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誘い(いざない)
 

――この者の魂を蘇らせたいか?
その者は、そう声を掛けてきた。
それは禁忌
それは自然の理から外れた道
だが、なんと甘美な誘いであっただろう・・・
妖かしが妖かしたる所以――その意味を、薄れゆく意識の中で、初めて実感した

 
天正十年 六月十五日――安土
そこには壮絶な戦いを終え、自らも傷を負いながら、それも顧みず、燃え盛る城を背に、愛しい者の魂が燻る亡骸を、今なお胸に抱いたまま、動こうとしない綾女がいた。
「誰だ・・・」
綾女の髪が微かに揺れた。
崩れた石垣の陰から、綾女の背後に音も無く近づいた者がいた。
この時刻、この場所に生きた人間が存在するはずが無い。
綾女は地面に投げ出された小太刀に手を伸ばし、鞘から刀身を抜いた。刃が月の光を反射し、闇にその輪郭をあらわす。
刹那の後、小太刀がほのかに青白い光を帯び始めた。妖魔を切るという破妖の剣――
「お主、この者の魂を蘇らせたくはないか?」
突然の問い掛けに、訝しげに綾女は後ろを振り返った。
月の光を浴びて立っていた者は、予想に反して、小柄な老婆。
そこからは何の邪気も読み取れない。それゆえ余計油断できない人型の妖かし――
経験が心に警鐘を鳴らしている。
それは、ごくありふれた老女を装っていた。
だが、知ってか知らずか、その者は異界の者が持つ独特の――赤みを帯びた金色の虹彩を隠さず、じっと綾女の事を見詰めていた。
「何者かは知らぬが、貴様の戯言に付き合うつもりは無い・・・いまは後生だ、二人きりにしてはくれぬか・・・私の気が変わらぬうち、早々にここから立ち去れ」
これまで数々の修羅をくぐり抜けてきた綾女の、凛と張りのある声。その声が静かに、そう告げた。
今は己の命を守る事よりも、唯こうして二人だけの時を過ごしていたかった。
これまで男女の睦み合いなど、二人には縁が無かったのだから、せめてこの一時だけ・・・今一度だけ・・・
その綾女の思いに反し、後ろに立つ気配の主は、全く逃げる様子を見せなかった。
普通、妖刀の光を目にしただけで、雑魚の妖魔の類は逃げ出すのが常であったが、今回はどうも勝手が違ったようだった。
さりとて攻撃を仕掛けてくる訳でもなかった。その者はただ綾女を見詰め、問い掛けてきた。
「それでお主は満足なのか? ただ影忍として時の中に埋もれていく――その男も、お主も、生きとし生ける未来を戦いの中にのみ置き、それでおまえ達の思いは満足
するのか? お主の思いは、これからどこへやるつもりだ?」
綾女は一瞬その視線と言葉にひるんだ。
命の采配は神仏の手の内というが、綾女は神も仏も信じていない。戦国の世にそんなものは存在しなかった。事実、滅び行く弱き者へ、救いの手は差し伸べられなかった。
だが、たしかに人外のものは存在する。妖魔という異界の者と、何度も綾女は対峙し、戦ってきた。
そのような者が――人の情というものに対し、それは人間達の戯言にすぎないとさえ言い切る妖魔もいるというのに、この者は思いもかけず綾女の心の奥底をさらうようにして、どうにかして左近の死の意味を正当化したい綾女の本心をついてきた。
――人の心を弄び、操るは妖魔の常套手段
すぐ我に返ると、綾女は一際きつい目を相手に返し、手にした小太刀をさらに強く握り締めて、いつでも動ける体勢をとった。
警戒を怠らないまま、綾女は左近の体を地面に横たえ、一瞬だけその男の死に顔に詫びを入れる。
――こんなときにさえ、安らかな寝床を用意してやれなくて、すまぬな左近・・・
答えるはずも無い男が、一瞬口元だけ微笑んで返したかのように綾女には見えた。
――今更であろう
いつものすげない口調で、だが温かみのある左近の声が聞こえてきそうな気がした。
ふっと綾女は僅かに口もとをほころばせ、そして引き結んで対峙する相手に視線を返す。
相手は何も仕掛けてはこない。なのに少しずつ自分達の周りの空気の色が変わってくるのがわかった。
「われが、その者の魂を呼び戻す方法を教えようと言っておるのじゃ。それのどこに不都合があるのか?」
老婆の言葉に妖かしの力が加わる
「だまれ! お前達、妖魔の手口は散々見てきた。生きている者達のみに飽きたらず、死者までも愚弄する所業の数々、よもや知らぬと言わせぬ」
「ホッホッ、笑止!」
妖魔の目がかっと見開かれ、綾女の体に突如重圧がかかった。とっさに綾女は妖刀をかざし、眼前で妖力を分散させる。 妖力が紙一重で体の脇を掠めていくのを肌で感じながら、その凄まじさに綾女は息を飲んだ。
蘭丸と同等の実力、いやそれ以上かもしれない力を持つ妖魔が、この世にまだ存在していた事実を知り、綾女は震撼する。
妖魔は構わず言葉を続けた。
「お主はその若さで妖魔のすべてを見、すべてを知り得たと言うのか? 妖かしとて、この世をよりましにして生きる者達よ。人間には分からずとも、妖かしには妖かしの情の通わせ方というものがある。この世が人間達だけのものとは思わぬことだな」
「――ならば何を望む」
圧倒的な力の差を前にいて、綾女は額に脂汗を浮かべながら、搾り出すような声でやっとそれだけを問い返した。
妖魔はその問い掛けに、いきなりふっと全ての呪を解き、穏やかとも見てとれる表情を浮かべて、綾女に答えた。
「何も望まぬ・・・と、言えば嘘になろう・・・お主も知るように、その妖刀は妖魔にとっても人間にとっても諸刃の剣じゃ。三振りの太刀は、訳あって人間にしか扱えぬ。そして妖魔を裂くことのできる唯一の武器・・・が、そもそもその太刀が作られた経緯は、蘭丸から聞いておるな・・・お主等影忍がそれを鞘から抜き放つたび、妖刀は人の世の恨み、辛み、妬み、嘆きといった負の感情を吸って、その力を増す。そうして蓄えられた力が選ばれた地に集められ、凶星の到来という符号と合わさった時、それらは共鳴し合い、強力な磁場の歪みを生じさせ、冥府とこの世を結ぶ扉を開く鍵となるよう仕組まれておった。役目を終えればそこで消滅する代物・・・そのはずが、空間は封じられ、二振りの太刀が残された――」
そこで妖魔はいったん言葉を切り、押し黙った。
「それに何か問題があるというのか?」
綾女は妖魔の言葉の裏にただならぬものを感じ、間を置かず問い返した。
妖魔はその問いには答えず、暫し綾女の顔を見詰めた後、今ひとたび強い口調で綾女に問い掛けた。
「もう一度問う・・・この者の命を呼び覚ます気は無いか?」
「断る!」
即座に綾女は答える。
深くかかわった者を亡くした事は、仲間としても、女としても辛い事ではあった。だが己の気持ちを優先させ、左近の眠りを妨げるなど、綾女はさらさら考えてもいなかった。
――だが、なぜこの妖魔はこれほど左近にこだわる・・・
そんな疑問が綾女の脳裏をよぎった。
妖魔は綾女の質問に何一つ答えていない。本心さえ明かしていない。そんな者の言う事を信用できるはずがなかった。自然、綾女の眉間にしわが寄る。
妖魔は深くため息をつき、そして仕方がないといった素振りで話し出した。
「われは、朧衆弐の頭、名は比之木(ひのき)という。俗に比之木の婆と呼ばれておる。もとは蘭丸達と同じ生まれよ。だが、われは蘭丸とは袂を分かった仲だ。われ
は、この地を、ここに住む者達を、われの形で慈しんでおる。長く住むとな、愛着というものも沸いてくるのだろうて・・・そこが、かの地に戻りたがった蘭丸と違うところよ。仲間の何人かに、同じように、この地に昔からいる精霊と同化し、住み着いた者がおる。人間から見れば妖かしの類に代わりは無いだろうが、この者達は人を食さん。山や川や森、自然界に息吹くもの達の生気を糧にして細々と生きておる。人に悪さする事はあっても、害を及ぼさん。よほどのことが無い限りな・・・」
真剣な面差しで綾女に語る妖魔――この者は何かを憂えているようだった。
「お主は、その刀が力を吸収したり、放出したりするのに、媒介が必要だということは知っておるか?」
「――?」
「それを手にした人間が、一種、刀の憑人(よりまし)のような役目を果たすのだ。だが、通常の人間がそれを自分の傍らに置くと、必ず心と体に変調をきたす。その妖刀自身が出す妖気に、普通の人間は絶えられないからだ。それに耐えられるのは、何代にも渡りその太刀を守ってきた影忍の血筋の者だけ――その毒気に対し免疫を持つお主達にしか、この太刀を扱えないときた。その使い手がいなくなれどうなるか・・・一度妖力を発動した太刀は、そこに存在するだけで、生きるもの達の生気を際限なく食らい、そしていつかはその妖力を暴走させる・・・その影響は人間にとどまらず、この地全体の生態系に取り返しのつかない破壊をもたらす・・・それはわれ等の望むところではない」
「――だから生き返させろ、と? ハッ、勝手な!」
「ああ、勝手は百も承知・・・だが、事の発端は誰だ? その責は誰にある? お主は無関係だとはっきりここで言えるか? ん?」
「――くっ」
一つ一つ折り畳むように問い掛ける妖魔に、綾女は返す言葉がなかった。
綾女は、苦渋の色を顔に浮かべながら、地面に横たえた左近を見下ろした。
最後まで綾女を守る事を自分の生きる道と信じて生き、戦いの終焉と共に逝った左近――この男の今際の顔を思い出して、綾女は声無き声で、自分に問い掛けてみたくなる。
――今、安らかな眠りについているこの者を起こしていいものか?
またあの修羅の道に、この者を引きずり込もうと自分はしているのか?
だが、一人の人間の感傷で、全ての命を犠牲にすることは、自ら命を持つ者として、当然憚らなければならぬ事だとわかっていた。
更にあの左近が、こんな形で果たして自分に守られる事を望むだろうか?
そんな疑問もあった。
今一度、綾女は左近に心の中で問い直す。
――すまぬな、左近・・・もう一度私と歩んでくれぬか?
深い情愛をこめた目で、綾女は左近を見詰める
――何度も言わせるな・・・謝る必要がどこにある・・・お前一人に全てを負わせる気など、最初からありはせぬ・・・この阿呆が
案の定、左近は笑いながら、綾女の言葉を軽く受け流す――そんな残像を見た気がした。
何度そのさりげない言葉に救われた事だろう。いつも振り返った先に左近の視線があった。
その瞳は時に優しく、時に厳しく、いつも綾女に問い掛けてきた。
お前はそれで幸せなのか――と
生前、自分はその視線から逃れることばかり考えていた。自分の本心を見透かされそうで、己の信念を崩されそうで、会えばただひたすらに突っぱねた。
今となっては懐かしい――いや、甘く切ない後悔を滲ませた思い出であった。
かすかに綾女の心の水面が揺れた。
建て前とは別に、妖魔の言葉に蠱惑的な誘いの響きがあったことを、綾女自身否定できなかった。
――もう一度お前の声が聞きたい
その唇が己の名を刻むのを見たい
その瞳に己の姿を映るのを確かめたい
そして――その腕の中で眠りたい  
自分の中の女性が目覚めるのを綾女は感じた。それが今一度その温もりを渇望している。その飢えと乾きは、再び渇望するものを手に入れるまで、己が心をちりちりと
焦がし続けるだろう――そう予感した。
「――どうする?」
妖魔が再び訊ねてきた。その声に余韻を消され、綾女の思考は現実に引き戻される。
綾女は小太刀を鞘に収め、腰に戻すと、迷いを振り切った目で妖魔を直視し、はっきりと告げた。
「これは取引ではない。あくまでも私の意志で決めた事だと、最初に断っておく。貴様の言う通り、もし妖刀の力が暴走するというなら、それは迷惑の他の何物でもない。影忍にしかそれを止める事ができないというのならば、それこそが本当の宿命なのかもしれぬ。私は、そこに生きた軌跡が残せるのなら、憑人(よりまし)となる事も、いといはせぬ。死した左近には悪いが、あの者も影忍の一人、この状況を理解してくれよう・・・だが、妖魔の指図を受けるのは今回限りだ、以後、金輪際われ等に近づくな!」
「無論、われも人とつるむ気は毛頭ない。われはわれの世界に住み、われの守るべきものを守るだけだ。たが、われ等の世界に土足で入り込み、荒らすものが居れば、われは人であろうが同族であろうが、容赦なく攻撃する。――そこは、お主達、人間と変わりなかろう?」
老婆はそう言うと、にやりと不適な笑みを浮かべた。
その問いに綾女は眉をひそめ、自分より一回り小さい老婆を睨みつけた。
だが、すぐそれが無駄な事だと気付くと、短くひとつ嘆息し、
「確かに、な」
ボソッと一言、同意とも取れる言葉を吐いた。
 
「さあ、もうすぐ夜も明ける。事を急ぐとしよう・・・」
お互いの意見の一致を見た後、妖魔・比之木の行動は素早かった。
くるりと踵を返し、城のほうを見上げると、一跳びで天守閣の存在した一の丸へと飛来し、瓦礫の山の先端に、ふわりと降り立った。
妖魔は月の光にその姿を浮かび上がらせながら、しきりと何かを探しているようだった。
程なくして目当てのものを見つけたのか、南の方角をじっと見詰めると、口元に指を寄せ、
長く一回、短く二回、高く低く高低をつけながら、指笛を鋭く鳴らした。
それを三度繰り返すと、比之木はまた、綾女たちのいる西ノ丸へ舞い戻ってきた。
とても老婆の風体からは想像もつかない身のこなしで、妖魔は地面に降り立つ。
「これからどうするのだ?」
妖魔の動きの一つ一つを黙って目で追っていた綾女は、比之木が戻ると、待ちかねたように言葉を掛けた。
「今、使いを呼んだ、ほどなくして迎えが来るだろう。それまでに、まずはこの者の身体に流れ込む時間を凍結する。次いで遊離した魂魄を別の空間に呼びこみ封印――そこまでを一気に済ませる。その者の太刀を、その身の上に置け」
比之木に命じられるままに、綾女は左近の妖刀を拾い上げ、そっと、それを左近の胸元に置いた。その間にも比之木は忙しなく手を動かし、地面に左近を中心とした円陣を描いたかと思えば、その中に何かしら文字を書き込み始めた。
こうして大体儀式の手はずが整ったところで、比之木は最後の仕上げとばかりに懐から何かを取り出し、左近の周囲に均等に置き始めた。それは一辺が二寸ほどの三角錐の形した金属片だった。地面に置かれたそれらは、目を凝らさなければ、薄闇の中ではその形も色もほとんどわからない。
比之木は、仕草で綾女に円陣から離れるよう示すと、円の外側に立ち、印を結んで妖力を高めだした。目に見えない何かが、妖魔の体から陽炎のように立ち昇り始める。初夏だというのに外気温がいきなり下がり、綾女は思わず身震いした。背に悪寒が走る。だが、今起こりつつある事から、綾女は目を離すつもりはない。
しばらくして比之木が呪を唱え始めた
――陰は陽に潜み 陽は陰より出(いずる)
   両極は万物を化成し 二気にて世の消長をなす
   われ対極をなす者に代わり 呪を唱える者なり
印をいくつか組み変えながら呪が続く。
――気は血の主なり
   わが血潮にかけて 木・火・土・金(ごん)・水
   五行の精霊を召喚す
すると、左近の周りで三角錐が青白く光りだした。
――森羅万象 天地万物を組成せしもの
   相呼応し その形をなせ
   五行相生(そうしょう)五行相剋(そうこく)
   その力にて 十種の神宝(とくさのかんだから)を具現させたまえ
五つの三角錐が起点となり各々が光の線を結び出す。地面に、正五角形と五忙星が描かれ、その光が一際強くなった途端、強烈な青い光が空に向かって迸(ほとばし)った。それにあわせて強い上昇気流が生まれる。吹き荒れる風にあおられ、綾女の束ねてある髪が蛇のようにのたうつ。視界が遮られ、二人の姿が直視できなくなっていた。腕で風を遮り、やっとの思いで前を見ると、そこには、ゆっくりと光と共に浮かび上がる左近の姿があった。比之木はこの風にも微動だにせず、その場で印を結んでいる。
更に呪は進む。
――奥津鏡(おきつかがみ)辺津鏡(へつかがみ)
   相対し 彼の者の魂(こん)を捕らえよ
   八握剣(やつかのつるぎ)
   この世の理より 彼の者を解き放て
   生玉(いくだま)死返玉(まかるがえしのたま)足玉(たるだま)道返玉(ちがえしのたま)
   その力を以って 彼の者の魂を封じよ
   蛇比礼(へびのひれ)蜂比礼(はちのひれ)品物比礼(くさぐさのもののひれ)
   巴なすものを守り 悲願成就されたし
その時不思議な事が起こった。左近の太刀が青白く光り、その体から離れ、浮かび上がったと思った途端、それに呼応するように、綾女の腰に仕舞われた小太刀が光り出した。更に、風が二人を取り巻くように吹き始め、綾女たちは外の空間から隔離されてしまった。
 
―― 一・二・三・四・五・六・七・八・九・十(ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・ここ・のたり)
   布留部 由良由良止 布留部(ふるへ ゆらゆらと ふるへ)
禁断の呪『布瑠之言』が始まった。俗に言う魂振りの呪文である。
――布留部 由良由良止 布留部・・・
 
繰り返される呪文が、風に乗って高く低く響き渡る。
――しまった!
そう気付いた時には、その呪と共に綾女の意識も遠ざかりつつあった。全身から力が抜け、綾女はその場に崩れるように倒れた。綾女が薄れゆく意識の中で、最後に見たのは、青白い光に全身を包まれだした左近だった
――左・・近・・・――!? 
いくら伸ばしても、手の届かない蜃気楼を見ているような気分だった。それはもどかしいが、決して焦燥感をあおる不快なものではなかった。
――左近・・・
そして綾女も、愛しい者の名を呟きながら、深い眠りに落ちていった・・・
有明の刻が近づく頃、崩れた安土城の本丸跡に、一人の老婆が人待ち顔で立っていた。なぜこの者がここにいるのか、説明できるも者はどこにもいない。全てが死に絶え、全てが焼け落ち、全てが終わっていた。
そこに飛来する二つの影があった。
「思ったよりも時間がかかったのだな」
後ろを振り向きざま、地面の上に降り立った影に、老婆は上から見下ろす形で、声を掛けた。
「まあな」
人の二倍の大きさもある狼が二匹、人の言葉で答えた。
「守備はいいのか?」
もう一匹が老婆に問い掛ける。
「ああ、後はこのまま運べばよいだけだ」
「それにしても、あんたも酔狂だねえ。こんな人間に関わってさあ」
鼻頭で地面に倒れている人間を突付きながら、獣は言う。
「これは、全ての者に関わってくる事だったからね・・・遠いところ、すまなかったね、犬神達よ」
「それじゃあ、行きますか」
犬神達は、二人の人間を、各々体を潜り込ませる形で担ぎ上げると、老婆に紐で絡げてもらい、走り出す態勢に入った。
一瞬にして、二匹と一人がその場から鮮やかに跳躍する。人からかけ離れた妖かしだからこそなせる技――
「ここからどこへ?」
その問いに老婆は走りながら答えた。
「吉野へ」
そして瞬く間に、三つの影は暗闇に溶けこんでいった。
――物語は始まったばかり、いまだ綾女は、まどろみの中にいる・・・
 

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