勝ち目が無くとも、たとえ自身の命を失うことになっても。
ただ、ここに留まって再び後悔するかもしれない事態になるよりは、動いたほうが遥かにマシに思える。「素直ジャナイナ」
どこからとも無く聞こえてくる嘲笑混じりの言葉には、最早まともに応える気にもなれなかった。
自身の願いに、信念に従いたいからこそ。だからこそ、伊賀で仲間と分かれ、ここに来た。
そして。今、決めた。
全てを振り切ることなどできない。
悟りを開いたところで、俺の望みが果たされるわけではない。
だとしたら。刀を握り、ゆっくりと顔を上げた時だった。
「マダ間ニ合ウ」
どこか冷やかすように刀が揺れた。そんな気がした。
◆
彼女の行く手を阻んでいた朧衆の前に立ちはだかり、短く鋭く、背中の向こうにいる相手に指示を出す。
振り返る余裕など有りはしない。恐らく目の前の敵は想像以上に、強い。
背中を向けたままでかけた言葉に、僅かな躊躇の後、何かを振り切るような彼女の声が聞こえる。「・・・すまない!」
(綾之介)が立ち上がり、走り出す気配を感じる。
それで、いい。
-----そう、こんな戦いだからこそ。
-----少なくとも、お前はここで死ぬ訳にはいかない。そうだろう?・・・綾女。声には出さず。本当はそう呼びかけたかった名前を呟き、俺は剣を構えなおした。
<Fin>