menu<Tell me You're happy now>
寒いほどではないが良く効いた冷房。 人工的な清浄の中に仄かに漂うシガーの薫り。
心地いい程度のざわつき声とどこか掠れたサックスのBGMが絡み合う。
いつもの見慣れた光景が、なぜか今日は物足りない。なじみのクラブのカウンターの、奥の席で。俺がグラスを回すと耳障りな音が冷たく空廻る。
「珍しい。」
連れの女が呟く。どこかからかうような視線、ゆるくウェーブのかかった髪をかき上げながら。
「いつもストレートじゃない。今日はロックなの?」
「たまには気分を変えたい時もあるさ。」
一定のリズムを取ってグラスを回す俺に、女は片眉を上げて見せた。
らしくない。女の目は明らかにそう言っている。
「そういえば。」
ノースリーブの白い腕。わざとらしくカウンターに肘を突いて、女は改めて俺のほうに向き直った。
「昨日は随分可愛いお嬢さんとご一緒だったみたいね。」
「・・・偶然の出会いって奴でな。」
慌てて背を向けたカウンター向こうのマスターを軽く睨みつける。
このおしゃべりめが、と心の中で毒づいていると女はからかうような微笑を口元に浮かべた。
「いいのよ、別に。言い訳しなくても。・・・私たち、もう、そういう仲じゃないんだし。」
言い訳をするわけじゃないさ、と俺は答える。
話題の「可愛いお嬢さん」とは数百年の時間を超えた再会だった、なんて言ったら目の前の女がどんな反応をするか。・・・いっそのこと見てみたいものだとすら思う。
偶然の出会い。そして呆気ない別れ。"今"の名前を互いに知ることがないままに。
その方がいい。
そう思ったからこそ、それ以上彼女を追う真似はしたくなかった。
「ま、あなたが(お仕事)に出かける前に、連絡もらったと言うことだけでも私は感謝。」
一瞬、感傷に沈みかけた俺を現実に引き戻したのは隣の女の言葉だった。
「何だ?何ならまた、よりを戻すか?」
「冗談。命を賭けた仕事が生きがいって男を悠長に待てるほど、私は辛抱強くも心広くもないのよね。」
大体あなた明日が出発でしょう、と女は肩をすくめて見せた。
「俺に保険金でもかけときゃ、有閑マダムのご身分が約束されるぜ。多分。」
「残念でした。あなたがそのお仕事をしてる限り、入れる生命保険なんてありません。」
それができるなら意地でも別れたりしなかったし、と目の前の「元・妻」は笑い飛ばした。
「それにね。」
ふっと、真面目な顔になって女は声音を変える。
「私じゃあなたの隙間を埋められないの。多分ね、あなたも私もその辺を知ってしまったから、あっさり別離れることができたのよ。」
「隙間、ね・・・。」
何故か一瞬、昔、"綾女"と呼んだかの人の姿が脳裏をよぎった。
またグラスを回しそうになった手を押し留めて。バーテンダーを呼び止め今度はマティーニを注文する。
これなら、未練がましい氷の音を立てずにすむだろう。
あの時。
果てしなく無きに等しい偶然で再会した彼女は、休むことなくグラスを回しつづけていた。
やっと会えたのに(また会えなくなるなんて)落ち着けるわけがない、といいながら。
・・・結局、また泣かせてしまった訳だしな。
手元に来た、冷えたマティーニを一気に呷る。
「・・・その子なんじゃないの?」
不意にたたきつけられる女の言葉に、俺は一瞬むせ返りそうになった。
「・・・何がだ?」
「だから、あなたの隙間を埋められる存在。」
「・・・どこをどうすりゃそんな話になるんだ?」
「あなたが泣かせた子を呼び止めて、それ以上ノーアクションなんて考えられない。」
・・・このおしゃべりマスターめ、どこまで喋りやがったんだ?!
忌々しげにカウンター向こうを睨みつける俺を、女は軽くいなすように。
「あなたって破滅的なくらい優しいんだもの。だからこそ、泣かせた子を追っかけもしないっていうのが腑に落ちなかっただけよ。」
「俺だって深追いしたくない相手くらいいるさ。」
苦い思い。
得がたい女だと、あの頃は思っていた。男と女の関係を望むことが出来ないとしても、彼女の未来を望まずには居られないほど大切な存在だった。
だが。
「もう終わってしまった話だ。」
俺の、死によって。
自分に言い聞かせるように、言葉を選ぶ。
今歩んでいるのは、互いに新しい人生だ。悲惨な出来事が多すぎたあの頃を、わざわざ再確認することも無いだろう。そう思ったから、後を追わなかった。名前を聞くこともしなかった。
「なるほど、ね。」
女はそう言って、ストローに口をつける。
「・・・わざわざ終わったことだなんていうほどに未練タラタラなカンジがするけどね。後を追いたくないなんて、本当は全然思ってないくせに。」
「あのな・・・。」
抗議の声をあげた俺を、女は片手で制した。
「ここ一番って時には素直になった方がいいわよ?」
「相変わらず、言いたいこと言ってくれる。」
多少ヤケクソ気味に鼻で笑う。この相手に何を言っても簡単にあしらわれるだけなのは自明の理だった。
実際、女の言葉はある部分、確実に真実でもあった。
泣かせたままで行かせてしまった。その事を少しも後悔していないと言ったらウソになる。だが・・・。
比較的アッサリと心中で両手を上げてしまったことが判ったのだろうか、女はわざとらしく片眉を上げた。
その表情がキリっと引き締まっていく。
「そうよ。仰るとおり。私は言いたいことは言わせて貰う。やらなきゃいけないことはきちんとやる。後悔するの、嫌だから。・・・少しはあなたもそうしなさい。」
・・・正直二の句が継げなかった。一体どこまで見抜かれているんだか。
もはや苦笑するしかない俺に、女は軽くため息をついて重症ね、と呟き、そのまま立ち上がった。
「行くのか?」
「ええ。人を待たせているの。」
「それは悪いことをしたな。」
そう言えば女に「明朝発つ」と連絡を入れたのは、彼女の仕事が終わる頃、つい2時間ほど前だったことを思い出す。
「こっちは大丈夫。それより。」
不意に、女の手が俺の肩に触れる。
「ちゃんと帰ってきなさいよ。」
貴方のためにも、その子のためにもね。と。その声が、言葉だけが耳に残った。女が店を出てどのくらいの時間が過ぎたのだろう。
気が付けば、手元のグラスはすっかり体温と馴染んでぬるくなっていた。
「言いたいことは言え、か。」
自分のためにも、彼女のためにも。
もしも、彼女と再会することが出来たとして。
言いたいことがあるとしたらただ一言だけ。今も、昔も。俺が彼女に願っていることは1つだけだった。
幸せで居てほしい。
目の前に居ても、居なくても。手をつなぐ事ができても、触れ合うことができなくても。
自分に、彼女に何か言う資格があるとはとても思えない。ただ、許されるとしたら。
・・・「幸せだ」という彼女の言葉が欲しい。
「どうか・・・。」
幸せであってほしい。思わずそう呟きそうになって唇をかみ締めた。
・・・そう。立ち去った女の言う通り、これは「未練」といえるような感情だった。こんな思いを抱いている以上、この本心は「終わった」などとは考えてもいないのだろう。
「・・・とんだお笑い種だ。」
苦笑交じりにうめいて立ち上がる。きまり悪そうな様子のマスターに代金を放り投げ、俺は店を出た。外は思いのほか寒かった。月がやけに明るい。
「・・・今日は満月だったか?」
そうかもしれない。違うかもしれない。
だが、かなり真円に近い月は、否が応でも昔の記憶を引きずり出す。
まだ、彼女とつながりを持つことは可能なのだろうか。・・・自分にそれを望む資格はあるのだろうか。
廻る思考。取り留めの無い思い。
「まずは、帰ってくること、か。」
とりあえずは明日、行くべき場所があることを微かに救いに感じながら、俺は歩き出した。<Fin>
注:このお話はテーマ「仕種」に出させていただいた「Maybe it's better this way」の続きのお話になります。