menuあるいはこれが、本当の話。
しかし、なを、人の世に魔を封ずる三種の神器あり。
一つを扇≪せん≫のもの、また一つを斧≪おの≫のもの、そして一つを棍≪こん≫のものとして、世の陰の流れに伝わりぬ。
今や安土城は廃墟と化そうとしていた。
天守はほぼ、跡形もなかった。一階部分を兼ねていた石垣だけがいびつな姿で残っているばかりだ。
月の蝕は半ばを過ぎ終演に向かおうとしていた。天頂近くにあるにもかかわらずなぜか常より遙かに巨大に見える月が、周囲に散らばる木片や石の破片を青く照らし出している。
(やったのか……?)
その残された石垣の脇から安土山を見下ろし、綾之介は自問した。
その瞬間、笑い声が山全体に響き渡った。
はっと、綾之介は声の方へと振り返る。
月を背後に中空に浮かぶ影があるのを綾之介は見た。
「森、蘭丸──」
相手の名を低く呼ぶ。
少年の姿をした妖魔が薄く笑んだように思われた。
こいつで最後だと彼──いな、男装の麗人たる彼女は思う。
綾之介は神器・釘伐斗≪くぎばっと≫を握りしめた。
『釘伐斗』。
それは影三流に伝わる三つの神器の内の一つである。
長さ二尺七寸(約83センチメートル)。持ち手部分が少し細くなっている木製の棍棒に、天から落ちてきた星で作ったと言われる釘が七十七本刺さっている。
今、その釘は神器の神器たるゆえんである青の輝きをたたえていた。
「貴様で朧衆も最後になったようだな、蘭丸」
少年は無言で、ただ笑みを浮かべるだけだった。
まるでこちらをあざ笑うかのような微笑が綾之介の気に障った。
綾之介は釘伐斗を持つ左手を前方に伸ばし、神器の先端でまっすぐに天を指した。
直立した神器越しに森蘭丸の姿がある。宙に浮かぶ蘭丸まで、綾之介からはおよそ十間(約20メートル)。伐斗の射程にはほど遠い。
しかし、綾之介の目に浮かぶ光は、まさにこの一撃でけりをつけようとするもののそれであった。もともと、伐斗≪ばっと≫は鎌倉時代に発明された武器の一つである。神木の芯を削り、術者によって法力を込められた三尺弱の棍棒形のものを一般的にそう呼ぶ。元寇の折に元軍が用いた震天雷の驚異。その震天雷の砲弾を『打ち返す』ことを目的として作られた伐斗は、対人兵器というより世界初の弾頭迎撃兵器と言って良いだろう。
伐斗は『その威力、真芯に当てれば大筒の弾すら葬らん』と呼ばれるほどの力を持つ特別な品であるが、何分にも特殊な制作過程を踏むために量産はかなわず、影流にのみ伝わっていた。
しかし、いかに威力があろうともそれだけで神器とは言えない。
香澄の神器・釘伐斗は、それに輪をかけて特別な品だったのだ。綾之介は狙いを定めると、突き出していた釘伐斗を引き寄せ、構えた。
「これで最後だ」
小さく、呪文のようにそう囁く。答えるように釘伐斗の釘はその輝きを強くした。
綾之介は低く息を吸い込み、止める。
次の瞬間、綾之介はまなじりを決して神器を振るった。
青白色の輝きが大人の拳大の光球となって釘伐斗から放たれる。
光球は夜空に白い残像を残し森蘭丸の身を貫く……はずであった。
「なに!?」
綾之介は眼前の光景に思わず声を上げた。
常ならば妖魔を包み葬り去るはずの青い光球は少年の前で霧散し、何らの影響も与えていない。
「ばかな」
愕然とする綾之介に対し、少年は笑った。
「その力、我には効かぬ。なぜならその力もまた、我が与えしものなれば」
そう呟いた少年は、しかし、ふと顔をしかめた。
「だが、よりにもよってそのような訳のわからぬ姿にされるとはな」
口調はわずかに吐き捨てるようだった。
この相手が何を憤っているのか、綾之介にはわかりようもない。眉を寄せ、無意識のうちに軽く首を傾げていた。
「何を言っている?」
「その、お前が持っているモノのことだ!」
びしっと森蘭丸は綾之介の持つ釘伐斗を指さした。
少年の話を要約すれば次のようになる。
影流に伝わる神器の力の源は妖星の欠片であった。本来ならば、その星の欠片を用いて三振りの太刀を作るはずであった。しかし、そのいずれもが鍛造の段階でことごとく失敗してしまう。
次には太刀は一振りにとどめ、残りは小太刀と矛の槍先にのみ用いようとしたが、これにも失敗した。結局刃に鍛造することは諦め、現在の三神器の形状に至った。
だが、その形状……中でも特に釘伐斗には不満がある、という。
少年は握り拳で、神器・釘伐斗のブサイクぶりを力説する。
綾之介は聞いているうちにだんだん腹が立ってきた。
もともとこの男が与えた『力』か何か知らないが、この釘伐斗に綾之介はこれまで助けられてきた。香澄の皆が崇めてきた神器でもある。それをこき下ろされるのは面白くない。
自失からいったん立ち直ると、怒りが徐々にこみ上げてきた。
綾之介は釘伐斗を握りしめた。神器・釘伐斗が再び青い輝きをたたえる。
その姿に兄や父の面影が重なった。
「さっきから聞いていれば好き放題……」
声が知らぬうちに震える。
「勝手なことを言うなぁっ!」
綾之介は一声叫ぶと神器を振るった。
伐斗がうなりをあげて風を切る。ブン、という音とともに放たれた白球は、今までのいつより早く蘭丸めがけて飛んでいった。
これならば、と綾之介は思った。きっと蘭丸をとらえられる。
しかし、綾之介の願いと言うべき予測は叶えられなかった。
少年が何かしたようには見えなかった。
ただ彼は端然とたたずんでいただけだ。
けれど、少年の前で青き輝きはやはり四方に空しく散る。
否!
綾之介は突如爆風に吹き飛ばされた。空に体が浮き上がる。なにが起こったのか彼女にはとっさに理解が出来なかった。
愕然とする意識の中で今し方の光景がスローモーションとなって再生された。
頭の上から稲妻のように青い光が落ちてきた?
自分が放った力が、返された?
神器の力を思うがままに操れるのは、森蘭丸の言ったことが本当だから?
そこまで思考が進んだところで、強い衝撃が肩から背中を襲った。
ろくな受け身もとれないままに綾之介は地に叩きつけられていた。
「う……」
短くうめきを洩らし、やっとの思いで体を起こす。けれどそれ以上、彼女が動くことは出来なかった。
「哀れなり、影忍」
蘭丸が淡々と語る。
「うそだ……」
綾之介は顎を上げゆるく首を振るが、それ以上言葉は出ない。
少年が掌をを綾之介へと向けた。
「釘伐斗ともに滅びるが良い」
それと、少年の背後に影が飛び出すのが同時だった。
綾之介はその影に思わず息をのんだ。
輝かしい満月を背に現れたその影は、逆光故に顔かたちまではわからない。けれど、その振り上げられた右手に握られているのは紛れもなく──
(──日向の羽里扇≪はりせん≫!!)
蘭丸がカッと目を見開く。掌に光が集まる。
「成仏せいっ!」
「はっ」
少年が叫ぶのと、影が気合いを放つのは同時だった。
羽里扇が蘭丸の後頭部めがけて振り下ろされる。
スパーーーーーーーーン。
軽やかにその音は響き渡った。青い輝きが、打点を中心に美しい波紋となって空間に広がるのを綾之介は見た。
あり得ない場所からの奇襲に蘭丸がはたかれた後頭部を押さえて振り返る。
その顔の脇を左近は自由落下し、綾之介のそばに着地した。
「何をやっておるのだ、綾女!」
「左近……」
綾之介は男を見上げた。男は少し笑って見せた。そのこめかみからは不自然な汗が大量に流れ落ちている。
驚いて綾之介が見れば、男の脇腹には何かで貫かれたような傷があった。水浅葱色をした男の胴着を血が鈍い赤に染めている。
この傷で先の一撃を放ったのかと思うと、綾之介は胸が熱くなった。
森蘭丸は小さく舌打ちした。
「もう一人生き残っていたということか」
忌々しい想いで彼は今し方自分に一撃を加えた男を見下ろした。
男の手には金属的な光沢を放つ羽里扇がある。それが日向に伝わる神器であることは、無論蘭丸も知っている。
度重なる妖刀作成の失敗により、肝心の妖星の欠片は圧倒的に量を減らしてしまった。どれほど強い思念が籠められようと、彼の計画を実現させるには最低で三人分の想いが必要であった。にもかかわらず、もはや三人分の刀は小太刀であっても作れぬほどになってしまっていたのだ。
その状況を救ったのが、箔の技術である。箔と呼べるほどに薄く延ばした鉄を、巨大な扇に貼り付けた。使われた妖石の絶対量は少ないが、その分を表面積でまかなった。結果的にこれはうまくいったといえる。
背後に開きつつある冥府魔道を振り返り、蘭丸はしみじみと感慨にふけった。
しかし、いかに羽里扇に思い入れがあるとはいえ、もはや用はなくなった。その持ち主に至っては無用はおろか有害であろう。
蘭丸は崩壊から生き残った屋根の上に降り立ち、懐に手を入れた。生き残った影二人に緊張が走った。左近が羽里扇を構える。
蘭丸は、懐から平たい帯状の布らしきものを取り出した。遠目に見る限り、幅二寸ほどの白銀に輝く帯が女の胴ほどの輪を作っている。綾之介は目をすがめた。彼女には見覚えのない品であった。
少年の姿をした妖魔は立てた左手の二本の指に帯の一端を掛け、輪の逆の端を右手で引っ張った。帯は特殊な編み方で出来ているのか、弓の弦のように大きくのびる。
不意に左近が息を呑む音を綾之介は聞いた。男が軽く腰を浮かす。
「護無紐≪ごむひも≫だと!?」
左近の顔色が変わったのを見て、綾之介は目を瞠った。
「何をそんなに驚いて……護無紐? 護無紐とはなんだ」
左近は森蘭丸の手にあるものから目を離さず、答えた。
「香澄には伝わっておらぬかもしれぬが、忍び道具の一つだ」
「武器なのか?」
「ああ。扱いが難しいゆえ、使うものはほとんどおらぬがその力は……」
そこで左近は言葉を切った。
「来るぞ! よけろ!」
叫び、綾之介の体を突き放す。
突然のことに綾之介はうしろにひっくり返る形になった。今し方まで彼女がいた位置を白い何かがうなりをあげて駆け抜ける。
護無紐は無人の空間を貫いて岩の固まりにぶち当たった。轟音が上がり、破片が飛ぶ。
反射的に手で顔をかばいながら、愕然と綾之介は岩の砕けた跡を見つめた。
(これが護無紐の力……)
思わず息を呑まずにはいられない。扱っているものが人ではない点を差し引いても威力のほどは疑いようもなかった。同時に、綾之介は護無紐の扱いの難しさも悟る。あの体勢から放つ以上、下手をすれば自らの手に当ててしまう。これほどの威力を持つものが人の手に当たればどのようなことになるか、考えるだに恐ろしい。
「よく避けた」
森蘭丸はそう言って笑った。
だが次はないと、その笑みが無言で語っている。少年の手には新たな護無紐がすでに握られていた。
「左近……」
どうする?と、綾女は男に目をやった。
男は地に片膝をつき、眼前にて羽里扇を真一文字に構えると森蘭丸を睨みあげている。
「俺が行く」
「馬鹿を言うな!」
綾之介は驚いた。
「羽里扇自体に殺傷力はあるまい! 奴には神器の力が効かぬのだぞ!?」
男が苦い表情で奥歯を噛むのが夜目にも見えた。そう、音こそ派手だが羽里扇は巨大な扇でしかない。神器としての力はともかく単体での威力はなきに等しい。
「そのくらいなら私が行く」
綾之介は言った。
武器としてなら釘伐斗の方がずっとましなはずである。
左近は短く首を振る。
「彼奴の方が速い。釘伐斗を振るっている暇はなかろう」
「しかし……!」
羽里扇になにが出来る、と言いかけたところを、低い笑い声が遮った。
「案ずるな。二人仲良く滅してくれよう」
蘭丸が護無紐を指に掛ける。
その瞬間、綾之介の脳裏に一つの案がひらめいた。
ぐいと、彼女は男の袖を引く。
「左近、聞け。一か八かだ」
綾女は男の耳にささやいた。
すなわち、「私の神器は、本来『伐斗』である」と──。
男の顔に驚愕が走る。
彼は一瞬で綾之介の言わんとしていることを理解した。
「綾女、しかし、それは……」
綾之介は厳しく首を横に振る。
「もはやこれ以外に手はあるまい」
左近はわずかに逡巡したが、ややして頷いた。
「わかった。俺が奴を引きつけ狙いを外す」
綾之介もまた、小さく頷き返した。
「別れの挨拶は済んだか?」
蘭丸の声に、二人はゆっくりと立ち上がった。左近が綾女を背にかばい一歩前へ出る。綾之介がその後ろで伐斗を構えた。
蘭丸は軽く眉を上げた。
「どこまでも抗うと言うか。無駄なことをするものだ」
「それはどうかな?」
左近が言った。
その瞬間、男の足が地を蹴っていた。蘭丸は相手の早さに思わぬ喫驚した。
男は一瞬で間合いを詰め、蘭丸の左側面に回り込んで接近している。この距離では護無紐の間合いには近すぎた。
左近の羽里扇が振り上げられる。
「甘い!」
蘭丸は宣言し、視線だけを男へと向けた。軽い爆音とともに男の面が煙に巻かれる。男は石垣の端を踏み外す格好で滑り落ちていく。
蘭丸はすぐさま視線を戻した。
綾之介めがけて護無紐を放つ。
だが、蘭丸は気づかなかった。彼が視線を外していた一瞬の隙に綾之介が一歩だけ位置を変えていたことに。
綾之介は息を詰めた。全神経を集中させ、迫り来る護無紐を見つめた。
タイミングを計る。
脇を締め体重を後ろから前へ移動させた。その流れに併せて腰をひねる。伐斗を持った腕を振るった。
釘伐斗は護無紐を芯でとらえた。
(重い!)
綾之介は歯を食いしばった。ビンと腕から肩へ強いしびれが走る。
(兄上──!)
その名を胸の内で呼び、綾之介は渾身の力を振り絞った。
伐斗を振り抜く。
「なに!?」
蘭丸は声を上げた。己の放った護無紐がそのままの勢いで返ってくる。
蘭丸は打ち返された護無紐を間半髪で避けていた。そのほとんどは無意識であった。前髪の数本が宙に舞う。護無紐はそのまま空の向こうへ消えていった。
「外したか!」
綾之介は思わず呻いた。ほとんど唯一の、そして一回きりしか効かない手であったのに……。
「逃げろ、綾女」
咳き込む息の下から、左近が言った。綾之介は立ちつくしたまま動かない。
蘭丸は一つ息をついた。微笑み、少年は新たな護無紐を構える。
「うぬらの武運もこれまでだ」
蘭丸がそう呟いた時だった。
ぐしゃっ、という音がした。
綾之介と左近は、その光景にそろって目を見張った。
蘭丸の首元に、何かが振り下ろされていた。
何か。金糸が鉄を編みこむ房が幾本もついたそれは、紛れもなく葉ヶ塊の神器・物斧≪もっぷ≫であった。妖石を編み込んだ房からは雫のように青い神器の輝きが散っている。
六尺を超える丈があり、斧というより強いて呼ぶならば矛に近い姿。最後の神器・物斧≪もっぷ≫に、間違いなかった。
急所に打ち込まれたダメージで石垣の上に片膝をついた蘭丸は、あり得ないものを見る目で呟いた。
「な、なに?」
「龍馬殿!」
石垣の下から綾之介が叫ぶ。
顔の反面に深いやけどと傷を負った龍馬は、肩で荒く息をしながら蘭丸の首元を物斧で押さえつけていた。
こんなことはあってはならない、と蘭丸は思った。
「ばかな……」と、無意識のうちに言葉が漏れる。
男は城壁の後に立ち、物斧の柄を回した。金と鉄色の襞からは青い輝きが散る。
「貴様!」
激高する蘭丸ののど元を物斧の柄で押さえつけ、小柄な少年を引きずり上げるように立ち上がらせる。
龍馬は叫んだ。
「左近、綾之介! あしごとこやつをやれぇ!」
地上の二人は思わず息を呑む。
左近はすぐさま頷いた。
男二人は綾之介に目を向ける。
綾之介は奥歯を噛みしめた。
選択の余地は、なかった。
彼女は立ち上がり釘伐斗を構える。
左近もまた立ち上がった。ゆっくりと歩みを蘭丸たちへと進める。
左近の歩みは加速度的に勢いを増した。彼もまた最後の気力を振り絞り、地を蹴る。
物斧が輝きを増す。
綾之介は釘伐斗をフルスイングした。
左近が空中で羽里扇を大きく振りかぶる。
綾之介の釘伐斗から放たれた光球が蘭丸へと一直線に向かう。
「……南無、鳳、来ぃっ!!」
光球が蘭丸の身を貫くと同時に、左近は渾身の力を込めて、蘭丸の顔面に羽里扇を叩きつけた。青い輝きが世界を焼く。
羽里扇の音の青き波紋が、物斧からの水が散るごとき青き雫が、そして、釘伐斗からの青き飛球が、それぞれ合わさり共鳴し輝きが爆発する。
妖魔は断末魔の叫びを上げた。それは絶望の悲鳴でもあった。
彼自身の消滅よりも、彼が五百有余年の時を掛けて生み出した冥府魔道が要を成さぬままに閉じてゆく。
彼が塵と消えるとともに、冥府魔道もまた、消えた。
では、この世を救った影三人はどこへ行ったのか。
その後の彼らを知るものはない。
彼らがどこへ去ったのか、そして、羽里扇、物斧、釘伐斗の三神器はどこへ行ったのか。安土の碑は、すべてを黙して語らない。
<了>
作者より一言:この作品は当サイトカウンタで4万ヒットを踏まれた とろの様のリクエストで書かせていただきました。
ハリセンを持った左近をご覧になりたい方は とろの様のイラスト をご覧下さい。